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1、図書館で君と会いたい
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夏も終わり、学生達は休みも終わって日中は姿を消し、学校へと戻って行く。
見た目学生っぽい自分が昼間から町をブラブラしていると、やたら冷たい目で見られる、そんな気配が戻ってきた。
樹元冷司は、大学受験を目指し、図書館へ毎日通っている。
20才の彼は、大切な時期を突然の入院で受験することも出来なかった上、卒業後も結局2年棒に振る羽目になった。
いつも一番壁際のスミにひっそり座り、自分の参考書を広げ、資料を借りたりして自習している。
顔を上げて、周囲を見回し息を付く。
しんとした空気が清浄で心地よい。
図書館が好きだ。
このしんとした、どこか張り詰めたようで、ゆったりとした時間が流れる、微妙な空気感が好き。
何より、誰にも干渉されない開放感がある。誰にも……
でも、冷司自身、大学受験はこれが最後だと思っている。
専門学校の選択肢もあるけど、自分が何をしたいのかが今はまだ浮かばない。
ただ、学歴が欲しいだけかもしれない。
勉強自体は好きだ。もっと詳しい先生の話を聞きたい気持ちがある。
ただ、それだけで何かを目指す最終目標が無い。
まだ彼は、スタートラインにも立っていないような気分だった。
今度こそと思っても、保証のない行き先に不安を覚え、思わずため息が出た。
「よう、ため息付くと魂抜けるぞ」
ポンと肩を叩かれて、くすっと笑った。足音で、見なくても分かる。
彼はほんの少しスニーカーの底を擦って、シュッ、シュッとリズムにも特徴があるのだ。
毎日この時間に落ち合う声の主は、さっそくイスを引き、いつものようにぴたりと隣の空いた席に座った。
彼、光輝(こうき)は冷司より一つ上。
現在、市内でも大きい懐石居酒屋でバイト中だ。
仕事は面白いらしいけど、今年も一応大学に再チャレンジの予定。
図書館へは毎日勉強のつもりで来ているのに、彼は図書館で本を広げると猛烈な睡魔に襲われてしまう。
以前、あまりのいびきの大きさに、周辺の冷ややかな視線を見かね、冷司が何度か起こしたことで友人になった。
「何だよ、あっついのに相変わらず長袖?よく我慢できるなあ」
光輝があきれてシャツをつまむ。
冷司は訳あって、年中長袖だ。
とは言え、図書館は冷房が効きすぎている。自分では丁度いい。
「冷房で寒いから着てるの、余計なお世話だよ。
今日、遅かったね。寝坊したの?バイト?」
「ああ、夕べ仕事のあとおやっさんから話があって遅くなってさ、今朝は寝過ごしたんだ。
おかげでいつもの電車に乗れなくて、例の彼女見られなかった。
またここで会えればいいな」
おやっさんとは、店の経営者だ。
厳しい人らしくて、よく彼の話の中に出てきた。
「例の彼女って、今どきポニーテールの?」
「あれって可愛いじゃねえ?俺、その今どきってのに惹かれるんだよな」
「暑いだけだろ?それにきっと年上だよ」
ぶすっと言い返す。
冷司は余裕のない今、光輝から女の話なんか聞きたくもない。
「ちぇっ、冷司は女に目がいく余裕ねえよなあ。男かよ」
「どうせ冷たい冷司ですから」
「可愛くねえの」
「可愛くなくていいんだよっ、男なんだから。今日、勉強は?」
言われて急にかしこまり、光輝が冷司を覗き込む。
「なあ、店長の話って気にならねえ?」
「さあ、僕が聞いてどうすんのさ。関係ないね」
「でもよ、俺が話したい訳よ」
前置きが長いなと、くすっと笑う。
何気なく話しても、彼には大切な会話なのだろう。
「わがままだね、光輝はさ」
「そー、聞いてくれないと寝転がってバタバタするぜ」
「あははは、すれば?」
「へへ、実はさ、正社員になってくれって」
「ええっ!」
思わず冷司が声を上げ、口を塞いだ。
「正社員だぜ、正社員。ラッキーだぜ、真面目にやってきて良かったあ」
「そ、そう、だね。ラッキーじゃないか」
思わぬ話にショックを受けて、冷司の心が沈んでゆく。
それは、一緒に大学を目指す、その共通の目標を失うことだ。
これから、また以前のように一人で勉強をする日々に戻るだけなのに、それがひどく寂しい。
彼の “明日、図書館で会おう” と言う言葉が聞けなくなってしまう。
