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尻尾切り
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その頃、霞たちは蓮の部屋に避難していた。
「雅、本当に大丈夫なの? どこか苦しいところはない?」
「だから、もう平気だと言っとるじゃろ。しつこいのぅ」
口ではそう言いながらも、姉に心配されて雅は満更でもない様子だった。口元が緩んでいる。
「しかし、えらい目に遭ったな。ケーキを食べてすぐに息が苦しくなったぞ」
「……詳しく調べてみないと断定は出来ませんが、即効性の毒物が仕込まれていたのでしょう」
蓮の言葉に、霞はぞっと背筋を凍らせた。苦しそうな表情で吐血する妹の姿が脳裏に蘇り、恐怖がぶり返す。
「しかし、何故私は助かったのじゃ? 姉上が突然光り出す幻覚を見たような気が……」
「幻覚ではありません。実際に光っていました」
顎に手を当てながら訝しむ雅に、蓮が言った。
「ひ、光ってた? 私がですか!?」
霞がぎょっと自分を指差すと、雅と蓮は同時に頷いた。
「うむ。派手にライトアップされておったぞ」
「……僕の目には、その光が雅さんを癒やしたように見えました」
「なるほど。つまり姉上が私を助けてくれたのか」
嬉しそうに相槌を打つ雅だが、当の霞は当惑していた。
「で、でも、私はあの時のこと、よく覚えていなくて……」
朧気な意識の中、雅の頬に触れたことだけはかろうじて記憶に残っている。自分ではない自分が体を動かしているような……奇妙な感覚だった。
「……霞さん、そちらは何ですか?」
何かに気付いた蓮が、少し身を乗り出して尋ねる。
「はい?」
「その右手にあるものです」
そう言われて、霞は視線を落とす。すると右手の甲に、植物の蔦のような白い文様が刻まれていた。
「た、大変じゃ。姉上が非行に走ってしまった。父上に何と説明すれば……」
それをタトゥーと勘違いした雅の表情が曇る。しかし文様は、三人の目の前で少しずつ薄れていき、最後には跡形もなく消えた。
「消えちゃった……」
「もしかすると、先ほどの白い光と関係しているのかもしれませんね」
蓮は霞の右手を注視しながら、推論を述べた。
「ま、謎の姉上パワーのことはひとまず置いておいて、今は毒を盛った犯人探しじゃ。……と言っても、実行犯の目星はついているがの」
「そうなの!?」
驚愕で目を大きく見開く姉に、雅が肩を竦める。
「毒はデザートに盛られていたのだぞ? であれば、真っ先に疑うべきは厨房を担当している使用人じゃろ」
「あ、そっか……」
「問題は、何故私が狙われたのかじゃ。鬼ボンと姉上の結婚を阻止するのが目的だとしても、普通は姉上を標的にするのではないか?」
「それじゃあ……他に目的があるってこと?」
その問いに無言で頷く雅を見て、霞の表情が硬くなる。
「僕も雅さんと同意見です。せめて、その動機が分かればよいのですが……」
「……一つだけ心当たりがあります」
蓮の顔をまっすぐ見据えながら、霞は言った。雅が「姉上?」と不思議そうに呼ぶ。
「実は以前、ある方が私が猫又族であるかを確かめようとしたことがありました」
「あ、姉上!? 何を言っておるんじゃ!」
突然告白し始めた姉に、雅は目を見張った。咄嗟に姉の口を塞ごうとするが、それを片手で制して霞は言葉を継ぐ。
「……そして私は猫又族ではなく、ただの純血の人間です。今まで隠していて、申し訳ありませんでした」
霞はすべてを告白すると、床に両手をついて蓮の前にひれ伏した。
もし政嗣が自分の正体を探っていたことと、今回の事件が関係しているとしたら。雅だけではなく、蓮を始めとする本家の人々に危害が及ぶ恐れもあるのだ。
これ以上、隠し通すわけにはいかない。純血だと蓮に知られ、軽蔑されたとしても。
(……怖い)
好きな人に拒絶されるかもしれない恐怖で、顔を上げることが出来ない。震えそうになる両手にぎゅっと力を入れて、何とか耐えようとする。
「あ。やはりそうでしたか」
しかし予想に反して、上から降ってきたのは落ち着いた声だった。
……やはり? 霞が「えっ」と顔を上げると、平然とした表情の蓮と目が合う。
「あの……もしかして、お気付きになっていたんですか?」
「はい。以前開かれた食事会を覚えていますね? あなたが足をかけられ転んだ際にあなたの足の傷跡を見た時に、もしやと思っていました」
「く、蔵之介様と八千流様には、このことは……」
「恐らく両親も、その時に勘付いたと思います」
「そ、そんな……っ!」
実はとっくにバレてました。今明かされる衝撃の事実に、霞は陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせた。
「お前たち……どういうつもりじゃ?」
