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序章
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「シーナへの原稿依頼が二件、藍堂秦への原稿依頼が一件あるけど、どっちから聞く?」
約束の時間丁度に大手出版社である瑞鳳社の花形雑誌LAY編集部を訪ねた瀬戸椎菜は、編集長の新垣咲子に聞かれた問いに困ったような、呆れたような表情でため息をついた。
今年二十五歳になった椎菜は、大学在学中からアルバイトをしていたLAY編集部の正式な外注ライターとして働いている。アルバイト時代も入れれば五年にもなる。取材から、文章の起案、レイアウト、写真などの素材集めまで全て一人でやり、最後に完全データを納品する条件でかなり破格な原稿料を設定してくれている。専属契約ということで、そのほかに契約料までもらっているので、他の仕事をせずに生活できるのは全て目の前にいる新垣のお陰だ。彼女がいなければ、好きなことだけをして生活していくなんて土台無理な話だ。その事には感謝している。だからこそ、どんな無理難題を言われても逆らえなくなってしまっているのだ。
椎菜はここで二種類のペンネームを使い分けて記事を書いている。シーナは通常の記事で、藍堂秦は無理難題を押し付けられる。ただ、どちらが先でも内容が変わるわけではない。
「どちらでも、新垣さんの話しやすい方で」
「じゃあ、シーナから。まず、来月の固定コラムだけど、次はここを取材して。内容は任せるわ」
差し出されたA4サイズの紙にお店の情報が書かれている。店名は「人形の館」。ホームページの画面から印刷してきた内容にざっと目を通す。さほど興味のない分野ではあるので椎菜は詳しく知らない。ただ、ホームページはあるようなので、簡単に調べてから行けばいい。地図を確認すると、幸い近くに駐車場はあるようだ。
「わかりました。もう一つは?」
ひとつきの間に乗せる記事は基本的に一つか二つ。たまに連載コラムもあるが、他の外注ライターと違い定期的に起用してもらえるのは正直かなり助かる。コラムの取材にかかった費用は、法外じゃなければ後で請求できるのも嬉しい。
「企画会議で上がったんだけど、再来月から「〇〇の一日デート」の企画をやる事になったの。それを、シーナに担当して欲しいのよ」
差し出された企画書にざっと目を通す。取材相手は、著名人が中心だが、他にも近所のちょっとした有名人などだ。著名人の場合には本人の写真も乗せるが、他は許可が出た場合のみとある。密着する相手は編集部からの指定、男女の別は問わない。基本的には、今までデートでどんなお店に行ったかなどをインタビューし、そこを巡って形にする。その時に相手と一緒に回るが、実際には恋人や夫婦のデートについていく形になることがほとんどのようだ。相手を公にできなかったり、今は恋人がいないなどの時には二人っきりということもあるらしいが、それはその都度詰めることとなる。
趣旨としては、その地域のデートスポットの紹介。企画としては面白そうだし、ちょっと興味もある。もっとも興味がなくとも断る権利など椎菜にはないが。
「わかりました。……はじめの相手はいつくらいに決まりそうですか?」
「一人目は決まっているわ。初回は、バーンと二人分、計八ページとるから、すぐにでも準備を始めて欲しいの」
「わかりました。まず、一つ目の記事を考えます。一人目は?」
「あなたよ」
「……は?」
新垣が言った内容が飲み込めずにパチクリと目を瞬く。
「一人目はあなたの一日デート」
「……や、私のデートなんて載せても面白くないと思いますけど……」
「あら、謎に包まれた女性記者の素顔っていいと思うわよ?」
「謎って……謎だらけなのは藍堂秦であってシーナでは……」
藍堂秦は性別さえ不明の記者で、藍堂秦の正体を知っているのは新垣だけだ。他のLAYの編集者でさえシーナは知っていても、藍堂秦は知らない。
「あら、ミステリアスって編集部内でも言われているわよ」
ミステリアスと言われるとものすごい美女のイメージなのだが、椎菜には当てはまらない。椎菜はスタイルがいいわけでもなく、決して美人でもない。ミステリアスと言われる事に違和感しか感じない。
「椎菜は私生活が謎だらけだもの。……だから、デートして最後はあの家で締める。きっと客も増えるわよ」
あの家とは椎菜の自宅兼お店となっているログハウスのことだろう。丸太を組んだ二階建てのログハウスで、中の家具類も全て木造となっている。二階は椎菜の住居だが、一階はワンフロアーとなっていて、壁一面本棚になっているブックカフェなのだ。といっても、接客はしないし、食事は欲しければ出前、飲み物類は完全なセルフサービス。店というにはあまりに烏滸がましい。
