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第1章 赫いダイスをふる人
第9話 五の目は炎に彩られた祝福
しおりを挟む玉座の間からクローネが城門前に辿り着くまでに、すでに城の半分以上が炎に包まれていた。
城門前はきっとならず者達を使って陣をとっているだろうと予測していたが、その通りだった。
城を見渡せる、少し離れた位置にテントがいくつか並んでいる。
町にいるならず者達はどれぐらいかわからないが、半分以上はここにいると踏んでいいだろう。
城下にいる者達はきっと動転しているだろうし、遠くの方から怒号に似た叫びが微かに聞こえてくる。
町の外にいた騎士達が、この好機を逃すまいと町の外に作られていた塀を壊して町の奪還を遂行してきたのだろう。
多少は時間がかかるかもしれないが、いずれ騎士達はこの城まで辿り着く。
それまでに終わらせなければとクローネは足を踏み出した。
「貴方! お城がっ! 中にはユリアとレクスィ殿下が!」
「いったいどうなっているんだ!」
燃え盛る城の前で叫んでいるのは、ヴェステン公爵と公爵夫人。
そして、傍には二人の貴族らしき男性がいた。
「エンテ伯爵殿とフロッシュ男爵殿ですか。本当に似たような方達が集まったものですね」
クローネの姿を視認した四人はユリア同様、驚愕に目を瞠る。
「ク、クローネ・オルクス!?」
「ヴェステン公爵殿、国王陛下の仰っていたお言葉通り、本当に耄碌されたようですね。このようなことをしでかして無事に生きていられるとお思いですか?」
「だ、黙りなさい! こちらにはレクスィ殿下がいらっしゃるのよ!」
的外れな夫人の言葉に、堪ら切れずに笑ってしまう。
エンテ伯爵、フロッシュ男爵はヴェステン公爵と同様にレクスィ側の貴族だった人間だ。
自分達で財を成そうとはせず、爵位に縋って生きるしかない寄生虫。
笑っているクローネに不快感を滲ませる四人にクローネは首を傾ける。
「それがなんだというのでしょうか? レクスィ殿下は反逆者です。……殿下という呼び方も、もうおかしいですね。それに付き従った貴方がたも立派な反逆者。レクスィ殿下が反逆者である以上、王家の権限を振りかざすなどバカのすることですよ。ああ、やっぱり呼び慣れた呼称は抜けませんね。そういえば、ケルプ子爵殿の姿が見えませんが、どこかに行かれたのですか?」
この四人の他にもう一人、ヴェステン公爵の腰巾着だったケルプ子爵も王都からいなくなっていたことから、この占拠に関係していると断定されていた。
きょろきょろとクローネが辺りを見回すと、フラフラとこちらに近づいてくる人影が見える。
エンテ伯爵はその人物に駆け寄った。
「ケルプ子爵! どこに行っていたのだ! レクスィ殿下の護衛を自らかってでながら!」
エンテ伯爵の怒声にケルプ子爵は答えない。
ゆっくりと顔を上げると、その子悪党のような顔面は青白く。
「ケルプ子爵?」
エンテ伯爵が様子がおかしいことに気付いて、ケルプ子爵の肩に手を置いた瞬間。
「ごはあっ!?」
目と耳と口から血を吐き出したケルプ子爵は、がっくりとその場に倒れ込んだ。
「きゃああああああああ!」
公爵夫人の金切り声が、城を包む炎の音よりもクローネの耳にうるさく響いてくる。
まったく状況が呑み込めていない四人など目にも入れていないクローネは溜め息を零した。
「毒を飲んでくださったのはケルプ子爵だけですか……。もう一人ぐらい毒を飲ませてくれているものかと思ったのですが」
「なにを! なにを言っている!?」
「ああ、でも向こうのほうはきちんとしてくださったようですね。安心しました」
クローネが複数のテントの方角を向いて笑う。
「なにを言っているんだ! 答えろ!」
ヴェステン公爵がクローネに掴みかかろうとしたが、寸前でクローネはその手を扇で叩き落とした。
「汚いものに触れさせたくはなかったのですが、仕方がないですね」
ヴォールの侍従になったあかつきに国王から賜った扇をさすりながら、クローネが心底面倒臭いと言わんばかりの顔をする。
汚いものと言われてカッとなったヴェステン公爵だったが、その怒りは突如聞こえた悲鳴に四散した。
「ぎゃあああああああ!」
フロッシュ男爵の声に振り返れば、そこには背中を斬りつけられて倒れているフロッシュ男爵と目を血走しらせているならず者の一人と思われるものがいた。その男の手には大きな剣が握られていて、血を土に滴らせている。
「な、なにを!?」
「よくも裏切ったな――!」
「ひいいいいっ!」
