サイテー上司とデザイナーだった僕の半年

谷村にじゅうえん

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3章:ハワイアン・ジントニック

第6話

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「何もしなくていいです。けど、そのおでこはなんとかしましょう」

ハンカチを濡らしてきて、傷口を拭く。
彼は仰向けになり、されるがままになっていた。
ベッドサイトの明かりで確認すると、血が汗でにじんでいただけで、傷そのものは思っていたより小さい。

「これなら、絆創膏でもいけるかな?」

荷物に入っていた絆創膏を出し、2つ並べて貼り付けた。

「なんか、子供みたい」

クスッと笑って絆創膏を撫でると、相楽さんは納得いかない顔で僕を睨んだ。

「突き飛ばしたのはミズキだからな?」
「それは分かってます」
「でもいいか。猫は助かったし、傷ひとつで済んだんだから……」
「でも……あの車がもうちょっと速かったら、相楽さん死んでましたよ。遠くの国の猫のために命を捨てるのは、なんていうか……らしくない気がします」

珍しく見せた無私の行為を、僕も否定する気はない。
けれどキャラが違うだろう、とツッコミたくなった。
そんなことでこの人に、命を捨ててほしくなくて……。

「そうか?」

横になったままの相楽さんが、考え込む僕を真下から見つめてくる。
少し潤んだその瞳に誘われるように、僕は仰向けに寝ている彼の顔の脇へ、腕を突いた。

気だるい空気の中、意味もなく彼に触れたくなる。
その衝動は我慢したけれど、代わりに唇から本音がこぼれ落ちた。

「だいたいあなたは、生き急ぎすぎです。寝ないで働いて遊んで。いくら体力に自信があっても、そのうち倒れます」

そんなの、僕は嫌だ――そう続けようとしたのに、相楽さんの声が先に空気を震わせる。

「それは分かってる」

(分かってる――?)

「分かってるのにやってるんですか」

思わぬ彼の言葉に、つい強めの口調で問い返した。

「どうして……」

真下から僕を見つめていた相楽さんの視線が、すうっと横へ逸れていった。

「怖い」
「え……?」
「じっとしているのが怖いんだ……」

息を吐き出すだけの声で言われる。

「何も残せないまま、死ぬのが怖い」
「だから働いて遊んで、お酒を飲むんですか?」

僕には理解できない。
けれどそういうことなんだろう。

「臆病なだけかもしれない」

彼が片腕を、自分の顔の上に持ってくる。
それで表情が読み取れなくなってしまった。

仕方なく視線を外し、窓の外へ目を向ける。
天才ゆえの焦燥感、そんな感じのものがこの人にはあるのかもしれない。
僕は天才ではないけれど、進学も就職も人より遅れていたせいで、かなりの焦燥感と、それに比例した諦めをもって生きてきた。
諦めがなければ、きっと焦燥感は募る一方だ。

良くも悪くも実力と自信のある相楽さんは、焦燥感を諦めという形で消化することができないんだろう。
そうだとして、その焦燥感の原因はどこにあるのか。
それが単なる漠然としたものではない気がして……。
僕は生活感のない薄紫色の壁に視線をさまよわせた。



ハワイ2日目はダイヤモンドヘッドに登り、午後はサンセットクルーズへ。

そして3日目。
現地の美術館、博物館を巡り、宿泊先のコンドミニアムにやってきた。

結局あれから、相楽さんと込み入った話はできていない。
ツアー中も元気な相楽さんと後ろからついていくだけの僕とでは、精神的にも物理的にも距離ができていた。

コンドミニアムの広々としたリビングで今、相楽さんはサッカー中継に興じている。
家なら彼の座るソファの隣は空いているのに、そこは事務所の仲間で埋まっていた。
僕は後ろのカウンターキッチンで飲み物を飲みながら、彼らの姿を遠巻きに見る。
大型テレビの中でサッカー選手がシュートを決め、リビングがテレビの向こうのサッカー場と一体化した。

歓声を上げる相楽さんの後ろ姿に目が行く。
両腕を上げ喜びを体全体で示しているけれど、その内面には何が隠されているのか。

何も残せずに死ぬのが怖い――そう言っていた2日前の彼が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
早口にまくし立てる中継の音声を聞きながら、落ち着かない気分になる。

(他の部屋に行こう)

僕は飲みかけのグラスを手に、みんなのいるリビングをあとにした。

誰もいない寝室に入り、床に並んでいる荷物から自分のバッグを探し出す。
今夜は同じコンドミニアム内にあるいくつかの寝室を使って寝ることになっていて、部屋割りは特に決まっていなかった。
それより明日には帰国便に乗ることを思うと、帰ってからの仕事のことが気になり始める。
僕はノートPCを出し、仕事のメールを確認することにした。
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