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1章:僕と上司とスカイツリー
第8話
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「相楽さんの事務所に飛び込む、このまま就活を続ける、デザイナーなんてヤクザな商売はやめておく……」
「……?」
「相楽さん、あなたが僕に提示した3枚のカードです。僕は藁をもつかむ思いで1枚目のカードを選んだ。あなたみたいに頭のいい人が、そんな僕の思いを分からないはずがない」
それなのに僕の意に反して僕を利用しようとするのなら、この人はヒトデナシだ。
相楽さんは僕を見つめたまま、何も言おうとしない。
狭い空間で、彼と同じ空気を吸っているのが苦しくなった。
「あなたのこと、尊敬してたのに!」
エレベーターのドアが開くのと同時に、僕は1階のフロアへ走りだす。
エレベーター待ちをしていた人たちが、一様に驚いた顔を僕に向けた。
「おい、ミズキ!」
後ろから、スニーカーの走る音が追ってくる。
さすがに相楽さんは取引先のロビーを不作法に駆けたりしないと思っていたのに、彼は大きく腕を振って追いかけてきた。
本気の走りだった。
そのことに意表を突かれながらも、僕はビルの外へ躍り出る。
(どっちに逃げる?)
流れの速い車の通りを前に、左右を見た。
その一瞬の隙を突き、追いついてきた相楽さんに腕をつかまれる。
「放してください!」
「放せないな! 慌てて飛び出していって、事故にでも遭われたら困る」
強く握った腕をぐっと引き寄せられた。
勢いで、僕の体は背中から相楽さんの胸板にストンとぶつかる。
そのまま左腕で体を包み込まれ、首の後ろに乱れた彼の吐息が当たった。
(……っ!)
後ろから抱きしめられるような体勢になってしまい、僕は焦る。
人通りの多い道で、周りからいくつもの視線を感じた。
「さ、相楽さん……」
胸の鼓動が速いリズムを刻むのを感じながら、後ろを振り向く。
耳の後ろにあった2つの目が、僕を見返した。
「放してください……飛び出したりしませんから……」
「それから?」
「それからって……逃げるなってことですか?」
「分かってんじゃん」
相楽さんの目が笑う。
けれど彼の体はまだ僕から離れなかった。
「他にもまだ要求があるんですか? 万年筆は返しに行きませんよ?」
僕を抱きしめている彼の左手には、まだ真っ赤な万年筆が握られていた。
ところが彼はそれを右手に持ち替えて振りかぶると、車道へ投げ捨ててしまう。
(ええっ!?)
向こう側の車線に飛び込んでいった万年筆が、車に曳かれてバラバラに砕けた。
「なんてことをするんですか……」
アスファルトの汚れとなった万年筆を見て、体の力が抜けてしまう。
「万年筆は、もう返さなくていい」
「……返せませんよね?」
「俺が新しいのを買って返す。それで個人的に会う理由ができる」
相楽さんは、自らあの女性リーダーを攻略する方向に方針転換したようだ。
「そんな……もっと正攻法でいったらどうですか。相楽さんの話は普通に面白いし、変なことしなくても一緒に仕事したいって思います。他のクライアントさんだって、それでどんどん仕事をくれてるじゃないですか」
「ミズキはそう思うのか?」
「……えっ?」
相楽さんが僕の背中から体を離し、腕を引いて体を向き合わせる。
「お前も俺と、一緒に仕事したいと思うわけ?」
「それは……」
答えに詰まってしまった。
エレベーターで見た、相楽さんの冷ややかな横顔がよみがえる。
けれど僕がこの人の有能さに惹かれているのも事実で。
その上いま目の前にいる彼の瞳は、自信の奥に孤独を宿してみえて……放っておけなかった。
「確かに僕も、相楽さんと一緒に仕事がしたいです。でもそれはデザイナーとしてであって、変な裏工作に利用されたくはない」
ただ、その『変な裏工作』は、相楽さんにとって下っ端にさせるくだらない仕事ではなく、自らの手を汚すこともいとわない重要な仕事だということも分かってしまった。
それが正しいやり方かどうかは別として。
「相楽さん、アイデアとデザインで、もっと大きな仕事を取りましょう。僕にデザインをさせてください」
そんなふうに伝えると、彼の口角がきゅっと上がった。
「新卒がエラソーに! それができたらとっくにしてる」
そう言われると、反論のしようもない。
「けど、お前にデザインさせてみるのも面白いかもな。橘さんに連絡入れとくから、ミズキはもう事務所に帰れ」
「えっ……」
相楽さんの意外な言葉に、反応が遅れた。
「……?」
「相楽さん、あなたが僕に提示した3枚のカードです。僕は藁をもつかむ思いで1枚目のカードを選んだ。あなたみたいに頭のいい人が、そんな僕の思いを分からないはずがない」
それなのに僕の意に反して僕を利用しようとするのなら、この人はヒトデナシだ。
相楽さんは僕を見つめたまま、何も言おうとしない。
狭い空間で、彼と同じ空気を吸っているのが苦しくなった。
「あなたのこと、尊敬してたのに!」
エレベーターのドアが開くのと同時に、僕は1階のフロアへ走りだす。
エレベーター待ちをしていた人たちが、一様に驚いた顔を僕に向けた。
「おい、ミズキ!」
後ろから、スニーカーの走る音が追ってくる。
さすがに相楽さんは取引先のロビーを不作法に駆けたりしないと思っていたのに、彼は大きく腕を振って追いかけてきた。
本気の走りだった。
そのことに意表を突かれながらも、僕はビルの外へ躍り出る。
(どっちに逃げる?)
