猫上司がパイを焼いてくれる最高の僕の居場所

あろえみかん

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クリスマスとミンスパイ

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なんやかんや働き始めると意外とちゃんとしていて、実は社員も50人近くいる会社だった。最初の方に強制連行されていたのは幹部クラスしか行けない事務所で場所は伏せられている。ともすると、人間界ではない・・・かもしれない。あまり頭を突っ込まないように気をつけはするものの、どうにもミーハーな僕はいつもその誘惑に負けてしまう。

最初に頭だと言っていたリョウスケは実質社長で会社に出て来る時は人間に化けている。ショコラもキナコも同様で、何度か見かけて答え合わせをしないと覚えられない程だった。ちなみにリョウスケは猫魈(ねこしょう)、ショコラは仙狸(せんり)、キナコは化け猫だそうな。その他、猫又や金華猫(きんかびょう)など、実は普通の社員の中にも紛れているらしい。幹部は皆猫で何かしらの妖怪、その頂点を極める猫魈(ねこしょう)は元々数がいないらしく、この会社ではリョウスケ以外に九州の支社長がそうなんだとか。頭脳明晰、人間界にも妖怪の界隈のどちらにも精通した知識やそれぞれに必要な人脈があり、その他の猫妖怪を率いている。ちなみに尻尾は3本あり、たまに少し邪魔そうにしているのが意外だ。シュシュで結んでいる事さえあり、側から見れば恵まれた選ばれし者でも、思いがけない悩みがあるものなのだなと地味な人間はデスクで考えたりしている。そのほかの仙狸(せんり)や金華猫(きんかびょう)はとにかく化けがうまい。だから会社の顔となる広報や営業などに多いらしく、見目麗しいものだ。猫又はおっとりとして尻尾が2本、化け猫はイタズラ好きで交戦的の尻尾1本。僕は経営戦略室所属で主に幹部猫様達の補佐が業務だから、一通りの講義を受けて簡単な知識は得たものの、とどのつまりはその猫次第だ。人間と一緒で、こうだからこう、みたいな縛りはあまり通用しない。たまにその通りだなと思う事はあっても、それは偶然に近い。ただ尻尾の数に関しては確実に違う。1本と2本と3本では全く違う。ここを間違うと明日はないと重々言い含められたので毎日肝に銘じているのだ。

そんな新米の僕が今日やってきたのは、別の部署。どうやら繁忙期に差し掛かるから、この時期はみんな総出で取り掛かるんだとか。これから年末まではこの部署で研修という名のヘルプ業務に就く事になったらしい。

イベントデリバリー部・・・。

イベントかあ。ハロウィンはもう終わったし、これからの時期だとクリスマスかな。

恐る恐るドアをノックすると声がしたから、そっとドアを開けて中を覗き込んでみると、中は散らかりに散らかっていて荷物が天井まで幾筋も積み上がっている。まるで砂漠の蟻塚のような、もしくはカッパドキアのような。いや、ただ単にあまりに散らかっているだけだ。まさかイベントとかじゃなく、ただの大掃除要員だったのか・・・?それもなくはない、そう思いながらも誰かいませんかと声をかけると奥から声がした。山を崩さないようにそろりそろりと先に進むと想像以上に部屋の奥は深く、これは間違いなく朝入ってきたビルとは違う。雇用主が妖怪だから、このような事はままあるものの、特に説明がないものだから毎度おっかなびっくりなのだ。とは言え慣れはするもので、気がついたから引き返すようなうぶな人間でもなくなっている。最初の日に夢現で聞こえた適合者の条件にこの状況適応能力は含まれている事だろう。僕だって何でこんなに受け入れられているのか不思議なくらいだ。今だって仕事をしなきゃ、と先に進んでいる。ある意味馬鹿正直で素直とも言えるのかもしれない。ただ逆にそうでないともしかすると彼らと仕事をする事は叶わないのかもしれない。あってもなくても、その存在を端から否定するようなら、それは見えないし無いに等しい。

もう5分は歩いている。この部屋・・・もしかして先に進めない部屋とか・・・?

それは勘弁だと思いながらも、仕方なく歩を進めると、何か柔らかいものを踏んだ。これはまずい・・・。もし誰かの尻尾なら今日の夕飯を食べる人生はもう来ない。誰かの夕飯にならなれるのかもしれないが・・・・。

