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第1章 赫いダイスをふる人

第1話 赫いダイスの最初の目は婚約破棄

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煌びやかなシャンデリアに、美しいドレスと皺ひとつないタキシードを着た人達がひしめき合う国王陛下主催の舞踏会。
 王太子であるレクスィと婚約者である公爵令嬢、フェアシュタとのダンスが、この舞踏会の始まりを告げる合図だった。
そのダンス終了後に国王陛下が集まった貴族達に祝辞を述べる。
それが舞踏会の習わしで、常だった。

が、それは今、あまりにも場違いな事態により崩れ去ろうとしていた。

 「私、レクスィ・リヒト・ブリューテはフェアシュタ・ヴェステン公爵令嬢との婚約を破棄し、新たにユリア・ヴェステン公爵令嬢との婚約を結ぶことを、ここに宣言いたします」

ブリューテ興国王太子であるレクスィの発言によって。



レクスィの宣言に楽しい喧騒に満ちていた空間は、水を打ったように静かになった。
 婚約破棄を告げられたフェアシュタは俯くことなく、レクスィとレクスィの隣に当たり前のように寄り添っている妹、ユリアを見据えている。
 真っ直ぐに二人を見つめるフェアシュタにユリアが今にも泣きだしそうに顔を歪めた。
 本来泣き出していいのはフェアシュタでユリアではない。
なのに涙を懸命に堪えている様は、どちらが悪いのか一見するとわからなくなってしまいそうになる。

 重々しい沈黙が場を支配する中で声を上げたのは、フェアシュタでもレクスィでもなかった。

 「どういうことですか!? 兄上!」

つかつかとレクスィ達に詰め寄ったのはブリューテ興国第二王子のヴォールだった。
 十三歳という年齢のためか幼さの抜けない顔立ちは、兄のレクスィに美麗さで劣るものの、将来はレクスィよりも麗しくなるであろうとご婦人たちの間で噂されている。
いつもあまり笑わないが、喜怒哀楽がハッキリしていると王宮で働いている者達は皆知っているし、滅多に怒らない性格なのも熟知されていた。
けれど、今のヴォールの顔は憤怒を抑えきれない様子で兄であるレクスィを睨んでいる。
それにユリアが肩を震わせて怯えたのをレクスィ達の後ろに控えていた騎士団長子息のパルツが支えた。
それすらもヴォールの怒りの琴線に触れるものだった。
 兄の傍らに寄り添う当然の人物を押しのけて、兄以外の男性に体を支えられている姿は「花の妖精」と社交界で囁かれ男性達に囲まれている姿を見るだけだったヴォールに、汚らわしいという思いを植えつけるのに充分な材料で。
 蔑む瞳を隠すことなくユリアに向けて、再びレクスィに視線を戻した。

 「婚約は王である父上がお決めになられたものです! そう簡単に破棄などできるはずがありません! それにフェアシュタ嬢以上に王妃に相応しい方などいません! それは兄上が一番よくご存知のはずではないですか!」

レクスィとフェアシュタとの婚約はレクスィが七歳、フェアシュタが五歳の時に結ばれたものだ。
それ以降、フェアシュタは王宮で王妃から王妃教育を徹底して学び、屋敷では家庭教師を数人もつけて諸外国の勉強などを叩き込まれてきた。
レクスィに憧れる令嬢は多くとも、その王妃教育の厳しさからフェアシュタを侮辱するような言葉をはくものなどいなかった。
 自分達にできるかと問われて、頷くことなどできないと令嬢達はわかっていたからだ。
レクスィの隣に立つために誰よりも努力をしてきたフェアシュタをレクスィが理解していないはずがない。

