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第一話 死神刑事との邂逅
噛み合わない二人
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一時間後、見事に昼寝をかました宮間は、欠伸をしながらオフィスを出る。
黒羽との待ち合わせは四十五分前。
完全な遅刻であった。
「あーあ。怒ってるかなぁ」
宮間は締まりのない顔で署内を歩いて移動する。
遅刻に対する反省の意志は微塵も窺えない。
だらしなく着たスーツは皺だらけで、彼の怠惰な印象に拍車をかけていた。
眠たげな双眸からは熱意や活力といった類が失われており、まるで死んだ魚のようである。
総じて自堕落な様は、とても三十路になったばかりとは思えない。
容姿自体は決して悪くなく、それどころか二枚目と称しても差し支えがないほどだ。
ただ、彼の性格がビジュアルの良さを打ち消して余りある酷さをしている。
非常に残念な男と言えよう。
すれ違う同僚たちは宮間に様々な視線を向けるが、直接何かを言う者はいない。
彼の勤務態度は署内でも有名らしい。
同時に、いくら説教されようともその不真面目さが治らないことも知っているのだろう。
そんな宮間が待ち合わせ場所である夕塚署の正門前へ赴くと、黒羽が直立不動で待ち構えていた。
彼女は腕時計をちらりと確かめて言う。
「宮間巡査長。四十九分二十八秒の遅刻です。何かあったのでしょうか」
「ごめんごめん、普通に寝てた。あと、堅苦しいから肩書きは省略してくれていいよ」
「了解です」
黒羽は事務的な口調で返す。
あまりの鉄仮面ぶりに感情が読めない。
宮間は頬をぽりぽりと掻きながら尋ねてみる。
「えーっと、黒羽ちゃん?」
「なんでしょうか」
「もしかして怒ってる?」
「いえ、全く。それより早く捜査に向かいましょう」
ふるふると首を振った黒羽は、宮間を手招きしながら歩きだす。
そうやって促されては断る理由もない。
釈然としない何かを感じつつも、宮間は彼女と共に署を出た。
主要駅の近くということもあって、平日の昼間にも関わらず夕塚署の周辺は賑わっている。
すぐそばの大型ショッピングモールも人が多い要因の一つだろう。
徐々に長くなる渋滞の列を横目に、二人の刑事は並んで歩く。
「こりゃ徒歩移動で正解だったな。どのみち免停中だから運転できないけど」
宮間は尻ポケットから煙草の箱を取り出すと、中身の一本をくわえた。
「喫煙は体に悪いですよ」
「こいつは無害な電子タバコだから大丈夫。健康志向のベジタブルフレーバーだよ」
宮間は目を細めて旨そうに煙を吐き出した。
独特の香りが黒羽の鼻腔を撫でる。
「不味そうです」
「黒羽ちゃんは正直者だね、いや本当に」
宮間は薄く笑いながら電子タバコを吹かす。
新しいパートナーは堅物だがなかなか愉快そうだ。
生真面目な性格も度を越せば立派な個性となり得るらしい、と彼は密かに感心した。
上機嫌な宮間の様子にも意を介さず、黒羽は疑問を投げる。
「話は変わりますが、今回の事件はどういった内容なのでしょうか」
「あれ、花木さんから聞いてない?」
「花木警部補は、宮間さんから話を伺うようにと言われました」
「ったく、あの狸親父め……今度、焼肉でも奢らせるか」
盛大なため息を漏らしつつ、宮間は懐から黒い手帳を取り出した。
水でも零したのか、全体的にごわごわして皺だらけだ。
ページの合間には何枚もの付箋が貼られている。
それなりに使い込んでいるらしい。
宮間はその中の一ページを読み上げる。
「事件は一昨日の未明に発生。ガイシャは瀧原浩介二十四歳。自宅のアパートで何者かに腹を滅多刺しにされて死んだそうだ」
「容疑者は上がりましたか」
宮間は頷いて手帳のページをめくる。
「ああ。コンビニバイトの西田清美と看護師の谷上涼子。どちらも瀧原の恋人らしい」
「つまり瀧原は二股をかけていたと」
「そうそう。痴情のもつれで殺されたんじゃないかと言われている。やれやれ、モテる男ってのは大変だねぇ」
手帳を仕舞った宮間は大袈裟に肩をすくめる。
形ばかりの哀れみであった。
同情どころか、そもそも事件に対する興味がないらしい。
やる気ゼロな宮間は欠伸を噛み殺す。
「ホシはどちらもアリバイがないらしい。本当、どっちでもいいから早く自首してくれないもんかね」
「容疑者への事情聴取は可能ですか?」
