サイテー上司とデザイナーだった僕の半年

谷村にじゅうえん

文字の大きさ
上 下
28 / 58
2章:紫色のチェ・ゲバラTシャツ

第14話

しおりを挟む
(早乙女さん!?)

しかも相楽さんのスマホには、社名と苗字ではなく姓名のフルネームで登録されている。

「ミズキ……」
「……っ! 危うく流されるところでした。こんなんじゃもう、誤魔化されませんから!」

上に乗っている彼を押しのけ、僕はそのまま部屋を飛び出した。



マンションの前の通りへ出て、暗い街灯の下で息を整える。
夜9時の街には、息苦しくなるような湿った空気が満ちていた。
雨でも降るのかもしれない。

(頭の中、ぐちゃぐちゃだ……)

何が嘘で、何が本当なのか分からない。
僕がこんな場所にいること自体、現実ではない気がした。
ここは大きな通りから1本奥まった通りで、この時間、人通りは少ない。
路肩に寄せた配送トラックの運転席で、ドライバーが気だるげにスマホを見ていた。

そこに立ち尽くしているわけにもいかず、僕はどこへともなく歩きだす。
それから自分が、財布もスマホも持っていないことに気づいた。
あの部屋に戻らないわけにはいかないけれど、今は相楽さんと顔を合わせたくない。

心地よかったキスを思い出し、胸がズキンと痛んだ。
あんなことをされても僕は、相楽さんとなら嫌じゃないと思った。
むしろ嬉しかったのかもしれない。
触れられる喜びを、体は素直に感じていた。
……でも、違った。

スマホの画面を見て、舌打ちする彼の顔がフラッシュバックする。
僕とのことは嘘を誤魔化すための戯れにすぎなかった。
ゲイでもない相楽さんが、本気で僕を好きになるはずがない。
目的はともかく彼は早乙女さんと繋がっていて、それを知ってしまった僕をなんとか黙らせようとしただけだ。

――キスに深い意味なんかない。

そういえば相楽さん自身が、あのキスの前に言っていた。

「わーッ! なんなんだよ!」

誰もいない暗い通りで、ひとり叫ぶ。
相楽さんにとって意味なんかなくても、あんなキスをされたら心を持っていかれる。
布越しに触られた胸の先が、ヒリヒリと痛い。
僕はあの人みたいに経験豊富じゃない。
アヒルの子が初めて見た動くものを親だと思って追いかけていくみたいに、僕はあの人への幻想を、どこまでも追いかけてしまう気がした。

そんな時……。

「荒川くん?」

不意に名前を呼ばれて振り向くと、通り沿いにある小さなカフェバーの軒先で、久保田さんがたばこを吸っていた。

「……久保田さん?」
「何やってんの?」
「何って……」

とてつもなく、説明に困る状況である。

「散歩、かな……」
「あれ、家近かったっけ?」
「んー、まあ……」

曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
もう帰ったはずの人間がこんな夜中に事務所の周りを手ぶらで歩いていたら、誰だって変に思うに決まってる。
僕が事務所の裏にある相楽さんのマンションに置いてもらっていることは、相楽さんと親しい橘さんくらいしか知らないはずだった。

とりあえず、話を逸らすことにする。

「久保田さんこそ、こんなところで何してるんですか?」
「みんなで飲んでるんだよ。荒川くんは直帰しちゃったから誘えなかったけど」

そう言って彼は、店の中を指さす。
ガラス戸の向こうへ目を向けると、事務所の若手数人でテーブルを囲んでいるようだった。

「荒川くんも飲んでけば?」
「あー、でも今、金欠なんだよね……」

財布がないとは言えなくて、そんなふうに誤魔化す。

「大丈夫、今日は橘さんから飲み代預かってるから」

久保田さんは自慢げに、顔のそばかすをひと撫でした。

「外でたばこ吸ってたら、荒川くんが通りかかって」

そんな久保田さんの説明に、テーブルにいたみんなが驚いた顔をする。

「おー、荒川くんだ! 珍しい」
「荒川は飲み会とか、苦手なのかと思ってた」

そもそも飲みに誘われたのが始めてだ。
こういう場で僕がレアキャラなのは間違いない。

「なんか、お邪魔しちゃってすみません……」
「邪魔なわけないだろー。それより何飲む?」
「えーと……じゃあ、レモンサワー」

注文を終えたところで、テーブルを囲んでいたひとりが遠慮がちに聞いてきた。

「荒川くんは、相楽さんのことどう思ってるの?」
「え……?」
「鞄持ちみたいに、いろんなとこ散々連れ回されてるからさ」

その言葉に、否定的なニュアンスを感じ取る。
反応に困る僕を見て、久保田さんが横から打ち明けた。

「俺らの飲みの時って、だいたい相楽さんの悪口大会だからさ」

(なるほど、そういうことか……)

「大丈夫ですよ、告げ口とかしませんから」

そう言うと、みんなの顔に明らかな安堵の色が浮かんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

僕の部下がかわいくて仕方ない

まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?

俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした

たっこ
BL
【加筆修正済】  7話完結の短編です。  中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。  二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。 「優、迎えに来たぞ」  でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。  

鈴木さんちの家政夫

ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。

うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

みづき(藤吉めぐみ)
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。 そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。 けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。 始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

処理中です...