 「すまない……フェアシュタ。けれど、これ以上嘘をつき続けて悲しませたくはなかったんだ。フェアシュタも、ユリアも」

 「兄上!」

 「父上にはまだ了承をいただいていないが、ヴェステン公爵殿には、すでに許可を頂いている」

 弟の言葉を一つも汲もうとしない、考えようとしないレクスィになおも言い募ろうとしたヴォールは兄のその一言に体が強張った。
レクスィは今、フェアシュタとユリアの父親であるヴェステン公爵には了解を得ていると言った。
 公爵がそんなバカなという思いでフェアシュタに目を向けて、更にヴォールは固まってしまう。
フェアシュタは驚く素振りも見せず、そんなことはわかっているという意思表示なのか顔色一つ変えることはない。
けれど、宝石のような瞳の奥に悲哀が宿っているのを、ヴォールは気付いてしまった。
 目の前が真っ赤に染まる。
これほどの怒りを今までヴォールは感じたことがなかった。

 「ヴェステン公爵殿! おられるのでしょう!」

 怒号に近い叫び声を出したヴォールの前に現れたヴェステン公爵、エルガー・ヴェステンは困ったという表情をしていた。
こんな事態だというのに、そんな顔しか作れないのかと胸の内が燻る。

 「ヴォール殿下、ご機嫌麗しく存じます」

 「挨拶などどうでもいい! これはいったいどういうことか説明をお願いしたい! 父上に何も言わずに、このようなこと!」

 「レクスィ殿下がフェアシュタではなくユリアを望まれるというのであれば致しかたありません。私どもは王族の方々のお考えに従うまでです」

もっともらしいことを言っているが、そんなこと誰がどう見たって、考えたっておかしいだろう。
 今までにないほど熱くなるなにかが爆発しかけた時、静かな声が響いた。

 「ヴォール殿下、よろしいのです。わたくしはレクスィ殿下のお心に従います。レクスィ殿下、まずは陛下にご説明をしなければなりません。今はパーティの最中。後日正式にお話の場を設けていただけますでしょうか」

フェアシュタの冷静な声に血が上っていた頭が一気に冷めるが、納得など到底できるはずがない。
 諦めた微笑みが心に鈍く痛みをもたらす。
でも、どうしたらいいのかわからない。
そんなヴォールを他所にレクスィがフェアシュタの言葉に頷こうとした瞬間、

 「場を設ける必要などない」

その声は大きくなどないのに会場全体に届く威圧感に溢れていた。
 声の方を一斉に皆が振り向けば、舞踏会が始まる前は優しい顔をしていた国王と王妃は、なんともいえない沈痛な面持ちで、ゆっくりと騒ぎの元凶の元に歩いてくる。

 「レクスィ、婚約を破棄すると? 本気なのか?」

 「はい! 報告がこのような場であったこと大変申し訳なく思っております。フェアシュタにはなんの落ち度もありません。悪いのは私なのです」

 「こ、国王陛下、ユリア・ヴェステンと申します。お初にお目にかかります。わ、悪いのはレクスィ様だけではありません。わたしも悪いのです」

 許可を得ずに話すことは不敬だったが、一応礼儀は心がけて話をし出すユリアにヴォールは不快感を隠せない。
この女性は本当にフェアシュタの妹なのかと疑いたくなってしまう。

 「ヴェステン公爵も許したのか」

 「はい。おそれながら私どもにはレクスィ殿下のお気持ちを無下にするという横暴なことはできませんでした」

 恭しく発言するエルガーに国王は溜め息を一つ零した。

 「…………わかった。第一王子レクスィとフェアシュタ公爵令嬢との婚約の破棄を認めよう。そして、ユリア公爵令嬢との婚約も」

 「父上!?」

 喜びを露わにするレクスィ達と違って国王に怒鳴りそうになったヴォールだったが、続いた言葉に一瞬意味がわからなくなった。

 「そして、今この時をもって第二王子ヴォールを王太子とし、その婚約者にフェアシュタ公爵令嬢を指名する」

 一拍置いた後、会場が驚愕と混乱の喧騒に包まれた。
ヴォールとフェアシュタは言われた意味がわからずに束の間、呆然としてしまう。
それを破ったのはレクスィだった。

 「ち、父上!? なにをおっしゃっておられるのですか!? 王太子は私の筈!」

 「黙れ。レクスィ、お前はユリア嬢と婚約したいと言ったのだ。その結果を考えた上でのわしの答えだ。フェアシュタ嬢はつい先日、王妃教育を終えたばかり。王妃教育に費やした時間は十年だ。それをユリア嬢が変わることなどできるはずもない。ヴォールの言う通り、王妃に相応しいのはフェアシュタ嬢だけだ。それでもお前は婚約を破棄すると言った。わかっていたはずだろう。わかっていなかったのなら尚更、次の王にお前を指名などできるわけがない。ヴォールは優秀だ。お前とひけをとらないほどに。ヴォールが王太子となっても困る必要もない。それでいいだろう?」