雅が眉間に皺を寄せながら問いかける。直系の子でない上に、純血の人間。そんな者を許嫁として迎えるメリットなど鬼灯家にはない。すぐさま霞を屋敷から追い出し、当初の予定通り雅と婚約を交わすことも出来たはずだ。にも拘わらず、東條家の『嘘』に付き合い続けていたのは何故か。
「……この数ヶ月間、ずっと霞さんを見続けてきました」
蓮はまっすぐ霞を見詰めながら、おもむろに口を開いた。
「あなたは誰に対しても優しくて、何事にも一生懸命で素晴らしい方だ。霞さんが何者であろうと、僕はその考えを変えるつもりはありません。……両親もそう思っているはずです」
「…………」
「もし、純血という理由だけであなたを傷付けようとする者がいるのなら、僕が何があろうと霞さんをお守りします。──あなたの許嫁として」
蓮の両手が霞の右手をそっと握り締める。
「蓮、様……」
蓮の言葉と体温に、胸の奥底が火傷してしまいそうなくらい熱くなる。蓮は霞に対して親愛の情を向けているだけであって、恋をしているわけではないだろう。双方の感情には、決定的な隔たりがある。
そう分かっていても、初恋を覚えたばかりの心は歓喜に震えた。成就するのかさえ分からない恋だというのに、想いは一層強くなる。
愛に果てなど存在しない。どんどん深みへと落ちていくものだと、霞は思い知った。
大広間には、厨房の使用人たちが集められていた。八千流に事件のことを説明されると、一様に怯えた表情を見せる。
「さて、これで全員でしょうか?」
「い、いえ……デザートを大広間へ運んでいた者がいません。先ほどからずっと姿が見えなくて……」
使用人の一人が青い顔で答える。
「……そうですか。その者が下手人と見ていいでしょう。直ちに捜索を──」
「その必要はありません」
険しい表情で厨房にやって来たのは黒田だった。
「先ほど、裏庭で頸動脈を切り裂かれた死体を発見しました」
「凶器は?」
「いいえ。見付かっておりません」
八千流の問いかけに、黒田が簡潔に答えた。
急所を切られており、その凶器が現場から発見されていない。つまり自死したのではなく、誰かに殺されたのだろう。
「口封じで始末されたのでしょうね。……下劣な真似を!」
八千流が険のある声で吐き捨てると、近くに置かれていた花瓶にビシッと亀裂が走った。
その頃、客室で待機するようにと命じられていた政嗣は、椅子に座って項垂れていた。
「ふふ……ふふふ……っ!」
くぐもった笑い声を上げながら、小刻みに肩を揺らす。その瞳は爛々と輝いていた。
「ようやくだ。ようやく神城家の娘を見付けたぞ……!」
一度動き始めた運命の歯車は、止まることを知らない。
そして破滅の夜が訪れる。
「雅、本当に大丈夫なの? どこか苦しいところはない?」
「だから、もう平気だと言っとるじゃろ。しつこいのぅ」
口ではそう言いながらも、姉に心配されて雅は満更でもない様子だった。口元が緩んでいる。
「しかし、えらい目に遭ったな。ケーキを食べてすぐに息が苦しくなったぞ」
「……詳しく調べてみないと断定は出来ませんが、即効性の毒物が仕込まれていたのでしょう」
蓮の言葉に、霞はぞっと背筋を凍らせた。苦しそうな表情で吐血する妹の姿が脳裏に蘇り、恐怖がぶり返す。
「しかし、何故私は助かったのじゃ? 姉上が突然光り出す幻覚を見たような気が……」
「幻覚ではありません。実際に光っていました」
顎に手を当てながら訝しむ雅に、蓮が言った。
「ひ、光ってた? 私がですか!?」
霞がぎょっと自分を指差すと、雅と蓮は同時に頷いた。
「うむ。派手にライトアップされておったぞ」
「……僕の目には、その光が雅さんを癒やしたように見えました」
「なるほど。つまり姉上が私を助けてくれたのか」
嬉しそうに相槌を打つ雅だが、当の霞は当惑していた。
「で、でも、私はあの時のこと、よく覚えていなくて……」
朧気な意識の中、雅の頬に触れたことだけはかろうじて記憶に残っている。自分ではない自分が体を動かしているような……奇妙な感覚だった。
「……霞さん、そちらは何ですか?」
何かに気付いた蓮が、少し身を乗り出して尋ねる。
「はい?」
「その右手にあるものです」
そう言われて、霞は視線を落とす。すると右手の甲に、植物の蔦のような白い文様が刻まれていた。
「た、大変じゃ。姉上が非行に走ってしまった。父上に何と説明すれば……」
それをタトゥーと勘違いした雅の表情が曇る。しかし文様は、三人の目の前で少しずつ薄れていき、最後には跡形もなく消えた。
「消えちゃった……」
「もしかすると、先ほどの白い光と関係しているのかもしれませんね」
蓮は霞の右手を注視しながら、推論を述べた。
「ま、謎の姉上パワーのことはひとまず置いておいて、今は毒を盛った犯人探しじゃ。……と言っても、実行犯の目星はついているがの」
「そうなの!?」
驚愕で目を大きく見開く姉に、雅が肩を竦める。
「毒はデザートに盛られていたのだぞ? であれば、真っ先に疑うべきは厨房を担当している使用人じゃろ」
「あ、そっか……」
