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五百雀であるということ

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「陰」たちは、見るからに異彩を放つ院瀬見は警戒していたのだろう。
けれどその後ろを引っ付いて歩く離れしていなそうな傑など、脅せば引っ込むぐらいにしか思っていなかったに違いない。
多少、強い武器を持っているようだが、武器がどれだけ性能が良くても、扱う人間の技量がついていかなければ恐るに足らない。

そう、思っていたのだろう。

だからサブマシンガンからナイフに持ち替え、傑が闇の中に飛び込んで来た時、しめたとほくそ笑んだ。
ここぞとばかりにその影を大きく広げ、密に取り囲んだ。

その闇の中で、ふっと、静かに傑の眼が据わった。

10代後半とはいえ、子どもは子どもだ。
それまでここに肝試しに来た子らとさほど変わりはしない。
そう思っていたそれらは、傑が纏った静寂を不思議そうに眺めた。

次の瞬間、取り囲むそれらは切り裂かれた。

何が起きたのかわからない。
意識にも似た自我のようなものが途切れる前、じっと傑をは見つめる。

そこにいたのは、何の感情もない目をした子どもだった。

いや、彼らには「子どものふりをした何か」に見えただろう。
その冷たい視線が冷静に辺りを見渡すと、的確に闇を裂き始めた。

動揺した。

このぐらいの年頃の人間たちは皆、少しでも自分たちの姿を見れば泣き叫び、パニックに陥っていたからだ。
なのに目の前のそれは、冷めた眼で彼らを一瞥すると、何の感情もなく切り裂いてきた。

オオオオォォ……。

切り裂かれた「何か」が声なのか何なのかを残して存在を失う。
この世に繋ぎ止めていた楔を断たれ、存在できなくなったのだ。

元々、彼らはこの世のものではない。
無理に楔を打たれそこにいる。
その事を忘れているだけだ。

「……付属品が。」

ボソリと傑は呟いた。

そう、この無数に湧いてくる「陰」たちは、傑たちが目指すモノではない。
それを生み出す過程で出来てしまったモノに過ぎない。

だが、これだけ無尽蔵に湧いてくる「陰」を背負っている「本体」は一体何なのだろう?

それを考えるとゾッとした。

先程、傑を殺そうとしたモノは、傑より強い。
そう院瀬見は言った。

そして院瀬見の読みでは、あれは目的の「本体」を守るモノであって、「本体」ではない。

何故なら、本体はまだ目覚めていないはずなのだ。

もしも目覚めていたなら、ここから腐朽が始まる。
目覚めた「呪詛」によってこの地が腐り広まっていく。

いわばこれは時限爆弾だ。
この地を、この国を腐朽させる為の。

他国に対する攻撃なら威力など計算しない。
むしろ破滅的ならより破滅的な方が良いのだ。

今や、武力攻撃など行えば国際問題になる。

だが目に見えない「呪」によるものならどうだろう?

そんなもの信じる人はいない。
だが、だからこそ確実に蝕まれていく。
人々が気づいた時にはもう遅い。

陰陽師たちは、地域開発という名の環境破壊から壊されていく結界を日々、修復している。
そしてその隙を縫って持ち込まれる呪物に水際で対応している。

そして五百雀は、中で生み出される「悪意」を握り潰していく。
文字通り、力でねじ伏せる。

これはある種の戦争だ。
負けたら国が滅びる。

今は水面下でやり合っているだけだが、いつかこういう戦い方が国盗りの主流になるかもしれない。

だから負ける訳にはいかない。
この国にその戦法は通用しないのだと見せつけなければならない。

政治的な問題の事は知らない。
そんな多方面に手を伸ばせるほど、人間一人が抱え込める容量はない。

だから自分の持ち場で戦う。
他の事など知った事ではない。

人は誰しも、その一端を背負う。
経済を回すもの、流通を支えるもの、医療を担うもの、治安を守るもの、次世代を育むもの、様々だ。

その中で、傑は呪と戦う者としての一端を背負った。
だからその役目を果たすだけだ。

五百雀。

500羽の雀。

雀は有名ではないが、神使の一つだ。
災いを啄むものとされる。

だが、たかだか雀。
啄む災いなど大した事はない。

だが、それが500羽の雀だったら?

