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その花は太陽を見上げる
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「これでよしっと」
濡れタオルで墓石を磨き上げた私は、水鉢へと静かに水を注いだ。
十月とはいえ、暑さは去るのが名残惜しいようで、まだとどまり続けている。
額の汗をぬぐい、合掌をしてから私は近況を伝えていく。
「いつも見守ってくれていてありがとう。私も、もうすぐ社会人になります。しかも学校の先生になるんだよ。……大丈夫かな、私」
採用された喜びと同じ位、いやそれ以上の不安がどうしても生まれてきてしまう。
あえて元気に声を出し、悪い考えを消そうと私は言葉を続けた。
「心配ない、だって私は皆が認めるしっかり者。……なんだものね?」
『石のように黙る』とはいうが、目の前の私の家族からの、答えはない。
ため息がこぼれ、寂しさがじわりと冷たく心に覆いかぶさってくるのがわかる。
太陽にそれを溶かしてもらおうと、慌てて私は空を見上げた。
青く広がる世界の中に、先端がカギ状に曲がったすじ雲があるのが目に入る。
その形はまるで先ほどのため息が、空に残ってしまったかのようだ。
答えが見つからない苦しさともどかしさが混じりあい、私はぐっと目を閉じる。
降り注ぐ暖かな光を感じながらも、しばらく何もできず私はただ立ち尽くしていた。
そんな自分へと、砂利を踏みしめ近づく音が聞こえてくる。
――どうやら、私のもう一つの太陽がやってきたようだ。
「遅くなってごめんね、ひーちゃん。お花、やっと買えたよぉ」
ゆっくりと目を開いた先に、ミニひまわりやカーネーションの花束を抱えた母の姿が映る。
「ありがと。こっちは全部おわったよ」
「わ、早い! こっちこそありがとう。お父さんってばピッカピカね!」
花と線香を供え、父に挨拶をしている母を隣からみつめる。
穏やかな母の声を聞きながら、私はここに初めて来たときのことを思い返していた。
「置いていかないで」
ただその言葉を呟き、母は泣き続ける。
そんな母の喪服の袖に必死に手を伸ばし、見上げることしかあの時の自分は出来なかった。
十数年という時が経ち、伸ばさずとも手は届くようになり、母よりやや高くなった目線で私は父を眺めることが出来ている。
あの頃から、どれだけ成長できたのだろうか。
隣にいる母を眺めながらの思考は、先ほどの感情に引きずられ、良くない方へと向かっていく。
迷いを打ち消そうと首を横に振る。
そんな自分へと、ふわりと風が吹いてきた。
私の就職の報告を嬉しそうに話す母へと、風は流れていく。
髪をさらりと梳いていくかのような風に、母は気持ちよさそうに目を閉じた。
風は再び私の頭を撫でるかのように通り、同じ名を持つ花を静かに揺らし続けている。
なぜだろう。
今なら答えがわかる気がする。
あふれ出る思いに突き動かされるように、私は問いかけていく。
「ねぇ、私にちゃんとさ。……先生って出来るのかな?」
隣を見ることが出来ず、前を向き続ける私に母からの声が届く。
「……それは違うよ、ひまわり」
『あなたならやれる。出来るわよ』
いつものようにそう言われるはず。
そんな言葉をもらえるとばかり思っていた心へと、正反対の言葉が突き刺さってくる。
いつもとは違う様子に驚き、見つめた母の表情はとても真剣なものだ。
「出来るかな、じゃなくてね。ひーちゃんにしか出来ないんだよ」
まっすぐに私を見据えた母は、柔らかな声に戻り微笑んできた。
「交通事故でお父さんが私の前から急にいなくなって、どうしたらいいか分からなくなっていた時。生きなきゃと思えたのは、ひーちゃんがいたから。頑張れると信じられたのは、握ってくれたひーちゃんの手が、とっても温かかったからなんだよ。だからね」
私の手を取り、そっと自分の頬に当てると母は言葉を続けていく。
「どうかひーちゃんはひーちゃんのままで。私たちが願いを込めて付けた『ひまわり』という名前のように。太陽のようなその姿で、これから出会うたくさんの人たちに笑顔を咲かせてあげてください」
声を出すことも出来ず、私はただ母を見つめながら思う。
――あぁ、なんてすごい人なのだろう。
背が伸び、確かに私と母の目に映る世界は同じになった。
だが母は、はるかに広い視野で私を見守り、こうして導いてくれている。
やはりこの人は私の太陽だ。
いつか自分も、母のようになれるだろうか?
