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第1章 祓戸の神
1,ブルマン1杯750円
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「ミンくん、ちょっといいコーヒー入れようか」
1キロ入りのコーヒー豆をトントンとならし、袋の上部にハサミを入れる。
スパッと鳴るハサミの音と、ミンくんこと朴晟敏の悲鳴がほぼ同時だった。
「てんちょー! それブルマンじゃないですかー!!!」
「そうだよ」
「1杯750円!?」
「エラいね、値段ちゃんと覚えてるんだ」
「休憩中に飲んでいいやつじゃないです!」
「そうは言っても、豆にだって賞味期限があるんだから」
計量スプーンで量られた2杯分の豆が、コーヒーミルに落とされた。
てんちょーこと立花詩は、ためらいなく豆を挽いていく。
「どうしよう!? 珈琲ガレット調布店、最大のピンチです!」
ソンミンは店の前まで出ていって、両手で頭を抱える。
「ミンくんは、1500円の損失で店が傾くとでも思ってるの?」
「だって、先月もその前も赤字だったじゃないですかー!」
「よく知ってるね?」
「帳簿を見ながらブツブツ言ってましたよ、店長」
「あーそう。ごめんね、独り言多くて……」
「お客さん来てくださーい! お客さんが来ないと店長が、店で一番いいコーヒーを飲んでしまいます!」
「僕にもいいコーヒー飲ませてよ……」
呼び込みの努力も空しく平日の午前中、調布銀座には人通りがほとんどなかった。
感染症の流行による自粛続きで、周囲の店はどこもシャッターが下りている。
「お客さん来ないのはどうしようもないよ。コーヒー飲もう」
詩は豆を挽き終え、布フィルターに入れたそれに熱々の湯を落とす。
薫り高いコーヒーの匂いが通りに広がった。
「……ああ、なんて爽やかな味なんだ……」
あきらめてカウンターに座ったソンミンが、泣きながらブルーマウンテンをすすりだす。
「せっかくだから神棚にもあげてこよ」
入れたてのものをエスプレッソカップに少し注ぎ、詩は店の奥へ向かった。
カウンター席しかない店の奥は住居になっており、引き戸をくぐったところに神棚がある。
カップを置いて、二礼二拍手一礼。
「商売繁盛、よろしくお願いします! 今は神頼みしかないしねえ……」
詩は苦笑いで、年季の入った神棚を眺めた。
ここ珈琲ガレット調布店は、その名に反してここにしかない個人経営の店である。
経営者は弱冠25歳の立花詩。ほとんど趣味みたいな規模の店だ。
なぜ25歳の彼が店を持てたのかというと、ここはもともと詩の祖父母がやっていた蕎麦屋だったからだ。
長い平成不況で廃業した蕎麦屋で何か始めようと思ったのが2年前。コーヒーショップを開き余っていた蕎麦粉でガレットを焼いたら、そこそこ客が入った。
当時は若い店長目当てに来る客も多かった。けれどもそれは一時のことだった。
飲食店の経営は厳しい。コーヒーショップは他にいくつもあるし、コンビニだってコーヒーを売る時代だ。
地代がかからないにしても、材料を仕入れてバイトに給料を払えばそれで売り上げは消えてしまう。
“商売繁盛”という詩の願いが叶えられたことは、実は一度もなかった。
「ここの神棚に神さまはいないと思います」
店に戻ってきた詩に、ソンミンが真面目な顔をして言った。
「毎日お参りしてこの状況なら、ほかの神さまに鞍替えした方が」
「ミンくんは厳しいねえ」
詩は笑って流す。
「ここはまだ3年目だけど、前の蕎麦屋は江戸時代から続いてて、神棚の神さまとはその時代からのお付き合いなんだ。鞍替えなんて言ったら罰が当たる」
サーバーに残っていたコーヒーをカップに注ぎ、詩はようやくそれに口を付けた。
「ブルマンうまっ!」
「でしょう? 神さま変えて商売繁盛したら毎日飲めますよ」
