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16,水もしたたる
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「整理、整頓、清掃、清潔……♪」
その日の掃除が終わり、清掃用のワゴンの上を整える。あれから一週間。類もなんとか与えられた仕事に慣れてきた。
(トイレの洗剤が切れそう! 補充しておかないと)
ワゴンを押して社内の備品倉庫に向かおうとする。するとその途中、裏口から飛び込んできた虎牙部長と廊下で鉢合わせた。
「類、外すごい雨だぞ」
「えっ……」
水も滴るいい男を前に、類はその場に固まる。ビーチに出ていて降られたんだろう、彼の日焼けした首元を雨の筋が伝っていた。
(うわあ、虎さんに会ったの、何日ぶり?)
彼が駐車場やビーチに出ているところを、類はこれまで何度も目撃していた。常に彼の姿を探しているからだ。けれど見つけても遠目に眺めるのが精一杯で、こうして間近に見るのは久しぶりだった。
(し、しかも今日はホワイトベアーマンじゃなくて生の虎牙部長……貴重だ……!)
喜びを噛みしめたところで、類はようやく我に返る。
「……あっ! タオル、これ使ってください」
ちょうど持っていた備品のタオルを差しだした。
「サンキュー」
部長は屈託のない笑顔でそれを受け取り、顔や上半身を拭き始める。
(やっぱりカッコいいなあ。虎牙部長は……)
よく見ると、濡れたシャツが厚みのある上半身に貼り付いていて悩ましい。類は再び目が離せなくなってしまった。
「……どうした?」
「あ、えーと……いえ……」
目を逸らしても、心臓がドキドキし続けている。
そんな類に気づいているのかいないのか。軽く体を拭いてから、部長がガラス戸越しの荒れた海を見て言った。
「おまえももう仕事上がるとこだよな? 早く帰った方がいい。嵐になる」
「あらし……」
「こっちへ来て日が浅かったらぴんと来ないか。外出られないくらいに海風がヤバいぞ」
部長が白い歯をちらりと見せた。
「帰り支度してこいよ。寮まで送るから」
彼はそのつもりでさっさと動き出す。
類の送り迎えは、都合が合えば帝が車を出してくれるけれど、ちょうど今日は出張でいなかった。
類は急いで倉庫に向かい、洗剤の補充と道具の片付けを済ませてくる。
そして促されるまま部長の車に乗った。
彼の大きな体に似合わず、色のきれいなコンパクトカーだった。私用の車に乗せてもらったのは初めてで、類はそわそわと車内を見回す。
助手席のシートに痛みはほとんどなかった。そのことに背中を押されて聞いてみる。
「部長は奥さん、とか恋人とか……いるんですか?」
少なくとも今いるシートにその気配は感じられなかった。
「……ん?」
車を出しながらこっちを見た部長は、なぜかニヤニヤしている。
「今さら“いる”って言われたらどうする?」
「……えっ」
好きになってしまったのに、それは困る。
けれども帝も部長のことを“あれで真面目な人”だと言っていて、相手がいるなら類とホテルに行くようなことはしなかっただろう。
あれこれ考えているうちに、彼がまた続けた。
「好きな相手ならいるけどな」
「好きな……?」
聞き返す類の前髪をさらっとなで、彼の左手はハンドルに戻っていく。意味深なその行動に、類の胸の鼓動は一気に跳ね上がった。
(指輪はしてない。それなら、きっと結婚はしてないわけで……それで、えーっと……)
たぶんこれは喜んでいい状況だ。
そして“好きな相手”が類だとしたら……。
自分でも希望的観測だと思う。でも、部長の態度からしてそう考えるのが妥当な気がした。
「ぼ、ぼくも! 最近好きな人がいて、それは虎牙部長で……」
(あ、言っちゃった)
被さるように雷の音がドーンと鳴る。さっきからフロントガラスを激しい雨が叩いていた。
(今の、聞こえた?)
部長からの反応はない。彼は道を右折しようと、向こうへ目を向けていた。
言わなきゃよかった。聞こえなかったならいいけれど、聞こえてスルーされていたら、類はしばらく立ち直れない。
「類、あのさ」
道を曲がり終えてから、部長が口を開いた。
「おまえも明日、休みだよな?」
「はい、もちろん」
明日は土曜日だ。
「ウチ来ねえ?」
(え、ウチって部長の家?)
類はフロントガラスの雨粒を見ながら、その言葉の意味を探す。
(ウチってたぶんふたりきりで……、明日休みってことは泊まっていいってこと?)
