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9,バナナヨーグルト味
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その日は帝からざっと会社の概要を聞き、午後にはもう「帰ってヨシ」となった。
とりあえず駅前のビジネスホテルをチェックアウトし、社員寮に荷物を移動させるべきなのか。類はそのことを考えながら会社を出る。
けれど……。
(寮に入ったら、ますます後戻りできなくなるよね……)
類はまだ、“自分の立場”を受け入れられずにいた。
どうしたらいいのか。
駅の方向へトボトボと引き返す海岸通り。振り返って見る社屋と工場は、朝見た時よりだいぶ色あせてみえた。
(ぼくには無理だって、じいちゃんにもう一度話した方がいいのかな……)
家の中では無職の類に発言権なんてなかったけれど、今流されてあの会社に入ることはいけないことのように思えた。まかり間違って類が社長になんかなったら、きっと早々にあの会社を潰してしまう。大勢の社員とその家族が路頭に迷うことになるのだ。
胸の中にあった雨雲のような見えない不安が、今は地に足の付いた現実の問題に変わりつつあった。
(話すの、気が重いなあ……)
類の立場では、祖父を捕まえるところから大変だ。
会社から目を逸らすようにして前の道に視線を戻すと、今度は別の景色が目に映った。
「あっ……」
午前中にも見えたベアマンバーのラッピングカーが、ちょうど道の脇に停まっている。
キッチンカーのようになっている荷台から、ホワイトベアーマンが身を乗り出し、子どもにアイスキャンディを渡すのが見えた。
きっとあれは虎牙部長だ。
(どうしよう……。声をかけてもいいのかな?)
もし虎牙部長じゃなかったら? 彼だったとしても、気まずくてうまく話せなかったら? 無視されてしまったら?
そうなるくらいなら、気づかないフリをして通り過ぎた方がいいのかもしれない。
迷ううちに類の足は、自然とラッピングカーの方へ近づいていく。
(どうしよう、こっち見――!)
心の準備が整わない中、 荷台のホワイトベアーマンがこっちを向いてしまった。
そのまま彼は動きを止める。
(えーと……?)
まだ少し距離があり、仮面の奥にある瞳の表情を、窺い知ることはできなかった。
だが、彼は明らかに類のことを見つめている。
「ぶ、部長、あの……」
どうして何も言ってくれないのか。
「やっぱ類か!」
「……え?」
嬉しそうな声をあげると、彼は軽い足取りで荷台から降りてきた。
「それ」
頭の上を指さされる。
「ああっ、これ!」
類は慌てて犬耳のカチューシャを取った。
「ごめんなさい、これじゃぼくってわからなかったか……」
「めちゃくちゃかわいい犬がいると思ったら、おまえだった。あんまドキドキさせんな」
「えっ、あの……ぼく……」
可愛いなんて言われ慣れていない。
「それより、大丈夫だったのか?」
類が照れる一方で、部長は心配そうだった。
「え……?」
「帝ちゃんに拉致られてったから……」
「あー、えーと……大丈夫! 何もされてない……」
乳首をつねられたことを思い出したが、そのことは言わないでおいた。
彼からは大きなため息が返ってくる。
「……そうか。無事ならよかったよ。けどおまえ……、まだ俺と逃げたいって思ってる?」
「え、それは……。わからない……」
気持ち的には当然イエスと答えたい。けれど、言ってはいけない気がした。
この人はあの会社でそれなりの立場にある人だ。
ただ、聞いてくれたことは嬉しかった。ひとりぼっちじゃないと思える。
(やっぱりぼく、虎さんのことが好きかも……?)
何も言えずに見つめていると、彼が荷台からベアマンバーを取ってきて差しだした。
「……あ。えーと、いくらですか?」
「これはサンプルだからタダだよ」
渡されたものには、昨日とは違ってシールが貼られている。
「『バナナヨーグルト味』……?」
味は想像できなくもないけれど、美味しいのかどうかと思った。
「どうなんだろうな、コレ。マズかったらマズかったって、ハッキリ言えよ?」
類の微妙な表情を読み取ったのか、部長はクスリと笑い声をたてた。
そうこうする間に何組かの客が来て、ベアマンバーを買いに並ぶ。
「あ、悪い」
彼は類にひと言謝り、さっと荷台に戻っていった。
何人かは普通に買っていき、最後に並んでいたキツネ型獣人の女子高生たちは、部長扮するホワイトベアーマンにスマホのカメラを向けていた。
(結構人気なんだ? ベアマンバー)
また子どもが来て、手のひらに握った硬貨でベアマンバーを買っていく。
それを見送る部長は、楽しそうに手を振った。
(この商品がジリ貧なんて、思いたくないな……)
花壇の縁に座って見ていた類は、胸の痛みを覚える。
午前中に見た資料では、ベアマンバーの出荷本数はここ数年横ばいだった。つまり新規のファンを獲得できていない。
(こんなに美味しいのに、なんで……)
バナナヨーグルト味のベアマンバーは、バナナの甘みにヨーグルトの酸味がよく効いていた。
「美味しかったです。他にどんな味があるんですか?」
接客を終えた虎牙部長に聞いてみる。
「定番のソーダとグレープフルーツだろ。それからスイートオレンジ。ほかに毎シーズン3、4種類のサンプルを作って、一番よさそうなやつを季節限定で出してるんだ」
今もらったバナナヨーグルトは、そのための季節サンプル第1号だった。
「部長はベアマンバー、好きですか? それに会社は」
「んー、そうだな……」
彼は腕組みして答える。
「好きだよ。俺はこれで余生を楽しんでる」
「余生?」
「うん」
彼は頷くだけで、それ以上は語らなかった。
とりあえず駅前のビジネスホテルをチェックアウトし、社員寮に荷物を移動させるべきなのか。類はそのことを考えながら会社を出る。
けれど……。
(寮に入ったら、ますます後戻りできなくなるよね……)
類はまだ、“自分の立場”を受け入れられずにいた。
どうしたらいいのか。
駅の方向へトボトボと引き返す海岸通り。振り返って見る社屋と工場は、朝見た時よりだいぶ色あせてみえた。
(ぼくには無理だって、じいちゃんにもう一度話した方がいいのかな……)
家の中では無職の類に発言権なんてなかったけれど、今流されてあの会社に入ることはいけないことのように思えた。まかり間違って類が社長になんかなったら、きっと早々にあの会社を潰してしまう。大勢の社員とその家族が路頭に迷うことになるのだ。
胸の中にあった雨雲のような見えない不安が、今は地に足の付いた現実の問題に変わりつつあった。
(話すの、気が重いなあ……)
類の立場では、祖父を捕まえるところから大変だ。
会社から目を逸らすようにして前の道に視線を戻すと、今度は別の景色が目に映った。
「あっ……」
午前中にも見えたベアマンバーのラッピングカーが、ちょうど道の脇に停まっている。
キッチンカーのようになっている荷台から、ホワイトベアーマンが身を乗り出し、子どもにアイスキャンディを渡すのが見えた。
きっとあれは虎牙部長だ。
(どうしよう……。声をかけてもいいのかな?)
