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@rie_RICO

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夢の終わり、動き出す瞬間

二度目の悪夢【前編】

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 全身を柔らかい何かに包まれている。
 ふわふわと空に浮かんでいるような…
 ううん、違う。雲の上に乗っているみたい。
 目の前をゆっくりと流れてゆく、小さな雲をちぎって食べた。
 綿菓子のように甘く…でも味の奥にほんのりと塩気がある。

 美味しい!いくらでも食べられそう。
 ああ、でもこんなのは夢だよ…ね。

 意識が現実と夢の世界を混濁しながらさまよっていたが、ふと強い生理現象に襲われリアルに引き戻される。
 トイレに行きたいな……。
 そう思ってゆっくりと目を開けた。

「あーやっぱり寝ていたんだ。
 本当に雲が食べられたらいいのにな。」

 ぼんやりした目に飛び込んできた空は白い。
 瞬きを何回かすると、しだいに視界がはっきりしてきて脳が夢から完全に覚めて理解する。
 それは空ではなく天井だった。

 天井が高っ。真っ白できれいなクロスだなぁ…。
 ん? 何かおかしくない?

 寝ぼけた頭で必死に思い出す。
 そう、ウチの天井は茶色で木目がある…。
 もっとこう…古い感じの。

 景色の違いに気付くと同時に、自分を包んでいる物に違和感を覚える。
 いつものベッドよりもスプリングがふわふわしていて適度に身体が沈みこみ寝心地が抜群だ。
 シーツはシルクなのか…かなり肌触りが良い。
 掛けている布団は軽くて温かい。羽毛布団しかも中身は高級なグース(ダックかも)!と推測。

 とりあえず起き上がろうと、上半身を起こしてベッドの上に座る。
 その瞬間…最大級に心臓が高鳴った。
 着ているものが昨日と違う…。
 というか、下着も付けず大きな白いYシャツを身に着けていた。
 ブラもパンツも消失しているのだ…。

 な、なんでっ!こんなことに…。
 でもこのシャツも湿気を感じなくて着心地いい。
 …肌触りからしてこちらのシャツもシルクかな。
 このサイズはメンズだよね…。
 いわゆる〝 彼シャツ 〟なのかな?
 …。
 って、いやいやいや!
 記憶に無いのに、これを着ているってことは…ですよ。
 誰かに全部脱がされて、あー……(絶句)。

 耳まで真っ赤になりながら、首を振っているとベッド横にシンプルだけど高価そうなサイドテーブルが目に入った。
 ベッドの上で座ったまま部屋を見回す。
 家具は最低限しか置いていない。が、全て高そうである。
 まるでショールームのような部屋で頭を抱え込む。
 
 こ、これは。また…やらかしてしまった……。
 眼を覚ますと見知らぬ部屋にいるパート2である。
 またしても人様のベッドの上で安眠していたらしい…。
 しかも今回は身包み剥がされている(みぐるみはがされている)というグレードアップした内容。
 羞恥心と知らないお家にお泊りでドキドキが止まらない。

 酷い嫌悪感に苛まれ、大きなため息を漏らす。
 あまりの非常事態に生理現象もひとまず引っ込んでしまった。
 部屋の中には持ち主のヒントは1つも無い。

 いったい誰の家にいるんだろう(泣)。

 その疑問を解決する最善の方法は2つ。
 1つ目は…他の場所へ出向き家主を探す。
 2つ目は誰かが、この部屋に来るまで大人しくしてる…。

 さすがに2回目。少しだけ落ち着いているな。
 誰かの彼シャツを着ている自分を認識してしまうとかなり動揺するけど(苦笑)。

 どうしようかと悩んだが、今はおさまっている生理現象が、いつ発動するか…ということもある。
 素直に勘に従って行動するのがベストだろう。
 いつ耐えられないほどの尿意に襲われるとも限らない。
 知らない(たぶん男性の)お家で〝 漏らす 〟なんて、あってはならない。

