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第2章

24話

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 リュシールは森の外に向かう途中に井戸を見つけた。草が生い茂っていて既に使われていないようだ。周囲に小屋等の建物はない。最初は変な場所にあるなと思うだけだった。しかし、ゆっくり近づくと苔の臭いに混じり血の臭いが漂ってきた。中を覗くと梯子が設置されており、井戸というには浅かった。そして底からは横穴が繋がっていて、その先は皇国の方角なのだ。

「何かあるよね」

 唾を飲み込み井戸の底へ降りる。人間では数歩先も見えないような暗闇の一本道を進む。しばらくするとゆらゆらと揺れる小さな光が見えた。蝋燭の火だ。

「誰かいるのか!」

 男の声が反響した。曲がり角で息を潜めて声の主の出方を探る。

「貴様、余所者だな。今すぐ来た道を引き返せ。でなければ死ぬぞ」

 声と足音が近づいてくる。先程からボンヤリとする血の臭いがここに来てはっきりしてきた。相手は吸血鬼だと確信した。

「何か言ったらどうだ? それとも怯えて足がすくんでいるのか」

 一気に距離を詰めて腹と顎に一撃ずつ拳を叩き込む。男は小さく呻き声をあげてその場に倒れた。
 周囲を警戒しながら自らの指先を切り、血から鎖を生み出して男を縛る。仲間が駆けつけてくる様子はない。明るい方へ進む。

「あ、あんたは誰じゃ? 吸血鬼はどうなった?」

 老人の声の方を向くと、牢に何人もの人間が閉じ込められていた。一方はその老人以外は子供や若い女性が多く、反対側は若い男が多く、手足に枷がはめられている。ここで餌となる人間を捕らえているのだろうか。

「私は世界魔術研究機構から皇国の視察に来たものだ。吸血鬼は気絶させた」

 咄嗟に嘘をついた。助けに来たと思わせておいた方が都合が良い。蝋燭が数本あるとはいえ、この暗さでは吸血鬼の赤い眼と牙は見えないだろう。威厳が出るように口調も少し変えてみた。

「おお、魔術師様! どうか助けて下され。ワシらは気がついたらここに連れてこられたのじゃ」

 人間たちが少し明るい表情になる。

「国の外で拐われたのか?」

 大半の人間は皇国に住んでいた者で国内から出ていないという。ここは国外だと告げると驚く者もいた。

「おーい、姉ちゃん。俺達とも話そうぜー」
「急にこんなとこに連れてこられて怖いんだよー。助けてくれよー」

 反対側から声がした。すると、老人のいる牢の方から一人の女性が、彼らは囚人だと教えてくれた。無視した。それでも不快な声を放つので檻を殴って曲げるとようやく黙った。

「魔術師様、聞いてほしいことがあるんじゃ……」

 老人は皇国の六人の聖騎士長のことを軽く説明した後、その二番隊長が殺されたことを話した。

「あの背格好は一番隊長のアレッシオ様じゃった。二人が会ったと思いきやリカルド様が倒れてしまった。その後気がついたらここにいたんじゃ」

 清掃の終わりに二人が口論した後、アレッシオが殺害するのを見たらしい。彼が投獄されたのは口封じのためであるのは明らかだろう。しかし、リュシールにはどうでもよかった。他の者たちもどういう経緯でここに閉じ込められたかを話したがったが遮った。

「なるほど、貴方達は吸血鬼の餌にされそうになっているというわけだ。となると、皇国内にも吸血鬼が潜んでいるのか?」

 前方から三人分の足音が聞こえてきた。血の臭いはしてこない。新手は人間のようだ。

「吸血鬼狩りが終わった。手筈通り済んだそうだ」

 返事がないことを不思議に思ったようで足音が止まる。二人がゆっくりと歩みを再開する。彼らの手元からは魔力が感じられた。最も強い魔力の男は動かずこちらに話しかける。

「どうした? 聞こえなかったのか」
「すまない。聞こえていたよ」
「女? あの男はどうした」
「ああ、彼は急用があると言って館に戻ったので私が代わりに来たというわけだ」
「ならば何故あの男の魔力もそこに感じられる?」

 リュシールは先程縛った吸血鬼の男を人間たちに向けて蹴飛ばす。近づいてきた二人はそれに驚き、一人が魔術を暴発させ、もう一人は尻餅をついた。その隙をついて二人を気絶させる。

「お前はハスクマンの部下ではないのか?」
「ああ」
「では我々の敵だな」
「そうだな」

 強い魔力の男もこちらへ向かってきた。右手には片手剣、左手には魔術を構えている。
 左手を前に突き出し光の魔術を放つ。それに殺傷能力はほとんどなく、自身の視界の確保と目眩ましが目的のようだ。しかし、男が見たのは眼を閉じたリュシールが短剣を投げた姿だった。右手の剣で全ての短剣を弾く。左手では次の魔術式の構築を始めていた。

「君は魔術師の中でも優秀なのだろうな。しかし、わたしのパートナーはもっと優秀な魔術師なのだよ」

 リュシールは男の剣を鎖で縛り、左腕を強く握る。

「ぐぅあ……」

 情けない声が漏れる。

「君を生かしたのは幾つか質問があるからだよ。答えを渋ったり、嘘だと判断したら順番に手足を潰していく」

 男が右手を動かそうとした。リュシールはそれを見逃さず、左手を更に強く握る。また情けない声を出し、骨が折れた痛みで剣を落とした。

「変な事しなければ無事に帰してあげると言ってるんだよ。そっちの二人も気絶してるだけでちゃんと生きてる。さて、質問を始めようか」
「魔術師様、もし良ければその人たちの顔を見せて貰えませんかの?」
「いいだろう」

 男を鎖で縛りつけ、牢の前に連れていく。ついでに短い蝋燭を老人の近くに持っていく。

「やはりバルノア様か!」

 老人が大声を出すと後ろの人間達もざわめきだした。

「何者だ?」
「このお方は聖騎士一番隊の副隊長じゃ。何故ここに」
「先程自分で言っただろう。二番隊長を殺したのが一番隊長なのだろう。ならば、その部下にも裏切り者がいてもおかしくない。違うか?」
「違う、裏切り者はリカルドの方だ。あの男は……」
「では『手筈通り』とはどういう意味だ。あの吸血鬼に言ったのではないのか」
「あいつらに味方しているフリをしていたんだ。いきなり吸血鬼を敵に回すのは危険だからな」
「ではこの老人を投獄したのは?」

 その答えを聞く前に金属音がした。鎖が動いた音だ。振り返ると吸血鬼が口を開いた。

「私はジェスガー様からこの牢の警護を任された。その際に人間の都合をする相手は皇国聖騎士の長だと確かに聞いたぞ」

 リュシールは吸血鬼を蹴飛ばしてバルノアの近くに置く。

「どうやらそれぞれの話を聞いて真偽を問う必要がありそうだな」

 この口調をまだ続けるのかと思うとため息が出た。
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