化け猫姉妹の身代わり婚

硝子町玻璃

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気まずい雰囲気

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「霞さん、何か欲しいものはありませんか? 新しい洋服を仕立ててもらうこともできますが」

 早朝、突然厨房にやって来た蓮にそう尋ねられ、霞は狼狽えた。

「い、いえっ。今は特に何も……それに、お洋服も間に合っていますし」
「……そうですか。お忙しい中、失礼しました。朝食、楽しみにしています」

 蓮は何か言いたそうにしながらも、霞に頭を下げて去って行った。その後ろ姿をぼんやりと見送る霞に、使用人の一人が耳打ちする。

「近頃の蓮様、ずっとあんな調子ですね」
「はい……」

 あの食事会から一週間。蓮は、あからさまに霞を気遣うような言動が増えた。以前はなかったが、食事の時に霞の料理をさりげなく褒めたり、洗濯物を干していると手伝おうとしてくる。
 優しくされたり、一緒にいる時間が増えることは嬉しい。だけど自分のことで余計な気を遣わせていると思うと、少し心苦しささえ感じ、霞は正直喜びより申し訳なさが勝っていた。



 その頃、蓮は八千流の部屋に呼び出されていた。

「あまり霞さんを困らせてはいけません。使用人もあなたの様子を見て、訝しんでいますよ」
「……すみません」
「謝る相手が違うでしょう? よいですか、蓮。よかれと思った行為が、相手を傷付けることもあるのですよ」

 母の苦言に、蓮は返す言葉もなかった。何かを言いかけたが、口を噤んで俯いてしまう。

「……あなたと霞さんは、本当に似た者同士ね。優しすぎるわ」

 いつになく落ち込んでいる息子の姿に、八千流は小さく笑みを零した。


 この日は日曜日で、学校は休みだ。霞は朝食の後片付けを終えると、雅の部屋で過ごしていた。
 床に散らされた無数の札。それらを睨み付ける雅とネズミたち。
 張り詰めた空気の中、霞が短歌を読み上げていく。

「これやこの、行くも帰るも、別れては……」
「どりゃぁぁっ!」
「チュウゥゥッ!」

 瞬間、双方が弾かれたように動き出す。そして目にも止まらぬ速さで、下の句が書かれた札を取ったのは──雅だった。

「ぬはははっ! この札も私のものじゃ!」
「また取られてしまいました」
「流石は雅様。疾風迅雷の動きでございます」

 高らかに札を掲げる雅に、ネズミたちが感嘆の声を上げる。大人数でも遊べるゲームとしてカルタが採用されたものの、完全に雅の独壇場と化していた。

「み、雅。少し手加減してあげたほうが……」
「何を言っているのじゃ。これは真剣勝負。情けなど無用じゃ」
「チュウ……容赦がありません。雅様は鬼でございます」

 しょんぼりと項垂れる子ネズミに、霞が励ましの言葉を送る。

「そんなに落ち込まないで。後でチーズケーキを焼いてあげるから」
「本当でございますか!? やる気が漲ってまいりました!」
「その意気だよ。頑張れ!」

 子ネズミをおだてる霞を眺めながら、雅の肩に乗っていたネズミがぼそりと言う。

「元気になられたようで、何よりでございます」
「……表面上はな。私たちに心配させまいと取り繕っているだけじゃ」
「それは難儀なことですな……」

 ネズミが霞へ哀れみの眼差しを向けた時だった。天井から一匹のネズミが慌ただしく降りてきた。

「霞様ーっ! 大変でございますっ!」

 霞の手のひらにぴょんと飛び乗り、非常事態を訴える。

「ど、どうしたの?」
「政嗣様が霞様の正体を暴こうとしております!」
「まさ……つぐ?」
「知らん! 誰じゃそいつ!」

 霞と雅にとって初めて聞く名前だった。しかし他のネズミたちは、それを聞いてハッと目を見張った。

「鬼灯一族にはいくつも分家が存在しますが、その中で最も権力を持つ家の者です。確か蔵之介様の従兄弟だとか。先日の食事会にも参加しておりました」
「……何だか詳しいね?」
「覗き見、盗み聞きは我らの得意分野でございますっ」

 パチンッとネズミはウィンクをした。

「胸を張って言うことではないじゃろ。で、姉上の正体を暴くとはどういうことじゃ?」

 雅が呆れながらも顔を寄せて、続きを促す。

「はい。本日政嗣様は、お仕事のことでご当主と話し合われておりました。ですが、その帰りに……」

 政嗣は蔵之介の部屋を退室すると、部下を連れて廊下を歩いていた。
──このまま東條霞の下へ向かいますか?
 小声で尋ねる部下に、政嗣は小さく首を横に振った。
──食事会での一件が起きてから、まだ日が浅い。今ここで波風を立ててしまえば、我々まで屋敷の出入りを禁じられてしまう。それに彼女が猫又族ではないと、確定したわけではない。
──猫又族かどうか試してみますか? 猫じゃらしやネズミなどを利用して……
──あからさますぎて、逆に警戒されるだけだ。
 部下の短絡的な案に、政嗣が苦言を呈する。
──だが、着眼点は悪くない。そうだな、マタタビを使ってみるとしよう。
──なるほど、その手がありましたね。
 二人の会話を天井でこっそり聞いていたネズミは、ぷるぷると体を震わせた。

「これは一大事です。早くこのことをお知らせしなければ……っ」

 そして霞たちの下へと急行したのだった。

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