 国王は隣に並び立つ王妃に促した。
 王妃はレクスィを見て諦めた表情を見せる。
そんな母親の顔を今まで一度として見たことがなかったレクスィは雷に打たれたようなショックを受けた。

 「仕方ありませんわ。フェアシュタ嬢以外の王妃など考えられないのですから。クローネ!」

 溜め息の後、呼んだのはヴォールの従者のクローネだった。
 会場の隅に控えていたクローネは、すぐに王妃の前に来て跪いた。

 「王妃様、ここに」

 「フェアシュタ嬢を後宮の一室に。わたくしの隣の部屋で構いません。すぐに準備を。疲れているでしょうからフェアシュタ嬢を連れていってさしあげて」

 「かしこまりました。それではフェアシュタ公爵令嬢様、参りましょう」

 途惑う表情を見せながらもクローネに促されて歩き出そうとしたフェアシュタだったが、行く手を阻む声に足を止めてしまう。

 「父上!? なぜですか!? 確かにユリアは王妃教育はうけておりませんが、これから頑張ればいいはずです! なのになぜ!?」

 「ここまでバカだったとは……!」

 低く唸る声を出した国王は、レクスィの頬を容赦なく殴っていた。
 床に倒れ込んだレクシィの口から血が流れる。
 会場にいるご婦人やご令嬢達から悲鳴があがった。

 「レ、レクスィ様!?」

 駆け寄ったユリアに身を起こしてもらうが、レクスィは状況が呑み込めていない顔で国王を見つめた。
それに国王だけでなく王妃さえも呆れた顔をする。
 一連の状況に思考が追いついていなかったエドガーは我に返ったのか、ユリアに駆け寄ろうとするが、その行動を国王が一言で制した。

 「ヴェステン公爵、フェアシュタ嬢に説明をしたいので数日城に滞在してもらう。よいな?」

 聞いてはいるが、返事は決まっている。
その国王の言葉にエドガーは青ざめ、目を忙しなく動かす。

 「で、ですが、娘はこのまま屋敷に連れ帰って休ませたほうが……」

 「ヴェステン公爵、娘可愛さに目が曇ったな。いや、その曇りはユリア嬢にたいしてだけか。フェアシュタ嬢も貴殿の娘であるというのに、わしに許可なく婚約の破棄を許しただけでも腹立たしい。レクスィが望むからと言ったが、王子であるレクスィよりもわしの言葉が優先だ。そんなこともわからなくなるほど耄碌したのか?」

それは国王が公爵という爵位を持つエドガーにたいしての叱責だった。
 公の場での国王からの叱責。
 遠巻きに見ているだけだった貴族達はひそひそと囁き合っている。
それが、エドガーにとっていいものでないことぐらいはすぐにわかったのだろう。

 「も、申し訳ございません。陛下…………」

 辛うじて謝罪の言葉を口にするエドガーと、まだ起き上がろうとしないレクスィの姿を見せないようにクローネはフェアシュタを会場から連れ出す。
 今度はフェアシュタの足も止まることはなかった。








フェアシュタを後宮の一室に通して、クローネはお茶の用意を宮女に伝える。
 宮女が去ってゆく足音と気配を見送ってから、クローネはフェアシュタの側に膝をついた。

 「フェアシュタ公爵令嬢様、私は部屋の準備をしてまいります。ここでしばらくお待ちいただけますでしょうか? すぐにお茶も運ばれてまいります。しばらくおくつろぎください」