それは、明日への希望なのに。
「大学もいいけどよ、やっぱ頼むって言われたらなあ。
正社員なんて今は滅多にチャンスないしさ。
ああー!やっと自分の居場所が出来たぜ!やりいっ!」
自分の居場所
その言葉に、冷司の胸がギュッと詰まった。
居場所……なんか、自分には……
浮かびそうになる涙を、唇をかみしめグッとこらえる。
輝くような笑顔で振り向く光輝に、顔色を失った冷司がようやく微笑んだ。
「さあ、明日から忙しいぞ。
冷司、しばらく来れねえけどさ、また暇になったら会おうぜ」
「あ、ああ、そうだね。また…また、そのうち、暇が出来たら会おうね」
「へへ、今から事務所に呼ばれてるんだ。
な、一緒にいかねえか?電車ですぐなんだ」
冷司がドキッと落ち着きをなくす。
「いや、僕は……バスは?バスなら」
「あー、バスは路線はずれてんだ。
そっか、お前電車とか混む所苦手だもんな。車とか持ってればいいんだけどよ」
「そう…駅とか、電車はちょっと……」
比較的日中空いているバスなら抵抗無いのに。
神様は意地悪だ。
「勉強の邪魔したな、ごめんごめん。じゃ、俺行かなきゃ。
じゃあな、また明日図書館で……じゃなかった。また暇があったら会おうぜ」
「あ、あ、じゃあまた。また……会えるよね」
立ち上がった光輝を追うように、冷司も立ち上がって手を伸ばした。
「そのうち、暇になったらな。
お前も大人なんだしさ、電車くらい乗れるようになれよ。じゃ」
人の気も知らず、光輝は手を挙げると図書館から消えてゆく。
「また…また、会えればいいね。コウ……」
スマホも持たず、お互いの家も知らない二人の、ここは唯一の接点だった。
仕事を選んだ彼は、もう来るはずがない。
暇になったら…曖昧な言葉は、すでにどうでもいいような響きが聞こえる。
会いたいと思っても、どこに行けば会えるのかさえ……
せめて一緒に行けたなら…………
電車に乗れない、ただそれだけで唯一の友人を失ってしまった気がして心が落ち込んだ。
辺りはいつもと変わらないのに、冷司の耳にはただ、彼の足音だけが残っている。
あふれてきた涙を抑えることも忘れ、冷司は心に開いた穴に吸い込まれてしまいそうな、そんな気がして、胸を押さえながらいつまでも呆然としていた。
見た目学生っぽい自分が昼間から町をブラブラしていると、やたら冷たい目で見られる、そんな気配が戻ってきた。
樹元冷司は、大学受験を目指し、図書館へ毎日通っている。
20才の彼は、大切な時期を突然の入院で受験することも出来なかった上、卒業後も結局2年棒に振る羽目になった。
いつも一番壁際のスミにひっそり座り、自分の参考書を広げ、資料を借りたりして自習している。
顔を上げて、周囲を見回し息を付く。
しんとした空気が清浄で心地よい。
図書館が好きだ。
このしんとした、どこか張り詰めたようで、ゆったりとした時間が流れる、微妙な空気感が好き。
何より、誰にも干渉されない開放感がある。誰にも……
でも、冷司自身、大学受験はこれが最後だと思っている。
専門学校の選択肢もあるけど、自分が何をしたいのかが今はまだ浮かばない。
ただ、学歴が欲しいだけかもしれない。
勉強自体は好きだ。もっと詳しい先生の話を聞きたい気持ちがある。
ただ、それだけで何かを目指す最終目標が無い。
まだ彼は、スタートラインにも立っていないような気分だった。
今度こそと思っても、保証のない行き先に不安を覚え、思わずため息が出た。
「よう、ため息付くと魂抜けるぞ」
ポンと肩を叩かれて、くすっと笑った。足音で、見なくても分かる。
彼はほんの少しスニーカーの底を擦って、シュッ、シュッとリズムにも特徴があるのだ。
毎日この時間に落ち合う声の主は、さっそくイスを引き、いつものようにぴたりと隣の空いた席に座った。
彼、光輝(こうき)は冷司より一つ上。
現在、市内でも大きい懐石居酒屋でバイト中だ。
仕事は面白いらしいけど、今年も一応大学に再チャレンジの予定。
図書館へは毎日勉強のつもりで来ているのに、彼は図書館で本を広げると猛烈な睡魔に襲われてしまう。
以前、あまりのいびきの大きさに、周辺の冷ややかな視線を見かね、冷司が何度か起こしたことで友人になった。
「何だよ、あっついのに相変わらず長袖?よく我慢できるなあ」
光輝があきれてシャツをつまむ。