「食べやせんよ。妖怪とて、猫は美食家が多いんじゃから。あんたがカイちゃんか?」
「す、すみません。あ、河野海斗です。今日からこちらをお手伝いするようにと仰せつかっています。あのこちらの責任者の方でいらっしゃいますか?」
「あぁ、そうじゃ。私の名は三田(さんた)。で、こっちの白いのが九郎(くろう)。で、あのムギワラが巣(す」。ここはこの3人でやっとるんじゃが、これからの本番はお手伝いさん頼みなんじゃよ。」
「九郎です。よろしくです。」
「っす。」
「あ、キナコじゃんか!」
「ははは、こいつは巣じゃよ。キナコはこいつの兄弟。」
「あ、そうなんですね。これから本番って事はやっぱりクリスマスですか?その為にみなさん名前をそんな当て字に・・・?本名では無いですよね?だって三田さんと九郎さんはともかく、巣って・・・。」
「まあ細かい事は気にせんと、好きに呼んでくれて構わんよ。カイちゃんはとりあえず巣と組んで、タイミング見て九郎ちゃんにも仕事教えてもらって。クリスマスってのは当たり。それだけでは無いけど、今回はクリスマス。サンタ協会からまずケットシー商会が請け負ってね。日本の分をうちで孫請けしてるの。ケットシーって知ってる?アイルランドの猫妖怪。昔は出張があったんだけど、今はもうウェブ会議で済んじゃうからねえ。彼らは伝説や伝承と現実の橋渡し役をしてるんだ。私たちもその一翼を担っているという訳。だからカイちゃんも夢を持ってお仕事に励んでね!」
「わかりました。今日からよろしくお願いします。」

実際のところ、クリスマスだからと言ってファンタジックな未知の仕事があるという訳ではなく、どちらかと言うと繁忙期の百貨店の配送センターとかと同じなのではないかと思う。ただここは一つのお店の商品のみ、ではなくて、希望のヒアリングから多種多様のプレゼントを決められた日までに確実に用意して、その夜に配送を完了する。ただ自宅に研修受講済みのサンタ協会員がいる場合は1週間前から前日までに指定の場所にお届けするらしい。後は地区のサンタ協会や施設だったりもまた違うルールがあるようだ。まあそもそも猫妖怪の会社なのだから、クリスマスよりもこっちが何よりファンタジーだろう。それに慣れ切ってしまう僕自身の適応能力の高さに度々驚くばかりだ。僕は事情を知っているからと、他に人間スタッフがいない時は皆化けない。今も事務所には三田と九郎と巣しかいないからみんな好きな格好をしている。被毛に覆われているから、上を着ていなかったり、下を履いていなかったり、ネクタイだけだったりする。人間がそんな姿で出勤しようものなら、連行される騒ぎだが、猫のふわ毛はそんな気配を微塵も見せない。ある意味羨ましい。いや、露出が許されている事にではなく、着込まなくても魅力に溢れる点に羨ましいと思うのだ。

相変わらずものが積み上げられた事務所の傍で早期配達分の出荷作業を最終段階まで終えた僕は在庫管理の新しい仕組みを作り上げたところで、その達成感に連日の疲れがふわっと溶かされていた。あとはこれをスタッフに浸透させて、必要に応じて改修すればいい。顔を上げたら、ちょうど三田さんの手が空いたところのようですかさず話しかける。

「よしっと。三田さん、ほしい物リストとそれぞれの進捗を入力できるデータベースを作っておきました。それぞれのプレゼントにバーコードを貼ったので、各ポイントでピッと読みこんでもらえれば漏れとか欠けがだいぶ減らせると思います。皆さんの業務用スマホ出してください。アプリ入れるので。」

今までの仕事の経験が地味に生きていて、無茶苦茶になっていたこの課のデータを整える目処がついたのだ。これまでの分はとりあえず今は置いておいて、今年の分だけでも少しデータにできれば来年以降もっと楽になるはず。そもそも請求だって処理したプレゼントの量ベースだろうに、今までちゃんと報酬を得られていたのか・・・。もしかするとケットシーもしくはサンタ協会のどちらかが中抜き・・・なんて可能性もあり得る。夢だけではどこも成り立っていないだろう、しかも妖モノ同士となれば尚更だ。ただまあそんな化かし合いは抜きにしても繁忙期の孫請けなんて普通の人間界でも大変だ。何でもできる魔法が使える訳ではないようだし、それならちゃんと請求できるように数字を用意して悪い事は何もない。ただやりすぎて消されないようにする必要はあるかも知れないが。

各々のスマホにアプリを入れて、簡単に使い方を教える。僕のスキルの都合から至極シンプルな作りだから、3人とも何度かテスト読み込みをしたらなんなく会得したようだ。これで欲しいものと入手状況、ラッピングの有無、壊れ物、届け先、配達状況などが事務所のパソコンから簡単に確認できるようになる。意外にもアナログなラッピング用紙やリボン、壊れ物を包むプチプチなど、資材の管理にも使えそうだ。3人と別れた後も引き続き倉庫の中で試し読みやバーコードの調整をしていると何やらいい香りが倉庫の中までふわりと流れ着いてきた。

これは・・・パイだ!近くで焼いてる!