五百とはいうが、これは「八百万」と同じ意味だ。
つまり、無数の、数多の、という意味。

雀はどこにでもいる。
昔も今も、どこにでも、いくらでも。

数多の雀が群がり、災いを啄む。

陰陽師たちのように特別な力などさして備わってはいない。
だが強い力などなくとも、小さな力でもできる事はあるのだ。



「……殴れれば、倒せる。」



それが五百雀。

ここに来て、傑はその意味を噛み締めた。
そして理解した。

それが異国のモノだろうと何だろうと関係ない。


殴れれば倒せる。


それが五百雀の基本。
そして真髄だ。

傑はサバイバルナイフで目の前の「陰」を切り裂いていく。

数が多い事などどうでもいい。
これを背負う「本体」の事などどうでもいい。
ただ、目の前の闇を一つ一つ潰していく。

余計な事は考えなくていい。
自分に託された仕事を正確に確実にこなせばいい。

傑に危機感を覚えた「陰」たちは、膨張させていた存在を集結させ研ぎ澄ませた。
濃縮された事により、その凶暴性、残忍性、攻撃性が増す。

「……だから何だ?むしろ存在が固まって殴りやすいっての。」

傑は慌てもせず、それに対応する。
先程より存在感が固まったそれは、ナイフに確かな手応えを与えた。
それまで水を切るような感覚だったものが、個体に刃を突き立てる感覚に変わる。

手応えがある分、闇雲にナイフを振り回したら駄目だ。
斬るのに筋力がいり、体力を削られる。

すぐに傑は戦闘スタイルを変える。
そう、叩き込まれているのだ。

武道の要領で、向かってくる相手の力を使って流すように諌め、確実にポイントにのみ刃を突き立てる。
先程の院瀬見と同じだ。
それが拳銃かナイフかの違いに過ぎない。

「確かに実戦じゃ銃の方が早いな……。刺して抜く手間がない……。」

だがどうだろう?
ナイフなら最後まで微調整が効くが、銃だと照準がズレたら仕留め損ねる。
確実に一回で仕留めるなら、今の傑の実力ではナイフの方が早いかもしれない。

短銃に持ち変えるか考え、今はそう結論を出す。

選択を間違えるな。
間違えたら死ぬ。

他人のやり方などどうでもいい。
自分にとって確実な道を選ばなければ生き残れない。
そう、叩き込まれた。

「?!」

ふと、足場が滑る。
何かと思えば、床一面に毒蟲たちが蠢いてる。

これか、と傑は少しだけ焦った。

床を覆い尽くす蟲は気分のいいものではないし、何より踏みつぶせばその体液で滑る。
下手に動かない方が良いが、じっとしていては蟲が登ってくる。

「……クッ。」

嫌悪感が先に立ってしまい、どうするべきかの判断が鈍る。
どうする?!
傑は少し焦り、冷静さを欠きかけた。

「……あれ?!」

しかし、よく見ると蟲たちは傑の足に登ろうとはするのだが、登ってこない。
きょとんとしたが、その理由が分かって笑ってしまった。

「ナニコレ?!マジで効果あんの?!ニコチン?!」

流石は祖父と院瀬見、二人の修羅がゲン担ぎにしているだけある。
臭いし汚いしもうやりたくはないが、効果は覿面のようだ。

笑った事で傑は自分を取り戻す。

蟲が登ってくる心配はない。
だが戦うのに邪魔なのは事実だ。
このまま動かないスタイルで戦う事もできるが、それでは倒すペースが格段に落ちる。

「……………………。」

傑は足で床を鳴らした。
先程、院瀬見がやったように、リズミカルに床を鳴らす。

するとわさわさと、どこからともなく蜘蛛が出てくる。
その蜘蛛たちが床の虫たちを捉えていく。

「うわぁ……目には目を、蟲には虫をって思ったけど……気持ち悪い……。」

床一面の蟲に、無数の蜘蛛たちが襲い掛かっている。
つまり、虫、増量。

「いや、マジで今回、椿、どんだけ眷属子どもたち出してんの??」

傑は院瀬見にならって、モールス信号で椿の眷属たちを呼んだ。
それが邪魔な蟲たちを排除してくれているのだが……。

味方とはいえ、床を埋め尽くす蟲✕虫はあまり気持ちのいいものではない……。

けれど効果はあったようだ。
「陰」たちは、蟲を引き始めた。

傑一人なら蟲攻めにるす方法もあるが、蟲たちに襲いかかる眷属たちから椿の存在を感じ取ったのだろう。
同じ蟲なら椿に感じる畏怖も大きい。
蟲を使うのは分が悪いと判断したようだ。