――いや、違う。
『なれるだろうか』ではないんだ。
私もいつか『そうなれる』ように。
これからも母を見上げながら自分を咲かせ、誇れるようになろう、生きてみよう。
心を覆っていた不安が消えていくのを感じながら、母の手を強く握りしめていく。
「お母さん、ありが……」
私の言葉を遮るように、母のお腹から「ぐぅぅ」と音が響いた。
慌てて私から手を外し、自分のお腹に当てた母の顔は真っ赤に染まっている。
「あの、これはですね。『ご飯を食べに行こうよ法案』が先ほど私の中で可決されてですね……」
次第に小さくなる声で語られるのは、いつも通りの母の言葉。
先程までの態度の違いに、こらえきれず私は吹き出してしまう。
ならば私もいつも通りに。
でもちょっとだけ、『ありがとう』を込めて答えよう。
「いいよ、その法案は満場一致で。何が食べたい?」
「わー、私が決めていいの? えっと、えっとね!」
「あ、でも鳥日和は夜からしか営業していないからね」
「あ、そっか。うんとね、じゃあ……」
子供のように無邪気な笑顔をみせ、母が手を伸ばしてきた。
そっと握り返し、私は顔を上げる。
どこまでも続く快晴の空の下、私たちは互いの温かさを知りながら歩きはじめていく。
そうしてこれからも続くのは。
こんな私たちのとてもにぎやかな、とてもいとおしい日々に違いない。
濡れタオルで墓石を磨き上げた私は、水鉢へと静かに水を注いだ。
十月とはいえ、暑さは去るのが名残惜しいようで、まだとどまり続けている。
額の汗をぬぐい、合掌をしてから私は近況を伝えていく。
「いつも見守ってくれていてありがとう。私も、もうすぐ社会人になります。しかも学校の先生になるんだよ。……大丈夫かな、私」
採用された喜びと同じ位、いやそれ以上の不安がどうしても生まれてきてしまう。
あえて元気に声を出し、悪い考えを消そうと私は言葉を続けた。
「心配ない、だって私は皆が認めるしっかり者。……なんだものね?」
『石のように黙る』とはいうが、目の前の私の家族からの、答えはない。
ため息がこぼれ、寂しさがじわりと冷たく心に覆いかぶさってくるのがわかる。
太陽にそれを溶かしてもらおうと、慌てて私は空を見上げた。
青く広がる世界の中に、先端がカギ状に曲がったすじ雲があるのが目に入る。
その形はまるで先ほどのため息が、空に残ってしまったかのようだ。
答えが見つからない苦しさともどかしさが混じりあい、私はぐっと目を閉じる。
降り注ぐ暖かな光を感じながらも、しばらく何もできず私はただ立ち尽くしていた。
そんな自分へと、砂利を踏みしめ近づく音が聞こえてくる。
――どうやら、私のもう一つの太陽がやってきたようだ。
「遅くなってごめんね、ひーちゃん。お花、やっと買えたよぉ」
ゆっくりと目を開いた先に、ミニひまわりやカーネーションの花束を抱えた母の姿が映る。
「ありがと。こっちは全部おわったよ」
「わ、早い! こっちこそありがとう。お父さんってばピッカピカね!」
花と線香を供え、父に挨拶をしている母を隣からみつめる。
穏やかな母の声を聞きながら、私はここに初めて来たときのことを思い返していた。
「置いていかないで」
ただその言葉を呟き、母は泣き続ける。
そんな母の喪服の袖に必死に手を伸ばし、見上げることしかあの時の自分は出来なかった。
十数年という時が経ち、伸ばさずとも手は届くようになり、母よりやや高くなった目線で私は父を眺めることが出来ている。
あの頃から、どれだけ成長できたのだろうか。
隣にいる母を眺めながらの思考は、先ほどの感情に引きずられ、良くない方へと向かっていく。
迷いを打ち消そうと首を横に振る。
そんな自分へと、ふわりと風が吹いてきた。
私の就職の報告を嬉しそうに話す母へと、風は流れていく。
髪をさらりと梳いていくかのような風に、母は気持ちよさそうに目を閉じた。
風は再び私の頭を撫でるかのように通り、同じ名を持つ花を静かに揺らし続けている。
なぜだろう。
今なら答えがわかる気がする。
