こんな嫁が欲しい!

書き煮ら

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ケース1

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 通勤災害という言葉がある。
 文字通り通勤途中に起こる災害である。
 詳細は各々で調べて欲しいが、簡単にいうと通勤中に怪我したらお金が発生するのだ。

 つまり、お金が発生する以上、通勤も仕事であり、この扉を超えた時点で仕事ということだ。

「はぁ」

 朝からため息はよろしくない。よろしくないが、察してほしい。
 世の流浪たちを何度羨ましく思ったことか。自分も剣の心を学ぶので働きたくないでござるよ。

 とまぁ、無駄な思考はこの辺に。

 特に意味はないが、既に整っているネクタイを摘み左右に再調整。

 ふむ、満足。

 特に意味はないが、大きく息を吸い

「しっ」

 短く息を吐き、一人頷き、ドアのぶに手を掛ける。
 捻り押し、一線から片足を出したとき、はたとやり残しに気付く。

 振り向き、ビジネス鞄を持った手を脇腹程度まで上げる。

「行ってくる」

 誰もいない玄関へ、おそらく起きてから一番の声を捻り出す。

 ふむ、行こうか。

 ドアの出っ張りに躓かぬよう、足元を見ながらドアのぶを押し込み

「ちょっと待ってー」

 ピタリと、止まる。
 少し遅れて、間隔の短い音が近付く。

 見下ろす先に現れたのは、手拭きタオルを持つ

 嫁だ

「なんで、先に行くのさー」

 自分だけにはわかる、怒ってるふり。

「いや、食器洗ってたし」

「それでも、待ってよ」

 口を尖らせているが、自分だけにはわかるぞ。

「いや、まぁ、そうか」

「そうだよ、まったく」

 腕を組んだからって、わかるんだぞ。

 結婚してから、このかた「行ってらっしゃい」を言うためだけに毎朝、玄関へ赴く嫁。
 果たしているだろうか、こんな嫁。いるならば是非挙手して欲しいものだ。
 まさに理想。まさに至宝。

「ごめんごめん、んじゃあ、行ってくる」

 内心とは裏腹に苦笑いし、手早く肘の内側に鞄を滑らせ、手刀を二つの意味で振る。

 別に気恥ずかしい訳ではない。
 ドアの開いた玄関で嫁にぷんぷんされるのがむず痒いだけだ。

 ふむ、さっさと行こうか。

「あ、ちょっとストップ」

「ん」

 条件反射的に振り向くと
 嫁が手招きしている。

 流石に行ってらっしゃいのあの時期は、とうに過ぎ去っている。
 流石にぷんぷんされるよりも恥ずかしい。
 流石にドアのぶから手を離す。

 招き嫁に対し、期待と待望を隠しきったポーカーフェイスで一歩。
 口をふにゃらせない為に固く閉じるのがポイントだ。
 鼻息はどーしようない。

「はい」

 望み通り招かれ、手拭きを渡される。

 流石に目の前で嗅ぐのは恥ずかしい。
 それに、ハンカチなら、嫁に選定され、嫁にアイロンをかけてもらい、嫁にポケットへいれてもらった。
 これ以上、愛を持っていけと言われても、困りはしないが、直接的な愛も欲しい。

「少し曲がってるよ」

 土間に落ちぬよう、前屈みに、その細腕を整っているはずのネクタイへ伸ばす。
 自分も嫁のやり易いように前屈みになる。直接匂いを嗅ぎたかったわけではない。決してない。

 そういえば、シャンプーが切れそうだった。
 同じフルーティーな香りのものを買ってこよう。

「よし」

 最後に大剣(表)部分を引き、満足する嫁。
 フルーティーな香りが離れて残念だが。

「はい、変なこと考えてないでシャキッとする」

「はっ、何だそれ」

 ポーカーフェイスには自信があるため、鼻で笑ってやる。
 そんな、腰に手を当てて快活な笑顔されたからって、揺るがないね。

「……」

 そんな、上目遣いされたからって。
 そんな、ニーッてされたからって。
 ニーッてされたからって。

「はいはい、シャキッとしっかり稼いできますよ」

「よろしい」

 ニーッはずるい。ニーッはずるいよ。
 活発系女子かよ。可愛いかよ。嫁かよ。

 こんな笑顔見せられたら、しっかり稼いで来ないとな。世の流浪を羨んでいた自分にコラって怒鳴りたいよ。

 とまぁ、無駄な思考はこの辺に。

 嫁に調整してもらったネクタイに

 ふむ、満足。

 手拭きをポケットにいれ、ドアのぶに手を掛け

「手拭き返して」

「おう、そうだった」

 目敏い嫁に手拭きを手渡し、頬にフレンチなキッスを受け取る。

「気を付けてね」

「お、おぅ」

 うちの嫁は最高である。
 こんなのされたら、色々とやる気がでるというものだ。

 ケチな事故で労働災害なんてだしてる場合じゃないな。
 今日はノー残業デーだ。
 五体満足、いや、六体満足でさっさと帰って来よう。

 ドアのぶを捻り押し、ビジネス鞄を持った手を肩より高く上げ、今日一番の笑顔で嫁のいる玄関へ。

「行ってくる」

「行ってらっしゃい」







 盛大にドアの出っ張りに躓いた。
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