 立ち上がろうとしたクローネの腕を、フェアシュタは掴んでいた。
 無意識の行動で腕をとったことに気付いたフェアシュタはすぐに離したが、なにも喋ろうとはしない。
 王妃教育で王宮に上がり、クローネとは浅からず面識はあった。
ヴォールの侍従ということを聞いても、他の貴族のように女だからと、平民だからと侮蔑することは一切なく。
 「ヴォール殿下は貴方の事を信頼なさっているのね」
と笑っていた。
 時には公爵令嬢でありながら、クローネに意見を求めてくる時もあったことにはクローネが驚かされた。
 意見できるほどの頭も爵位もありませんと返したクローネに
「陛下や王妃様が貴方を高く評価なさっているわ。ですから質問してもなにもおかしいことはないでしょう?」
 真顔で言い切られて、どうしたらよいものかと悩みに悩んだ。
 凛々しく気高く美しい。
そんなフェアシュタが弱りきっているのは焦燥した顔を見て、すぐにわかった。
 会場では努めて平静を保っていたが、ここに来てそれも難しくなってしまったのだろう。

 「フェアシュタ公爵令嬢様、今ここには私しかおりません」

クローネにできることがあるのかはわからない。
でも、一時でもいいから悲しみを取り去ってあげたいという思いは偽りではない。

 「国王陛下はフェアシュタ公爵令嬢様のことをよく見ていらっしゃいます。王妃様も、我が君も同じです。あのように怒るところなど私は見たことがありませんでした。七年近くお傍にいるというのに。それだけフェアシュタ公爵令嬢様は皆さまに愛され、信頼されているということです」

 「……レクスィ様は、そうではなかったわ……」

 「フェアシュタ公爵令嬢様……」

やっと口から出た声は今にも泣きだしそうなのを我慢しているもので。
 爆発しそうなものを抱えて途方に暮れているフェアシュタにクローネは再度優しく語りかけた。

 「ここには私しかおりません。私はフェアシュタ公爵令嬢様にとって信頼に値できる人間でしょうか?」

 泣いてもいいのだと遠回しに告げれば、フェアシュタはぐっと堪える表情を作った。
 公爵家のご令嬢。ましてや王妃教育をうけてきたフェアシュタにとって醜くみっともないと思っている心を曝け出すのは容易ではない。
クローネも無理強いはできないことはわかっていた。
ただ側にいることだけしかできない。
それでも幾ばくかフェアシュタの気持ちが休まればいいと思って。

 「……レクスィ様はユリアを好きになるはずがないと思い込んで紹介した私がいけなかったの!? 私をきちんと見て下さっていると思っていたのが愚かだったの!? 私は! 私はレクシィ様のために! レクスィ様の隣に立つために今まで……!」

 嗚咽が漏れ、フェアシュタがクローネに縋り付いて泣き出しても、クローネはなにも言わなかった。
フェアシュタの苦労も努力も見てきたとはいえ、結局は本人でない限り理解できることではない。
 次第に大きくなってゆく泣き声が悲痛で痛々しくて、クローネはフェアシュタが泣きやむまで、そのままでいた。
 宮女も部屋から聞こえているだろう泣き声で察してくれたのか、お茶を運んでくることはなかった。







 泣き疲れて眠ってしまったフェアシュタを起こさないようにソファに横たえる。
 部屋に連れてゆくためにも宮女を呼ぼうと立ち上がった時、いきなり扉がノックもなしに開かれた。

 「フェアシュタ嬢! クローネ! がっ!?」

 大きな声を出すヴォール目掛けてクローネの腰に飾りのようについていた扇が宙を飛び、命中する。
 額を押さえて蹲るヴォールにクローネは溜め息が零れそうなほど美しい笑みを浮かべた。
フェアシュタも美しいが、クローネも全く別のタイプの美人だと王宮内では言われている。

 「我が君、女性がいる室内にノックもなしに入られるのはいかがなものでしょうか? そして、フェアシュタ公爵令嬢様はお疲れで寝ていらっしゃいます。騒がしくするのはおやめください」

