學徒戰争(学徒戦争)〜学生は革命に動きます〜

萬榮亭松山(ばんえいてい しょうざん)

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第1章

大日本皇国視察(X国)2日目

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次の日、目覚めると、7時40分を時計の針は指していた。着替えを終えて8時になると、扉をノックする音が聞こえてきた。
「おはようございます。青羽です。朝食を入れてもよろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします」
失礼します、と言う声がして後ろからもう1人入ってきて机の上に白ご飯と味噌汁、アジの塩焼き、ノリ、茶、蜜柑が乗っている和風なプレートを置いて出て行った。
「8時40分に昨日の応接室へお越しください、では」
と言って青羽も出て行った。この国に実際に来るまではどんなに島の人々は貧しい食生活をしているのかと思ったが、予想外にも程よく肉が付いていたりする人が多く、痩せ過ぎの人も太っている人も見ていないと思う。衛星状態はいいのかもしれない。朝食はどれもそこそこの味付けで食べ終わると8時20分だった。歯を磨き、もう一度身支度を確認すると、10分前には昨日と同じ応接室に入った。まだ誰も居なかったが、晴人に続いて青羽が、それに続いて大道寺元帥と小松原中将が連れ立って入ってきて3人は昨日と同じ位置に座った。
「では、皆さん。おはようございます。今日の予定についての事でお集まり頂きました。では早速今日の予定についてですが、大道寺元帥は午前10時から臨時皇国議会での演説。他のお二方には午前10時から大日本皇国護国神社への参拝。午前11時から大道寺元帥は臨時軍務大臣とこ会食。お二方は午前11時半から東海岸師団の観兵。その前に昼食を摂って頂きます。午後1時から午後4時までは自由時間です。九五式小型乗用車一台を借りておきましたのでそちらでご希望の場所にお連れいたします。以上です」
その後は1度解散になり、各部屋で待機していたが、午前9時35分に大日本皇国堂を出て昨日と同じ車で20分ほどかけて東の方にある平地の100メートル四方ほどの森に囲まれた大日本皇国護国神社に到着した。鳥居前には儀仗隊15人ほどと国民100人ほど、そして大日本皇国軍少将 •玉川と神主が迎えてくれた。それぞれと挨拶とお辞儀を交わして参拝した。続いて移動の中で軍施設によりそこで昼食を摂った。そして東海岸に向かい、東海岸師団を観兵した。総員で500人。説明によると、どうやら北海岸師団の兵隊も借りたようだ。用意された壇の上に立ち、100人ずつの5つの部隊を見る。第一部隊、第二部隊の装備は短機関銃。第三部隊は二九式歩兵中だった。三八式歩兵銃を改良したものらしく、三八式歩兵銃よりも威力が大きく、狙い、射程どれを見ても優れた銃だった。平成29年にこの軍で採用されたものらしい。第四部隊は砲兵だった。こちらも大東亜戦争時(太平洋戦争)時の大砲を改良したものらしい。第五部隊は少し時間を開けて騎兵部隊だった。小松原中将は馬術部でもあったので、ひたすら大日本皇国軍の騎兵隊の練度の高さに感激の声をあげていた。午後12時25分に大日本皇国堂に戻り、予定より10分遅い午後1時10分から自由時間という探索を開始した。青羽が確保しておいてくれた自動車は、戦時中にも使われていた九五式小型乗用車を改良して新しくして4人乗りにしたものだった。こんな100年以上前のクルマが動くのか、と疑ったが、聞いてみると、部品はほとんど取り替えられていて残っているのは車の名前とボンネットの形ぐらいでどれ一つ戦時中のものはないと言う。それが少々うるさい音を立てながら発進した。運転は青羽で助手席に大道寺元帥。後部座席に晴人と小松原中将だ。この島は外からでは全くわからないが、島の中の平地を囲んでいる山々の内側は殆どが棚田になっていて、とても効率的に使われている。そしてその美しい景色は本土で有ればきっと観光名所になる程だ。車はガタガタと揺れはするがスムーズに進んだ。大日本皇国堂から15分ほどして田畑を抜け、小さな街に出た。