「いや、普通に毎日飲もうよ。どうせこの1キロは売れ残る」
詩が瓶に詰め替えたブルーマウンテンを指さした。
1キロ入りのコーヒー豆をトントンとならし、袋の上部にハサミを入れる。
スパッと鳴るハサミの音と、ミンくんこと朴晟敏の悲鳴がほぼ同時だった。
「てんちょー! それブルマンじゃないですかー!!!」
「そうだよ」
「1杯750円!?」
「エラいね、値段ちゃんと覚えてるんだ」
「休憩中に飲んでいいやつじゃないです!」
「そうは言っても、豆にだって賞味期限があるんだから」
計量スプーンで量られた2杯分の豆が、コーヒーミルに落とされた。
てんちょーこと立花詩は、ためらいなく豆を挽いていく。
「どうしよう!? 珈琲ガレット調布店、最大のピンチです!」
ソンミンは店の前まで出ていって、両手で頭を抱える。
「ミンくんは、1500円の損失で店が傾くとでも思ってるの?」
「だって、先月もその前も赤字だったじゃないですかー!」
「よく知ってるね?」
「帳簿を見ながらブツブツ言ってましたよ、店長」
「あーそう。ごめんね、独り言多くて……」
「お客さん来てくださーい! お客さんが来ないと店長が、店で一番いいコーヒーを飲んでしまいます!」
「僕にもいいコーヒー飲ませてよ……」
呼び込みの努力も空しく平日の午前中、調布銀座には人通りがほとんどなかった。
感染症の流行による自粛続きで、周囲の店はどこもシャッターが下りている。
「お客さん来ないのはどうしようもないよ。コーヒー飲もう」
詩は豆を挽き終え、布フィルターに入れたそれに熱々の湯を落とす。
薫り高いコーヒーの匂いが通りに広がった。
「……ああ、なんて爽やかな味なんだ……」
あきらめてカウンターに座ったソンミンが、泣きながらブルーマウンテンをすすりだす。
「せっかくだから神棚にもあげてこよ」
入れたてのものをエスプレッソカップに少し注ぎ、詩は店の奥へ向かった。
カウンター席しかない店の奥は住居になっており、引き戸をくぐったところに神棚がある。
カップを置いて、二礼二拍手一礼。
「商売繁盛、よろしくお願いします! 今は神頼みしかないしねえ……」
詩は苦笑いで、年季の入った神棚を眺めた。
ここ珈琲ガレット調布店は、その名に反してここにしかない個人経営の店である。
経営者は弱冠25歳の立花詩。ほとんど趣味みたいな規模の店だ。
なぜ25歳の彼が店を持てたのかというと、ここはもともと詩の祖父母がやっていた蕎麦屋だったからだ。
長い平成不況で廃業した蕎麦屋で何か始めようと思ったのが2年前。コーヒーショップを開き余っていた蕎麦粉でガレットを焼いたら、そこそこ客が入った。
当時は若い店長目当てに来る客も多かった。けれどもそれは一時のことだった。
飲食店の経営は厳しい。コーヒーショップは他にいくつもあるし、コンビニだってコーヒーを売る時代だ。
地代がかからないにしても、材料を仕入れてバイトに給料を払えばそれで売り上げは消えてしまう。
“商売繁盛”という詩の願いが叶えられたことは、実は一度もなかった。
「ここの神棚に神さまはいないと思います」
店に戻ってきた詩に、ソンミンが真面目な顔をして言った。
「毎日お参りしてこの状況なら、ほかの神さまに鞍替えした方が」
「ミンくんは厳しいねえ」
詩は笑って流す。
「ここはまだ3年目だけど、前の蕎麦屋は江戸時代から続いてて、神棚の神さまとはその時代からのお付き合いなんだ。鞍替えなんて言ったら罰が当たる」
サーバーに残っていたコーヒーをカップに注ぎ、詩はようやくそれに口を付けた。
「ブルマンうまっ!」
「でしょう? 神さま変えて商売繁盛したら毎日飲めますよ」
「いや、普通に毎日飲もうよ。どうせこの1キロは売れ残る」
詩が瓶に詰め替えたブルーマウンテンを指さした。
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