ホンネ

山神 慧

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ソクバク

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玄関のドアを開ける。
────おかえりなさい!
普段なら両手を広げて出迎えてくれる。でも今日は違った。彼の姿は見えない。薄暗い部屋に吸い込まれるように入ると、彼は小さくうずくまっていた。微かな嗚咽に異変を感じ、明かりをつける。机上を一瞥し、徐に小さな巨体へ足を向ける。
「どうしたの?」
私の声に、目の前の男は小さく跳ねた。
「顔、あげて?」
男は頭をふり、一層小さくなった。私の目には何も映らない。
「──さい。」
「ん?なに?」
私の返事は、あまりにも不自然だ。
「──めんなさい。」
相変わらず聞き取りずらい。こういうとき──目の前で恋人が泣いている時、多くの人間はもっと動揺し、理由を聞き、慰めるのだろう。私にはどうも向いていない。理解出来ない感情を、どう理解するというのか。
「どうして謝るの?」
「──さい。」
埒が明かない。
「何かあったの?」
男はやっと顔をあげた。随分長いこと泣いていたのだろう。目だけでなく、唇まで腫れている。
「ん?」
こういうとき、彼は私の顔に何を思うのだろう。優しい恋人としてみるのか、感情の無いヒトとしてみるのか。
「僕、君がいないと、生きていけない。」
この言葉には、流石に虚をつかれた。
「どうしたの?」
「僕、君がいないと、生きていけない。」
混乱、恐怖、懇願、幾つかの感情に翻弄されているようだ。腕には真新しい傷がいくつかつけられていた。薬も多量に飲んでいる。彼を襲ったものの正体が少しずつ顕になる。
「帰ってくるの遅かったから、不安になっちゃった?」
その頭を抱き寄せ、癖毛に指を絡ませた。
「ごめんなさい。」
男の腕は、私の腰をまわり、不安げにしがみついてくる。
「私も、連絡出来なくてごめんね?スマホの充電切れちゃってて。」
「──。」
腕が強く締まる。それに答えるように、私もきつく締め付けた。暫くの沈黙の後、私はゆっくりと力を緩めた。
「顔、見せて?」
また涙が浮かんでいる。それを拭いながら、私は残酷な吐露をはじめた。
「嬉しいよ。貴方にそうやって思って貰えて。私のせいで不安になって、こんなに薬飲んで、こんなに自分を傷付けて、全部私のせい?」
彼も同様に、私のことなど到底理解できない。ただ、この恍惚としているのであろう表情に私の言葉を信じている。だからこそ、彼は不安げな顔を浮かべるのだ。
「迷惑じゃ、、ないの?」
「嬉しい。ありがとう。凄く嬉しいよ。」
目の前の男は、顔をゆがめ、大粒の涙を流す。
「かわいい。凄くかわいい。私のせいで歪めてる顔、もっと見せて?──ほんと、愛おしい。愛してるよ。この傷も、全部、愛してる。」
時々、彼は発作の如く不安にかられ、このような事を犯す。前は、首吊り未遂だったか。
一層愛おしさが込み上げ、私は彼の唇に自分のそれを重ねた。水音が静かな部屋に響く。
「よか……た…きらい……ならない?」
「そんなわけ……かわい……愛してる……愛してる……。」
私の愛情も随分歪んでいるのだろう。しかし、彼はこうやってやると、素直に喜ぶのだ。その姿がまた、、いじらしい。
「僕……君じゃなきゃ……生きてけ……な……嫌いにならない……で、僕…死んじゃ……」
「嫌いになんか…ならない……愛してる……ずっと……永遠に……」
彼がこうなる度、私はこうして彼を依存させていく。私が居ないとダメなのだと、自己肯定感の低い彼は簡単に思い込んでくれる。実際、私が居なくても彼は対して生活に困る訳では無い。ただ、拠り所がなくなるだけ。それが彼にとっては、存在意義が無くなることと同義なのだ。いや、私がそうしたのだ。
「んね……しよ?」
潤んだ瞳でじっと見つめてくる。この状態になった彼は少々つまらない。
「帰ってきたばかりでお風呂もまだだし、貴方もまだ血が滲んできてる。それにもう一時間もすれば副作用がでてくるでしょ?その量なら大したことないでしょうけど、ゆっくりしましょう。」
机上を指し、窘めるように言う。物欲しそうな彼を押しのけ、風呂場へと向かった。別に身体を求められたいのではない、私の為に死ぬほどに苦しんでる姿が可愛いのだ。今までの男より、彼は従順で素直。口煩くなるわけでも、他の女の所に行く訳でもない。自分の中に溜め込み、時々ああやって爆発する。まさに私の理想の相手。ほんとうは家に閉じ込めたいが、自給スキルの不足が足枷になられると困る。
「まあ、そう何もかも都合が良くなるなんて、ありえないわよね。」


流石にあの状態の人間を長時間放置する訳にはいかない。私はすぐに風呂をすませた。
「ただいま。体調は?どう?」
「んんー?げんきだよお?」
どうやら彼は以前からこのような事はしていたようで、気持ち良くなる飲み方を知っている。体調によって左右されるはずなのだが、毎回必ずこうなるのだ。
「はいはい。こっちおいで。」
大型の犬は、ソファに座る私の足の間に入り込んだ。背中に手をまわし、下から顔を見上げてくる。
「きみはぼくのことすきー?」
「うん、好きだよ。」
「ぼくもだいすきー」
ふにゃりと笑う彼は器用に転がってしまった。薬で壊れたこの状態も嫌いじゃない。
「今日は、何かあったの?」
「きみが、おとこのひとといっしょにいた。」
そういう事か。休憩時間が被った同僚と二人でファミレスに行った。それを偶然見たのだろう。その後に音信不通になり帰りも遅い。だから妙に意味あり気な様子だったのだ。
「そっか、あの人はただの同僚よ。不安にさせてごめんね。私の一番は貴方だから。」
多少の罪悪感に襲われ、頭をそっと抱きしめる。
「ぼくには、きみしかいないの。」
「知ってる。」
「きみだけが、ぼくのすべてなの。」
「知ってるわ。」
「ぼくはきみのもの。きみもぼくのもの。」
「勿論よ。」
「んんー。」
胸に顔を擦り寄せて来る姿は本当に犬のようだ。
「ねえねえねえ。」
「どうしたの?」


「きみはいつになったら、ぼくのことをころしてくれるの?」
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