夏日

谷村にじゅうえん

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夏日 1/1

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「この真夏にネクタイも緩めないのか?」

 廊下を早足で進みながら、俺は隣を歩く男を横目に見る。
 エライ教授たちだって、何年も前から夏場はノーネクタイが普通だ。
 彼は俺を面倒くさそうに見返して、ワイシャツの襟元に指を入れた。
 首と襟の内側がかすかに擦れる。たったそれだけの仕草に俺の目は釘付くぎづけになってしまった。
 けれどその指は、すぐに彼の首元から離れていく。

「暑くないのか?」
「わりと低体温なんだ」

 体温が低いと体感温度としても暑くないんだろうか。俺にはよくわからない。

「汗とかかかないのか?」
「くどいよ」

 見ていた横顔の口角が、ほんの少し持ち上がった。

「どうせ教室は冷房が効いてる」

 眼鏡の奥の瞳は笑っていない気がする。
 怒っているのか、笑っているのか。感情が読めない。
 つかみ所がなさ過ぎる。だからこそ惹かれてしまう。
 こうやってつれなくされてもしつこく話しかけ続けるのは、おそらく俺の意地みたいなものだった。

  T字路になった廊下の突き当たりが見えてくる。
 そこで会話はお終いだ。俺たちの向かう講義室は逆方向だから。
 もう何度目だろう。今日も親しくなるきっかけをつかめないままタイムオーバーだ。
 心の中で無力な自分を笑った時――。

「そんなに俺を脱がせたい?」

 彼がその場に足を止め、片手で眼鏡を押し上げた。

「は……?」

 脱がせたいかと聞かれれば、それは脱がせたいに決まっている。
 かなうことならシャツのボタンのひとつでも外してやりたい。
 こいつとのベッドインなんて想像もできないけれど、つまりそれに類する欲望を、俺はこいつに対して抱いていた。

「ネクタイくらい外せば?」

 動揺を悟られないよう返すのが精いっぱいだ。

「それより一限が始まる」

 俺はもう一度足を動かし始めた。ところが。
 後ろから半袖の腕の、肘の辺りをつかまれる。

(え――?)

 初めての肌の触れ合いに心臓が止まるかと思った。

「なんだよ……」

 肩越しに振り返ると、彼がかすかな笑みを浮かべた。

「外すよ。これで満足?」

 襟元からネクタイを引き抜いて渡される。

「いやこれ、俺に渡されても……って話聞けよ!」

 自称・低体温の男はそのまま俺を追い越し、ノーネクタイでスタスタ行ってしまう。
 俺は慌てて彼を追った。
 俺たちの距離は、ネクタイ一本分縮まったんだろうか?
 わからない。けれどこの先の夏に期待が高まる。
 俺はあと何枚、彼を脱がせられるんだろうか。
 天気予報が、今年初めての夏日を知らせた日のことだった――。
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