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本編
第13話 暁の吐露④
しおりを挟む自室に閉じ籠った俺は、食事も摂らずに何日もただ宙を見つめていた。
妃奈が自分のモデルを優先的に引き受けてくれる条件は、
『毎年の自分の誕生日を一緒に祝ってくれること』
妃奈の提示した条件は自分にとっては大したことはないことであり、特別にイベントや恒例行事等に重なっているわけではないので承諾した。
それで絵がスムーズに描けるのなら、と。
だが恐らく、妃奈は知っていたのだ。自身の誕生日が俺の婚約者である日月とまったく同じ日であることに。だからそんな条件をだしてきたのだろう。
それに気付かずにいた自分はどれほど愚かだったのか。
それから、俺はアトリエに籠って絵を只管に描く日々を送った。
何度も妃奈が訪ねてきたが、会わずにマネージャーが追い返していた。
気付けば、「画伯」と呼ばれるようになり、世界的に完全に認められるようになっていた。
あの騒動から四年の月日が流れたが、今もって自分の心の中に、大きな穴がポッカリ空いていた。
その日は、マネージャーの提案で、桜を眺めるために園遊会に参加するために、会場へと足を進めていた。あの日から更に虚無に近くなった心が、絵を描くために少しでも埋まればいい、とそう思っていた。
人混みを避けるために招待客とは別のルートで桜の見れる場所に行こうとした俺は、桜の傍の岩に腰掛けている人物を見て、束の間、息が止まった。
四年という月日は、桜の花吹雪を受けていてなお、桜の精霊のように日月を美しく成長させるには充分な時間のようだった。桜を見上げて、微笑んでいる日月は幻想的な雰囲気を纏っていた。
そのまま足が日月の元に向かいそうになるのを踏み止まらせたのは、悠生と友香が日月に話しかけたためだ。
屈託のない笑顔を悠生と友香に向ける日月に、心の奥からドロリ、とした何かが溢れてくるような気がして、それに自分自身が気味の悪さを覚え、足を来た方向へと戻した。
そのまま個別に与えられた休憩室で休んではみたものの、苛々は止まらず、外の空気でも吸おうと、園遊会の会場とは別の出入り口へと向かった先で見たのは、見たことのない眉目秀麗な男に、日月が警戒心など微塵も持っていない、という笑顔で笑いかけている姿だった。
あろうことか、髪の毛を口説くように掬われても、日月は抵抗すらせず笑っている。瞬間、カッ、となり、思わず、
「日月ッ!」
と叫んでいた。
日月は心底驚嘆したように目を見開き、反対に男は眉根を寄せて守るように日月の前へと自然に進み出た。男の行為に、更に自身の眉根が寄るのがわかる。
男が口を開こうとした時、日月がそれを遮るように俺と男の前に進み出て、頭を下げた。
「お久しぶりです、筒井画伯」
日月の行動に、動揺したような平坦な返事しか返せない。
日月は顔を上げて微笑むと、更に俺に話しかけてきた。だが、それは社交辞令の一貫にしか過ぎない程度の会話。
「今日は画伯も招待を受けられていたのですね。もう庭の桜などはご覧になられましたか? 見事なものですよ」
「いや、まだ・・・」
「でしたら、是非ご覧になられて下さい。私は少し体調が思わしくありませんので、用意されているお部屋で休ませていただくところなのです」
「だったら、付き添うよ」
「ありがとうございます、成清様。・・・では、お言葉に甘えさせていただきますね」
男が付き添うことを当然のように受け入れ、
「それでは、失礼させていただきます」
と、完璧な淑女の礼を取り、日月は男と連れ立って去って行く。その背中を、何一つ声をかけられないまま、俺は見送ることしか出来なかった。
園遊会をその足で退席した俺は、家の離れの自宅へと早々に帰宅した。
自室でデッサンを描き散らしても一向に荒立つ気持ちは治まらない。どれほどの時間が経ったのかはわからない。
「兄貴」
気が付くと、自室の扉に凭れ掛かるように、悠生が腕を組んで立っていた。
いつもならば、日月以外が立ち入ると気配でわかるのに、それほど全神経が苛立ちを押さえ込もうとデッサンに集中していたのか、と考えていた矢先。
「兄貴、今日日月に会ったんだろう」
その言葉に驚いて、悠生のほうを見る。
疑問形で口にしているのに、その言葉には確信を秘めているものがあった。悠生はせせら笑う、という表現が正しい表情で俺を見ていた。
「で? 拒絶された感想は?」
その一言に、血流が逆流するほどの熱さが込み上げる。が。
「もう、日月に兄貴は必要ない」
その言葉に、逆流していた血が凍ったような気がした。
「昔から兄貴は日月だけは特別だった。おれは何度も注意してたよ。手遅れになる前に。自分の気持ちの意味にすら気付かずに、手放したのは兄貴だ」
そのまま立ち去る悠生の背中を、俺は放心したまま見つめ続けた。
アトリエに籠り、只管に絵を描こう、と思うのに、あの園遊会から二ヶ月、碌に筆が進まない。
原因は嫌というほど理解していたが、既にどうすることも出来ないのだ。園遊会の後から、暫くの間落ち着いていた妃奈がアトリエにまで突撃してくるようになり、更に苛々は増していた。
今請け負っている絵は、海外のとても贔屓にしてくれているクライアントから半年以上前に打診されたものだが、破られたキャンバスが辺りに多数散乱し、立てかけられているキャンバスも真っ白なままだ。
・・・・・・このまま、画家生命が終わるのもアリなのかもしれない。
椅子に座り込み、そう自嘲の笑みが漏れた時、マネージャーが扉を蹴破る勢いでアトリエに入ってきた。
落ち着いて、どんな物事にも冷静に対処する普段とは違う姿に、髭が伸び、髪も乱れ放題な頭を上げると、蒼白な顔色で口を動かした。
「かッ、日月・・・ッ。日月様が・・・!」
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