「客が増えても……気分次第で休んでいる店なんて、クレーム対象でしかないですよ」
「ま、構成は任せるわ。というわけで、よろしく」
ニッコリと笑う新垣に殺意しかわかない。
「わかってて言ってますよね?恋人いない歴イコール年齢の私にどうしろと?」
「大丈夫。ちゃんと相手も用意したから」
どこが大丈夫なのかさっぱりわからない。ホイホイと恋人を用意されてたまるか。
「第一弾は、シーナのデート記録でいいわ。これが待ち合わせの場所と時間、向こうにはあなたの写真を見せているから、声かけてくれるはずよ」
「……声かけてって……わたしには教えてくれないんですか?」
「ええ、会ってからのお楽しみ」
「……それじゃ……下調べも……」
「それも禁止。今回は相手が決めてくれるから、あなたは素直について行って、その場所の雰囲気を見て、記事にして。その方が、リアリティがあると思うから」
ニッコリ笑顔の新垣に椎菜は呆れたようにため息をついた。新垣に逆らえるとは思っていないが、最後の悪あがきをしたかっただけだ。
「それで、藍堂秦への指令は?」
これ以上の無茶振りは考えたくないが、藍堂秦に対する無茶振りはこんなものではないだろう。
「……来月分のコラムに関係があるんだけど……これ、調べてくれない?」
すっと差し出された紙を見る。「人形の館」とある。タイトルははじめに渡されたのと同じだが、そこに掲載されている写真は山奥にある洋館のようだった。
「繋がりは?」
「こっちが本家。……こっちは蝋人形のようなんだけど……定期的な公開以外は公開していないの。雑誌や新聞の取材は受けるみたいなんだけど……当たり障りのある内容しか掲載されない。でも、なんかキナ臭い気がするの。何もないならないでいいんだけど……」
「新垣さんのカン、ですか?」
「ええ」
新垣のカンは馬鹿にできない。それで調べてとんでもない山に当たったことも数え切れないくらいある。
「わかりました。でも、藍堂秦は嘘をつかない」
調べた結果何もなければ記事にはしない。でも、その間にかかった取材費も調査費もきちんと請求する。藍堂秦を使うネタは諸刃の剣となる。新垣もそれはきちんとわかっている。それでも一応毎回確認している。いわば決まったプロセスとも言えるだろう。
「わかってるわ。……期待している」
その言葉が欲しくて椎菜はこの仕事を続けているのかもしれない。
約束の時間丁度に大手出版社である瑞鳳社の花形雑誌LAY編集部を訪ねた瀬戸椎菜は、編集長の新垣咲子に聞かれた問いに困ったような、呆れたような表情でため息をついた。
今年二十五歳になった椎菜は、大学在学中からアルバイトをしていたLAY編集部の正式な外注ライターとして働いている。アルバイト時代も入れれば五年にもなる。取材から、文章の起案、レイアウト、写真などの素材集めまで全て一人でやり、最後に完全データを納品する条件でかなり破格な原稿料を設定してくれている。専属契約ということで、そのほかに契約料までもらっているので、他の仕事をせずに生活できるのは全て目の前にいる新垣のお陰だ。彼女がいなければ、好きなことだけをして生活していくなんて土台無理な話だ。その事には感謝している。だからこそ、どんな無理難題を言われても逆らえなくなってしまっているのだ。
椎菜はここで二種類のペンネームを使い分けて記事を書いている。シーナは通常の記事で、藍堂秦は無理難題を押し付けられる。ただ、どちらが先でも内容が変わるわけではない。
「どちらでも、新垣さんの話しやすい方で」
「じゃあ、シーナから。まず、来月の固定コラムだけど、次はここを取材して。内容は任せるわ」
差し出されたA4サイズの紙にお店の情報が書かれている。店名は「人形の館」。ホームページの画面から印刷してきた内容にざっと目を通す。さほど興味のない分野ではあるので椎菜は詳しく知らない。ただ、ホームページはあるようなので、簡単に調べてから行けばいい。地図を確認すると、幸い近くに駐車場はあるようだ。
「わかりました。もう一つは?」
ひとつきの間に乗せる記事は基本的に一つか二つ。たまに連載コラムもあるが、他の外注ライターと違い定期的に起用してもらえるのは正直かなり助かる。コラムの取材にかかった費用は、法外じゃなければ後で請求できるのも嬉しい。
「企画会議で上がったんだけど、再来月から「〇〇の一日デート」の企画をやる事になったの。それを、シーナに担当して欲しいのよ」