続いてエンテ伯爵に斬りかかったが、なんとか己の剣で躱したエンテ伯爵に休む暇など与えずに攻撃をしていく男は異常なほど殺気だっていた。
「なんのことだ!? なぜ主人である私達を斬ろうとする!?」
「なにが主人だ! 金しか持ってないドブ貴族が!」
「ぎゃああああああああああ!」
いくら躱そうとも騎士でもない一介の伯爵が、盗賊などをしていただろう男に敵うはずなどない。
斬られ、滅多刺しにされて上げた断末魔のなんと心地いことか。
「俺達に毒を飲ますなんて舐めた真似しやがって!」
「なんのことだ!?」
「とぼけんじゃねえ!」
クローネがちらりと視線をテントのほうに動かすと、そこには無数の積み重なった死体があった。
レクスィに頼んだことは、ならず者達には毒を飲ませて殺してほしいというもの。
ヴェステン公爵と夫人以外もいらないので、そちらも始末してほしいと手紙にしたためたのだ。
そうしなければ二人で暮らしていくことなどできないと書き記して。
城の周りにいた男達は全員毒を飲んだようだ。
仲間の男がくるかは賭けだったが、全面的にヴェステン公爵を信用などしていないと思い、必ず巡回の役割を果たす人間がいると思っていた。
(また、私の勝ちね)
賭けに勝つことは高揚感があるけれど、負けると更に強い感情が押し寄せてくる。
こんな時はそれを味わいたいのに、最近はあまりにも期待外れの人間が多い。
じりじりとヴェステン公爵と夫人を追い詰める男に、もうそろそろいいかと思い、間に割って入った。
「なんだ! お前は!」
「初めまして。ヴォール殿下の侍従を務めております。クローネ・オルクスと申します。せっかくの初めてのご挨拶ですが、もうさようならです」
「はあ?」
男の足元を見ながら、クローネはうっすらと笑う。
その瞳は生気がなく、なのにおかしそうに眇められる目元が不気味さを誘う。
一瞬怯んだ男の右足が、いきなり地面から飛び出してきた足枷に捕まれた。
「なっ!?」
「教えて差し上げますね。玉座の間に火がつくと同時に城の宝物庫を盗賊達から守るために仕掛けられた罠です。色んな所に仕掛けられているので把握は難しいんですよ。そして、その罠に捕まった者はどうなると思いますか?」
男の足元でカチリとなにかが起動する音。
その刹那、クローネの問いに答える間もなく、男の足元で炎が巻き上がり、男を赤い炎が一瞬にして包む。
城が燃える炎の音が凄まじくなってきていて、悲鳴すら掻き消していく。
男が黒焦げになるまで見続けていたクローネは、人間の焼かれた匂いに眉を顰めることもなく、ヴェステン公爵と夫人に振り返った。
「どんな罠か、ご理解いただけましたか?」
にこやかに笑うクローネを見つめるヴェステン公爵と夫人は地面に尻餅をついている。
その足には先程の男と同様の足枷が嵌められていた。
恐怖に体を震わせている二人に、クローネは近づいて、腰を下ろして目線を合わせる。
「ヴェステン公爵殿、なぜこのようなことをなさったのですか? 結果は見えていたでしょうに。そのこともわからなくなるほど、やはり頭がおかしくなってしまわれたのですか?」
「た、助け……!」
「答えてください。ヴェステン公爵殿」
「レ、レクスィ殿下が国王となるのは当然のことだった! それを後押しをして、なにがいけない!? おかしいのは陛下のほうだろう! どうして私がっ! うがあああああああああ!」
黒焦げた男の剣をクローネはヴェステン公爵の右足に突き刺していた。
「ああ、最後まで聞くべきでしたね。聞くに堪えなかったので我慢ができませんでした。国王陛下を侮辱なさるなんて、どれだけ偉いのかと思ってしまいました。私もまだまだ未熟者ですね」
腰を上げたクローネは色のない瞳で二人を眺めて、数歩離れる。
それだけでなにが起こるのか察した夫人は、悲鳴をあげた。
「助けて! お願い! 助けてちょうだい!」
「助けてくれ! 頼む!」
必死に叫ぶ様の、その滑稽さにクローネは笑むだけだ。
そして、右手をあげて軽く振る。
「さようなら。ヴェステン公爵殿。公爵夫人様」
カチリと二人の足元で音が聞こえた瞬間、炎が舞い上がり、瞬く間に二人を包み込む。
もう助からないというのに逃げ惑う様にクローネは笑い続けた。
(地獄が貴方がたをお待ちです。いずれ私も行く場所を先に見てきてください)
空を見上げれば三日月が綺麗に輝いている。
この場の全てを焼き尽くしていく炎を見ている。
クローネはしばし三日月を見上げて、火に囲まれた城を、そっと後にした。
王宮へと戻ったクローネを待っていたのは、憤怒を全身に纏ったヴォールだった。
傍らにはフェアシュタもいてクローネの姿に安心しながらも、ヴォールの怒りを止めてくれる気はないらしい。