「できるっちゃできるけど……やけに積極的だね。どうしたのさ」
露骨に面倒そうな宮間に訊かれると、黒羽は彼の目を見て答える。
「私はただ職務を全うするだけです」
「はぁ……そりゃあ随分と熱心なことで。尊敬しちゃうね」
宮間は電子タバコをくわえたまま、心にも思っていない言葉を返す。
嫌味や皮肉などではなく、純粋に理解できなかったのだ。
楽して儲けるのが至上である宮間からすれば、黒羽のスタンスはとても信じられない。
クールビューティーな外見とは裏腹に意外と熱血系なかもしれない、と宮間は黒羽に対する印象を修正しておく。
そんな風に二人で会話をしていると、事件現場であるアパートの近くまで来た。
駅前と比べると閑散とした住宅街の中である。
平日なので人通りもなく静かだ。
アパートは二階建てで、色褪せた壁にはちらほらと蔦が這っている。
一階の角の扉には、立入禁止のテープが張られていた。
どうやらあの部屋が被害者宅のようだ。
宮間は電子タバコを尻ポケットに押し込み、気だるげに顎を撫でる。
「室内を確かめた後は、アパートの住人に聞き込みくらいしとくか」
「……その必要はありません。容疑者の事情聴取へ行きましょう。彼女らの住居に案内してください」
アパートを一瞥した黒羽は唐突に踵を返した。
ここにはもう用はないとでも言いたげに、彼女は颯爽と歩き去っていく。
「んー、黒羽ちゃん? ちょいと焦りすぎじゃないかな。散歩じゃあるまいし、何もせずに終わりってのは」
「既に収穫はありました。早く移動しましょう」
「いやいや、収穫って何なのさ。お兄さんにも分かるように教えて……って、ちょっと黒羽ちゃーん」
引き止める宮間にも構わず、黒羽はさっさと足を動かす。
彼が何を言っても聞く耳を持たない。
ほどなくして宮間は黒羽の制止を諦めた。
どれだけ粘っても彼女は止まらないと気付いたのである。
そもそも彼自身、積極的に聞き込みをしたいわけではない。
面倒な作業のために無駄な苦労をするのはあまりにも不毛だろう、というのが宮間の結論だった。
黒羽の突飛な言動には多少驚いたものの、これといった実害はない。
張り切った若手が空回りするのは、割とありがちなことだ。
捜査意欲はあるようだから、自由にさせておけばいいだろう。
「ったく、とんだじゃじゃ馬を押し付けられたもんだ……」
離れゆく黒羽の背中を眺めながら、宮間は小さくぼやいた。
黒羽との待ち合わせは四十五分前。
完全な遅刻であった。
「あーあ。怒ってるかなぁ」
宮間は締まりのない顔で署内を歩いて移動する。
遅刻に対する反省の意志は微塵も窺えない。
だらしなく着たスーツは皺だらけで、彼の怠惰な印象に拍車をかけていた。
眠たげな双眸からは熱意や活力といった類が失われており、まるで死んだ魚のようである。
総じて自堕落な様は、とても三十路になったばかりとは思えない。
容姿自体は決して悪くなく、それどころか二枚目と称しても差し支えがないほどだ。
ただ、彼の性格がビジュアルの良さを打ち消して余りある酷さをしている。
非常に残念な男と言えよう。
すれ違う同僚たちは宮間に様々な視線を向けるが、直接何かを言う者はいない。
彼の勤務態度は署内でも有名らしい。
同時に、いくら説教されようともその不真面目さが治らないことも知っているのだろう。
そんな宮間が待ち合わせ場所である夕塚署の正門前へ赴くと、黒羽が直立不動で待ち構えていた。
彼女は腕時計をちらりと確かめて言う。
「宮間巡査長。四十九分二十八秒の遅刻です。何かあったのでしょうか」
「ごめんごめん、普通に寝てた。あと、堅苦しいから肩書きは省略してくれていいよ」
「了解です」
黒羽は事務的な口調で返す。
あまりの鉄仮面ぶりに感情が読めない。
宮間は頬をぽりぽりと掻きながら尋ねてみる。
「えーっと、黒羽ちゃん?」
「なんでしょうか」
「もしかして怒ってる?」
「いえ、全く。それより早く捜査に向かいましょう」
ふるふると首を振った黒羽は、宮間を手招きしながら歩きだす。
そうやって促されては断る理由もない。
釈然としない何かを感じつつも、宮間は彼女と共に署を出た。
主要駅の近くということもあって、平日の昼間にも関わらず夕塚署の周辺は賑わっている。
すぐそばの大型ショッピングモールも人が多い要因の一つだろう。
徐々に長くなる渋滞の列を横目に、二人の刑事は並んで歩く。
「こりゃ徒歩移動で正解だったな。どのみち免停中だから運転できないけど」
