サイテー上司とデザイナーだった僕の半年

谷村にじゅうえん

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3章:ハワイアン・ジントニック

第8話

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「何って……相楽さんの体以外ありません」
「言っただろ? 俺はじっとしてるのが苦手だって」

苦手――そう言い換えたけれど、一昨日の相楽さんはじっとしているのが『怖い』と言っていた。
彼の瞳の奥に、息苦しいような不安が溜まってみえる。
それに気づいた瞬間、引き留めるつもりだったのに気が変わってしまった。

「だったら、僕も連れていってください」

この人がじっとしていられないなら一緒に行って、飲み方を見張ろうと思った。

「それが嫌なら僕を倒していくか、大人しくベッドに戻るかです」
「なるほど、面白いな」

立ちはだかる僕の前に、相楽さんが半歩踏み出す。
前髪がふわりと触れ合った。

「ベッドに戻るよ。ミズキが添い寝してくれるなら」
「……えっ?」

僕たちは別々の部屋にベッドを確保していて、相楽さんの方の部屋には橘さんか誰かがいるはずだ。
もう寝ているとしても、その隣で相楽さんと同じベッドに入る勇気はさすがにない。

「じょ、冗談ですよね?」

ドキドキしながら反応を待っていると、彼の目元が笑った。

「もちろん冗談だ、行こう。ミズキを連れていくのに、悩む理由なんかない」
「……っ、意地悪ですね!」

からかわれたんだと気づき、頬の辺りが熱くなった。



コンドミニアムを出た僕たちは、近くのホテルのバーに入り、ジントニックを注文した。

「夜中に抜けだしたってバレたら、橘さんに怒られますね」

グラスのふちを舐めながら言うと、相楽さんが片眉を上げる。

「小言くらいは言うだろうけど、それくらいだろ」
「相楽さんには『それくらい』かもしれませんけど、僕にとって橘さんは上司ですから!」

僕に実務のイロハを教えてくれるのは、相楽さんでなく橘さんだ。
橘さんは穏やかで優しい人だけれど、だからこそ困らせたくはない。

「お前はどっち向いて仕事してんだよ? 橘さん? それとも俺?」
「えっ……」

気持ちがあるのは間違いなく相楽さんの方になのに、突然聞かれて答えられなかった。

「お前も薄情だなあ」

横並びに座る彼が、僕に肩をぶつけてきた。
またグラスに口をつけ、しばらく沈黙が続く。

(あのこと、ちゃんと話した方がいいのかな?)

僕はそっと、相楽さんの表情を伺った。

「なんだよ?」
「あの……」

緊張しながら口を開く。

「早乙女さんから聞きました。この前の非常階段でのこと……あれ全部、僕の誤解でした。すみません」

グラスに目を落として話しても、頬には相楽さんの視線を感じた。

「なんで謝る?」

彼はすぐに聞いてくる。

「それは……僕が勝手に誤解して、相楽さんのことを責めたから。けど早乙女さんは、2人の関係はコンペの結果に影響してないって」
「早乙女がそう言ったのか」
「はい、あと、相楽さんにはフラれちゃったって……」

僕がしゃべりすぎてしまったのか、相楽さんが渋い表情になった。

「お前はさ……」

咎めるように、低い声で言われる。

「俺より、早乙女を信じるんだな?」
「え……?」
「だってそれ全部、俺が先に言ったことだ」

(そう言われると、そうだった……)

クラシックな雰囲気のバーの中に、気まずい空気が滞留する。

「けど……相楽さんがいけないんですよ? あそこで、キス……なんかしたから。真面目な話なんだかただ誤魔化されただけなのか、あれじゃあ分からなくなります……」

沈黙に耐えかねて苦情を言うと、相楽さんがキッとこちらを睨んだ。

「キス……しちゃいけないわけ?」
「……えっ?」

思わず肩が跳ねる。
彼は怒ったような、いや、どちらかというと拗ねたような顔で僕を見据えていた。
その眼力に呑まれそうになりながらも、僕もなんとか口を開く。

「いや、あそこでキスする意味が分からないって言ってるんです。僕らはその、恋人同士ってわけじゃないんだし、そんなことする必然性が……」
「必然性ねえ……」

相楽さんが大きく息をついた。

「俺はむしろ、必要なのかと思った」
「は、なんでそうなるんです?」
「だってミズキは……」

相楽さんの左手が向こう側から伸びてきて、僕の目尻をなぞる。

「僕が、なんですか?」
「あの時、泣いてた」
「――っ!」

そうだ、僕は泣いてしまっていた。
相楽さんと早乙女さんの、衝撃的なキスがショックで。

「あの涙を見て俺は、ミズキも俺のことが好きなのかと思った」

あの時のことを思い出し、ジントニックのアルコールが一気に顔まで上がってきた。

「いや……待ってください、あの時は――」

口をパクパクと動かし、混乱した頭から言葉を探し出そうとする。

「僕はただ、相楽さんに裏切られたと思って、それがショックで……!」

僕を見つめていた彼の目が、すっと細められた。

「ちょっと来いよ」
「えっ……?」
「向こうで話そう」

テーブルの上に100ドル札を置き、相楽さんは席を立つ。
そこで僕はようやく、自分の声が高くなっていたことに気がついた。

飲みかけのグラスをそのままに、バーのあるホテルの中庭へ出る。
深夜も過ぎたこの時間、そこに人の姿はない。
水色にライトアップされたプールだけが、ゆったりと水面を揺らしていた。
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