冷司は訳あって、年中長袖だ。
とは言え、図書館は冷房が効きすぎている。自分では丁度いい。
「冷房で寒いから着てるの、余計なお世話だよ。
今日、遅かったね。寝坊したの?バイト?」
「ああ、夕べ仕事のあとおやっさんから話があって遅くなってさ、今朝は寝過ごしたんだ。
おかげでいつもの電車に乗れなくて、例の彼女見られなかった。
またここで会えればいいな」
おやっさんとは、店の経営者だ。
厳しい人らしくて、よく彼の話の中に出てきた。
「例の彼女って、今どきポニーテールの?」
「あれって可愛いじゃねえ?俺、その今どきってのに惹かれるんだよな」
「暑いだけだろ?それにきっと年上だよ」
ぶすっと言い返す。
冷司は余裕のない今、光輝から女の話なんか聞きたくもない。
「ちぇっ、冷司は女に目がいく余裕ねえよなあ。男かよ」
「どうせ冷たい冷司ですから」
「可愛くねえの」
「可愛くなくていいんだよっ、男なんだから。今日、勉強は?」
言われて急にかしこまり、光輝が冷司を覗き込む。
「なあ、店長の話って気にならねえ?」
「さあ、僕が聞いてどうすんのさ。関係ないね」
「でもよ、俺が話したい訳よ」
前置きが長いなと、くすっと笑う。
何気なく話しても、彼には大切な会話なのだろう。
「わがままだね、光輝はさ」
「そー、聞いてくれないと寝転がってバタバタするぜ」
「あははは、すれば?」
「へへ、実はさ、正社員になってくれって」
「ええっ!」
思わず冷司が声を上げ、口を塞いだ。
「正社員だぜ、正社員。ラッキーだぜ、真面目にやってきて良かったあ」
「そ、そう、だね。ラッキーじゃないか」
思わぬ話にショックを受けて、冷司の心が沈んでゆく。
それは、一緒に大学を目指す、その共通の目標を失うことだ。
これから、また以前のように一人で勉強をする日々に戻るだけなのに、それがひどく寂しい。
彼の “明日、図書館で会おう” と言う言葉が聞けなくなってしまう。
それは、明日への希望なのに。
「大学もいいけどよ、やっぱ頼むって言われたらなあ。
正社員なんて今は滅多にチャンスないしさ。
ああー!やっと自分の居場所が出来たぜ!やりいっ!」
自分の居場所
その言葉に、冷司の胸がギュッと詰まった。
居場所……なんか、自分には……
浮かびそうになる涙を、唇をかみしめグッとこらえる。
輝くような笑顔で振り向く光輝に、顔色を失った冷司がようやく微笑んだ。
「さあ、明日から忙しいぞ。
冷司、しばらく来れねえけどさ、また暇になったら会おうぜ」
「あ、ああ、そうだね。また…また、そのうち、暇が出来たら会おうね」
「へへ、今から事務所に呼ばれてるんだ。
な、一緒にいかねえか?電車ですぐなんだ」
冷司がドキッと落ち着きをなくす。
「いや、僕は……バスは?バスなら」
「あー、バスは路線はずれてんだ。
そっか、お前電車とか混む所苦手だもんな。車とか持ってればいいんだけどよ」
「そう…駅とか、電車はちょっと……」
比較的日中空いているバスなら抵抗無いのに。
神様は意地悪だ。
「勉強の邪魔したな、ごめんごめん。じゃ、俺行かなきゃ。
じゃあな、また明日図書館で……じゃなかった。また暇があったら会おうぜ」
「あ、あ、じゃあまた。また……会えるよね」
立ち上がった光輝を追うように、冷司も立ち上がって手を伸ばした。
「そのうち、暇になったらな。
お前も大人なんだしさ、電車くらい乗れるようになれよ。じゃ」
人の気も知らず、光輝は手を挙げると図書館から消えてゆく。
「また…また、会えればいいね。コウ……」
スマホも持たず、お互いの家も知らない二人の、ここは唯一の接点だった。
仕事を選んだ彼は、もう来るはずがない。
暇になったら…曖昧な言葉は、すでにどうでもいいような響きが聞こえる。
会いたいと思っても、どこに行けば会えるのかさえ……
せめて一緒に行けたなら…………
電車に乗れない、ただそれだけで唯一の友人を失ってしまった気がして心が落ち込んだ。
辺りはいつもと変わらないのに、冷司の耳にはただ、彼の足音だけが残っている。
あふれてきた涙を抑えることも忘れ、冷司は心に開いた穴に吸い込まれてしまいそうな、そんな気がして、胸を押さえながらいつまでも呆然としていた。
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