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31,銀世界
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体が空中に投げ出され、浮遊感ののちに背中が雪面に打ちつけられる。
けれどもそれで終わりではなかった。俺の体はボーリングの玉か何かのように回転しながら斜面を滑る。
どちらが空か、地上なのかも分からない。零コンマ何秒ごとに切り替わる視界はただ真っ白で――。
(おれ……は……)
断続的に体を襲う衝撃から、ようやく解放された時……。
一面の銀世界の中心に、俺はたったひとり取り残されていた。
「ううっ……」
全身が痛くて、すぐには手足を動かせない。ゆっくりと体を反転させ、ようやく雪空を視界に捉えた。
灰色だったはずの空が、夕闇に浸食されたような鉛色に変わっている。辺りに広がる雪景色も暗かった。
日陰になっている、山の反対側まで来てしまったのだろうか……。
(そうだ、連絡!)
朦朧とする中、腰の後ろへ手を伸ばす。
「……え?」
そこに取り付けてあったはずの無線機がなかった。スノーモービルから投げ出された時に、どこかへ落としてしまったんだろう。
しかし首を持ち上げて周りを見回しても、無線機どころかスノーモービルの影すら見当たらなかった。
「マジか……」
あれがないとなると、こちらからは連絡手段がない。
けれど撮影中に主演が消えてしまったんだ。今頃みんなは辺りを探し回っているだろう。
そのうち誰かが助けにきてくれる。俺は暗い空に向かって息を吐いた。
ところがそれからも冷たい雪が体に降り積もるばかりで、いっこうに人が近づいてくる気配はなかった。
このままではマズいかもしれない。俺は痛む体を引きずって、林の陰へと移動した。
遠くからでも目立ちそうな明るい赤色のジャケットが、凍てつき色を失っている。そしてスバルの衣装は雪山で過ごすには軽装すぎた。
時が経つにつれ体はますます凍え、不安が心を侵食していく。じっとしているのに堪えかねて雪の中を歩いてみたけれど、結局体力をすり減らすだけだった。
そうこうするうちに、空は真っ暗になってしまう。
どうしてこんなことになったのか。
あの時監督に話をして、羽田さんがスタントをしてくれていたら……。彼ならとっさの判断で、事なきを得ていたんだろうか。
それはそうだ。あの人なら俺よりずっと上手くやれていた。
羽田さんは忠告してくれていたのに、あんなふうに意地を張るなんて俺は本当に馬鹿だった。
(もう、駄目なんだろうか……)
思考はどんどん暗い方へと落ちていく。
春を迎え夏を越え、次の冬のクランクアップまで、俺はスバルで、ユーマニオンレッドでいたかった。それが俺にとっての唯一の望みだったのに……。
太い木の根元に座り込み、かじかんだ手をゆっくりと握ってみる。凍り付いたまつげを、熱い涙がじんわりと溶かしていった。
その時――。
「――一月!」
肩を揺さぶられてハッとした。
吹雪の中、羽田さんが目の前にひざを突いていた。
「は……羽田さん? どうして……」
夢でも見ているんじゃないかと思ってしまう。
「どうしてじゃねーよ馬鹿! お前を探しに来たに決まってる!」
その腕に強く抱きしめられる。これが現実だってことを示すかのように、触れ合う頬が熱かった。
「大丈夫だな、生きてるな!?」
「生きてます……」
答えた途端、両側の頬を熱い涙が伝い落ちた。
(あっ……)
溢れる俺の涙が、羽田さんの頬まで濡らしてしまったんじゃないかと思い慌てる。
「馬鹿、泣くことないだろー」
そう言って顔を離した羽田さんも、信じられないことに涙目になっていた。
(……っ、人のこと言えないじゃないですか!)
言い返したいのに、安心しきってしまってもう声を出す気力がない。代わりに両腕を持ち上げて、彼の首にきゅっと巻き付けた。
羽田さんの筋肉に覆われた首筋が、天国みたいに温かい。このまま意識を手放してしまいたい、そんな思いにとらわれた。
しばらくそこに顔を押しつけていると、彼が戸惑うように身じろぎした。
「一月……」
両肩をつかんで、慎重に引き剥がされる。
「とりあえず行こう。ここから少し下ったところに、何かの小屋が見えたから」
肩をつかんでいた手が脇の下まで滑ってきて、そのままするっと俺を担ぎ上げた。一瞬何が起こったのか分からなかったけれど、いま大人の男として格好がつかない状態になっていることは理解できる。
「あのっ、下ろしてください、歩けます!」
肩の上で声をあげると、いつものように鼻で笑われた。
「いいから抱っこされてなさい。嫌なら目えつぶっていればすぐ着く」
(目えつぶっていればって……)
俺はお姫様か何かか。普段の俺なら意地でも下ろさせるだろうに、今は触れ合う体温が心地よくて抵抗できそうにない。
(こんな格好悪い姿、羽田さんには見られたくないのに……)
けど……ホント今さらだ。しょうもないプライドのために忠告を無視して事故るなんて、今日の俺は最低最悪に格好悪い。一方の羽田さんは俺を助けに来たヒーローだ。
もうどうしようもない。今だけヒーローに助けられるお姫様役に甘んじるしかないと思った。
けれどもそれで終わりではなかった。俺の体はボーリングの玉か何かのように回転しながら斜面を滑る。
どちらが空か、地上なのかも分からない。零コンマ何秒ごとに切り替わる視界はただ真っ白で――。
(おれ……は……)
断続的に体を襲う衝撃から、ようやく解放された時……。
一面の銀世界の中心に、俺はたったひとり取り残されていた。
「ううっ……」
全身が痛くて、すぐには手足を動かせない。ゆっくりと体を反転させ、ようやく雪空を視界に捉えた。
灰色だったはずの空が、夕闇に浸食されたような鉛色に変わっている。辺りに広がる雪景色も暗かった。
日陰になっている、山の反対側まで来てしまったのだろうか……。
(そうだ、連絡!)
