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あなたこそがヒーロー
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『ヒーロー』
それはみずからの危険もいとわず、助けようとする存在。
「……ひーちゃん。ここは私に任せて、あなたは家に戻りなさい」
力強い母の声が、春先の夕暮れの街に吸い込まれていく。
「でっ、でも……」
いつもとは違う母に、震え声で私は返事をする。
『ヒーロー』
それは自らを守るすべを知らない、弱者に手を差し伸べる存在。
「よく聞いて、ひーちゃん。あなたは焦らずに、この場から去りなさい。急に走ったり、スマホを取り出すのはもってのほかよ。相手に気づかれたら最後、あなたが狙われることになる。それでは私の行動に、むしろ制限がかかることになるの」
それは分かっているのだ。
私だって、足手まといになんてなりたくない。
隣にいた母が前へ一歩、踏み出したのを見守るように、自分も目線を前へと向けていく。
私達の数メートル前には、ニヤニヤとした顔を隠そうともしない男が二人。
一人は無造作に伸びた金髪をオールバックにした、体格のいい20代後半くらいの男。
そしてもう一人は栗色の髪のマッシュ風ショートの男だ。
共にスマホを手に握り、周りを必要以上に見渡している。
その姿はまるで獲物を探す二匹の獣のようだ。
「……今よ。しばらくは後ろを振り返らずに、走らずにそのまま歩いて行きなさい。大丈夫、お母さんはあなたを守るヒーローなんだから」
振り返ることもなく、母は男たちに向かって歩いて行く。
その様子に気付いた男二人は、母を見てにやりと笑った。
二人が母に意識を向けたのをきっかけに、私はくるりと背を向ける。
足早にならないようにと意識しながら、元来た道を戻り始めていく。
――良かったのだろうか?
本当にこれで、良かったのだろうか?
緩やかな曲がり角を通り過ぎて、彼らから見えない場所にたどり着く。
ようやくそこで小さく息をつき、私は自身へと問いかけていた。
仕方ないじゃない! あそこに私がいたって、出来ることはない。
だからこそ母は、私を逃がしてくれたのだから。
――じゃあ、母は?
母だけに任せて、自分が良ければそれでいいの?
私の足がピタリと止まる。
「……そんなのいいわけがないっ!」
あんなこわがりで、どうしようもなく不器用で。
いつも失敗ばかりしては、私に泣きついてばかりの人。
それなのにこんな時は、自分のことよりも娘のことばかり考えて。
振り返った私は駆け出す。
……逃げない!
そう、私だって!
「私だってお母さんのヒーローにっ……!」
飛び込むように進んだ曲がり角の先。
その光景は、私の予想を遥かに超えるものだった。
「あっ! ひーちゃん、ちょうど良かった! 手伝ってよ!」
外国人男性二人にギュッと挟まれた母は、満面の笑みで私を見つめてくる。
そんな彼ら三人は精一杯、腕を伸ばしスマホのシャッターを押そうとしていた。
「クラム! チャダ! この子は私の娘なの~! ひーちゃんよ、よろしくね! というわけでひーちゃん、写真撮って~!」
◇◇◇◇◇
「いや、これ美味しいわ~」
流暢な日本語で、クラムさんはつくねを豪快にほおばる。
さらりと揺れる栗色の髪を耳にかきあげ、こちらへと微笑むその姿。
彫りの深い整った目鼻立ちは、異性と話すことがあまりない自分には、なかなかに刺激的である。
すっかり意気投合した母は、彼らを『鳥日和』へと連れてきていた。
「そうでしょ! ここのつくねは軟骨が入っているから、食感もワンダフルなのよ!」
「うん、これはとてもいい歯ごたえですよ!」
母の言葉に返事をするのは、クラムさんの隣に座るチャダさんだ。
目をキラキラと輝かせ、感無量といった様子でつくねをほおばっている。
この人も同様に、日本語を使いこなしている。
「なんかね、隠し味にマヨネーズをインしているって聞いたわ! だから柔らかくて噛みしめると、じゅわ~ってなるんですって!」
はふはふと、こうばしい匂いをさせているネギマをほおばり、母が解説をしている。
彼ら二人は、アメリカ人と日本人のハーフだそうだ。
それを意識してか、ちょくちょく無意味なところで母は英単語を挟んでくる。
こんなことなら、最初から普通に接しておけばよかった。
楽しく会話をしている三人を見つめ、私はため息をつく。
そう。
私は英語が苦手であり、外国の人に話しかけられるのに大変な抵抗がある。
彼らを見て、怖がってしまい動きが止まった私に気づいた母は、だからこそあの行動を取ったというわけだ。
それにしても。