流れの速い車の通りを前に、左右を見た。
その一瞬の隙を突き、追いついてきた相楽さんに腕をつかまれる。
「放してください!」
「放せないな! 慌てて飛び出していって、事故にでも遭われたら困る」
強く握った腕をぐっと引き寄せられた。
勢いで、僕の体は背中から相楽さんの胸板にストンとぶつかる。
そのまま左腕で体を包み込まれ、首の後ろに乱れた彼の吐息が当たった。
(……っ!)
後ろから抱きしめられるような体勢になってしまい、僕は焦る。
人通りの多い道で、周りからいくつもの視線を感じた。
「さ、相楽さん……」
胸の鼓動が速いリズムを刻むのを感じながら、後ろを振り向く。
耳の後ろにあった2つの目が、僕を見返した。
「放してください……飛び出したりしませんから……」
「それから?」
「それからって……逃げるなってことですか?」
「分かってんじゃん」
相楽さんの目が笑う。
けれど彼の体はまだ僕から離れなかった。
「他にもまだ要求があるんですか? 万年筆は返しに行きませんよ?」
僕を抱きしめている彼の左手には、まだ真っ赤な万年筆が握られていた。
ところが彼はそれを右手に持ち替えて振りかぶると、車道へ投げ捨ててしまう。
(ええっ!?)
向こう側の車線に飛び込んでいった万年筆が、車に曳かれてバラバラに砕けた。
「なんてことをするんですか……」
アスファルトの汚れとなった万年筆を見て、体の力が抜けてしまう。
「万年筆は、もう返さなくていい」
「……返せませんよね?」
「俺が新しいのを買って返す。それで個人的に会う理由ができる」
相楽さんは、自らあの女性リーダーを攻略する方向に方針転換したようだ。
「そんな……もっと正攻法でいったらどうですか。相楽さんの話は普通に面白いし、変なことしなくても一緒に仕事したいって思います。他のクライアントさんだって、それでどんどん仕事をくれてるじゃないですか」
「ミズキはそう思うのか?」
「……えっ?」
相楽さんが僕の背中から体を離し、腕を引いて体を向き合わせる。
「お前も俺と、一緒に仕事したいと思うわけ?」
「それは……」
答えに詰まってしまった。
エレベーターで見た、相楽さんの冷ややかな横顔がよみがえる。
けれど僕がこの人の有能さに惹かれているのも事実で。
その上いま目の前にいる彼の瞳は、自信の奥に孤独を宿してみえて……放っておけなかった。
「確かに僕も、相楽さんと一緒に仕事がしたいです。でもそれはデザイナーとしてであって、変な裏工作に利用されたくはない」
ただ、その『変な裏工作』は、相楽さんにとって下っ端にさせるくだらない仕事ではなく、自らの手を汚すこともいとわない重要な仕事だということも分かってしまった。
それが正しいやり方かどうかは別として。
「相楽さん、アイデアとデザインで、もっと大きな仕事を取りましょう。僕にデザインをさせてください」
そんなふうに伝えると、彼の口角がきゅっと上がった。
「新卒がエラソーに! それができたらとっくにしてる」
そう言われると、反論のしようもない。
「けど、お前にデザインさせてみるのも面白いかもな。橘さんに連絡入れとくから、ミズキはもう事務所に帰れ」
「えっ……」
相楽さんの意外な言葉に、反応が遅れた。
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