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29,走り続ける人

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「そうだよ、前は一月の方こそ淡々と仕事してた。カチンコが鳴ったら機械じかけの人形みたいに人格入れ替えて演技して。それでカットがかかったら、電池が切れたみたいにまた誰とも話さなくなんの。そんなお前だったから、俺も淡々と仕事ができたわけ。それなのに今回は俺の頭跳び越えて『行く』とか宣言しちゃってさ。お前ってそんな熱いやつだったっけ? 違うだろー。いったいどこへ行く気なんだって、こっちも心配になるだろー」

 不安をぶちまけるように饒舌じょうぜつになる彼を、俺は不思議な思いで見つめていた。
 けど、マネージャーのその分析も、ある意味正しい気がした。
 俺は実際、周囲の人間や環境に適応できなくて、その分演技というトランス状態に逃避していた。役柄になりきることで始めて、人と、世界と接することができる。
 そんな俺は、演技以外何もできない人間で。だからこそマネージャーも扱いやすかったことだろう。
 そんな俺が変わった。ユーマニオン・ネクストに単なる仕事以上の愛情とこだわりを持ち、自分を変えてまで挑もうとしている。
 俺が何も言わなくても、宇佐見さんには感じるものがあったに違いない。年単位で一緒にいる仲だから……。

「あいつの影響なんじゃないのか?」

 彼がノートPCに視線を落として聞いてきた。画面を見ながらわずかに揺れる瞳は、俺の答えに怯えているのかもしれない。
 戸惑いながらも、俺は素直な思いを口にする。

「そうかもしれない。あの人に負けたくなくて、積極的になれる部分はあるから」
「……それだけ?」
「それだけって?」
「憧れてるんだろ? なんであんなおっさんにって思うけど」

 マネージャーがこちらへ向き直り、少しつらそうに笑っていた。
 そうだよ、認める、憧れてる。そのおっさんが、めちゃくちゃかっこいいから困るんだ。いろいろと問題のある人だけど、ヒーロースーツを着た羽田さんは文句なしにかっこいい。あの凄みは、重ねた年のせいもあるだろう。

「っていうか宇佐見さんと羽田さん、3つくらいしか変わんなくない? 確か宇佐見さんが29で、羽田さんが30か31?」
「いやいやいや、三十路の壁は大きいって!」

 マネージャーが眉間にしわを寄せて力説した。

「そう言われても、俺から見たら変わんない」
「お前、たまにすごく残酷だよな! 俺、おじさんに見えないように結構頑張ってるんだけど!」

 拗ねた顔をしてみせるマネージャーに、俺は苦笑いで応じる。
 でも、やっぱりそれは違うと思う。宇佐見さんはファッションやスキンケアで自分を保とうとしているけれど、羽田さんはジャージ姿でも普通にイケている。
 顔や体型だけじゃないと思う。自分を磨こうと、真摯に積み上げてきた時間が違う。
 あの人はあれでヒーローであろうと、常に努力していると思うんだ……。
 都会から地方へと変わっていく車窓の景色を見ながら、俺はぽつりと打ち明ける。

「撮影所の近くに何川だったか、大きな川があるでしょ。暇な時はそこの河原をジョギングしてるんだ」
「何、一月の自分語りなんて珍しいなあ」

 マネージャーが意外そうな顔で言ってきた。

「自分語りっていうか、羽田さんの話。そこを羽田さんもジョギングしてるみたい」
「へえ……?」

 車窓を田園風景が流れていった。

「ジョギング中に羽田さんに会ったのは、確か1回だけ。でもマンションのベランダからもあそこの河原が見えるんだ。雨の日も雪の日も、あの人は走ってて……」

 ベランダからは河原を走る人は豆粒くらいにしか見えないのに、きれいなフォームや人より速いペースもあって、俺は羽田さんが分かるようになってしまった。
 あの人が走る姿を見つけると、どうしてか俺は神聖な思いにとらわれる。まっすぐに目指すものがある人は、本当に美しい。たぶん走っている時の羽田さんは、人としての欲望や雑念からも解き放たれているんだと思う。
 そのことをどう説明しようかと、しばらく頭を悩ませた。そしてひと言だけ口にする。

「走り続ける人はかっこいい」
「走り続ける……」

 マネージャーは俺の言葉を繰り返しただけで、らしくもなく押し黙ってしまった。俺も黙って見ていると、彼はせっかくセットしていた髪をかき混ぜてしまう。

「なんだよそれ~! それじゃ俺、一生あいつに勝てないわけか!」

 大げさに嘆いたあと、ぽつりと続けた。

「俺ももっと、真面目に生きてくればよかったな……」

 その言葉に切実な思いがこもって聞こえて、どう返していいのか分からなくなる。
 それから彼はテーブルに置いたノートPCをそのままに、車窓の景色を見つめ続けた。
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