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第2章

37話

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 リュシールは周囲の吸血鬼たちを見渡す。

「さて、君たちの指揮官はいなくなったけどどうする?」

 情けなく座り込んだり木の陰に隠れるものもいた。指揮官が倒されて先に撤退したのだから困惑や落胆も当然だ。人間の国に攻め込んだら吸血鬼の王族が敵として現れるなど想像も出来なかっただろう。
 後ろから足音が聞こえてくる。魔力量からして貴族級だろう。いきなり片膝を付く。

「私はハスクマン家家臣……」
「そういうのいいから早く全員出ていきなよ。死にたいなら殺してあげるけど」

 食い気味に強気で言い放つ。これは脅しというよりハッタリだ。今のリュシールに二十以上の吸血鬼を相手をする体力は残っていない。

「……全員退却せよ」

 貴族は撤退命令を下した。吸血鬼は順番に穴へ入っていく。

 リュシールはその場に誰もいなくなったことを確認すると大きく息を吐く。そして手近な木に近寄って、背を預けるように座り込んだ。

「もう城に戻る元気もないよ。彼が報告に行ってるだろうし、ここで眠っても問題ないかな……」

 固形血液を口に入れようと腰のポーチに手をやるが上手く動かず取り出せない。瞼が重くなる。血を失いすぎた。
 こちらに近づく足音が聞こえてくる。駆け足だ。もしも騎士たちなら自分は捕らえられ、最悪殺されてしまう。寝たふりをして近づいてきたところを噛みついてみようか。それならば少しは回復するだろう。
 眼を閉じると身体が冷たくなり、暗闇に吸い込まれていく感じがした。ダメだ、このまま本当に眠ってしまいそうだ。二度と起きることがない眠りかもしれない。

「リュー!」

 誰かが自分を呼ぶ。こう呼ぶのは一人しかいない。その声は自分を心地よくさせることも奮起させることもできる。彼女が起きろというのなら起きてやろう。そう思って岩のように重い瞼を開けた瞬間、口に何かが突っ込まれた。それは口の中で溶けて広がっていく。固形血液は美味しいとは言えないが渇きを癒すには十分だ。

「結局来ちゃったんだ」
「あれだけの魔力のぶつかり見せられたらね。血、それじゃ足りないでしょ」

 セレスタは腰のナイフを取って自分の指先を切る。綺麗な赤い血が溢れてくる。

「ゆっくり飲んで」

 そう言いながら差し出された指を咥えた。これ以上に美味しい血は口にしたことがない。身体中が彼女の血を求め、生きようとする。指を離し立ち上がろうとしたが、すぐに回復しているはずはなくよろめいた。

「無理しないで。肩貸すわ」

 素直に彼女の肩に手を回して、ゆっくりとだが真っ直ぐに歩き始めることができた。言いたいことは色々あるけれど、何から話したらいいか頭が回らない。そうしているうちにセレスタの方が話を切り出す。

「グェンドルは自力で逃げたの?」
「いや、ヴェスさんが連れていったよ。彼女達はディレイザ王の手のひらで踊らされてたみたい。どっちが上手く行っても自分の得になるようにって」
「やっぱりただ者じゃないみたいね」

 沈黙が戻ってくる。向こうから鎧の動く金属音が聞こえてきた。マルツィアが数人の兵士を引き連れて走ってくる。

「二人とも大丈夫!?」

 マルツィアが大声を出して心配してくれる。セレスタの反対側に寄って支えようとするが、リュシールはそれを断る。

「二人きりにさせて」
「彼女は大丈夫なので、マルツィアさん達は負傷者の救助に行って下さい」

 セレスタが柔らかく伝わるように補足する。もっとも、リュシールには気遣いの意図はなかったのだが。
 聖騎士長達が見えなくなったことを確認するとセレスタは口を開く。

「このままひっそりと出国しようか」
「魔力を安定させる方法は分かったの?」
「いえ……。けどここに留まるのは良くないと思う」
「なんで? 手掛かりを探そうよ」
「このまま留まるのは悪いわ。既にリューを吸血鬼と認識している人もいる。私達は国を救った人物である前に、攻めてきた吸血鬼と同じ種族だから」

