クロとシロと、時々ギン

田古みゆう

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クロとシロ(3)

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 鏡の前で身だしなみを整えた後、いつものように鞄の中を確認して――。

「あれ、ない……!?」

 化粧ポーチの中に入れていたはずのリップクリームがない。慌ててあちこち探しまわるが見つからない。

「嘘でしょ……!? どこいったの!? まさか落とした!?」

 焦りながらもう一度確認するが、やはりどこにもない。

「最悪……」

 思わず項垂れる。今日は朝からずっとバタバタしていた。きっとどこかで落としてしまったに違いない。

「はぁ……しょうがない、諦めるか」

 私は小さく溜息をついて、バッグを持ち直した。鞄からスマホを取り出して時間を確認する。

「あっ、もうこんな時間!? 急がなくちゃ!! まだあると良いけど……」

 時計の表示は、定時を一分過ぎていた。

 カツカツとヒール音を響かせながら足早に会社を出ると、夕焼け空が広がっていた。ビル群の隙間に覗く茜色の太陽が眩しい。

 大きく伸びをして深呼吸する。仕事で疲れたときは、こうして気分転換することも大事だとシロ先輩に教えてもらった。

 シロ先輩とは入社以来ずっと組んで仕事をしている。彼は私のことを「クロ」と呼ぶ。その呼び方は出会った頃から変わらない。最初はその呼び名に違和感があったはずだが、いつの間にか違和感さえ感じないほどに、私の中にも、周りにも定着した。

 初めて会った時の印象はよく覚えていない。ただ、ガサツそうな人だと思ったことだけは確かだ。

 配属されたばかりの頃は、よく怒られた。私が悪いというわけではないと思うこともしばしばあった。たぶん、コンビとしてうまく噛み合っていなかったのだろう。でも、そんな日々も今では懐かしいと思えるほどに、私たちは二人で円滑に仕事がこなせるようになった。

「まぁ、先輩のほうは、今でもあんまり仕事熱心じゃないけどね~」

 つい独り言が口をついて出て、笑みがこぼれてしまう。

 シロ先輩は仕事に対する熱意というものがあまり無い。けれど、それがコンビを組む私にはちょうどいい。

 実際、シロ先輩は仕事が出来ないわけではない。むしろ要領はいいし、手先も器用。仕事を任せられれば、それなりにこなす。

 それなのに何故、やる気が無いのかと聞いてみたことがある。すると、シロ先輩はあっさりとこう答えたのだ。

『だって、俺に期待されてる役割ってそういうことじゃねぇもん』

 シロ先輩の言葉を要約すれば、『俺は自分のやりたいようにやるだけで、他人からの期待に応えるようなことはしない』ということだった。
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