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第1章 それは痛みを呼び覚ます過去

第6話

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怖かった。何もわからなかった。


どれだけ泣いて叫んでも誰も来ず、寧ろ厳つい顔をした牢番の男に怒鳴られ、トイレは備え付けてあるが、差し入れられる食事は不味くて、水と固いパン以外まともに食べられなかった。
そうして何日経過したのかわからなくなった日のこと、翠は牢屋を出され、厳重な体制の元、今まで目にしたこともない煌びやかで大きな広間へと足を踏み入れた。
ビロードのような絨毯が敷き詰められた部屋の最奥に、煌びやかな椅子に腰掛ける、穏やかな顔立ちをした紳士のような男性と、ドレスを着たキツメの顔立ちをした美女が座っていた。


 翠は兵士によって強制的に下を向かされていたが、話し合いというよりも、議論の場のような雰囲気は、翠の恐怖を高めていた。
 牢屋に入れられた時に、服も荷物も取り上げられたらしく、目覚めた時の翠は簡素なワンピースしか身に纏っていなかった。


 「調査結果をご報告致します」


 男性の声が響くと、その場の喧騒は止み、その男性の声に注意が傾けられているようだった。
 同じく翠にも、不躾な数多の視線が降り注いでおり、それが翠を更に怖がらせ、無意識の内に身体を震わせてしまっていることにすら気付いていなかった。


 「この少女の持ち物を調べたところ、どの国にもない技法で作られている物ばかりで、本に至っては読めない文字で書かれており、結論から申しますと、魔法草の研究所の大規模な実験失敗の余波により、信じられないことですが、私達の住んでいる世界とは別の世界から呼び寄せられたもの、という結論に達しました」


 場のざわめきが再び起こるが、翠は今耳にした言葉を理解することに必死だった。


 魔法草? 別の世界? 何それ? 


そんな翠の思考はしかし、広間にいる中年の男性の一人が(後に大臣だと知る)、声を上げたことで掻き消えた。


 「今すぐにこの娘を処分するべきです! 国に汚点を残してはなりません!」


その声を皮切りに、幾人もの声が翠を、


 「処分しろ」


と口々に言葉にする。
 翠の身体は、誰から見てもわかるぐらいに震え始めていた。
どんなに翠が幼くとも、『処分』という言葉が、
 「殺せ」
という意味だというぐらい、この場の雰囲気でわかってしまう。



 自分は何にもしていない。どうして? 
 何故? 怖い、怖いッ、怖い!! 



その時、扇が閉じる音と共に、あれほど聞こえていた声が止んだ。
そして、翠の目の前に男性の靴先と長いマントが見え、翠の恐怖は頂点に達した。が。


 「我が国が取り返しのつかないことをしてしまった」


 優しい声と共に、誰かが翠の身長に合わせて屈む姿が窺え、恐る恐る翠が頭を上げると、一番上座の椅子に座っていた、優しげな紳士然とした、存在感のとてもある男性が労わるように翠を見ていた。


 「お嬢さん、怖い思いをさせて、本当に申し訳なかった」


 男性が翠に対して頭を下げると、広間が騒然とした。


 「陛下!! 異端者に頭を下げるなど、してはなりませんッ!」
 「そうです! 陛下はこの大国の王です!!」


 「おだまりなさい」


 女性の声は喧しいほどの広間に、浸透するかのように染み渡り、その場に静寂を齎した。


 「先程から聞いていれば、己達の失態を論い、犠牲ともいうべきその幼い少女に対しての暴言暴論。年長者として、また国を支えていく者として恥ずかしくはないのですか」
 「し、しかし・・・」
 「この事態はすべて、我が国の落ち度です。それをこんな少女一人に被せようとするのならば、そんな無能な者はこの国には要りません」


 今だ上座の一席に座ったままの女性の言葉に、周囲の者達は目に見えて青褪めた顔色になっている。


 「王妃。この子を暫くは王妃と王太子妃と信用の出来る者達の手で守ってほしい」
 「ええ。元よりそのつもりですわ、陛下」


 陛下、と呼ばれた男性と同じように、王妃と呼ばれたキツメの顔立ちながらも美しい女性が椅子から立ち上がり、翠の元まで歩いてきた。
 翠はビクビクしながら見上げていたが、王妃は国王と同じように翠と同じ目線に屈み込むと、優しく頭を撫でた。