「ここは、この国唯一の商店街があり、また道を一本入れば住宅地もあります。戸数はおよそ480戸でおよそこの国の半分の国民が住んでいます。住んでいる人は、軍人。訓練以外の時には役人、商人、百姓、勤め人さまざまです」
青羽もそう言った通り、目に入ってくる看板には風呂屋、定食屋、八百屋、魚屋などなど色々ある。しかし、今の時間帯、客も店員も殆どが婦人だった。どうやら男は軍の訓練に行っているらしい。一本、裏の道に入ってもらうとある程度の地位の人が住みそうな屋敷から普通の家屋まで様々な家が立ち並んでいた。その中に、坪数はそこそこで土塀に囲まれている立派な屋敷があった。しかし、余所者であるはずの晴人にも分かりやすく何かオーラが違った。言葉では言い表せないような…何かが。どうやら大道寺元帥や小松原中将もそれを感じ取ったようでそちらをじっと見ている。その屋敷まであと20メートル。
「青羽少尉、あの御屋敷の前で車を止めてください。」
と、大道寺元帥が言う。
「はい」
と言って青羽が屋敷前でガタンっという音を立てながら車を止めた。大道寺元帥が軍刀を携えて車を降りる。それから晴人や小松原中将も降り、それに続いて青羽も降りる。屋敷の門は開いていて、綺麗な庭が覗いている。
「ここは…どなたの御屋敷ですか?」
大道寺元帥のその問いに青羽が今まで見せたことのなかった重い緊張を帯びた顔をしている。
「ここは…ここは第七代目臨時総理大臣で、元臨時元老院議長、赤坂光太郎氏の御屋敷です」
んっ、そんな事があるのか?。
「青羽少尉、確か今の臨時総理大臣は第十八代目では…赤坂氏…」
そう言ったところで大道寺元帥と小松原中将もハッとした顔になって向き合った。
「ええ、驚きですが赤坂氏は昭和元年生まれ今が令和三十二年ですから御歳百二十五歳。」
「面白い、そらんなお方がおられるんですか。是非お会いしてみたいのですが」
そこで青羽は少し渋い顔をした。
「最近はどうも散歩程度にしか出歩かれないようで…」
「そこを何とかなりませんか?」
と、珍しく大道寺元帥が好奇心いっぱいに願いだす。
「分りました。もう公職からは引退なされた方なので一応聞いてみます。しばらくお待ち下さい」
そう言って門を一礼して入って玄関に歩いて行った。しばらくして青羽が歩いて戻って来て3人に面会の許可が下りた事を告げた。出てきた青羽の顔は一層、緊張と興奮が混ざっているように見えた。門を潜り広い玄関に入ると赤坂氏のひ孫を名乗る30代くらいの和服をきた婦人が出迎えてくれた。どうやらご主人は職業軍人らしい。手入れの行き届いた庭の見える十二畳程の間に案内された。十分ほど待たされて杖をつく音とその反対でしっかりした足音がともに聞こえてくる。これだけで分かるが、どうやら杖はただの威厳を表しているだけらしい。その足音とともに和服姿の羽織を着た総白髪の老人が来た。青羽が勢いよく立ち上がり、敬礼する。それに続いて3人も急いで立つ。赤坂は特別大きな体ではないが、何者をも委縮させるような圧力があった。
「中央師団の青羽少尉であります」
うむ、と赤坂は重々しく頷いた。続いて赤坂氏は順々に大道寺元帥と小松原中将、晴人の顔を見てくる。どうやら自己紹介を促しているようだ。
「北海道にある長岡学園皇国再建軍元帥、大道寺利彦です。左右に控えているのは右側が小松原、左側が安藤です」
