仮面探偵は謎解きを好まない

結城絡繰

文字の大きさ
上 下
2 / 33
第一話 因果応報な強盗事件

探偵は仮面をかぶっていた

しおりを挟む
 杏子が案内されたのは、応接室らしき場所だった。
 壁際に申し訳程度の観葉植物が置かれた白い部屋で、なんとも飾り気がない。

 中央には黒革のソファと木製のローテーブルがあった。
 二つのソファがローテーブルを挟むような形で配置されている。
 普段はここで依頼者と話をするのだろう。

 麻袋の男は、胸ポケットから出した名刺を杏子に手渡す。

「私はこの探偵事務所のオーナーの朽梨定くちなし・さだめです。よろしくお願い致します」

「よ、よろしくお願いします」

「では、立ち話もなんですしどうぞ」

 麻袋の男・朽梨は、にこやかに言いながらソファに座った。
 どことなく優雅な立ち振る舞いである。

 朽梨に促され、杏子も向かい側のソファに座った。

「履歴書はありますか」

「はい、持ってきました」

 履歴書を受け取った朽梨は、無言で目を通し始める。
 麻袋のせいで表情は一切窺えない。

 沈黙が気まずくなった杏子は、目の前の奇妙な探偵について考えることにした。

 そもそも、なぜ麻袋を被っているのか。
 本来は真っ先に尋ねてみるべきなのだろうが、杏子はそれができなかった。

 ここまで露骨に不審だと、逆に訊きづらいのだ。
 顔にトラウマがある可能性だって考えられる。
 不用意に触れるのはまずいかもしれない。

 ただ、どうしても異質に見えてしまうのは仕方のないことだろう。
 探偵というよりまるでB級ホラー映画の殺人鬼のようだ、と杏子は失礼な感想を抱いた。

 そう思うと、朽梨の恰好が途端に安っぽいコスプレのように見えてくる。
 杏子は自らの発想で笑いそうになるのを、下唇を噛むことで耐えた。

 さすがにこの場で急に噴き出すのは挙動不審すぎる。
 麻袋を被った探偵より遥かに怪しいだろう。

 ぷるぷると肩を震わせる杏子をよそに、朽梨は履歴書から顔を上げた。

「ざっと拝見しました。それで藤波さんは、いつ頃から出勤できそうですか」

「えっ、もう採用決定なんですか」

「前任の秘書が突然辞めてしまいましてね。藤波さんがよろしければ、こちらとしてはお願いしたいところです」

 朽梨は困ったように言った。
 どうやら苦笑しているらしい、と杏子は判断する。
 麻袋のせいで表情が読めず、コミュニケーションを取るのが少々面倒だった。

「まずは一カ月の研修期間を実施して、その後については相談して決める形になります。もちろん研修期間中の給料もお出ししますよ。各種手当も用意しています」

「なかなか魅力的ですね……」

「働いてもらう方に配慮ができなければ、経営者として失格ですから。そこは徹底していますよ」

 朽梨は朗らかに語る。
 実に爽やかで落ち着いた雰囲気の人物だ。
 見た目の不気味さを打ち消しそうな勢いである。

 杏子は真剣な顔で悩む。
 話を聞いた限りだと、ここでの仕事はかなりの厚待遇と言える。
 オーナーの朽梨も人柄の良さそうな感じで、麻袋にさえ目を瞑れば完璧だ。

 しかし、だからこそ安易に飛び付いていいものか。
 とんとん拍子に進みすぎて逆に怪しい。
 美味しい話ほど裏があるものだ。

「さて、どうされますか。私は是非とも歓迎いたしますが」

「……少し考えてもいいですか」

「えぇ、どうぞ」

 杏子は膝の上で拳を固め、あれこれと思考を巡らせる。

 その間、朽梨はソファに深く腰かけて待っていた。
 特に口を挟むことなく、杏子を見守っている。

 会話は途切れ、壁時計の秒針の音だけが室内に響いていた。

 そうして沈黙が続くこと暫し。
 杏子は朽梨に告げる。

「ここで働かせてください。色々と不慣れでご迷惑をかけるとは思いますが、頑張ります」

 結局、杏子は好奇心に従うことにした。
 臆病になりすぎるのは良くない。
 就職活動が失敗したせいで、無意識のうちに疑心暗鬼になっているのだろう。

 確かに目の前の探偵は不可思議な風貌だが、それ以外の部分はごくごく常識的だ。
 いや、むしろ理想的と評してもいい。
 その印象を捨て置いて、外見だけで怪しむのは些か早計すぎる。