もし虎牙部長じゃなかったら? 彼だったとしても、気まずくてうまく話せなかったら? 無視されてしまったら?
そうなるくらいなら、気づかないフリをして通り過ぎた方がいいのかもしれない。
迷ううちに類の足は、自然とラッピングカーの方へ近づいていく。
(どうしよう、こっち見――!)
心の準備が整わない中、 荷台のホワイトベアーマンがこっちを向いてしまった。
そのまま彼は動きを止める。
(えーと……?)
まだ少し距離があり、仮面の奥にある瞳の表情を、窺い知ることはできなかった。
だが、彼は明らかに類のことを見つめている。
「ぶ、部長、あの……」
どうして何も言ってくれないのか。
「やっぱ類か!」
「……え?」
嬉しそうな声をあげると、彼は軽い足取りで荷台から降りてきた。
「それ」
頭の上を指さされる。
「ああっ、これ!」
類は慌てて犬耳のカチューシャを取った。
「ごめんなさい、これじゃぼくってわからなかったか……」
「めちゃくちゃかわいい犬がいると思ったら、おまえだった。あんまドキドキさせんな」
「えっ、あの……ぼく……」
可愛いなんて言われ慣れていない。
「それより、大丈夫だったのか?」
類が照れる一方で、部長は心配そうだった。
「え……?」
「帝ちゃんに拉致られてったから……」
「あー、えーと……大丈夫! 何もされてない……」
乳首をつねられたことを思い出したが、そのことは言わないでおいた。
彼からは大きなため息が返ってくる。
「……そうか。無事ならよかったよ。けどおまえ……、まだ俺と逃げたいって思ってる?」
「え、それは……。わからない……」
気持ち的には当然イエスと答えたい。けれど、言ってはいけない気がした。
この人はあの会社でそれなりの立場にある人だ。
ただ、聞いてくれたことは嬉しかった。ひとりぼっちじゃないと思える。
(やっぱりぼく、虎さんのことが好きかも……?)
何も言えずに見つめていると、彼が荷台からベアマンバーを取ってきて差しだした。
「……あ。えーと、いくらですか?」
「これはサンプルだからタダだよ」
渡されたものには、昨日とは違ってシールが貼られている。
「『バナナヨーグルト味』……?」
味は想像できなくもないけれど、美味しいのかどうかと思った。
「どうなんだろうな、コレ。マズかったらマズかったって、ハッキリ言えよ?」
類の微妙な表情を読み取ったのか、部長はクスリと笑い声をたてた。
そうこうする間に何組かの客が来て、ベアマンバーを買いに並ぶ。
「あ、悪い」
彼は類にひと言謝り、さっと荷台に戻っていった。
何人かは普通に買っていき、最後に並んでいたキツネ型獣人の女子高生たちは、部長扮するホワイトベアーマンにスマホのカメラを向けていた。
(結構人気なんだ? ベアマンバー)
また子どもが来て、手のひらに握った硬貨でベアマンバーを買っていく。
それを見送る部長は、楽しそうに手を振った。
(この商品がジリ貧なんて、思いたくないな……)
花壇の縁に座って見ていた類は、胸の痛みを覚える。
午前中に見た資料では、ベアマンバーの出荷本数はここ数年横ばいだった。つまり新規のファンを獲得できていない。
(こんなに美味しいのに、なんで……)
バナナヨーグルト味のベアマンバーは、バナナの甘みにヨーグルトの酸味がよく効いていた。
「美味しかったです。他にどんな味があるんですか?」
接客を終えた虎牙部長に聞いてみる。
「定番のソーダとグレープフルーツだろ。それからスイートオレンジ。ほかに毎シーズン3、4種類のサンプルを作って、一番よさそうなやつを季節限定で出してるんだ」
今もらったバナナヨーグルトは、そのための季節サンプル第1号だった。
「部長はベアマンバー、好きですか? それに会社は」
「んー、そうだな……」
彼は腕組みして答える。
「好きだよ。俺はこれで余生を楽しんでる」
「余生?」
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