赤坂氏は再び今度は深々とゆっくり頷いた。赤坂氏が上座にある座布団にゆっくり杖を置いて座る。青羽は廊下に正座でこちらの部屋を見る形になる。
「座り給え」
そう言われたのでこちらの3人も赤坂氏との間に卓を挟んで正座する。
「で、私にどんな話が聞きたいのかね、こんな老いぼれに」
大道寺元帥は正座で座り背筋を伸ばしてそれに答える。
「赤坂光太郎と言う1人の男の人生について窺いたい」
つまらなそうに下を向いていた赤坂氏が少し、本当に一瞬、笑みのような表情を浮かべて顔を上げた。
「青年よ、面白いことを聞くな。まあいい、君がこれから起こすことについては小耳に挟んでいる。話してやろう」
と言って晴人等を見る目は晴人等を見ていない。遠く、遠く、百二十五年の長さを見通すような目だ。いつの間にかその顔からつまらなそうな感じが消えていた。1分程だろうか、いや、10秒程かもしれないが、世界のすべてが止まったかのように静かになった。そして赤坂光太郎は唐突に喋り始めた。
「儂が生まれたのは昭和元年十二月三十一日。昭和元年最後の日に宮城県気仙沼町に生まれた。ここからはしばらく普通の生活だった。家は地主でそこそこ裕福ではあったがな。昭和16年、大東亜戦争の火蓋が切られた。12月8日真珠湾攻撃や。昭和18年に陸軍に召集されて支那(中華民国 現:中華人民共和国)に出征した。しかし、忘れもせん、昭和19年5月31日、あの日の戦いは激戦だった。儂は腹に2発、右腕に1発銃弾がカスって生きているのが不思議なくらいで本土に傷痍軍人として戻ってきた。故郷の気仙沼で半年ほど、12月ぐらいまで休養した。医者は驚異の回復力といったよ。ははは」
と言って赤坂光太郎は大きく笑った。そして一変深刻そうな顔になって続けた。
「そして、忘れもしない、昭和19年12月29日、宮城県で初めて塩釜市が空襲された。噂で聞いてはいたが、まさかこんな東北までされるとは…。儂はそこで悟った。もはや、勝利には本土決戦ら一億玉砕のかくごしかない、と。そんな最中、昭和20年1月9日儂は再び召集された。そして2月4日、出征が決まった。次の出征も前と同じ支那、いよいよ死に時と家族にも挨拶をして、弟や妹には米兵を残らず打ち殺せと言った。そして出征当日、日の丸の小旗が振られる中、儂は輸送船で出航し、戦死したことになっている…。しかし、本当の儂は次の日の5日、儂は100人ほどと共に中型船で本当に出征した。その時の儂は出征が1日遅れる。そしてこのことは軍機密につき、他言厳禁と言われ、家族も4日に出征したと思った。そしてその船でこの島に来たんだ。来て下船したはいいが、支那で無いことは確実でここはどこかとみんな思った。島に来てすぐ、儂らは上官に言われた。『この島は地図にも載っていない、島名もない。もし、本土決戦になった時、万が一、帝都に危機が迫れば畏れ多くも…』」
そう言ってその場にいる5人が一斉に背筋を伸ばす。これに続く言葉が恐れ多いからだ。それを見回して赤坂氏も続ける。
「『畏れ多くも、天皇陛下が御行幸あそばされる。』と。」
そう言うと、赤坂氏は庭に顔を向けた。その方向には方角からして大日本皇国堂がある。そして赤坂氏はひ孫婦人が置いて行ったお茶を一口飲んで続ける。
「しかし、畏れ多くことだが、天皇陛下がこの島に御行幸あそばされることは無かった…」
そう言う赤坂氏の声はどこか寂しげだった。
「儂はこの島で昭和20年8月15日、大東亜戦争終結を迎えた。大変聞き取りにくかったが、この島で玉音を拝した。まだ自給用の田畑が少しで、山には多くのゲリラ戦用の洞窟があった。戦争が終結とわかった時、この島にいた多くの者は戦争継続の意志、本土決戦の意志が固まっていた。儂ももちろんそうだった。しかし、今思うとその意思が一番強かったのは西田少将閣下だったんだろうと思う」
「西田少将ですか?」