 ゆっくりとベッドから降りる。
 床は灰色で光が反射するほどつるつるしている。
 素材は石のように硬く、かなり冷たい。
 歩く足先がじんわりと冷えていった。
 滑るし氷みたいに冷たいので素足では歩きにくい。
 爪先立ちで跳ねるように歩いてドアを開くと部屋から出た。

 部屋から出て、まっ先に目に映る空間に絶句した。
 三咲くんの家よりも、とんでもなく広い。
 出た先から見えるのは何十畳とも思えるリビング。
 リビングの中央あたりにに螺旋階段…。

 階段ってことは=2階があるんだよね。すごい…。

 左奥には広い窓がありテーブルと、それを囲むようにソファーのセットが置いてある。
 窓には何重にも重なったレースのカーテン。
 朝の日の光を浴びて、表面を磨かれたロータイプの木のテーブルが優しく光る。
 ソファーはオレンジがかったベージュでテーブルを囲むように置かれていた。
 幾何学模様のタイプの違うクッションが大小様々数え切れないぐらい無造作に重ねられている。
 ソファーには余裕で10人以上が座れそうだ…。

 右側の奥を覗くと玄関が見えた。
 履いていたパンプスがきちんと置かれている。
 玄関も奥行きがあるらしく、ここからでは扉は見えない。

 よし。出口確認OK。
 って…この格好ではどこにも行けない……。
 バックもないし…。
 はぁ…。

 広いリビングに家主の姿も、誰なのかというヒントも見つからない。
 趣味の良い温かみのある家具が多いのと、大人数が集まれる仕様になっているというのは分かった。
 あと、もう1つの発見は大変な酒豪ということ。
 リビングの壁際にある戸棚にはお酒がずらっと並んでいる。
 ウォッカやブランデー、ワインもあった。

 戸棚の前でしゃがみながら、お酒の銘柄を見て何となくの違和感を覚える。
 だけどそれが何故なのか分からずジッと棚を見つめていた。
 ウッドで作られた曲線のある可愛らしい棚に、ところ狭しと酒瓶が詰まっている。
 素材もガラスや陶器と統一感が全く無く、ミニボトルもあれば1ℓ以上の大きなのもあった。

 一番多い種類はウォッカ…か。
 ウォッカと思われるものは棚の半分ほどを占めていた。

 そっか、分かった。
 読めない文字の瓶が混ざってるから違和感だったんだ。
 英語でもない…『 водки 』って何て読むんだろ?

 理解不明な文字にうんうん唸っていると後方の頭上から…

「Что ты делаешь?( シト ティ ヂレーィェシ?)」
『何してるの?』

 とても流暢な異国語が耳に届く。
 言葉のせいなのか…甘い響きを含んだ男性の声。
 戸棚に夢中になりすぎて背後に人がいることも気付かなかった。

 背中越しの声に心臓が跳ねる。聞きなれない言葉に間抜けな声が出た。
「へっ?」

 ゆっくりと振り向き見上げると、しゃがんだすぐ後ろに背の高い細身の男…。
 お風呂上りなのか少し茶髪がかった短い髪に水滴が輝いている。
 白のTシャツと紺のハーフパンツを履いていた。
 ちょうど天井の照明と被って逆光になり顔がよく見えないけど、怒ってはいないようだ。

 男が隙のない動きで みうの近くへと一歩で近付いた。
 目の前で目線を合わせるようにしゃがむ。
 なかなかの近距離にまた心臓が暴れ出すが、今度は顔がはっきりと見えた。
 切れ長の茶色の瞳。高い鼻筋、少しだけふっくらした唇、細い眉。
 そして一番目立つのは圧倒的な肌の白さだった。
 肌が蛍光灯に照らされているだけで白く輝いているようにさえ見える。
 日本人っぽい顔つきだけど異国の雰囲気を持ったミステリアスな年上の男性だった。
 
 男は微笑みながら異国語を発す。
「Вчера было весело?(チヴァー ブルー ビースノ?)」
『昨日は楽しんでくれた?』

 聞き取ることすら困難な日常にない言語。
 理解もできなければ返答することもままならない。
 目の前の男とどうやってコミュニケーションを取ればいいのか?