朦朧とする中、腰の後ろへ手を伸ばす。
「……え?」
そこに取り付けてあったはずの無線機がなかった。スノーモービルから投げ出された時に、どこかへ落としてしまったんだろう。
しかし首を持ち上げて周りを見回しても、無線機どころかスノーモービルの影すら見当たらなかった。
「マジか……」
あれがないとなると、こちらからは連絡手段がない。
けれど撮影中に主演が消えてしまったんだ。今頃みんなは辺りを探し回っているだろう。
そのうち誰かが助けにきてくれる。俺は暗い空に向かって息を吐いた。
ところがそれからも冷たい雪が体に降り積もるばかりで、いっこうに人が近づいてくる気配はなかった。
このままではマズいかもしれない。俺は痛む体を引きずって、林の陰へと移動した。
遠くからでも目立ちそうな明るい赤色のジャケットが、凍てつき色を失っている。そしてスバルの衣装は雪山で過ごすには軽装すぎた。
時が経つにつれ体はますます凍え、不安が心を侵食していく。じっとしているのに堪えかねて雪の中を歩いてみたけれど、結局体力をすり減らすだけだった。
そうこうするうちに、空は真っ暗になってしまう。
どうしてこんなことになったのか。
あの時監督に話をして、羽田さんがスタントをしてくれていたら……。彼ならとっさの判断で、事なきを得ていたんだろうか。
それはそうだ。あの人なら俺よりずっと上手くやれていた。
羽田さんは忠告してくれていたのに、あんなふうに意地を張るなんて俺は本当に馬鹿だった。
(もう、駄目なんだろうか……)
思考はどんどん暗い方へと落ちていく。
春を迎え夏を越え、次の冬のクランクアップまで、俺はスバルで、ユーマニオンレッドでいたかった。それが俺にとっての唯一の望みだったのに……。
太い木の根元に座り込み、かじかんだ手をゆっくりと握ってみる。凍り付いたまつげを、熱い涙がじんわりと溶かしていった。
その時――。
「――一月!」
肩を揺さぶられてハッとした。
吹雪の中、羽田さんが目の前にひざを突いていた。
「は……羽田さん? どうして……」
夢でも見ているんじゃないかと思ってしまう。
「どうしてじゃねーよ馬鹿! お前を探しに来たに決まってる!」
その腕に強く抱きしめられる。これが現実だってことを示すかのように、触れ合う頬が熱かった。
「大丈夫だな、生きてるな!?」
「生きてます……」
答えた途端、両側の頬を熱い涙が伝い落ちた。
(あっ……)
溢れる俺の涙が、羽田さんの頬まで濡らしてしまったんじゃないかと思い慌てる。
「馬鹿、泣くことないだろー」
そう言って顔を離した羽田さんも、信じられないことに涙目になっていた。
(……っ、人のこと言えないじゃないですか!)
言い返したいのに、安心しきってしまってもう声を出す気力がない。代わりに両腕を持ち上げて、彼の首にきゅっと巻き付けた。
羽田さんの筋肉に覆われた首筋が、天国みたいに温かい。このまま意識を手放してしまいたい、そんな思いにとらわれた。
しばらくそこに顔を押しつけていると、彼が戸惑うように身じろぎした。
「一月……」
両肩をつかんで、慎重に引き剥がされる。
「とりあえず行こう。ここから少し下ったところに、何かの小屋が見えたから」
肩をつかんでいた手が脇の下まで滑ってきて、そのままするっと俺を担ぎ上げた。一瞬何が起こったのか分からなかったけれど、いま大人の男として格好がつかない状態になっていることは理解できる。
「あのっ、下ろしてください、歩けます!」
肩の上で声をあげると、いつものように鼻で笑われた。
「いいから抱っこされてなさい。嫌なら目えつぶっていればすぐ着く」
(目えつぶっていればって……)
俺はお姫様か何かか。普段の俺なら意地でも下ろさせるだろうに、今は触れ合う体温が心地よくて抵抗できそうにない。
(こんな格好悪い姿、羽田さんには見られたくないのに……)
けど……ホント今さらだ。しょうもないプライドのために忠告を無視して事故るなんて、今日の俺は最低最悪に格好悪い。一方の羽田さんは俺を助けに来たヒーローだ。
もうどうしようもない。今だけヒーローに助けられるお姫様役に甘んじるしかないと思った。
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