「クローネ! どこに行っていた!」
「ただいま戻りました、我が君。国王陛下よりお聞きではございませんか?」
「聞いている! だが、今はクローネに聞いているんだ!」
「辺境の港町まで出向いておりました。もう騒動が鎮圧されたのは御報告があがっているかと思います」
「その騒動を鎮めたのは誰だ!」
「町の外で待機していた騎士の方々ですが?」
「ふざけているのか!?」
「ふざけてなどおりません。事実、そう伝わっているかと思うのですが」
「もういい! 聞いた僕がバカだった!」
「我が君! 廊下はお静かにお進みください」
「そんな悠長なことを言っている暇があるなら、その炭で汚れた体と顔をなんとかしろ!」
ヴォールに言われて初めて気付いたクローネは自分の体を凝視する。
確かに黒い。
急いで戻ってきたせいで、身なりに頓着していなかった。
「申し訳ございません。お見苦しい姿をお見せいたしました。すぐに着替えてまいります」
「クローネさん、そういう意味では、」
フェアシュタがなにかを言いかけたが、もうヴォールの姿は廊下の先にあり、次いで見えなくなった。
「クローネさん、お帰りなさいませ。……すべて陛下から聞いております。ご苦労様でした」
レクスィのこと。ユリアのこと。ヴェステン公爵夫妻のこと。
反逆者として死んだということを知らされているのだろう。
きっと泣いていた顔には涙の痕は見えなかったが、まだ痛々しい思いが見え隠れしていた。
「ヴォール殿下はクローネさんのことが心配だったのです。私も心配しておりました」
「勿体ないお言葉です。フェアシュタ公爵令嬢様、ユリア公爵令嬢様は」
「フェアシュタでかまいません。クローネさん、今日から私のことは公爵令嬢とは呼ばずにフェアシュタと呼んでください」
話さなくて大丈夫だとフェアシュタの態度が語っていた。
言わないでほしいとも。
「……わかりました、フェアシュタ様。このような格好で申し訳ございません」
「いいえ。ご無事でなによりです」
まだフェアシュタの心は完全に癒されてはいない。
それでも笑顔を求められるのなら、クローネにできることなら返そう。
そう思い、クローネはフェアシュタに向かって微笑んだ。
着替えて国王の元へ報告に行くと、王妃も国王の傍らの椅子に座ってクローネを待っていた。
色々な処理に追われて一段落した後だったのか、国王と王妃の顔は疲労の色が濃い。
それでも事の顛末を話さなければならないと事務的にすべてを報告し終えたクローネに国王も王妃もなにも言ってはこない。
「……城も燃やしたのか」
国王がやっと口にした事柄にクローネは頷いた。
「はい。立て籠もられている場所が場所でしたので、それでしたらいっそ無くなったほうが早いかと思ったのです。不都合がございましたでしょうか?」
「……未練はないのだな……」
キョトンとしたクローネは国王と王妃の前でだけは取り繕わなくてもいいという言葉に甘えることにした。
生気のない瞳が笑う。
笑顔など見せていないというのに、その目は確かに笑っていると国王と王妃は理解できた。
「今、とても清々しい気持ちでございます。やはり過去の腐敗した遺物は跡かともなく消え去ったほうがいいと思いました。個人的な意見で恐縮ですが」
いつからこうなったのだろうと国王は思ってしまう。
目の前に佇むクローネに八年前の面影を重ねるのは、もう難しい。
腐りきった国だった。
けれど、王女はそんな腐りきった国の唯一の希望の光だったのだ。
幼くも聡明で賢く、美しい。
国を思い、民を思い、父王に意見を述べる、将来語り継がれるほどの女王になるはずだった少女はもういない。
壊れてしまったものは、もうどう足掻いても取り戻せない。
心をなくしてしまったのはブリューテのせいなのか。
「違います、国王陛下」
なにも話してはいないというのにかけられた声に顔を上げれば、クローネは優雅に微笑んでいた。
「私が捨てたのです。いらないものは捨てるのが当たり前のことです」
絶句する国王に、ああ、でも、とクローネは思う。
クローネの心はなくなったのでも捨てたわけでもない。
(すべてはあなたが持っていったのよね。カルト)
赤いダイスが不気味なほどに、クローネの胸元で光っていた。
__________________________________________
次回で第一章が終わりとなります。
第二章に続く終わり方で、いつもより文字数が短めだと思います。
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