引き始めた蟲とともに、椿の眷属たちも姿を消していく。
何故なら、戦闘を任されているのは傑だからだ。
椿には関係のない事。
こちらの指示で手助けやバックアップはしてくれるが、椿は敵でないだけで味方ではない。
戦っているのが信桜なら別だが、傑たちにとって椿は味方ではないのだ。
ただついている信桜がそう指示したから、傑たちのバックアップをしているにすぎない。
ここを見誤ってはならないのだ。

「……………………。」

蟲が引いた事で、傑は改めて「陰」と向き合う。

「呪」の作り方にはいくつかある。
だが基本は小さな「呪」だ。

強い「呪」を作る為には、手始めに小さな「呪」を作る。
それからまた「呪」を作り、繰り返す事で「呪気」を強めるのだ。
その過程で複雑で念の強いモノを入れ込んでいく。

その辺は陰陽道の奴らの方が詳しい。
傑は基本的な事しか知らない。

そんな作り方など五百雀にはどうでもいい事だ。
五百雀に必要なのは、目の前の「呪」をどうやって破壊するか、ただそれだけ。

どう殴ってどうぶっ潰すか、それだけだ。

とはいえ、目の前の「陰」、それが「本体」を作り出す為に作られた「呪」である事は理解している。
何故「呪」になったのかもわからず、強い呪である「本体」に雁字搦めにされてここにいる。
自分が何者だったのかも、何を呪い、何を憎み、何に絶望したのかすらもう覚えてはいない。

ある意味、可哀想な悲しい存在。
だが、五百雀はそんな事に肩入れしたりなどしない。
それが目の前の障害となるなら、潰すだけ。
結果的にそれは「陰」を縛る鎖を解き放つ事になるので、救いともなるが、五百雀はそんな大層な事を考えていたりはしない。

邪魔なら力で潰す。
殴れるものならば必ず倒せる。

「陰」たちは攻撃性を強めた。
密集した闇を結合させ、さらに強固な「邪」となる。

無数にいた「陰」は、最終的に数体の「邪」となった。

「ギエェェェェッ!!」

獣とも人とも異なる咆哮。
ガラスを鋭い爪で引っ掻くような不快なその音。
それが幾重にも重なり二階事務フロアに響き渡る。

耳を塞ぎたかったが、傑は顔を顰めるだけで動かなかった。
我を忘れたように凶暴性を剥き出しにし、襲ってくる「邪」。

速い。

傑はそれを避けながら無言になった。
一体なら面倒でもないが、複数体いれば、その全ての動きを把握するのは難しくなる。
一人の攻撃を避けた時には他のモノの攻撃が来る。

落ち着け。
何も変わらない。
ただ、目の前の障害を一つ一つ片付けていけばいい。

そう思った時だった。

「……うっ?!」

一体目の攻撃を避け、もう一体の攻撃を避ける。
しかし床の影に隠れていた三体目がその中から姿を表し不意を突かれた。

そのまま「邪」の成すがまま、殴られ吹っ飛ぶ。
バンッと強く壁に体を打ち付け、集中が一瞬途切れる。

「……ッ!!」

そこに殴りかかった「邪」の拳を反射的に避けたが、避けた先にいた「邪」に蹴られ、踏み潰される。

「~~~ッ!!」

わざと骨のない腹を踏みにじる。
声にならない叫びを傑は噛み締めた。

「邪」達が集まり、傑を踏みにじる。
ナイフで抵抗するが、その手を強く踏みつけられ、傑はサバイバルナイフを離してしまった。

「しまった……っ!!」

だが武器を離したのを見た「邪」たちは笑った。

顔などないが、それがわかる。
快楽にも似た高揚を纏い、ここぞとばかりに傑を袋叩きにした。

その攻撃の雨が激しすぎて、傑は他の武器を手にできない。
ただ丸まって、急所への攻撃を避ける事しかできない。

その時、パッと光が走った。
「邪」達がそれに慄く。

「……オオォォォ……ッ。」

一瞬できた隙をつき、傑はその「邪」たちの包囲を抜ける。
そしてすぐに立ち上がった。

……また、守られたな。

傑の制服が全体的に淡い光を纏っている。
その陣羽織に織り込まれた「鳳凰」の守護だ。
それだけじゃない。
あそこまで袋叩きにされたのに、「邪」の攻撃で致命的な怪我を負っていないのは、頑丈な椿の糸で作られたモノだからだ。