小松原中将が不思議そうに問う。それもそうだ、西田少将は戦争継続に反対して最後は自決したのだ。
「ああ、何となくの勘だがな…。」
何かしら西田少将に思うところもあるのだろう。
「その後、アメリカがこの島を取りに来る気配は無かった。そして戦争継続判断特別会議があまりの重大決断であるため当時の島の幹部を集めて行われた。そして、戦争継続がこの島で決定した。そして、次の日、それを認める遺書を残して少将閣下は自決なされた…。そして昭和20年11月12日、大日本皇国、建国。まもなく、妻子あるものはいったんひっそりと本土に戻って鬼畜アメリカ人から妻子を守るためそれを連れて再び戻ってきた。まあ、儂には当時、妻子はおらず、そのまま家族には会ってないがな」
そう言ってもう一口お茶に口をつける。
「それからも色々なことがあったが、1番の事件と言えば、昭和27年の米軍襲来だったな。」
「米軍と戦われたんですか⁉︎」
さすがの大道寺元帥も驚きの声を挙げる。
「んー、確かに儂等ではとても通常軍備の米軍と戦えばこの少数では勝てんかった。しかし、当時この島に来た米軍の軍艦は一隻だった。きっと朝鮮戦争援護へ向かう途中だったんだな。軍艦と言っても規模も小さくてもしかしたら訓練や警備、この島の確認だったのかもしれん。とにかく急いで集合の命令が出て集合した班から続々と言われた方向に走った。丁度港の辺りの沖に軍艦は泊まっていた。こちらのことはまだバレておらず、住民を確認しようとしたのか、小舟で20人ほどが 
 上陸しようとして来た。そして奴等は上陸した。まんまとこっちの中に入ったのさ。その瞬間、周りに隠れていた大勢が奴等を包囲した。奴等は本当に驚いてすぐ銃を捨てて降伏した。儂は本当に悔しかった。こんな価値の無いような奴に他の同胞は殺されたのか、と。そして、色々やり取りがあってそして何故かその当時少尉に任官していた儂が伊原大佐と言う方と共にアメリカの軍艦に乗船した。しかし、その位置は島から死角になるという不覚を取ってしまったんだ乗船してしばらくその艦の艦長と話して少し離れたところで伊原大佐は米兵に撃たれたんだ。腹立ったので致命傷には至らなかったが、相手に殺意があるのは明らかだった。儂も咄嗟に持たされていた拳銃を放った。それが偶然米兵に当たった…らしい。その後のことはよく覚えていないんだが、どうやら儂は大差を抱えて海に飛び込んだらしい。その後大佐と一緒に陸に引き揚げられた。後から聞くと、上陸してきたアメリカ人は報復で全員殺したらしい。伊原大佐はその数ヶ月後その傷が元で亡くなった。その後二度と米軍が攻めてくることはなかった。きっと朝鮮戦争でそれどころじゃなかったんだな。そして儂はその時の功で中尉を賜った。その後は何にも無くて順を踏んで昭和56年、儂が55歳の時、臨時総理大臣になった…。」
今、赤坂氏は順を踏んでと言ったが、明らかに凄い何かをしたのだと、この人に会えばわかる。これもある意味人徳なのだろうか。
「それで…」
そこに青羽が一礼して入ってきて告げる。
「みなさん、そろそろ御時間です」
赤坂氏もそうか、と言ってひ孫娘を呼んで見送りを申し付けた。
「では、失礼いたします」
大道寺元帥が代表でそう言って3人で敬礼し、軍刀を持って部屋を出る。
「大道寺とやら」
部屋を出る前に赤坂氏が大道寺元帥を呼び止める。
そう言ったっきり赤坂氏はじっと鋭い視線をむけるだけだった。
「行ってよし、」  
「失礼します」
そう言って部屋を出て門を出て車に乗り込んで大日本皇国堂に向かう。
「赤坂閣下は、軍の武器などを一新したり教育を見直したりと、大幅な改革を行った為、大日本皇国中興の祖と言われて国民に敬愛されています」
緊張が解けたようで青羽が口数多く言う。
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