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32,糖分

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 羽田さんに担がれて行った先は、古いロッジのような建物だった。
 四畳半ほどの空間に2段ベッドが2つ、それに小さな洗面台とお手洗いがついている。電気は引かれているが暖房設備はない。ベッドに布団はなかった。

「夏場のキャンプシーズンにだけ使っているのかもしれないな……」

 うっすらとほこりの積もった窓枠を見て、羽田さんがそう推測した。
 それから彼は手袋を外し、俺の髪や服に積もった雪を落とす。

「怪我は?」
「いえ、たぶん……」

 スノーモービルから転がり落ちた時にあちこち打ったけれど、手足はちゃんと動く。打ち身だけで大きな怪我はなさそうだ。

「唇が真っ青だな、とりあえずこれ着てろ」

 羽田さんがおもむろにダウンジャケットを脱ぎ、俺の肩にかけてくる。ダウン特有のスパイシーな香りが鼻腔をくすぐった。

「いや、悪いです、これじゃ羽田さんが風邪をひく」
「お前は主演俳優だろー。換えが効かないんだから、ちゃんと体大事にしなさい」
「それを言ったら羽田さんだって」

 すると彼はニヤッと笑って、俺の髪をさっと撫でてくる。

「俺サマくらいになるとな、裸でいても風邪ひかないんだ。そうだ、みんなに電話しなきゃいけないから、お前はこれでも舐めてな」

 羽田さんは俺の肩にかけていたダウンのポケットからキャンディを取り、包みをほどいて目の前に差し出した。

「あれから何も口にしてないだろ? 糖分取っといた方がいい」

 彼の指先につままれた、赤いキャンディに焦点が合う。その手がすっと寄ってきて、俺の唇にキャンディを押しつけた。

(あっ……)

 反射的にそれを口に入れる。
 羽田さんは満足そうに目を細めると、スマホを手に窓の方へと離れていった――。

 羽田さんによるとあのあとみんなで辺りを探したけれど、俺もスノーモービルも見つからず、吹雪になってしまったらしい。
 とはいえここはスキー場の敷地内で、遭難するほどの広さもない。みんなはスキー場側と警察にも連絡し、天気の回復を見つつ俺を探そうとしていたらしいが……。

「じゃあ、なんであなたは来てくれたんですか?」

 電話連絡のあと、状況を話してくれた羽田さんに聞いてみる。

「それは困っている人がいたら、助けに行くのがヒーローだろ?」

 俺と並んでベッドに腰かけ、彼は白い歯を見せて笑った。

「それはそうですけど……吹雪が落ち着いてからでもよかったのに」
「なんで。動ける体があったから、俺はお前のところまで来た。それだけだ」

 その顔を見ると、羽田さんには少しも迷いはなかったらしい。
 思わずじっと見つめていると、彼は何かを思い出したように笑いだした。

「そうそう、それにお前んとこのマネージャーも、気が気じゃないみたいだったしな」
「え、宇佐見さんが?」
「あれ、動画にでも撮っておいて、お前に見せてやりたかったな!」
「何したんですか? 宇佐見さん……」

 嫌な予感を覚えつつ聞いてみる。

「『うちの一月に何かあったらどうしてくれるんだ』って、俺に八つ当たり! なんで俺のせいなんだよって思ったけど、まー取り乱してたんだろうから仕方ない。それで俺が『一月を見つけてきてやる』って言って出てきたわけ」
「なんですかそれ……羽田さん、めちゃめちゃヒーローじゃないですか……! ホント敵わないな……」

 今に限っては本当に、そのことを認めざるを得ない。かっこよく啖呵たんかを切って出てきて実際に俺を見つけてしまうんだから、この世界がドラマなら、間違いなく羽田さんを中心にシナリオが組まれている。

「だろー! 俺もそう思う!」

 彼も楽しそうに笑っていた。

「けど、お前を見つけられて本当によかった……」

 肩にかけた上着越しに、羽田さんが背中をさすってくる。重心が移動した拍子に、腰かけている木のベッドがギシリと鳴った。

(あ……)

 何もない部屋に2人きりでいることを、今頃になって意識する。外で鳴っている風の音が、ふと遠のいた気がした。
 胸の鼓動がトクトクと速くなる。

「一月……」
「はい……」

 返事をしながら、羽田さんの声もいつもより固いことに気づいた。

「もうちょっとこっち来いよ、この部屋寒いし」

 上着を借りている手前、その言葉には逆らえなかった。背中に回った腕に誘われるようにして、彼の肩口にぽすりと頭を預ける。羽田さんが、ゆっくりと息を吐き出した。

(男2人でこんなにくっついてるなんて、変な感じだ……)

 しかも長身が2人、どう考えても絵的に苦しい。でも、今はこうしていたい気分だった。

(俺、弱ってるんだろうな……)

 そんな理由で自分を納得させる。羽田さんが顔をずらし、俺の額に唇を押しつけた。

(……あ)

 触れてくる湿った熱を呼び水に、血が熱くなるのを感じる。その唇が、故意なのか偶然なのかは分からない。けれどももっと彼の熱が欲しい気がして、俺は自ら顔を持ち上げた。
 すると額に当たっていた唇がずれて、目尻にこすれる。それから羽田さんのキスは、きちんと俺の唇を捉えた。

(これはさすがに故意なんだろうな……)

 ふたりして何をしているのか。そう考えると恥ずかしい。羞恥と混乱で、指先が震えた。
 でも唇の熱は逃したくなくて、キスが離れてしまわないようにと細心の注意を払う。
 そうしてしばらく重なり合う熱の心地よさを感じていると、羽田さんの舌先がぬるりと唇に触れてきた。

(えっ……どうしよう……)

 急に性的なものを感じて怖くなる。熱い舌先が震える唇をなぞり、息をついたところで中まで入り込んできた。
 唾液が混ざり合う感触。キスが深くなり、唇と唾液を吸われる。

「甘いな……」
「え……?」
「さっきのあめか」

 また味わうように舌を差し入れられる。

「ん……」
「飴、もう溶けちゃった?」

 彼の舌は、俺の口の中からキャンディを探しているだけなのか。それにしては熱心に、歯列の裏側を行き来している。
 頭がクラクラする。けれど震えるほどに気持ちいい。
 こんなの嘘だと思う。あのキャンディがどうなったかなんて、もうどうでもよかった。
 だいたい羽田さんのキスが甘すぎて、それ以外の味なんか分かるはずがない。
 すっかり脳みそがとろけきってしまった頃、羽田さんは俺の口の中に溢れた唾液を飲み干して、唇を離した。
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