「すげぇな、この制服……。」

思わず笑う。
だが、それは「初陣」に赴く傑への餞だ。

傑自身が道を切り開く為の周囲の心添えなのだ。

それに応える為にも、傑は証明する必要がある。
自分が五百雀である事を。

「邪」たちは傑に武器を取らせまいと、即座に動いた。
立て直した傑は、その手に武器を取らなかった。

それをいい事に「邪」は攻撃を開始する。

しかし……。

その拳なのか何なのかわからない「邪」の一部が傑に襲いかかった瞬間、傑はそれを素手で掴み、捻り上げて床に叩きつけた。

刹那、「邪」たちは動きを止めた。

その静寂の中、傑が呟く。


「……我、五百雀。触れるモノに負けはせぬ……。」


そしてカッと顔を上げ、動いた。
「邪」に掴みかかると、力任せに乱暴に殴り続ける。
他のモノがそこに攻撃を仕掛ければ、それを掴んでぶん投げる。

そこにルールなどなかった。
気をやってしまったかのように我武者羅に暴れ回る狂人がいるだけ。

パンッと乾いた音が響く。

散々殴って弱った「邪」に、傑がいつの間にか手にした銃で発砲していた。
存在を縛っていた楔を撃ち抜かれた「邪」は拠り所を失い、この世から消えていく。


「……ふ~ん?なるほど?こうやんのね?」


それを冷たく見下ろし、傑は笑った。
ノールックで撃つのは無理だが、こてんぱんに叩きのめして押さえ込めば照準がズレる事はない。

一体、倒され慌てた「邪」達が傑に襲いかかる。
だが要領を得た傑はもう慌てたりしなかった。

「邪」は生まれて初めて疑問を持った。
何故、妖である自分達をこの者は素手で殴れるのか。

実態を強めては危険だと気づき、彼らはそれを希薄化させようとした。
しかしそれができる前に傑に掴まれ殴られる。

「……なんだぁ?!今更、霊体化なんかしたって遅え。お前らの存在はもう「認識済み」だ!!」

そう言って傑はその楔を撃ち抜く。
そして残る「邪」たちを振り返る。

「そこにあると「認識」されたら、なかった事になんかできねぇぞ、お前ら……。」

因縁や思念がそれを縛るように、「認識」はそれをそこに縛る。
つまり傑に「認識」された事により、「邪」はもう、霊体化しようと消える事はできない。
消えて傑から逃れる事は出来ないのだ。

「お前らはここにいる。触れる。殴れる。そして壊せる。」

そう、傑は「認識」した。
その意識を強く持つ。
逃さない為にその意識で彼らを縛る。

「肉体がないから優位だと思うなよ?生き物ってのはな?肉体の中に霊魂が入ってるだけだ。こっちにも霊魂があるんだ。だからだ肉体のない霊体のお前らを殴れない理屈はない!!」

それが五百雀の理屈。
幽霊だろうが妖だろうが、こっちにも霊魂があるなら、肉体がないからといってそれを殴れない訳がない。

そして殴れるなら倒せる。

物凄く乱暴だが、魂の原点において、真っ当な理論だ。
魂が霊魂であり霊体なのなら、同じものを持っていて殴れない訳がない。

そしてそれを疑わない事。
疑問を持てはそれは通らなくなる。

「認識」で霊体を縛るのと同じだ。

強くその意志を持つ。
絶対にそれを揺るがせない事。

「邪」は目の前の子供に見えるそれを恐れた。

本来なら触られる事などないはず。
本来なら希薄にすれば見えなくなるはず。
本来なら消えて逃げられるはず。

なのに、それが通用しないのだ。

傑は残った数体を見つめ、淡々と言った。


「……殴れれば、倒せる。」
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