あふれ出る思いに突き動かされるように、私は問いかけていく。
「ねぇ、私にちゃんとさ。……先生って出来るのかな?」
隣を見ることが出来ず、前を向き続ける私に母からの声が届く。
「……それは違うよ、ひまわり」
『あなたならやれる。出来るわよ』
いつものようにそう言われるはず。
そんな言葉をもらえるとばかり思っていた心へと、正反対の言葉が突き刺さってくる。
いつもとは違う様子に驚き、見つめた母の表情はとても真剣なものだ。
「出来るかな、じゃなくてね。ひーちゃんにしか出来ないんだよ」
まっすぐに私を見据えた母は、柔らかな声に戻り微笑んできた。
「交通事故でお父さんが私の前から急にいなくなって、どうしたらいいか分からなくなっていた時。生きなきゃと思えたのは、ひーちゃんがいたから。頑張れると信じられたのは、握ってくれたひーちゃんの手が、とっても温かかったからなんだよ。だからね」
私の手を取り、そっと自分の頬に当てると母は言葉を続けていく。
「どうかひーちゃんはひーちゃんのままで。私たちが願いを込めて付けた『ひまわり』という名前のように。太陽のようなその姿で、これから出会うたくさんの人たちに笑顔を咲かせてあげてください」
声を出すことも出来ず、私はただ母を見つめながら思う。
――あぁ、なんてすごい人なのだろう。
背が伸び、確かに私と母の目に映る世界は同じになった。
だが母は、はるかに広い視野で私を見守り、こうして導いてくれている。
やはりこの人は私の太陽だ。
いつか自分も、母のようになれるだろうか?
――いや、違う。
『なれるだろうか』ではないんだ。
私もいつか『そうなれる』ように。
これからも母を見上げながら自分を咲かせ、誇れるようになろう、生きてみよう。
心を覆っていた不安が消えていくのを感じながら、母の手を強く握りしめていく。
「お母さん、ありが……」
私の言葉を遮るように、母のお腹から「ぐぅぅ」と音が響いた。
慌てて私から手を外し、自分のお腹に当てた母の顔は真っ赤に染まっている。
「あの、これはですね。『ご飯を食べに行こうよ法案』が先ほど私の中で可決されてですね……」
次第に小さくなる声で語られるのは、いつも通りの母の言葉。
先程までの態度の違いに、こらえきれず私は吹き出してしまう。
ならば私もいつも通りに。
でもちょっとだけ、『ありがとう』を込めて答えよう。
「いいよ、その法案は満場一致で。何が食べたい?」
「わー、私が決めていいの? えっと、えっとね!」
「あ、でも鳥日和は夜からしか営業していないからね」
「あ、そっか。うんとね、じゃあ……」
子供のように無邪気な笑顔をみせ、母が手を伸ばしてきた。
そっと握り返し、私は顔を上げる。
どこまでも続く快晴の空の下、私たちは互いの温かさを知りながら歩きはじめていく。
そうしてこれからも続くのは。
こんな私たちのとてもにぎやかな、とてもいとおしい日々に違いない。
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😆←きっとこんな感じ。
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母娘の物語、楽しんでくださり&お読みいただきありがとうございました!!
とは様こんばんは!
そしてマ” ンバという文字。
誰もがまさか弁当の!そして海苔で書かれた文字に辿り着くとは思わない事でしょう!
そんな話ではあるのですがそれはとても温かい話でございました!
母親の愛情の籠った弁当のとても温かく素敵な話。
ありがとうございました!
感想ありがとうございます!
いや~、普通日常においてこんな単語出てきませんからね。
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ほっこりじんわりを少しでも感じていてくれたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました!