ナチスのお札

ぺしみん

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 そもそもの始まりは、小学四年生にもかかわらず、月に五千円もお小遣いをもらっている那智君が「お札ノート」という物を購入したことだった。だいたい彼は突っ込みどころ満載な人物だけれど、まずは五千円という金額が大きすぎる。
 僕は十歳という年齢を理由に、月に小遣いを千円貰っている。つまり十歳×百円ということなのだが、なんでそうなったのかはよく分からない。まあ、母親がそう決めたので従うしかないのだが、この調子で行くと二十歳になっても月に二千円しか貰えない計算になる。さすがにそれはないと思うし、二十歳になれば自分でアルバイトもしているだろう。
 それはいいとして、月に千円というのはよほど節約しないとあっという間になくなってしまう金額だ。一ヶ月、三十日に分割したら、日に三十三円しか使えない。思い切って漫画の本でも買ってしまうと、次の小遣いの日までひもじい思いをする。
 とは言うものの、お金はないなりに小学生は楽しく過ごせるものだし、少ないからこそ大切に使う喜びがあるものだ。そういう認識を育てるためにも母親は僕に千円しかくれないのだろう。そういうことにしておきたい。だいたい僕にしても、クラスの平均値から見ればお小遣いは多いほうだ。なかには毎日十円貰っている友達もいる。日払いというところに少し魅力を感じるけれど、さすがに少ないと思う。月にすれば約三百円だ。名前を言ってしまうが彼は遠野君といって五人兄弟の長男だ。父親はアル中で無職。母親がパートで家計を支えている。こういう場合、なにか物語だったら貧乏の反面、成績が良かったり運動ができたり、容姿が美しかったりするものだけれど、遠野君はまったく違う。成績は悪いし運動もできないし、栄養が足りないせいか貧相な体格で、クラスではみそっかすというポジションだ。今の時代にこれほど貧しさというものを体現している彼は、貴重な存在ともいえる。
 分かっています。とてもひどいことを言っていることは分かっています。でも僕は遠野君と非常に仲がよいのです。だからここまで言えるのだけれど、さすがにちょっと言い過ぎた気もする。それはのちのちフォローしていきたいと思う。
 問題の那智君は、みんなにナチスと呼ばれている。短絡的でひどいあだ名だけれど、当の本人は大して気にしていない。むしろなんとなくかっこいい響きだから気に入っているきらいがある。そのことからも分かるように、那智君はそんなに理知的ではないけれど、お金持ちの子供特有のおおらかさを持っていて、なかなか好感が持てる人物だ。その豊富な資金源でゲームソフトや漫画を購入して、気軽に友達に貸してくれる。だから割と人気がある。
 僕もその恩恵にあずかっている。ただし貧乏な遠野君は貸してもらえない。そういう悲しい差別は確かにある。だいたい遠野君はゲームの本体を持っていないので、ソフトだけ借りても意味がないという理由もある。まあ、那智君にゲームを借りて、僕の家で遠野君と遊ぶことはよくあるから、結果的には変わらないのだ。
 その那智君が「お札ノート」というものを購入した。それは小さな三十枚つづりのメモ帳で、その一枚一枚にまるで本物のお札のように絵柄と金額がプリントされている。金額は10000萬と5000萬と1000萬の三種類。ずいぶん豪気な金額だが、恐らく製造したメーカーが「円」という文字を使うわけにはいかなくて、「円」を「萬」に置き換えたのだと思う。三十枚のうち、二枚が10000萬、三枚が5000萬、残りの二十五枚が1000萬になっていて、ちゃんと価値体系を考えてあるのが妙にリアルだ。
 那智君は別に意図もなくお札ノートを購入した。額面は豪気だけれど、一冊三百円のメモ帳だ。だけど三百円という金額は僕ら小学四年生が、単なる文房具に出せる金額ではない。それはある意味、那智君にしかできない買い物だった。そして恐ろしいことに、いや、面白いことかもしれないけれど、そのお札ノートが、クラスの中で本物のお札のように流通しはじめたのだった。

 小学生のクラスというものは、かなり限定された世界で、それは少ないお小遣いをいかに有効に使うかということに通ずるものがある。最近僕は、刑務所の受刑者をコメディタッチで描いた映画を見たのだけれど、それがかなり僕らの生活に近いと思った。きびしく管理されている社会でも、人は許された範囲でなんとか楽しもうとする。管理されればされるほど「飢え」のようなものが生まれて「欲」がむき出しになる。それをうまく抑えるために「工夫」をすることになる。その涙ぐましい努力が笑いをさそう。でも本人たちは必死というか、本気なのだ。
 僕が見た映画は、日本の刑務所が舞台だったけれど、甘い物を筆頭に食事関係の話が多かった。チョコレートの夢をみる受刑者たち。ご飯の盛りの具合一つで殴り合いの喧嘩がはじまる。これはまったく僕のクラスと同じだ。ただし、男子の、ごく一部の人間に限った話だが。具体的に言うと、僕と遠野君は給食をいかに多く食べるか、いかに「おかわり」を獲得するかに情熱をかけている。
 遠野君は普通に飢えているので当然だけれど、なぜか僕も給食をたくさん食べたい。遠野君のことを考えれば、そこは譲ってあげるべきだと思う。しかも親友なのに。
 しかしそれとこれとは話が別、なのである。なぜなら、ここは刑務所、ではなくて小学校のクラスだからだ。僕、そしてその他男子の数人も、家に帰れば普通においしい食事にありつける。でもなぜか給食がおいしくてたまらない。人よりたくさん食べたい。ジャンケンに勝って、牛乳の二本目を手に入れたい。
 学校の給食は、よくよく考えればあまりおいしくない。というか不味い物も多い。家の夕飯でグリーンピースご飯なんて出たら、親に怒られても残すだろう。僕は豆が好きではない。でも給食となると、どうしても「おかわり」せずにいられない。
 いただきますの掛け声と同時に、味わう暇もなくグリーンピースご飯の一杯目を、それこそ飲み込むように食べきる。そして、走ると怒られるので、まるで競歩のような感じで、ご飯の入ったケースの前に突進する。このとき遠野君とデッドヒートを繰り広げることが多い。そういえば「競歩」という競技が何故あるのか、常々疑問に思っていたけれど、それはたぶん「走ると怒られる」からではないだろうか。なにか歴史のなかで「走ると怒られる」状況があったに違いない。それで生まれた競技なのだろう。
 食事に関して刑務所と僕のクラスが違うのは、がんばれば「おかわり」できるということだ。もし刑務所でそれをやったら問題の種になるのは間違いない。幸いなことに? 僕のクラスは刑務所ほどきびしくないので、食べたい人はどうぞ、ということになっている。どうぞ、と言われても、給食はバイキングでは無いので、残り物を早い者勝ちで、ということになる。
 ここがポイントで、食べたいということに、勝ちたいという意味が加わってくるのだ。そして不思議なことにその環境の下では、僕はグリーンピースご飯がとてもおいしく感じられる。一杯目は飲みこんだので味が分からない。勝ち取った二杯目をようやくゆっくりと食べる時の満足感といったらない。いや、安心感といったほうがいいかもしれない。負けたときは、苦しいだけの一人フードファイトだ。給食の時間に天国と地獄がある。

 つい給食の話に力が入ってしまったけれど、つまりはそういうわけで、小学校のクラスには刑務所ばりの限定された世界がある。ようやく本題に入れるのだけれど、那智君がクラスになぜ「お札ノート」を持ち込めたのか。そしてそれがなぜ流通したのか。これもその限定ということが、非常に深く関わっている。
 刑務所では、定められている物以外の私物を持てない。受刑者は罰を受けているからだし、その私物が争いやその他の問題の原因になりやすい。小学校のクラスも同じで、僕らは勉強をする為に学校に来ているわけで、遊びに来ている訳ではない。だから原則として遊び道具は持ち込めない。もって来ていいのは勉強道具だけということになっている。これは逆に言うと、勉強道具と名が付けば、持ってきて良いと解釈することができる。どんな規則にも抜け道がある。
 ただの「お札」だったら、本物も含めて、当然持ってきてはいけない。ただし「ノート」という言葉がつくことで、それは文房具になる。これを発明した人はかなり小学生の世界に詳しい人だと思う。一度、本屋さんとかの文房具売り場に行けば分かると思うけれど、あきらかに不必要な機能が付いた文房具が、たくさん売られている。
 匂いのついた消しゴム、キラキラしているボールペン、壁に張り付く定規。こんなのは序の口だ。ロボットに変形する筆箱や、歩き出す鉛筆削りまである。これらはさすがにやりすぎで、学校に持っていっても文房具だとは認定されない可能性が高い。文房具メーカーはさまざまな駆け引きをしている。「法の網をかいくぐる」という表現がぴったりだ。一部の文房具メーカーは、実はアンダーグラウンドな世界に生きている。
 担任の先生の定める、クラス規則との駆け引きは当然重要だ。お上ににらまれたらおしまいである。もちろん、利用する小学生の心理を読む必要がある。リスクを犯しても、持ち込みたいと思わせる魅力ある商品を作るのか、リスクの少ない小さい稼ぎをするのか。リスクが少ない商品で儲けるならば、それはたぶん女子向けのちょっとかわいいとか、ちょっと面白い文房具だろう。山を当てるならば、男子向けの危ない商品を狙うしかない。かといってリスクが大きすぎると、誰も手を出さない。だいたい男子は本来、文房具なんかにお金を出さない。新たな客層を掴むためには、微妙なラインを読まなければならない。
 そういう意味で、「お札ノート」は完璧だった。あくまでノートです、と最後まで主張できる。普通に小さなノートとして使っている人も多いだろう。しかし小学生の目には「お札」に見える。クラスで流通してしまえば完全に「お札」になる。
 小学生のお小遣いは初めに言ったように、とても限られている。わざわざノートにお金を出す小学生は少ない。単なる「ノート」ならば親が教材としてお金を出してくれる。一方「お札ノート」にお金を出す親はまずいないだろう。遊び心があふれすぎているからだ。数少ないお金持ちの子供が買えて、全力を出せば、普通の子供も買える。それが三百円という金額だった。
 実際のところ文房具メーカーは、小学生の心理や、クラスの置かれた状況までは考えていなかったかもしれない。「お札ノート」を作ってみただけで、まさかそれが本物の「お札」のように流通する事は想定していなかった可能性もある。考えてみると、この「お札ノート」が商業的に成功したかどうかは疑問が残る。爆発的なヒットではなかったと思う。密かな人気商品、というレベルだろう。世間的にも特に、流行ったという印象は無かった。もしかしたら僕のクラスが珍しい例だったのかもしれない。ただ、僕のクラスにおいて、「お札ノート」が革命を起こしたのは間違いが無かった。
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