「問題は、何故私が狙われたのかじゃ。鬼ボンと姉上の結婚を阻止するのが目的だとしても、普通は姉上を標的にするのではないか?」
「それじゃあ……他に目的があるってこと?」
その問いに無言で頷く雅を見て、霞の表情が硬くなる。
「僕も雅さんと同意見です。せめて、その動機が分かればよいのですが……」
「……一つだけ心当たりがあります」
蓮の顔をまっすぐ見据えながら、霞は言った。雅が「姉上?」と不思議そうに呼ぶ。
「実は以前、ある方が私が猫又族であるかを確かめようとしたことがありました」
「あ、姉上!? 何を言っておるんじゃ!」
突然告白し始めた姉に、雅は目を見張った。咄嗟に姉の口を塞ごうとするが、それを片手で制して霞は言葉を継ぐ。
「……そして私は猫又族ではなく、ただの純血の人間です。今まで隠していて、申し訳ありませんでした」
霞はすべてを告白すると、床に両手をついて蓮の前にひれ伏した。
もし政嗣が自分の正体を探っていたことと、今回の事件が関係しているとしたら。雅だけではなく、蓮を始めとする本家の人々に危害が及ぶ恐れもあるのだ。
これ以上、隠し通すわけにはいかない。純血だと蓮に知られ、軽蔑されたとしても。
(……怖い)
好きな人に拒絶されるかもしれない恐怖で、顔を上げることが出来ない。震えそうになる両手にぎゅっと力を入れて、何とか耐えようとする。
「あ。やはりそうでしたか」
しかし予想に反して、上から降ってきたのは落ち着いた声だった。
……やはり? 霞が「えっ」と顔を上げると、平然とした表情の蓮と目が合う。
「あの……もしかして、お気付きになっていたんですか?」
「はい。以前開かれた食事会を覚えていますね? あなたが足をかけられ転んだ際にあなたの足の傷跡を見た時に、もしやと思っていました」
「く、蔵之介様と八千流様には、このことは……」
「恐らく両親も、その時に勘付いたと思います」
「そ、そんな……っ!」
実はとっくにバレてました。今明かされる衝撃の事実に、霞は陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせた。
「お前たち……どういうつもりじゃ?」
雅が眉間に皺を寄せながら問いかける。直系の子でない上に、純血の人間。そんな者を許嫁として迎えるメリットなど鬼灯家にはない。すぐさま霞を屋敷から追い出し、当初の予定通り雅と婚約を交わすことも出来たはずだ。にも拘わらず、東條家の『嘘』に付き合い続けていたのは何故か。
「……この数ヶ月間、ずっと霞さんを見続けてきました」
蓮はまっすぐ霞を見詰めながら、おもむろに口を開いた。
「あなたは誰に対しても優しくて、何事にも一生懸命で素晴らしい方だ。霞さんが何者であろうと、僕はその考えを変えるつもりはありません。……両親もそう思っているはずです」
「…………」
「もし、純血という理由だけであなたを傷付けようとする者がいるのなら、僕が何があろうと霞さんをお守りします。──あなたの許嫁として」
蓮の両手が霞の右手をそっと握り締める。
「蓮、様……」
蓮の言葉と体温に、胸の奥底が火傷してしまいそうなくらい熱くなる。蓮は霞に対して親愛の情を向けているだけであって、恋をしているわけではないだろう。双方の感情には、決定的な隔たりがある。
そう分かっていても、初恋を覚えたばかりの心は歓喜に震えた。成就するのかさえ分からない恋だというのに、想いは一層強くなる。
愛に果てなど存在しない。どんどん深みへと落ちていくものだと、霞は思い知った。
大広間には、厨房の使用人たちが集められていた。八千流に事件のことを説明されると、一様に怯えた表情を見せる。
「さて、これで全員でしょうか?」
「い、いえ……デザートを大広間へ運んでいた者がいません。先ほどからずっと姿が見えなくて……」
使用人の一人が青い顔で答える。
「……そうですか。その者が下手人と見ていいでしょう。直ちに捜索を──」
「その必要はありません」
険しい表情で厨房にやって来たのは黒田だった。
「先ほど、裏庭で頸動脈を切り裂かれた死体を発見しました」
「凶器は?」
「いいえ。見付かっておりません」
八千流の問いかけに、黒田が簡潔に答えた。
急所を切られており、その凶器が現場から発見されていない。つまり自死したのではなく、誰かに殺されたのだろう。
「口封じで始末されたのでしょうね。……下劣な真似を!」
八千流が険のある声で吐き捨てると、近くに置かれていた花瓶にビシッと亀裂が走った。
その頃、客室で待機するようにと命じられていた政嗣は、椅子に座って項垂れていた。
「ふふ……ふふふ……っ!」
くぐもった笑い声を上げながら、小刻みに肩を揺らす。その瞳は爛々と輝いていた。
「ようやくだ。ようやく神城家の娘を見付けたぞ……!」
一度動き始めた運命の歯車は、止まることを知らない。
そして破滅の夜が訪れる。
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