「いや~、こうやって綺麗な人たちと一緒に食べるご飯は美味しいですねぇ」
「そうそう、娘さん大学生でしたっけ? 姉妹に見えるくらいですよ~」
お世辞と分かっていても、褒められると嬉しいものだ。
頬を染めうつむく私の隣で、母はけらけらと笑いながら二人へと話し始める。
「もー、クラムもチャダも! そんなティーレントしてもだめよぉ」
「ティー、レント?、あぁ! 茶化すですかぁ! そう来るのかぁ!」
母の言葉に、彼ら二人は大笑いをしている。
……そうなのだ。
言うまでもなく、母は私に輪をかけて英語が苦手である。
彼女から繰り出されるトンデモ英語を、二人は先程から随分と楽しんでいる様子だ。
そんな彼らの日本語の読解力に驚きながら、私は小皿で付いてきていた卵黄をつくねに絡めて、パクリと口にする。
うん、やっぱここのつくねは最高だ。
外側はカリッとしているのに、中はふわりとした優しい食感。
甘辛いタレと卵黄が合わさったことによる、まろやかな味わいが私の口の中に喜びを伝えてくる。
思わず一人でニンマリと笑みをこぼし、カウンターの向こうで黙々と仕事をしている店長へと目を向けた。
ちなみに店長は母に言わせると、『ショップボス』と呼ぶらしい。
……無茶苦茶だ。
視線を、ワイワイ騒いでいる三人へと移していく。
初対面にも関わらず、こうしてすっかり打ち解けているのはすごいと思う。
母はいつもそうだ。
へらりと笑って、あっという間に人の心の中に入っていく。
そうして皆の心をつなぎ、共に笑いあっているのだ。
ショップボ、……間違えた。
いつも表情一つ変えず、淡々と焼き仕事をしている店長を眺める。
彼もごくまれに、母を見るときの目尻が下がっているのを私は知っているのだ。
こんな事が出来る彼女は、確かにヒーローかもしれない。
「きゃー」という聞き覚えのある声が店に響く。
そこには肩の部分にタレがついてしまい、しょんぼりしている母と、おしぼりを持ちながらオロオロしているクラムさんたちの姿があった。
「ひーちゃん、お気に入りの服が汚れちゃったぁ。ううぅ~」
がばりと抱き着いてくる母の背中をなでながら、いつも通りに来るのはため息と疲れ。
この人は私にとっては、ヒーローだけではなく疲れを呼ぶ『疲労』なのかもしれない。
でも、それでもこの時間を、この瞬間を。
――私は、嫌いになれないのだ。
それはみずからの危険もいとわず、助けようとする存在。
「……ひーちゃん。ここは私に任せて、あなたは家に戻りなさい」
力強い母の声が、春先の夕暮れの街に吸い込まれていく。
「でっ、でも……」
いつもとは違う母に、震え声で私は返事をする。
『ヒーロー』
それは自らを守るすべを知らない、弱者に手を差し伸べる存在。
「よく聞いて、ひーちゃん。あなたは焦らずに、この場から去りなさい。急に走ったり、スマホを取り出すのはもってのほかよ。相手に気づかれたら最後、あなたが狙われることになる。それでは私の行動に、むしろ制限がかかることになるの」
それは分かっているのだ。
私だって、足手まといになんてなりたくない。
隣にいた母が前へ一歩、踏み出したのを見守るように、自分も目線を前へと向けていく。
私達の数メートル前には、ニヤニヤとした顔を隠そうともしない男が二人。
一人は無造作に伸びた金髪をオールバックにした、体格のいい20代後半くらいの男。
そしてもう一人は栗色の髪のマッシュ風ショートの男だ。
共にスマホを手に握り、周りを必要以上に見渡している。
その姿はまるで獲物を探す二匹の獣のようだ。
「……今よ。しばらくは後ろを振り返らずに、走らずにそのまま歩いて行きなさい。大丈夫、お母さんはあなたを守るヒーローなんだから」
振り返ることもなく、母は男たちに向かって歩いて行く。
その様子に気付いた男二人は、母を見てにやりと笑った。
二人が母に意識を向けたのをきっかけに、私はくるりと背を向ける。
足早にならないようにと意識しながら、元来た道を戻り始めていく。
――良かったのだろうか?
本当にこれで、良かったのだろうか?
緩やかな曲がり角を通り過ぎて、彼らから見えない場所にたどり着く。
ようやくそこで小さく息をつき、私は自身へと問いかけていた。
仕方ないじゃない! あそこに私がいたって、出来ることはない。
だからこそ母は、私を逃がしてくれたのだから。
――じゃあ、母は?
母だけに任せて、自分が良ければそれでいいの?
私の足がピタリと止まる。
「……そんなのいいわけがないっ!」
あんなこわがりで、どうしようもなく不器用で。
いつも失敗ばかりしては、私に泣きついてばかりの人。
それなのにこんな時は、自分のことよりも娘のことばかり考えて。
振り返った私は駆け出す。
……逃げない!