 「わ、悪かった。だが、クローネも手加減してくれ……。いくら父上が許しているからといっても僕の体力にも限界がある」

 「このようなことで無くなってしまう体力なら、ないほうがよろしいですね」

 再び扇を手にするクローネにヴォールは慌てて声を落とす。

 「以後、気をつける。約束する。……フェアシュタ嬢は大丈夫だったか?」

 扇をしまうクローネに投げかけられた問いは、質問に近かったけれど答えを知っているという声色。
フェアシュタの腫れた目元を見るヴォールの瞳にやるせなさが過ぎる。
 拳を握りしめるヴォールをクローネはじっと伺う。

 「騒ぎはどうなったのですか?」

 「クローネならわかるだろう。パーティーはお開きになり、父上が集まってくれた貴族達に謝罪をした。それでもなお縋りつこうとする兄上はみっともなくて見ていられなかった……!」

 握りしめる力が強くなったのか、拳が赤みを帯びてゆく。
 兄を慕っていたヴォールにとって今日の出来事は、ショック以上のものだったのだろう。
 手が鬱血してしまわないようにクローネは話を切りかえる。

 「国王陛下のお言葉は絶対です。覚悟をお決めになられてください、我が君」

それが王太子に任じられたことだと、すぐにヴォールは察して苦い顔をして俯いた。
 力を込めることを忘れた手を見て、クローネは微笑む。

 「今すぐには考えられないことかもしれません。国王陛下もきっと時間をくださいます。ゆっくりとお考えください。フェアシュタ公爵令嬢様のことも。……不謹慎かもしれませんが、私は少し嬉しいのです。フェアシュタ公爵令嬢様が我が君の婚約者になられることが。我が君の長い初恋がようやく叶うのですから」

 「なっ……! ど、どうして……!」

どうして知っているんだ! と言いたいのだろうが、瞬時に真っ赤に染まった顔を見れば一目瞭然だ。
それに、

 「私が我が君のことで知らないことなどございません。それとフェアシュタ公爵令嬢様以外には隠せていなかったと思いますよ」

 「なっ……! なっ……!」

 「きちんと告白をなさってくださいね。そうでなければ幸せにすることはできません。レクスィ殿下のように悲しませてはいけません」

レクスィの名前を聞いて、赤かった顔が戻ってゆく。
 眠るフェアシュタを見つめるヴォールは緩く首を横に振った。

 「フェアシュタ嬢は兄上を慕っている。僕には無理に婚約を強要することなどできない」

 「フェアシュタ公爵令嬢様はおうけになると思いますが」

 「それは公爵令嬢としての責任故だ。僕はそんなことはしたくない」

 真っ直ぐ過ぎて、そこがヴォールのいい所だが、欠点でもある。

 「ではフェアシュタ嬢を心からのお気持ちで承諾させればいいだけのことです。真摯なお気持ちをぶつけて。我が君にはそれができると思っております。話はここまでにいたしましょうか? 宮女を呼んで参りますので我が君もご退出ください。結婚前の男女を室内で二人きりにはさせられませんので」

 「わ、わかっている」

 憮然と言い返す様は、やはりまだ十三歳の子供だ。
これからどうやってフェアシュタの気持ちを向かせられるのか不安だが、楽しみでもあるとクローネはフェアシュタに縋りつかれて乱れた衣服を直しながら思っていた。
 服の下にいつも肌身離さず身につけている赤い二つのダイスのネックレスをしまいながら。








 頭を抱えて椅子に凭れかかる姿は、今日の出来事があまりにも精神的にきつかったのだと知らしめる。
そんな疲れ切った様を心配しつつも、隣に座る王妃はなにも言うことができなかった。

 「……お前の言う通りになったな」

ぽつりと零した国王の呟きに、うっすらと笑んだ口が開く。

 「発言をお許しいただけますか?」

 「三人の時は自由でいいと言ってあるだろう。表の顔で喋るな。調子が狂うわ」

 「念には念をと思ったまでです。誰に聞かれているのかわからないこともございますから」

 「お前が気付かないはずがないだろう。クローネ」

 「国王陛下は私を買いかぶり過ぎなのです」

 微笑んでいるのに、目には生気が一切感じられない。
 会場でもフェアシュタやヴォールといた時でも見せたことのない不気味な瞳だった。

 「願いを聞き届けて下さり、ありがとうございます」

 「願わずとも、ヴォールが次期国王だ。わかっていたのだろう」

 「いいえ。最終的にあの場で婚約を破棄されたのはレクスィ殿下の一存です。私の介入する間はございません。ですから、レクスィ殿下があのようなことをなさらなければ我が君が王太子になられることはなかったでしょう」