宮間は尻ポケットから煙草の箱を取り出すと、中身の一本をくわえた。
「喫煙は体に悪いですよ」
「こいつは無害な電子タバコだから大丈夫。健康志向のベジタブルフレーバーだよ」
宮間は目を細めて旨そうに煙を吐き出した。
独特の香りが黒羽の鼻腔を撫でる。
「不味そうです」
「黒羽ちゃんは正直者だね、いや本当に」
宮間は薄く笑いながら電子タバコを吹かす。
新しいパートナーは堅物だがなかなか愉快そうだ。
生真面目な性格も度を越せば立派な個性となり得るらしい、と彼は密かに感心した。
上機嫌な宮間の様子にも意を介さず、黒羽は疑問を投げる。
「話は変わりますが、今回の事件はどういった内容なのでしょうか」
「あれ、花木さんから聞いてない?」
「花木警部補は、宮間さんから話を伺うようにと言われました」
「ったく、あの狸親父め……今度、焼肉でも奢らせるか」
盛大なため息を漏らしつつ、宮間は懐から黒い手帳を取り出した。
水でも零したのか、全体的にごわごわして皺だらけだ。
ページの合間には何枚もの付箋が貼られている。
それなりに使い込んでいるらしい。
宮間はその中の一ページを読み上げる。
「事件は一昨日の未明に発生。ガイシャは瀧原浩介二十四歳。自宅のアパートで何者かに腹を滅多刺しにされて死んだそうだ」
「容疑者は上がりましたか」
宮間は頷いて手帳のページをめくる。
「ああ。コンビニバイトの西田清美と看護師の谷上涼子。どちらも瀧原の恋人らしい」
「つまり瀧原は二股をかけていたと」
「そうそう。痴情のもつれで殺されたんじゃないかと言われている。やれやれ、モテる男ってのは大変だねぇ」
手帳を仕舞った宮間は大袈裟に肩をすくめる。
形ばかりの哀れみであった。
同情どころか、そもそも事件に対する興味がないらしい。
やる気ゼロな宮間は欠伸を噛み殺す。
「ホシはどちらもアリバイがないらしい。本当、どっちでもいいから早く自首してくれないもんかね」
「容疑者への事情聴取は可能ですか?」
「できるっちゃできるけど……やけに積極的だね。どうしたのさ」
露骨に面倒そうな宮間に訊かれると、黒羽は彼の目を見て答える。
「私はただ職務を全うするだけです」
「はぁ……そりゃあ随分と熱心なことで。尊敬しちゃうね」
宮間は電子タバコをくわえたまま、心にも思っていない言葉を返す。
嫌味や皮肉などではなく、純粋に理解できなかったのだ。
楽して儲けるのが至上である宮間からすれば、黒羽のスタンスはとても信じられない。
クールビューティーな外見とは裏腹に意外と熱血系なかもしれない、と宮間は黒羽に対する印象を修正しておく。
そんな風に二人で会話をしていると、事件現場であるアパートの近くまで来た。
駅前と比べると閑散とした住宅街の中である。
平日なので人通りもなく静かだ。
アパートは二階建てで、色褪せた壁にはちらほらと蔦が這っている。
一階の角の扉には、立入禁止のテープが張られていた。
どうやらあの部屋が被害者宅のようだ。
宮間は電子タバコを尻ポケットに押し込み、気だるげに顎を撫でる。
「室内を確かめた後は、アパートの住人に聞き込みくらいしとくか」
「……その必要はありません。容疑者の事情聴取へ行きましょう。彼女らの住居に案内してください」
アパートを一瞥した黒羽は唐突に踵を返した。
ここにはもう用はないとでも言いたげに、彼女は颯爽と歩き去っていく。
「んー、黒羽ちゃん? ちょいと焦りすぎじゃないかな。散歩じゃあるまいし、何もせずに終わりってのは」
「既に収穫はありました。早く移動しましょう」
「いやいや、収穫って何なのさ。お兄さんにも分かるように教えて……って、ちょっと黒羽ちゃーん」
引き止める宮間にも構わず、黒羽はさっさと足を動かす。
彼が何を言っても聞く耳を持たない。
ほどなくして宮間は黒羽の制止を諦めた。
どれだけ粘っても彼女は止まらないと気付いたのである。
そもそも彼自身、積極的に聞き込みをしたいわけではない。
面倒な作業のために無駄な苦労をするのはあまりにも不毛だろう、というのが宮間の結論だった。
黒羽の突飛な言動には多少驚いたものの、これといった実害はない。
張り切った若手が空回りするのは、割とありがちなことだ。
捜査意欲はあるようだから、自由にさせておけばいいだろう。
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