 リュシールは時々人心や感情に疎い様子を見せることがある。他者への関心が薄いからか箱入り娘だからかは不明だ。
 城の正門に近づいてくると兵士達が慌ただしく動き回っている。セレスタは光の布ソル・ナールを発動し隠れて進む。

「お二人さん、こそこそと何処へ行くつもりだ?」

 聞き覚えのある声だった。リュシールが露骨に嫌そうな顔を見せる。セレスタは驚いた。
 シルヴィオは呆れたという表情を見せる。

「あれだけ顔合わせてれば魔力も覚えるし、ここ通ると分かってれば意識もする。それに今日は術が雑だぜ」
「セリィの術にケチつけるために呼び止めたの? それとも邪魔するつもり?」
「ああ、もうちょっと時間取らせてもらう。教皇様直々に話したいことがあるそうだ」
「いえ、礼には及ばないので……」
「あんたがそう言ったら、『探し物の手助けができるかもしれない』って返せって言われてるんだよ」

 セレスタはリュシールを見る。無言で首を縦に振ってくれたためついていくことにした。玉座の間に向かう途中に教皇がいた。

「遅いぞ! 待ちくたびれて迎えに行こうかと思ったところだ!」

 セレスタは驚きの表情が隠せなかった。

「セレスタ、何を驚いている。お主は既に何度も会っているだろう? ローランやエスメルと同じ顔をするな」
「いえ、人前に姿を見せているので……」
「こうなった責任は私にある。カーテン越しの謝罪など誰が信じる? 神秘的な教皇を演じるというのはそもそもアレッシオの方針だ。今なお従う必要もあるまい」

 心なしかこれまでよりも表情が柔らかくなった気がする。今の姿が本当のベアトリーナなのだろう。

「俺らは魔力で本人と分かったが、ほとんどの人間は信じるか怪しいがな」
「そのためにお主ら"英雄"がいるのだろう」
「そりゃ光栄だ」

 軽口を叩くシルヴィオに教皇の後ろのメイド達が睨んでいるように見えたが、彼は気にも留めていない様子だ。教皇はセレスタに向き直る。

「さて、本題に入ろう。二人に見せたいものがある。ついてきてくれ」

 シルヴィオやメイドには持ち場に戻るよう指示し、玉座の間へ入り長い階段を上る。玉座の裏に回ると背中の部分に術式が彫ってあるのが見えた。

「二人とも私の肩に手を置いてくれ」

 言われた通りにすると術式に手をかざした。すると風景が一瞬にして薄暗い洞窟のような場所に変わった。地点移動だ。それもアレッシオが使ったのよりも高度なものだった。

「教皇が原則"光"である理由の一つだ。今の術式は"光"の魔力でしか起動できない。そもそも術式自体が見えないようだがな。これは私の能力で魔力を渡したアレッシオも使えなかった」
「それよりここはどこなのさ? さっきから不気味な魔力が漂ってるけど」
「落ち着けリュシール、今からその魔力源に行くのだ」

 教皇が手の平に光る球体を出す。周囲が明るくなり、数歩先まで見えるようになった。とは言っても吸血鬼であるセレスタとリュシールには既に見えているのだが。
 進み続けるごとに魔力の濃度が強くなる。セレスタはそれが人間や並の魔物のものではないと気づいた。魔力の属性も不明だ。このような魔力を持つ生物とはどのような存在なのだろうか。
 先頭を行く教皇が立ち止まった。岩が道を塞いでいる。振り返っていつもより少し低い声で話し出す。

「覚悟しておけ。特にリュシール」
「バカにしてるの?」
「そうではない。"光"でないものにはこの先の魔力に耐えきれない可能性がある。まあ、ここまで何事もなくついてきたのだから大丈夫か」
「わたしの心配はいらないから早く開けてよ」

 本当は途中から震えていたのをセレスタは知っていた。彼女の手をそっと握ると心なしか震えが少し小さくなった。

「では開けるぞ」

 教皇は岩に手をかざし何か呟く。
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