ベッドでの彼がちらついた。
「でもぼく……社長の孫で、帝さんからも部長に近づくなって釘を刺されてて……」
ああ。これじゃあ逆に期待しているみたいだ。言った言葉を後悔する。
「で、類はどうしたい?」
ようやくこっちを見た部長は、面白そうに笑っていた。
「え、ぼく?」
「帝じゃなく、おまえの気持ちを知りたい」
そうして車はもう寮に続く道を通り過ぎてしまって――。
「ええぇえ……!? 待って、心のじゅん、準備が……」
「ははは! おまえの反応が可愛すぎてダメだわ。早く家帰ってキスしたい」
部長のその言葉に、類の方が即オチだった。
その日の掃除が終わり、清掃用のワゴンの上を整える。あれから一週間。類もなんとか与えられた仕事に慣れてきた。
(トイレの洗剤が切れそう! 補充しておかないと)
ワゴンを押して社内の備品倉庫に向かおうとする。するとその途中、裏口から飛び込んできた虎牙部長と廊下で鉢合わせた。
「類、外すごい雨だぞ」
「えっ……」
水も滴るいい男を前に、類はその場に固まる。ビーチに出ていて降られたんだろう、彼の日焼けした首元を雨の筋が伝っていた。
(うわあ、虎さんに会ったの、何日ぶり?)
彼が駐車場やビーチに出ているところを、類はこれまで何度も目撃していた。常に彼の姿を探しているからだ。けれど見つけても遠目に眺めるのが精一杯で、こうして間近に見るのは久しぶりだった。
(し、しかも今日はホワイトベアーマンじゃなくて生の虎牙部長……貴重だ……!)
喜びを噛みしめたところで、類はようやく我に返る。
「……あっ! タオル、これ使ってください」
ちょうど持っていた備品のタオルを差しだした。
「サンキュー」
部長は屈託のない笑顔でそれを受け取り、顔や上半身を拭き始める。
(やっぱりカッコいいなあ。虎牙部長は……)
よく見ると、濡れたシャツが厚みのある上半身に貼り付いていて悩ましい。類は再び目が離せなくなってしまった。
「……どうした?」
「あ、えーと……いえ……」
目を逸らしても、心臓がドキドキし続けている。
そんな類に気づいているのかいないのか。軽く体を拭いてから、部長がガラス戸越しの荒れた海を見て言った。
「おまえももう仕事上がるとこだよな? 早く帰った方がいい。嵐になる」
「あらし……」
「こっちへ来て日が浅かったらぴんと来ないか。外出られないくらいに海風がヤバいぞ」
部長が白い歯をちらりと見せた。
「帰り支度してこいよ。寮まで送るから」
彼はそのつもりでさっさと動き出す。
類の送り迎えは、都合が合えば帝が車を出してくれるけれど、ちょうど今日は出張でいなかった。
類は急いで倉庫に向かい、洗剤の補充と道具の片付けを済ませてくる。
そして促されるまま部長の車に乗った。
彼の大きな体に似合わず、色のきれいなコンパクトカーだった。私用の車に乗せてもらったのは初めてで、類はそわそわと車内を見回す。
助手席のシートに痛みはほとんどなかった。そのことに背中を押されて聞いてみる。
「部長は奥さん、とか恋人とか……いるんですか?」
少なくとも今いるシートにその気配は感じられなかった。
「……ん?」
車を出しながらこっちを見た部長は、なぜかニヤニヤしている。
「今さら“いる”って言われたらどうする?」
「……えっ」
好きになってしまったのに、それは困る。
けれども帝も部長のことを“あれで真面目な人”だと言っていて、相手がいるなら類とホテルに行くようなことはしなかっただろう。
あれこれ考えているうちに、彼がまた続けた。
「好きな相手ならいるけどな」
「好きな……?」
聞き返す類の前髪をさらっとなで、彼の左手はハンドルに戻っていく。意味深なその行動に、類の胸の鼓動は一気に跳ね上がった。
(指輪はしてない。それなら、きっと結婚はしてないわけで……それで、えーっと……)
たぶんこれは喜んでいい状況だ。
そして“好きな相手”が類だとしたら……。
自分でも希望的観測だと思う。でも、部長の態度からしてそう考えるのが妥当な気がした。
「ぼ、ぼくも! 最近好きな人がいて、それは虎牙部長で……」
(あ、言っちゃった)
被さるように雷の音がドーンと鳴る。さっきからフロントガラスを激しい雨が叩いていた。
(今の、聞こえた?)
部長からの反応はない。彼は道を右折しようと、向こうへ目を向けていた。
言わなきゃよかった。聞こえなかったならいいけれど、聞こえてスルーされていたら、類はしばらく立ち直れない。
「類、あのさ」
道を曲がり終えてから、部長が口を開いた。
「おまえも明日、休みだよな?」
「はい、もちろん」
明日は土曜日だ。
「ウチ来ねえ?」
(え、ウチって部長の家?)
類はフロントガラスの雨粒を見ながら、その言葉の意味を探す。
(ウチってたぶんふたりきりで……、明日休みってことは泊まっていいってこと?)
ベッドでの彼がちらついた。
「でもぼく……社長の孫で、帝さんからも部長に近づくなって釘を刺されてて……」
ああ。これじゃあ逆に期待しているみたいだ。言った言葉を後悔する。
「で、類はどうしたい?」
ようやくこっちを見た部長は、面白そうに笑っていた。
「え、ぼく?」
「帝じゃなく、おまえの気持ちを知りたい」
そうして車はもう寮に続く道を通り過ぎてしまって――。
「ええぇえ……!? 待って、心のじゅん、準備が……」
「ははは! おまえの反応が可愛すぎてダメだわ。早く家帰ってキスしたい」
部長のその言葉に、類の方が即オチだった。
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