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第1章 それは痛みを呼び覚ます過去

第11話

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リョンロート国はドルドーナ国の北方に位置する国で、魔法草の研究に一番熱心な国であることで知られている。
 反面、土地の要因のために作物が上手く育たず、それを魔法草の力で補っている。



リョンロート国は嘗てはドルドーナ国に匹敵するほどの国土を持っていたが、数百年の内に衰退の一途を辿り、辛うじて小国とは言われない程度の力は有していた。
リョンロートの王族は世界でも最古と呼ばれる血筋であり、王族達はそれを誇りとして、矜持を保っていた。
それが、この二年の内に激変したのは、翠という異界の幼い少女がドルドーナ国に堕ちてきてからだった。



 今では魔法草の研究もドルドーナ国のほうが最先端を進み、商人達や観光客で賑わうのはドルドーナとなっていた。
が、リョンロート国にも名産品があり、それが魔法草を使った食品であった。
 製法は極秘機密であり、その名産品と王族の血筋で国は栄えていた。
 名産品と云っても、何のことはない、翠にとってみれば当たり前の食品であった蒸しパンであったのだが、翠が作るまでは、リョンロート国唯一の名産品であったのだ。
おまけに、翠の生まれ育った世界には、蒸すことを利用した様々な食事や食品が溢れかえっている。大衆向けの食品や食事なのだ。
 翠がそれを広く流布したことで、リョンロート国の高い名産品を買うよりは、低価格で味も文句なしのドルドーナ国で作られた品を買ったほうがいい、と判断するのは当然のことだった。



 加えて、翠が流布させたものはそれだけではなかったので、旅人も観光客も自然とドルドーナ国に集まってしまうのだ。
 激怒したのはリョンロート国の王であった。
プライドを根こそぎ奪われたような錯覚に、ドルドーナ国に対して宣戦布告なしの戦争を仕掛けることに決めた。
ドルドーナ国を落とせるなどとは思っていない。
ただ、傷の一つでも付けられれば、それで憂いは晴れる。



まるで日本の昔の姿を見ているような国だ、と翠はリョンロート国のことを聞かされた時にそう思った。
ドルドーナ国の王族だって、古参の血筋である。
 何をもってして矜持が折られた、と思うのか理解に苦しむ。



 問題だったのは、戦いではなく、リョンロート国内の実情だった。
 王族やそれに連なる血筋、王家に忠誠を誓う貴族達は別として、庶民や一部の貴族達は、リョンロート国の終わりも近い、と判断し、他国に移住や避難、亡命をしようとしていたのだが、それに待ったをかけたのは国に忠義という名の心酔を見せる者達。
 王の命により関所は封鎖され、庶民や一部の貴族達は逃げ出すことが出来なくなってしまった。
これには流石にドルドーナ国以外の他国も黙っているわけにはいかず、ドルドーナ国に加勢して、国民を救い出そう、と奮闘しているのだが、魔法草で作られた守りの特殊な塀は簡単には敗れず、日々、負傷者を出している、との報告が連日連夜、王宮内に届き、国王、王妃、王太子夫妻、アエネアは休む間もなく動き回っている。
 研究所でも、リョンロート国の壁を破ろうと、研究が急ピッチで行われているが、閉じ込められている国民達の情報が一切入ってこないのが、気掛かりとなっている。








そんな中、翠は自室に籠る日々が続いていた。心ない者達から、


 『戦争が起きたのは異界の少女のせい』
 『やはり、最初に処分をしておけば』
 『リョンロート国内にいる、何の罪もない者達が殺されているならば、あの忌み人のせい』


と陰口を叩かれるので、国王や王妃が心配して、外出を制限しているのだ。
 初めにそういった者達の言葉を聞いたクインティやサザリ、シュレー、料理長は憤慨し、


 「恩恵のお零れを喜んで受け取っていたのに、掌を返す、無能者」


と扱き下ろしていた。
 翠は戦争がはじまってから、もう何度目になるかわからないため息を吐いていた。
 自分に出来ることは今は何もない。
けれど、こうして部屋に閉じ籠もっているだけしか出来ないというのも、とても辛い。



 何日も何日も考えて、翠はサザリを伴って神殿に赴くことにした。
この世界では『祈り』というものは神聖視されている。
ベアートゥスという存在がいるのだから尚更に。
こんな何も出来ない自分でも、祈りを捧げれば少しはとどいてくれるかもしれない。
 王宮の神殿内は静かなものだった。
ドルドーナ国の他の神殿や教会では、毎日祈りが捧げられているというが、貴族達も忙しい王族に遠慮して、訪れを制限しているらしい。
 幾度か見た、王妃の祈りの姿勢をとって、祭壇の前で祈りを捧げる。



 『・・・・・・どうか、負傷した人達の身体が早く治りますように・・・・・・』








 祈った直後のことだった。全身に強烈な痛みが奔り、身体が頽れる。


 痛い、痛いッ、痛い! 痛い!! 


 何が何だかわからないけれど、息が出来ない。


 「スイ!」


サザリの叫びが聞こえてくるのと同時に、翠は意識を手放した。
 意識を失う瞬間、魔法草の花びらが舞っている幻影を翠は見たように思った。



 翠が目覚めたのはその五日後のことで、


 「神殿にいたはずなのに、何故ベッドで眠っているのだろう?」


と首を傾げ、直後、神殿で激痛に見舞われたことを思い出した。
 飛び起きると、今、自分がいる部屋は、自室ではなく、医室であることがわかる。


・・・自分は何か病気なのだろうか?


そんな不安に駆られて、ベッドから降り立ち、医室内にある大きな鏡の前に移動して、全身を見回す。
 寝間着のワンピース姿の翠は、顔色はあんまり良くはないが、他に異常はないように思える。
 鏡に手を付いて、鏡の中の自分と睨めっこをしてみても、変わりがないように思う。



と、ワンピースの胸元から、赤い何かが見え、翠は、


 何だろう? 


とワンピースの胸元をよく見えるように両手で広げ、絶句した。
してしまった。
 翠の胸元には痣が浮かんでいた。
 気絶する前にはなかった、翠がよく知っている花の痣。
ベアートゥスという存在を証明するための魔法草の痣。


 「え・・・? ええ・・・? えええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 寝覚めなのに大声で叫んでしまっても仕方がないことだと思う。





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