桜の木に背を預けて

田古みゆう

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――もっと近づきたい。

 そんな衝動が沸き起こる。僕は自分の中の欲望を抑えることが出来ず、言葉よりも先に足を踏み出そうとした。だが、それよりも先に彼女が口を開いた。

「ごめんなさいね。これから会議があるの。だから、もし急ぎでないのなら、また今度来てもらえると嬉しいんだけど、どうかしら?」

 優しく諭すような口調で彼女は言う。しかし、その声音とは裏腹に、彼女は僕に対して警戒心を抱いているようだった。

――そうだ。いきなり知らない男が来たら誰だって驚くし、怖いに決まってる。

 彼女の態度を見て、僕はようやく冷静さを取り戻した。

――もう少しで迷惑をかけるところだった。危なかった。

 彼女に会えたことで、僕はすっかり舞い上がっていたようだ。反省しながら、彼女に頭を下げる。

「すみません。急に押しかけて……。あの、東雲先輩に話があります。朝、あなたがいた桜の木の下で待ってます。会議が終わってからでいいので来てください」

 それだけ伝えると、僕はペコリと頭を下げその場を離れるため歩き出した。

「ちょっと待って」

 背後から呼び止められ振り返ると、彼女が困った顔で立っていた。

――皆の前で声をかけてしまったから、公開告白のようで迷惑だっただろうか?

 咄嗟に口にしてしまったことを少し後悔し、不安になる。しかし、彼女の口から発せられたのは意外な言葉だった。

「私、今日は桜の木になんて行っていないわよ。誰かと間違えてるんじゃないかしら?」

 僕は一瞬、頭が真っ白になった。それから徐々に思考が追いついてくる。そして、今度は血の気が引いていくのを感じた。

――どういうことだ? 僕は確かにあの桜の木に寄りかかる彼女をこの目で見たのに。それなのに、彼女はそんなところには行っていないと言う。これは一体……。

 混乱する僕の目の前で、彼女は申し訳なさそうに「それじゃあ」と言うと、そそくさと部屋の中へ戻っていった。その後ろ姿を呆然と見つめる。

――確かに桜の木の下にいたはずなのに。あれも夢だったというのか……。

 僕は、彼女の後ろ姿が消えた後もしばらくその場に立ち尽くしていた。僕と彼女の間には、教室のドアなんて薄い物じゃなくて、もっと分厚い見えない壁が立ち塞がっているように感じられた。どれだけ手を伸ばしても届かない。それが酷く悲しかった。

 僕はふと我に返り、踵を返す。

――帰ろう。

 そう思って歩き出したのだが、足取りが重い。まるで、鉛でもついているかのようだ。
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