そう、私だって!
「私だってお母さんのヒーローにっ……!」
飛び込むように進んだ曲がり角の先。
その光景は、私の予想を遥かに超えるものだった。
「あっ! ひーちゃん、ちょうど良かった! 手伝ってよ!」
外国人男性二人にギュッと挟まれた母は、満面の笑みで私を見つめてくる。
そんな彼ら三人は精一杯、腕を伸ばしスマホのシャッターを押そうとしていた。
「クラム! チャダ! この子は私の娘なの~! ひーちゃんよ、よろしくね! というわけでひーちゃん、写真撮って~!」
◇◇◇◇◇
「いや、これ美味しいわ~」
流暢な日本語で、クラムさんはつくねを豪快にほおばる。
さらりと揺れる栗色の髪を耳にかきあげ、こちらへと微笑むその姿。
彫りの深い整った目鼻立ちは、異性と話すことがあまりない自分には、なかなかに刺激的である。
すっかり意気投合した母は、彼らを『鳥日和』へと連れてきていた。
「そうでしょ! ここのつくねは軟骨が入っているから、食感もワンダフルなのよ!」
「うん、これはとてもいい歯ごたえですよ!」
母の言葉に返事をするのは、クラムさんの隣に座るチャダさんだ。
目をキラキラと輝かせ、感無量といった様子でつくねをほおばっている。
この人も同様に、日本語を使いこなしている。
「なんかね、隠し味にマヨネーズをインしているって聞いたわ! だから柔らかくて噛みしめると、じゅわ~ってなるんですって!」
はふはふと、こうばしい匂いをさせているネギマをほおばり、母が解説をしている。
彼ら二人は、アメリカ人と日本人のハーフだそうだ。
それを意識してか、ちょくちょく無意味なところで母は英単語を挟んでくる。
こんなことなら、最初から普通に接しておけばよかった。
楽しく会話をしている三人を見つめ、私はため息をつく。
そう。
私は英語が苦手であり、外国の人に話しかけられるのに大変な抵抗がある。
彼らを見て、怖がってしまい動きが止まった私に気づいた母は、だからこそあの行動を取ったというわけだ。
それにしても。
「いや~、こうやって綺麗な人たちと一緒に食べるご飯は美味しいですねぇ」
「そうそう、娘さん大学生でしたっけ? 姉妹に見えるくらいですよ~」
お世辞と分かっていても、褒められると嬉しいものだ。
頬を染めうつむく私の隣で、母はけらけらと笑いながら二人へと話し始める。
「もー、クラムもチャダも! そんなティーレントしてもだめよぉ」
「ティー、レント?、あぁ! 茶化すですかぁ! そう来るのかぁ!」
母の言葉に、彼ら二人は大笑いをしている。
……そうなのだ。
言うまでもなく、母は私に輪をかけて英語が苦手である。
彼女から繰り出されるトンデモ英語を、二人は先程から随分と楽しんでいる様子だ。
そんな彼らの日本語の読解力に驚きながら、私は小皿で付いてきていた卵黄をつくねに絡めて、パクリと口にする。
うん、やっぱここのつくねは最高だ。
外側はカリッとしているのに、中はふわりとした優しい食感。
甘辛いタレと卵黄が合わさったことによる、まろやかな味わいが私の口の中に喜びを伝えてくる。
思わず一人でニンマリと笑みをこぼし、カウンターの向こうで黙々と仕事をしている店長へと目を向けた。
ちなみに店長は母に言わせると、『ショップボス』と呼ぶらしい。
……無茶苦茶だ。
視線を、ワイワイ騒いでいる三人へと移していく。
初対面にも関わらず、こうしてすっかり打ち解けているのはすごいと思う。
母はいつもそうだ。
へらりと笑って、あっという間に人の心の中に入っていく。
そうして皆の心をつなぎ、共に笑いあっているのだ。
ショップボ、……間違えた。
いつも表情一つ変えず、淡々と焼き仕事をしている店長を眺める。
彼もごくまれに、母を見るときの目尻が下がっているのを私は知っているのだ。
こんな事が出来る彼女は、確かにヒーローかもしれない。
「きゃー」という聞き覚えのある声が店に響く。
そこには肩の部分にタレがついてしまい、しょんぼりしている母と、おしぼりを持ちながらオロオロしているクラムさんたちの姿があった。
「ひーちゃん、お気に入りの服が汚れちゃったぁ。ううぅ~」
がばりと抱き着いてくる母の背中をなでながら、いつも通りに来るのはため息と疲れ。
この人は私にとっては、ヒーローだけではなく疲れを呼ぶ『疲労』なのかもしれない。
でも、それでもこの時間を、この瞬間を。
――私は、嫌いになれないのだ。
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