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17、助けて、光輝

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冷司が、ふと、目が冷めた。
泣いたあとで、顔がひどくむくんでいる。

時計を見ると、朝になっていた。
昨日のことが、ウソのようにストンとどこかに隠されている。
あれほど悲しい衝撃が、すっぽりとどこかに消えて、まるで感情が消えてしまっているようだった。

なんだろう、目が悪くなったのかな?

冷司の世界からは、色が消えていた。

何故かわからない。強烈なストレスのせいなのか、モノクロの世界で周りを見回す。
何か部屋の外から聞こえる。
それが、母親の声だと認識するのに時間がかかった。

なぜだろう。
母さんの声が、いびつに醜く歪んで聞こえる。

「はやく、したでぇごはんをぉたべなさいぃ」

それが、低い地獄のような声で、恐ろしい物に思えてくる。
僕はどうすることも出来ず、恐る恐る1階に降りて、目で自分のバッグを探す。
モノクロでわかりにくくて目をこする。
中の物は、ゴミ袋に入れてキッチンの隅に置いてある。
バッグは見当たらない。
仕方なく食卓へと向かい、食事の並ぶ自分の席に座ろうとした。

なに?なにこれ。食べ物じゃ無い。

その時、冷司にはもう、母の差し出す食べ物が食べ物に見えなくなっていた。

「ナニヲシテイルノ、ハヤクタベナサイ、カタヅカナイジャナイ」

低く歪んだ声に、ビクンと手が震える。

「セイカツリョクモ、ナイクセニ、ゴハンダケハ、タベルノネ」

なんだろう、怖い、怖い、怖い、

母親らしい生き物が、部屋の片隅にうごめいて見える。
食卓のテーブルが、黒く歪んで見えた。

僕は、一体どこにいるんだろう。

テーブルの食事らしき物を見る。
母の作った食事が、モノクロで何なのか良くわからない。
漂ってくる香りがなぜか、生ゴミの腐ったような臭いに感じて、吐き気がして数歩後ろに下がった。
周りを見回し、唯一普通に見えるペットボトルの水を2本箱から取り、階段を上り自室に急いで逃げ込み鍵をかける。

はあ、はあ、息が切れる。

キャップを開けて、ゴクゴクいつものぬるい水を飲む。
ホッとして、ブルリと震えた。
今日は寒いんだろうか。
外を見ると、モノクロで曇っているように見える。
寒気を感じて付けっぱなしだったクーラーを止めた。
ベッドに横になり、目を閉じる。

逃げたくても逃げられない。

八方塞がりの状況で、
僕は、それから食事が取れなくなってしまった。




沢山転がる空のペットボトルを避けて、床を這ってドアに行き、ドアを開けるとトレーに食事らしき物と水のボトルが置いてあった。
水だけ取って中に置いて見ると、食器の下にメモが挟んである。
食事の臭いを嗅いだだけで、あの母親の手作りと思うと吐き気がして遠ざけた。
床を這って必死で階段を這い降り、トイレに入る。
階段が一番怖くてきつくて辛い。
息が切れて吐き気がひどくなる。

トイレに入ると、便器に急いで顔を突っ込み、さっき飲んだ水を吐く。
きつい、身体が鉛のように重い。
ズボンと下着を片手でなんとか下ろし、必死で座って用を済ませる。

「はあ、はあ、はあ、はあ、」

身体が重い、目がかすむ。
モノクロで色が良くわからない。

冷司はすでに1週間、水分だけの生活で、残暑の中でクーラーも入れず、トイレで用を済ませるだけの体力しか残っていなかった。

おしっこがしたいのに全然出ない。
どうなってるんだろう。
外に母がいるかもしれない。
トイレを出て、急いで這っているつもりなのに、ちっとも進まない。

ああ、また階段だ。

何だかその階段が、遠い遠い山登りのようにきつく感じて、ハアハア息を切らした。
部屋の影から、うごめく物がこちらを見ている。

「レイチャン……」

低い歪んだ声が、突然投げかけられた。

「た、助けて……怖い。にいさん、おとうさん、たすけて」

僕は、弱々しく声を絞り出しながら、必死で階段を這い上がった。
時々、視線の先に光輝の姿がボンヤリ映る。
僕に笑って手を伸ばしてくれる。

「たすけて、たすけて、こうき……」

階段をようやく登っても、光輝はいない。
いるはずも無い、ただあとにはひどい倦怠感で、激しく息を付く。

「レイジィ」

階段の下に、黒くて恐ろしい物がズルズルと追ってきた。
急いで部屋に入り、ドアを閉め、鍵をかけるとホッとする。

コンコンコン、コンコンコン

ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン

「レイジィ!ナゼタベナイノォ!タベナキャダメジャナイィ!」

ドンドンドンドンドンドン

「助けて、誰か助けて……」

冷司は耳をふさぎ、周りを見回した。
ドアを叩く音が、ぼわんぼわんと歪んで鳴り響く。
必死でドアの前に、いつも兄とケンカの時バリケードに使ってた本棚を倒し、持てるだけの本を積んだ。

ドンドンドンドンドンドン

ドアが激しく鳴っている。頭の中で反響して頭がガンガンする。

はあはあはあ、

逃げなきゃ、どこかへ、

光輝、光輝の所へ。

ずっと開け放している窓に手を伸ばし、這い上がろうとするけど、もう力が残っていない。
バリケードで尽きてしまった。

兄さん、お父さん、どこにいるの?
どうして僕を置いていくの?どうして僕は恐ろしい物と家にいるの?

光輝、光輝、会いたい。
もう一度、あいつに食べられちゃう前に会いたい。

ああ、でも君にもらった水族館のチケット、もう無いんだ。
僕が捨てたんじゃないんだよ、僕は大事にしたかったんだ。
ねえ、光輝、お願いだから、信じて、信じて!

誰か、たすけて……

「助け……助け……おえっ、えっ」

ずっと吐き気がして頭が痛い。
気持ちが悪い。
めまいがして顔が上げられない。

ボンヤリと、部屋の隅に、光輝が立っている。
ボンヤリかすんで、どこ見てるのかわからない。

助けて、ねえ、こっち向いて……

冷司はズルズルと窓の下に倒れたまま、日の光が届かないそこで意識が途切れた。
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