「あ、あ、あの…。」
 ついクチから出たのは海外で一般的に使用されている英語ではなく日本語だった。
 あたふたしながら頬が朱色に染まっていくのが自分でも分かる。
 腐っても文科系の大学生だというのに咄嗟の英語の一文すらまともに出ない。
 両手をバタバタさせて何とかジェスチャーでこの危機を知らせようと頑張るが、ただ子供が暴れているようにしか見えない。

「くっ。みうちゃんって面白いね。」
 男からの、なまりの一切無い日本語。
 日本語で聞いても、男の人にしては少し高めで耳をくすぐる甘い響きがあった。
 昔からの知り合いのように名前で呼ばれたが…どう思い返しても見覚えが無い顔。
 みうの顔に眉間のシワが寄る。

 男が急に吹き出しながら笑う。
 よっぽどのツボだったのか笑い声はしばらく続いた。
 落ち着いてきた頃おもむろに片手を差し出して握手を求めてきたので、反射で手を出す。
 男性らしい大きい手だが思ったよりも華奢で…見た目にそぐわないぐらい温かい。

 男は みうの手を握ったまま軽く振ると、
「明日からルームメイトになる者だよ。よろしく。」
 と宣言してきた。

「!!!(絶句)」
 クチが大きく開いたままで固まってしまう。
 ルームメイトと言えば、つまりは〝 一緒に住む 〟って意味だ。

「くっ、あっははっ! その顔。KAIに見せたい。」

 この人、KAIのことを知っているの!

〝 えっ 〟と言いそうになるのを何とか飲み込む。
 目の前の男が見方なのか、まだ判断できない…。
 うかつに反応してはいけない気がして愛想笑いだけ浮かべて様子をみることにした。

「それで…みうちゃんはまだ девственница(ジェーフストヴェンニツァ)なの?」
 男の唇が愉しそうに笑う。何故かまだ手は繋いだままだ…。

 またしても意味不明の言語が混じる…。
 分からなくて首をかしげて男を見つめた。

「…っと、ごめんね。
 素でいると言語が混じってしまうんだよ。
 『処女』なのかい?って聞いたんだ。」

 男の言葉が耳に届くや否や みうの身体中が真っ赤に染まり男の手を振り切り両手で顔を隠す。
 その態度で質問の答えを容易に理解されてしまう。


 そんな彼女に男は〝 それじゃ、シャツ1枚では不安だったね 〟と優しく声をかけると、どこかへフラッといなくなり、戻ってきたときには みうの着ていた洋服(洗濯済)とバックを手渡してくれた。 
 お礼を言い、受け取って先程まで寝ていたベッドルームに戻り着替える。
 身支度を整え再びリビングに来ると良い匂いが充満していた。
 窓の方を見ると大きなテーブルに朝食が並べられている。
 美味しそうで、ついふらっとテーブルに近付いた…。

 薄いパンケーキのような丸い生地がお皿の上に何枚も重なってタワーが出来ている。
 その横にはトッピング用なのか小分けされたお皿に色んな食材が並べられていた。
 グラスと飲み物をキッチンから運んでくる男と目が合う。

「こっちに来て座って。блины(ブルヌイ)だよ。
 ヨーグルトの入った生地を薄く焼いたものなんだ。
 そこにあるトッピングを好きなようにのっけてクレープみたいに食べる。」
 男がカッテージチーズとスモークサーモン、いくらを乗せてくるっと巻いて食べてみせた。
 
 その様子を見て美味しそうと言いつつ みうの足がもじもじする。
 起きた時の生理現象が再び襲い掛かってきていた。

 男が部屋の向こう側を指を差す。
「っと、その前に。トイレはね、そっちだよ。」

 軽くおじきをして足早に指差した方向の小部屋に入ると、ドアの外で笑う声がした…。
 男は笑い上戸なのかもしれない。
 1人になったのを良いことに、今までの男の情報を頭の中で並べて考えてみる。
 が、一向にこの男が誰なのか思い出せなかった。
 知り合いに他国の人はいないし、ハーフもいない。
 もしかしたら…直接の知り合いじゃない、という可能性の方が高いんじゃないだろうか。