少し焦げ目がついてきたかなってくらいの香ばしい香りに果物のとろけるような飴のようなテリが目に浮かぶと作業など手につかなくなり、急いで廊下に出る。まるで獲物を狙うかのようにクンクンと鼻を頼りに香りの元を辿ると休憩室のようだ。

そうだ、ここには珍しくオーブンがあったんだった!誰かがパイを焼いてるのかな?

いても立ってもいられなくて、ノックもそこそこにドアをバンっと開けるとそこには前掛けをしたリョウスケが九郎と話しているところだった。

「おや。パイ好きの海斗さんが香りに誘われてきましたね。さすがです。」
「あ!リョウスケさん、お久しぶりです。なんとお恥ずかしい。頭使ってるとどうもお腹空いちゃって。九郎さんも。あ、ごめんなさい、何か打ち合わせ中でしたか?」
「いえいえ。リョウスケさんはたまに考えが煮詰まるとここに来てパイを焼いてるんです。私も彼のパイのファンでね。君と同じく香りに誘われてやってきただけですよ。御相伴にあずかりましょう。」

白い毛がふわっとして今日も穏やかな九郎さんは目でニコッと笑うと、こっちにお座りなさいと隣の席へ招き入れてくれた。するとまた1人、香りに誘われてドアをバンっと開けて、巣が目をクリクリさせている。そうこうしていると最後に三田が合流してみんなで焼きたてのパイを食べる。このパイは大きいものを切り分ける訳ではなく、1人1個ずつ取って食べるようなそんな風体だ。しかも星の飾りもある。はて、と思っているとそれに気がついた三田がおもむろに説明を始めた。この星のついた小さなパイはミンスパイと言って、イギリスでクリスマスに食べられる定番の伝統パイなんだそう。中のフィリングはよくあるパイのように果物がたっぷりなのではなく、ドライフルーツをスパイスと煮込んだミンスミートと呼ばれるものが入っている。少しねっとりとしていて、ストレートの紅茶に合うのだ。さすがイギリスのお菓子なだけある。現地では12月25日から十二夜までに12個のミンスパイを食べれば新しい年は幸運に恵まれると言うおまじないのような話もあるんだそう。既に3つ目のミンスパイに手を伸ばしながら、でも俺は正月は餅を食べるよ!と言って一同を笑わせたのは巣だった。クリスマスのお仕事をしながら、まさかイギリスの風習について美味しく知る事ができて、心までほっこり温かくなった一同はすっかり話し込んでしまって、気がついたらもう定時を過ぎていた。

「では、今日はここまで。皆さんお疲れ様でした。本番、どうぞよろしくお願いします。」

リョウスケの言葉に皆がそれぞれご馳走様でした、頑張りまーすと言いながら帰途に着く。明日からはとうとうクライマックス。事前にリサーチしたそれぞれのお家事情に合わせてプレゼントを配るのだ。ただマッハをゆうに超えるようなトナカイは実際にいないから、多少のチート行為がありはするものの実は案外地道に配達する。猫はしゃべれて、パイを焼けるのに、トナカイが飛ぶのは非常識なこの変わった世界で明日から僕はトラックを運転してひとつずつプレゼントを配っていく。昨今の日本の家には煙突なんてないし、牛乳やにんじんやクッキーを用意されていてもそれに手をつける暇は正直ない。だが、それでも今年も呼んでくれてありがとう。プレゼントを欲してくれてありがとう。そんな想いと共に夏梅のスタッフは夜闇の中をひた走る。

空が白んできた25日の明け方、僕らは汗だくで最終確認に追われていた。みんなこの日に一気に老け込むと笑っていたのを実感していた僕はやっと最後の一個の配送終了確認を終えるとへたへたとその場にしゃがみ込んでしまうほどに一気に疲れが体を襲う。それでもその姿を見られてはならないから、みんな体を引きづりながらいそいそとトラックに乗り込み、眠ってしまわないように大声でクリスマスソングを歌いながら事務所に戻ると、また魅力的な美味しい匂いがそこらじゅうに充満している。

「おかえり。さあみんなでパイを食べよう。お疲れ様でした。」

疲れと徹夜明けの眠気でフラフラしていた3猫と僕はリョウスケの用意したシナモンが香る焼きたてのアップルパイに目をぱちくりさせ、有無を言わさずにそれぞれがいつもの椅子に座る。汗だくだったのに、帰り着く頃には冷えていた体に生姜を入れた紅茶が染み渡り、甘く煮詰められた大きめのりんごが疲れを癒す。サクサクのパイはペコペコだったお腹の虫にガツガツと吸い込まれ、3台用意されていたパイはあっという間に売り切れた。

ケットシー商会への報告も済み、今年のクリスマスはお仕事終了だ。現地はまだまだこれからだが、夏梅はこの日を境に今度はお正月モードへとシフトする。ただし、我々はここから2日間はお休み。それからはまた別の仕事が待っているからちょっとだけ充電だ。
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