 「泣き出すことも出来ないほど怖かったのですね。よく頑張りました」


それが翠の我慢の限界だった。
 喉から何かがこみ上げてしゃくりあげると、目から涙が後から後から零れ落ち、止まらなくなった。
 次第に翠はその場にいる者達のことなど構うことが出来ずに、大声で泣き出した。
 翠が泣いている間、ずっと頭の上に優しい手がおかれ続けていた。











 翠はそのまま泣き疲れて気を失ってしまい、目が覚めると、豪奢なフカフカのベッドに寝かされていた。
 身体も清潔にされ、服も着替えさせられている。


 目覚めてもどうしたら良いのかわからず、辺りを不安気に見回していた翠は、部屋の扉が開けられたことにビクリ、身体を震わせた。
 初日に見た女性と同じメイドのような服を着た、絶世の美女が洗濯物などを抱えて入って来た。
 美女は翠が目覚めていることに気付くと、


 「暫しお待ちください!」


と言いおいて、部屋から脱兎の如く飛び出して行った。
 然程時間が経たない内に、大広間で翠を庇ってくれた国王と王妃がやって来た。
 起き上がろうとした翠に、国王は、


 「そのままでよい」


と告げた。


 「数日間、高熱が出て眠り込んでいたのだ。目が覚めて本当に良かった。宮廷医師の話では疲労と精神的なことが原因だと言っていた。病み上がりですまないが、これからのお嬢さんの待遇などについて話したい。ところで・・・、お嬢さんは物事をどこまで把握出来ているのかな?」


 国王の言葉に、翠は倒れる前の出来事を懸命に思い出しながら口を開く。


 「・・・・・・ここはどこですか? 日本ではないのですか?」
 「この国はドルドーナと言います。世界屈指の大国と言われていて、貴方の暮らしていた世界にはない国の名でしょう」


 翠の問いに答えたのは王妃だった。


 「・・・私のいた世界は、地球です」
 「そうですか。やはり貴方はこの世界とは異なる世界から来たのですね」


 王妃の言葉が翠の中に染み込んでいく。


 地球ではない世界。
ならば、自分は帰れるのだろうか?


 「・・・・・・私、地球に帰れますか?」


ポツリと漏らした翠の一言に、国王と王妃は悲しそうな、悔いるような表情を浮かべる。


 「・・・申し訳ない。現状では、お嬢さんの世界に帰還出来る術が見つかってはいないんだ」



 帰れない。



その答えを、翠は意外なほど冷静な気持ちで受け止めた。
けれど、目から零れ落ちる静かな涙が、気持ちとは正反対の心の奥の本当の気持ちを訴えているようだった。


 「・・・お嬢さんの両親にも、申し訳ないことをしてしまった」


 国王の沈痛な言葉に、翠はゆっくりと頭を振る。


 「・・・私のお父さんとお母さんは、私が六歳の時に事故で亡くなりました。その後、親戚の伯母さんと伯父さんに引き取られて暮らしていたんです」


 翠の言葉に、国王と王妃は目を見開いて、視線でお互いを見交わして頷き合う。
 王妃は翠の小さな手を握ると、ゆっくりと話し始める。


 「当分の間、貴方は私達と一緒にこの王宮で暮らすことになります。貴方が自分で自分のことを決められるようになったら、出来うる限りのことを叶えましょう。此処には、貴方を傷付ける人間は、決して近付けはさせません」
 「・・・お嬢さんの名前を訊いても良いだろうか?」
 「・・・・・・金居かない翠、です」
 「カナイ? それが名前かな?」
 「・・・金居は苗字で、翠が名前です」
 「スイか。良い名前だ。儂はドルドーナ国国王、フォレト・グラスパー・ドルドーナという」
 「私はドルドーナ国王妃、ノバラ・ボンベイ・ドルドーナです」


 王妃は優しく翠の手を握り、国王は翠の頭を大きな伯父と同じ優しい手付きで撫でた。





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