我々が守る価値はその人類にはあるのか?

あろえみかん

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奇妙で安全な空間

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ここは・・・どこだ・・・?

 
色々な音が聞こえる。ただそれは体内に響いてくるような、聴覚で聴いている感覚とはまた違う何かだ。話し声のように聞こえる瞬間もあれば、ただの環境音のような瞬間もあり、それが何なのか、よくわからない。特に不快な訳ではないが、何かわからないものが自分の周りを取り囲むのはあまりいい気分ではない。例えそれが自分の命を脅かすものであったとしても、その正体を知っているかそうでないかは精神的な差が大きい。

俺は今二メートル四方程度の空間の中にいる。中を歩く事はできて、その面に触れる事も寝転がる事もできる。それは透過しているから中は明るいが、外が全て見えるほどの透明度はない。だが遠くに赤や青や白の何かが見えるような気がする。その壁はぷよぷよしていて指で突くと一瞬へこんですぐに戻る。この空間は暑くも冷たくもなく、適度な温度湿度が保たれていて、過ごしやすい。ただ、閉所だ。しかも周りの状況が何もわからない。ただ、ひと所にいるのではなく、この部屋と言うか空間と言うか、それごと移動しているようにも感じる。明るくなったり、暗くなったり、バウンスしたり、大きな音、小さな音、色々な音が響いたり、遠かったりするのは移動しているから、そう言われれば何となく腹落ちはする。変幻自在のこの空間は所により、へこんだり、伸びたり、縮んだりしているようだ。その度に俺の体も同じように変化し、程なくして何事もなかったかのように元に戻る。ぷよぷよとしていて、透明感がある。まるでクラゲのようだ。毒があるから本来はこんなに触る事は叶わないが、触れないそれはこんな感じだろうと思っていた。見ている分にも彼らが泳いでいる姿は伸びたり縮んだりしていた気がする。

命の危機を感じる訳ではないが、何とも奇妙だ。ただ、自分で脱出するにも何が何だかわからないのではどうにもならない。もう暫く、この方舟に乗って状況を確かめるしかないだろう。時折、楽しげな音楽のような、話し声のような、そんな何かが聞こえる。それは呼びかけられているような、そうでないような、不思議な感覚だ。
 
俺を包んでいるこの壁はすぐに再生するし、自分が出る程の穴を作る前に再生に巻き込まれて壁の一部になってしまいそうだ。一度指で穴を開けて拳を入れてみるも、二、三秒で再生した。穴を開けるのは予想通り無理そうだ。
 
とりあえず一度立ち上がってその場でぴょんと跳んでみた。もしかすると着地した瞬間に空間が切り替わるとか、底が抜けるとか、何かのスイッチが入るとかがあるかもしれないと思ったが、思った通りに思い違いだった。何も起こらない。これはここから出てどうこう、と言う線は無理そうだ。それからしばらくの間、ふと思いつくような方法を手当たり次第に色々と試してみたものの、その空間が姿を変える事も、何かヒントをくれたりする事もなかった。何もできずにもはやゴロゴロしていると、もういいかと言う気分にもなってきて、いつの間にか眠ってしまっていた。
 
「ぅうわぁ!」

恐ろしい夢を見た気がして、声を上げて飛び起きる。ただそこはうとうとと寝落ちする瞬間まで過ごしていた心地よい何かで出来ている空間の中だ。この中にいる限りは特に身の危険はない。よっぽど夢の方が攻撃的だった。とは言え、起きて仕舞えばそれが何だったか覚えていやしないが、飛び起きる程の衝撃だった事は確かだ。

改めてキョロキョロとしてみると、この中はシーンとしている。自分の声がこだまする事さえない。この空間の壁となっているぷよぷよしたものに吸音作用があるのかもしれない。叫んだって全然音が広がらない。それでも外からの音は時折聞こえてくる。微かにではあるものの、水が流れるような音や同じリズムで鳴る低い音。まるで心臓音のような、そんな音が遠くで鳴っている。それに耳をすませば心地よく落ち着く。ともすると、何かに食べられでもしてしまったのだろうか。かつて読んだ童話に鯨の腹の中で暮らすような話があったような気がする。いる訳もないのに、もしかしたらその童話のように先住民がいるかもしれない。そんなイタズラな考えが脳裏をよぎる。
 
