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第1章 それは痛みを呼び覚ます過去

第14話

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翠の体調が回復したとある日、王宮に商人がやって来た。


 翠は政治や経済のことにはなるべく関わらないことを決めているので、関係ないことだと思っていた。
しかし、商人との話し合いを終えた宰相から呼び出しを受け、国王と王妃、宰相しかいない執務室で、翠は懇願を受けた。


 「今回、王宮に相談を持って来た商人はとある商会を介しておりまして・・・」


 要約すると、王家御用達も勤める大商会の食物を栽培する他国の土地が未曾有の水害によってすべてが流されてしまい、復興するのには数年の月日が必要となる。
だが、そうなれば他国とのパイプを幾つも持つ商会が大きなダメージを受け、ドルドーナ国の経済に影響を及ぼしかねない。
そこで、翠のベアートゥスとしての力を借り受けたい。
そういう嘆願だったのだ。
 国王と王妃は翠が見て苦笑するほどに、苦虫を噛み潰したような表情をしている。
 折角翠の体調が回復したのに、また寝込ませてしまうことを危惧しているのだ。
 宰相は翠と話しつつも、国王と王妃の顔色をチラチラと窺っている。


 「あ」


ふと上を見上げた翠の視線につられ、国王と王妃、宰相も上を見上げてみるが、豪奢な造りのシャンデリアが飾られているだけである。


 「わかりました。やります」


 上を見上げて首を傾げていた三人は、翠の明るい返答に顔を戻す。


 「スイ・・・」
 「無理はしないほうが・・・」


 国王と王妃の心配気な表情に、翠は明るい笑みを見せる。


 「大丈夫です。国のためになることでしょう?」


その後、早速神殿に赴いて祈りを捧げた翠は、周囲の予想を裏切らずに倒れた。








ようやくベッドの住人から解放されそうだな、と翠が思っていた日、また宰相が翠の元を訪れ、以前よりも低姿勢で再度、嘆願があったことを告げた。
 翠の世話をしているサザリの視線が怖いのであろう。
 翠は上を見上げると、首を傾げて宰相に問うた。


 「それは、急を要する案件だと聞きましたが、焦らずとも良いのでは?」


 翠のその言葉に、宰相だけでなくサザリも驚いた。
いつもの翠ならば、


 「自分に出来ることならば」


と引き受けていたからだ。


 「実は・・・、この前の商会の危機を救ったのがスイ様であるということがどこかから漏れてしまったらしく・・・。キチンと口止めをしておいたはずなのですが。『自分達にもベアートゥスの恩恵があっても良いはずだ』と言われてしまい・・・」


サザリは翠を思いやることのないあまりの言葉に怒りそうになったが、それを翠が手で制して宥める。
 数秒、思索するように頬に手をあてていた翠であったが、最後には宰相の言葉を了承した。



それからは、翠のベアートゥスの力の恩恵に預かろうと貴族から商人、他国の者達までもがドルドーナの王宮に謁見を申し入れるようになり、国王と王妃、王太子夫妻、アエネア達は


 どうしたものか? 


と思案にくれるようになった。
 一方の酷い災害や人災を片付けると、


 「自分達にも、その恩恵を!」


と多くの人間達が群がってくる。
 誰かを依怙贔屓するわけにはいかず、平等に扱い、キチンと嘆願を精査したいのに、嘆願してくる者達は知恵を回して、王太子夫妻やアエネア、時にはクインティやサザリ、シュレーといった面々にまで知人や友人、家族を通して嘆願してくる。
これでは精査する時間すら与えてもらえない。
 翠は体調が回復したら倒れ、回復したら倒れを繰り返し、祈る以外では、ほとんど寝込むようになり、体重も落ち、窶れはじめていた。
それでも周囲に心配をかけまいと明るく振る舞う姿に、翠を想う者達は、胸が締め付けられる日々を送っていた。











 「あ、サザリさん。スイの様子はどうですか?」


 交代で翠の看病をしているクインティとサザリは、翠の様子を逐一王妃に報告するように言い付けられている。


 「食事は喉に通りやすい物なら食べてくれていたんだけど、最近はそれも残すようになってきて・・・」


 食事の残された食器のトレーをワゴンに乗せながら、サザリは重い息を吐き出す。
 翠の容体が徐々に悪くっていっているのは明らかだ。
クインティは何も言えずに俯いて黙り込む。


 「そういえば・・・。あの話はスイにはしていないわよね?」


サザリの要点を省いた、確認のような言葉だったが、クインティには意味が通じるらしく、美しい顔を歪ませて顔を上げた。


 「言えるわけがないではないですかッ! フィアナ嬢とアエネア殿下の婚約が調ったなんて・・・! アエネア殿下は最後まで、まだ時期尚早だと訴えておられたというのに!」
 「・・・・・・テカルド侯爵も必死なのでしょう。翠が囃し立てられる度に、娘であるフィアナ嬢の評判が霞んでいく。失態を犯したご子息の件もありますしね」
 「・・・・・・スイのどこが幸せそうに見えるんでしょうか・・・ッ! 節穴過ぎます!」


 怒りで身体を震わせるクインティの肩に、サザリは手をおくことで言外に、


 「落ち着け」


と伝える。
 生まれた世界から引き離され、ようやく心落ち着けるようになったと思ったら、奇跡のように与えられた力を酷使することを強要され、衰弱していく少女。
 真実を知っている者達にとってみては、とても世間で出回っている翠の良い噂や評価など喜べるものではない。
 幼い初恋さえ、叶わせてあげることが出来ない無力さ。


 「・・・・・・アエネア殿下は王族としての義務をよくわかってらっしゃいます。元より恋愛結婚など出来ない身。唯一の救いは、フィアナ様がアエネア殿下に恋心を持っていらっしゃること・・・」
 「そんなことはわかっております!」


サザリの言葉を遮り、クインティは涙に濡れた顔を上げる。


 「ですがッ! 何故よりにもよってフィアナ嬢がアエネア殿下の婚約者なのですか?! あの方は昔から、御自分の幸せにしか興味がなくて見当違いな思い違いばかり! アエネア殿下のことだって、『物語の中に登場するような王子様との大恋愛』というバカバカしい夢が叶う相手だからこそ、恋をしただけ! 兄君が起こされた失態だって、『悲しいけれど、自分は前に向かうしかない』と悲劇のヒロインを気取って神殿に通う日々でしたッ! いつもいつも思っておりました! 何故あのような人がベアートゥスとして生まれてきたのか? と!」


これほど感情を爆発させるクインティを、サザリは初めて見た。
クインティもまた、ドルドーナ国の侯爵家の出身であるのだが、四男三女の兄妹に生まれ、他家に嫁ぐために色々と勉強をしてきた。
 伯爵家の次男坊であるシュレーが婚約者となり、お互いに恋心を抱けたのは、とても幸せなことだったのだろう。
クインティはフィアナと同年代で、同じ侯爵家の出身。
 接する機会も多かった。
それ故に、アエネアの伴侶としてフィアナを不適格と以前から思っていたのだ。
 加えて今は、翠のこともある。


 「・・・・・・クインティ。私達はただ見守ることだけしか出来ないわ。今はただ、翠の回復と、これ以上翠が傷付けられることのない未来を祈りましょう」


サザリの優しい声に、クインティは暫く涙を流し続け、コクリと頷いた。





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