差し出された企画書にざっと目を通す。取材相手は、著名人が中心だが、他にも近所のちょっとした有名人などだ。著名人の場合には本人の写真も乗せるが、他は許可が出た場合のみとある。密着する相手は編集部からの指定、男女の別は問わない。基本的には、今までデートでどんなお店に行ったかなどをインタビューし、そこを巡って形にする。その時に相手と一緒に回るが、実際には恋人や夫婦のデートについていく形になることがほとんどのようだ。相手を公にできなかったり、今は恋人がいないなどの時には二人っきりということもあるらしいが、それはその都度詰めることとなる。
趣旨としては、その地域のデートスポットの紹介。企画としては面白そうだし、ちょっと興味もある。もっとも興味がなくとも断る権利など椎菜にはないが。
「わかりました。……はじめの相手はいつくらいに決まりそうですか?」
「一人目は決まっているわ。初回は、バーンと二人分、計八ページとるから、すぐにでも準備を始めて欲しいの」
「わかりました。まず、一つ目の記事を考えます。一人目は?」
「あなたよ」
「……は?」
新垣が言った内容が飲み込めずにパチクリと目を瞬く。
「一人目はあなたの一日デート」
「……や、私のデートなんて載せても面白くないと思いますけど……」
「あら、謎に包まれた女性記者の素顔っていいと思うわよ?」
「謎って……謎だらけなのは藍堂秦であってシーナでは……」
藍堂秦は性別さえ不明の記者で、藍堂秦の正体を知っているのは新垣だけだ。他のLAYの編集者でさえシーナは知っていても、藍堂秦は知らない。
「あら、ミステリアスって編集部内でも言われているわよ」
ミステリアスと言われるとものすごい美女のイメージなのだが、椎菜には当てはまらない。椎菜はスタイルがいいわけでもなく、決して美人でもない。ミステリアスと言われる事に違和感しか感じない。
「椎菜は私生活が謎だらけだもの。……だから、デートして最後はあの家で締める。きっと客も増えるわよ」
あの家とは椎菜の自宅兼お店となっているログハウスのことだろう。丸太を組んだ二階建てのログハウスで、中の家具類も全て木造となっている。二階は椎菜の住居だが、一階はワンフロアーとなっていて、壁一面本棚になっているブックカフェなのだ。といっても、接客はしないし、食事は欲しければ出前、飲み物類は完全なセルフサービス。店というにはあまりに烏滸がましい。
「客が増えても……気分次第で休んでいる店なんて、クレーム対象でしかないですよ」
「ま、構成は任せるわ。というわけで、よろしく」
ニッコリと笑う新垣に殺意しかわかない。
「わかってて言ってますよね?恋人いない歴イコール年齢の私にどうしろと?」
「大丈夫。ちゃんと相手も用意したから」
どこが大丈夫なのかさっぱりわからない。ホイホイと恋人を用意されてたまるか。
「第一弾は、シーナのデート記録でいいわ。これが待ち合わせの場所と時間、向こうにはあなたの写真を見せているから、声かけてくれるはずよ」
「……声かけてって……わたしには教えてくれないんですか?」
「ええ、会ってからのお楽しみ」
「……それじゃ……下調べも……」
「それも禁止。今回は相手が決めてくれるから、あなたは素直について行って、その場所の雰囲気を見て、記事にして。その方が、リアリティがあると思うから」
ニッコリ笑顔の新垣に椎菜は呆れたようにため息をついた。新垣に逆らえるとは思っていないが、最後の悪あがきをしたかっただけだ。
「それで、藍堂秦への指令は?」
これ以上の無茶振りは考えたくないが、藍堂秦に対する無茶振りはこんなものではないだろう。
「……来月分のコラムに関係があるんだけど……これ、調べてくれない?」
すっと差し出された紙を見る。「人形の館」とある。タイトルははじめに渡されたのと同じだが、そこに掲載されている写真は山奥にある洋館のようだった。
「繋がりは?」
「こっちが本家。……こっちは蝋人形のようなんだけど……定期的な公開以外は公開していないの。雑誌や新聞の取材は受けるみたいなんだけど……当たり障りのある内容しか掲載されない。でも、なんかキナ臭い気がするの。何もないならないでいいんだけど……」
「新垣さんのカン、ですか?」
「ええ」
新垣のカンは馬鹿にできない。それで調べてとんでもない山に当たったことも数え切れないくらいある。
「わかりました。でも、藍堂秦は嘘をつかない」
調べた結果何もなければ記事にはしない。でも、その間にかかった取材費も調査費もきちんと請求する。藍堂秦を使うネタは諸刃の剣となる。新垣もそれはきちんとわかっている。それでも一応毎回確認している。いわば決まったプロセスとも言えるだろう。
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