「おーい。誰かいますか・・・?」
 
宛がある訳でもないが、とりあえず呼びかけてみる。何せ暇なのだ。それでも何の返事もないし、空間に変化が起きた様子もない。やはり先住民はいなさそうだった。とりあえず俺はここから出られないから、もしいたとしても交流は難しいが、それでも脱出方法は一緒に考える事ができたかもしれない。確かあの時は潮吹きの潮に乗って外に吹き出されたんだっけ・・・、そんな事を考えるとこんな場所にひとりでも少し楽しかった。

気を取り直して、改めて手の届く範囲を触ったり押したりしてみるものの、特に感触に変化が出たようにも思えない。ただ、気のせいだろうか。ほんの少しだけ空間が小さくなったような気がする。そもそも空間の伸縮でさえ主観によるものだから思い違いなのかもしれない。
 
何が何だかよくわからないままに周りを見渡すとやはり空間がまた少し小さくなっている。今度ばかりは間違いない。立ち上がって頭が天井につく事はなかったのに、今は真っ直ぐ立つと頭がぷにぷにに食い込んでしまう。両手も広げられたはずなのに今やそれも無理そうだ。どうやらこの箱は時間をきっかけに少しずつ縮んでいる。

「おおおおおおおおい。誰か聞こえますか・・・?」

改めているかわからない誰かに呼びかけてみる。まあわかってはいたが、何の反応もない。暇でしょうがない俺は壁を構成している何かにいっそ頭を突っ込んで呼びかけてみたのだが、特に取り立てて何か起こったりはしなさそうだ。それは口に入るでも、肌にべっとり張り付くでもなく、形をその時々で自在に変えているようだった。真綿でくるむように包まれる事はあっても、それに取り込まれて分解されるような事もなさそうだ。

そして気づけばまた空間は小さくなっている。中腰で手を曲げた状態で壁を触れる位だろうか。座ってしまえば特に気にならないが、もう立って何かをするのは無理そうだ。これは最後に俺を包み込んで爆発でもするのだろうか。それとも箱のように上がパーンと開くとか。

わからない。

何よりも不思議なのが、空間が狭まっているにも関わらず、何の不都合もないのだ。あらゆる欲求のその一つも必要でない。眠くも食べたくもない。なのに心は落ち着いて晴れやかだ。閉所が落ち着くと言うのはなくもないかもしれない。ただ眠りもせず、食べもしないのはよくわからない。暇である事にも慣れてそれに順応していた。

時間が過ぎている感覚はあるものの、それがどれ程なのかの見当もつかない。
 
喜怒哀楽の感情でさえ、どれも一瞬浮かぶものの、そのすぐ後にふわっと消える。そしてまた穏やかな時間に戻る。そしてまた空間は縮んでいる。まだゆったりと座る事はできるものの、それも時間の問題かもしれない。それでも心は穏やかだ。

これは一種の死へのプロセスなのだろうか。

それならそうと、死神とかお迎えとか、何かしら人外でもいるのではないかと思ってもう一度その場から呼びかけてみる。どうせ反応はないだろう。まあそれでもいい。俺はまた狭くなったもはや空間というよりも箱のような大きさのクラゲ様の物体に体を預ける。ぷよぷよしていて、寄っ掛かるのに気持ちいい。心も穏やかだし、何の欲求もない。ただ心地よい温度で、それに包まれている。これはこれで正解だ。
 
その空間はとうとう体育座りで座る位の大きさにまで小さくなった。全体的にぷよぷよとしているので体が当たった所で痛い訳ではない。そして小さくなればなるほどより精神的に落ち着く。体は折り畳んでいるのに、全然辛くない。ぼーっと待っていればその時を心安らかに迎えられる気がする。それは体にくっつく程にまで縮んでいて、それはそれで心地よかった。もう、このままでいいのかもしれない。

するとその声は聞こえた。はっきりとまるで脳みそに直接呼びかけられたような、絶対に聞き逃す事が出来ない、そんな呼びかけだった。
 
「衝撃に備えてください。」

唐突に聞こえたその言葉が消えると同時に意識が飛ぶ程の衝撃を受け、瞬間に体を包んでいた何かが弾け飛んだ。そしてふっと意識は途絶えた。
 
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