 無事に生理現象も解決し、とても和やかなムードで朝食を食べ終える。
 食事中は他愛のない話しか出来なかったが楽しく過ごせた。
 ブルヌイは初めての味だったがとても美味しかった。
 生地1つで塩系と甘い系が楽しめる料理は、まだ名前も知らない男との距離を縮めてくれていた。

「ごちそうさまでした。朝食ありがとう。…
 で、あの…。何であなたが私のことを知っているか聞いてもいいですか?」
 食後にと出された甘いミルクティーを飲みながら思い切って男に質問した。

 男の細い眉が怪訝そうに上がった。

「まだ思い出せない?よく会ってるんだけど。…。
 あまり意地悪すると泣いちゃうか…。
 昨日も泣いてたから、まだ目が腫れてるよね。」
 隣に座りなおしてきて みうの目の下に指を這わせる…。

 覗き込むように顔を近付けられ、男の息が頬を撫でた。
 瞬時に感じた甘い煙草の残り香と体温。

 急な接近に驚いてソファーの端まで飛ぶようにして逃げる。
 今まで感じたことのない大人の空気に脳が危険信号を出したのだ。

「っ!…え。昨日のこと知ってるの?」
 改めてまじまじと男の顔を見るが…分からない。

「なんだ。ちゃんと警戒できるんだね。
 ちょっと安心した。…みうちゃん今日の予定は?」
 男が少しだけ寂しそうに笑う。

「あーっ! レポートやらなくちゃ…。
 あと夕方から古本屋のバイトです。」
 背筋をしゃんと伸ばして答えた。

「そっか。まだバイト続けてたんだね。
 危ないから外のお仕事は辞めるかしばらく休んでもらう。
 今から古本屋に行こう。」

「バイトなくなったら生活費とかが…。」

「うん。しばらく私の秘書みたいなことをしてもらう。
 ちゃんとバイト代払うよ。生活もここで。
 アパートだと何かあった時、対応が遅れるからね。
 2階に1部屋余ってるから、そこを自由に使って。」

「っ! えぇぇぇ!! さっきのって冗談じゃなかったんだ…」

 男が〝 もちろん 〟と笑顔で答える。
 知らない人と同居は無理だと伝えたら〝 じゃあ、今から知り合えばいいよ 〟と軽くたしなめられた…。
 精神的ダメージが大きすぎて頭痛と眩暈を感じていると、男から更なる追い討ちを掛けられる。
〝 スマホは預かってるよ 〟と…。
 慌ててバックを探るが言葉通り、スマホだけが消失していた。

 KAIを人質に取られて逃げることも、だからと言って知らぬ男と同居を肯定することもできず…
 みうは絶句するしかなかった。
 柔らかいソファーに身体を沈めながら冷や汗が流れる。
 目の前の男が、敵か見方かも分からないのに誰にも連絡することが出来ない…
 言葉も発せず、身体も動けなくなった。
 まさしく『八方ふさがり』とはこのことだ。

 あ、でも待って。

 みうは肝心なことを思い出す。
 少し前の会話だ。
 今から古本屋のバイトを長期休暇か辞める相談をするために店に向かう、そう言った。

 古本屋に行けば三咲くんがいるかもしれない。

 彼のシフトが今日であるのを願いながら、男に作り笑顔で〝 分かりました 〟と了承してみせた。
 男の機嫌を損なわないように敢えて逆らわない…。

 三咲くんがいたら彼に相談して…伊上さんに連絡を取り助けてもらおう。
 男は今のところ紳士的だが、きっと何か目的があるはず。

 ここから逃げなくては。

 食べ残しの冷えたブルヌイの生地を見ながら密かに決意を固めていた。 
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