 杏子の答えを聞いた朽梨は、上機嫌に手を打った。

「いやはや、ありがとうございます。非常に助かりますよ。藤波さん、これからよろしくお願いしますね」

「こちらこそよろしくお願いします!」

 互いに礼を交わした後、朽梨はテーブルにクリアファイルを乗せた。
 ファイルの中から数枚の書類を取り出して、それを杏子に見せる。

「契約書です。守秘義務や報酬に関する規定等が記されています。内容を確認してからサインをお願いします」

「分かりました。少しお時間を頂戴しても?」

「もちろんですとも。飲み物を用意しますが、何にされますか」

 杏子は砂糖とミルク入りの紅茶を頼んだ。
 頷いた朽梨は部屋を出て行く。

 独りになった杏子は、渡された契約書を読み始めた。
 小難しく書かれているが、ようするに諸々のルールを守れという旨の内容である。
 規定を破った際は違約金が発生するらしいものの、真面目に働くつもりの杏子にはあまり関係ないだろう。
 今のうちに規約内容の暗記に努めておく。

 少しすると朽梨がトレーを手に戻ってきた。
 湯気のたちのぼるカップを、杏子に前に差し出す。

「ホットで大丈夫でしたか」

「はい、ありがとうございます」

 朗らかに言う朽梨の前には、ミルクティーの入ったグラスがあった。
 三つ四つと積まれた氷が、からんと音を立てる。
 朽梨はそこにストローを差し、首と麻袋の隙間から器用にジュースを飲んだ。
 決して素顔を見せようとはしない。

 なぜそこまで頑なに隠すのか。
 目の前に置かれた紅茶で喉を潤しつつ、杏子は首を傾げる。
 もっとも、不用意な質問で朽梨の機嫌を損ねるのは望ましくないので、あえて触れようとはしなかった。

 その代わり、ボールペンを握って朽梨に問いかける。

「契約書を確認しました。内容に同意します。こちらにサインをすればいいんですよね」

「そうです。契約書は二部ありますので、片方は藤波さんに持ち帰っていただき、もう片方はこちらで保管をする形となります」

 杏子は指定された箇所にサインを記していく。
 自身の名前を書くたびに、仕事への覚悟が固まっていくような気がした。
 気持ちの整理ができたということか。

 とりあえずやれるだけ頑張ってみよう、と杏子は自らを鼓舞する。
 探偵事務所での仕事なんて未知の体験だが、これも何かの縁だろう。
 幸いにも環境は良さそうなのだから、色々とチャレンジした方がいい。

 全ての箇所にサインを終えた時、杏子はすっかり前向きな気分になっていた。
 晴れ晴れとした表情で契約書の記入に不備がないかを見直す。

 そこまで済ませたところで、杏子は気付いた。

 ――柔和だった朽梨の雰囲気が、冷めたものへと変貌していることに。

「やっとサインしたか。ったく、予想以上に時間がかかった。堅苦しい言葉遣いも面倒極まりないな」

 朽梨は鬱陶しそうにネクタイを緩めると、どっかりとソファにふんぞり返って脚を組んだ。
 麻袋が天井を仰いでため息を吐き、スニーカーが床をこつこつと鳴らす。
 先ほどまでの丁寧な態度とは似ても似つかない。

「えっ、あの……あれ?」

 予想外の展開に呆然とする杏子。
 思考が追いつかないらしい。
 数秒前の仕事に対する決心など、脳内から吹き飛んでいた。

 眼前の麻袋男は、猫を被っていたのだ。
 杏子がサインをするのを虎視眈々と待ち構えていたに違いない。
 そして、逃げ場を断ったタイミングで本性を表した。

 なんと狡猾で悪質なことか。
 そこまで理解した杏子は、血の気が引くのを感じた。

「さて、契約書にサインしたからには、きちんと働いてもらう。ああ、ちなみにここで辞めたら違約金を払ってもらうからな。それじゃ、勤務は明日の朝八時からで。改めてよろしく」

 朽梨はそれだけ言い残すと、契約書を小脇に抱えてさっさと退室してしまう。

 杏子は、自分がとんでもないアルバイトを選んでしまったことを悟った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

それは奇妙な町でした

ねこしゃけ日和
ミステリー
 売れない作家である有馬四迷は新作を目新しさが足りないと言われ、ボツにされた。  バイト先のオーナーであるアメリカ人のルドリックさんにそのことを告げるとちょうどいい町があると教えられた。  猫神町は誰もがねこを敬う奇妙な町だった。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

処理中です...