 「しらじらしいことを言う」

まるで起こったこと全てをクローネは事前に知っていただろう口ぶりだが、それは違う。
クローネはレクスィがユリアに懸想しはじめた頃から、もし万が一にでも起こるであろうことを幾通りか予想していただけだ。
 今回の願いも『もしパーティーでレクスィ殿下が王太子としての器でないことをしでかしたら、我が君にその地位を渡してほしい』
 『もし』がつく願いごとだった。
クローネにも最後がどうなるのかなどわからなかったというのに、国王はそれすらも否定している。

 「ヴォールに王太子の座は渡しましたが、フェアシュタ嬢のことはどうするつもりだったのですか? ヴォールの気持ちを知っていた貴方なら願い事として陛下に言うのではないかと思っていましたが」

 王妃のその質問に、クローネは首を少しだけ傾けた。

 「わかっておられるのに質問の意味がわかりかねますが? 王妃に現在もっとも相応しいのはフェアシュタ公爵令嬢様を置いて他にはおりません。我が君に近いお歳のご令嬢もおりますが、幼い頃より王妃教育をうけてきたフェアシュタ公爵令嬢様に及ぶはずもありません。必然的に王太子の婚約者は決まっていました。ですから願いとして口に出さなかったのです」

わかってはいたのに問いたかったのだろう。
 王妃はクローネの答えを聞いて、短く息をはいた。

 「もう下がってもよい。あまり長居をさせると宰相に怪しまれるからな」

 「わかりました。それではこれで失礼いたします。ごゆっくりお休みくださいませ」

 綺麗な礼をして国王の部屋からクローネが出て行った後、王妃も国王と同じように頭を抱えた。

 「陛下……」

 「わかっておる。なにも言うな。あれはレクスィの落ち度だ。わし達にはああすることしかできなかったのだ。なんとか元に戻れるように働きかけてはみるが……」

そこで言葉切った国王は王妃を見た。
 王妃もその後に続く内容を理解しているのだろう。
 頷くことだけで今は精一杯だった。

 「もしもの時は、切り捨てる覚悟でいかないといけませんわね。クローネがレクスィを見限った時が最後でしょう。どれだけ非情でも、クローネが今まで王家にとって間違ったことをしたことなど一度としてないのですから」

 空気が重くなる室内で、息子を切り捨てなければいけないかもしれない未来がこないことを祈るしかない二人だった。








 国王の部屋から退出して廊下を歩くクローネと行き交う人は誰もいない。
 夜も更けて明日のためにも休まなければいけないとクローネは思いながら、ふと夜空を見上げた。
 美しい満月がヴォールを祝福しているようで、クツリと笑みが零れる。

 (こんなにも簡単に上手くいくのは初めてかもしれない)

そっと胸元にあるダイスのネックレスを取り出し、満月に掲げてみる。
 赤いダイスは満月によく映えた。

 (このまま自分の愚かしさを認めて国王陛下に従うのなら、なにもしはしない。まあ、無理かな)

 今日の出来事を思い出しながら、ダイスの目を確認する。

 (壊したくはないんだけどな。我が君の兄君なのだから)

でも、いざという時のための対策は幾つあってもいい。

 (六の目の選択肢のうち、次はどれを選ぼうか。逃げ道があるように、いつもしているんだけど誰も選ばない。選んでくれる人はいないのかも)

くるくると手でダイスを転がしながら、クローネはまた満月を見上げた。
 目には生気がないというのに、先程と同じように笑う様は慣れていない人間が見れば恐怖を覚えるものだろう。



ブリューテ興国。
 後に飛躍的な発展を遂げて大国に至る前、神王しんおうと呼ばれることになるヴォールの忠実なる臣下として賛美されることになるクローネの、これは物語の序章にすぎないと今は誰も知らなかった。






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第一話ではお相手、登場いたしません。
第二話からの登場です。申し訳ありません。

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