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第五章

エピローグ

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 執務室の中には、相変わらず書類が溢れかえっている。

 私とキースとグレンの三人は、朝から黙々とこの書類の束を片付けていた。

 もうすでに時間は昼を超え、おやつの時間くらいだろうか。

 朝から紅茶のみのお腹は、そろそろいろんな意味で限界。

 あああ。

 もうさすがにやだ。

 逃げてしまいたい。

 俗にいう社畜って、こういうことなのかな。

 まさか異世界で体験するなんて思ってもみなかったし。


「……溜め込みすぎじゃないか、これはさすがに」


 最初に音を上げたのは、グレンだ。

 よし。

 我慢大会ではないのだが、心の中で勝ったと思ったのは私だけではないはずだ。


「確かに量は尋常ではないと思うけど、書類がこんなにも溜め込まれているのは、私たちのせいでもないと思うけど?」

「そうだぞ、グレン。新婚夫婦を引き離すのも悪いかと思って、王宮への出勤をしばらく1日置きにしてやっているんだから、文句を言わずに手を動かしてくれ」

「それならせめて、まとまった休みを下さい、キース。それに書類を自宅へ持ち帰っている時点で、在宅勤務なだけだと思うんですが?」

「なに言っているのグレン、私たちは昨日婚約式を済ましてからここで缶詰めになっているのよ。その方が十分に可哀そうだと思わない?」

「それはキースの段取りが悪いせいじゃないかい?」

「おいおい、段取りを組むのはグレンの仕事だろ」

「その前にまず、人を増やすべきじゃない?」

「キースが選り好みしなければ、もっと人は簡単に増やせるんですよ」

「……結局俺に返ってくるのか」


 あの王妃の断罪から、三か月ほど経過した。

 グレンとチェリーはあの後、身内だけですぐに質素な婚約式を行い、先月入籍をしたところだ。

 結婚式も身近な人以外は呼ばずひっそりと行われたが、ウエディングドレスに身を包むチェリーは誰よりも幸せそうだった。


「それより、お父様ががっかりしていたわよ。グレンが子どもが生まれるまでは領地で過ごし、爵位も賜らないと言うもんだから。まだ引退できないのかって、ぶつぶつ言っているし」

「チェリーの静養も兼ねて領地へ引っ込んだんだ。まだしばらくはこっちには戻れないさ」


 チェリーの静養。

 その名目で、グレンたちは今うちの領地の別荘に住んでいる。

 あの毒混入が王妃の仕業だと分かったとはいえ、チェリーの私への嫌がらせの事実が消えたわけではない。

 それに私がキースと婚約したことで、私を悪役令嬢に仕立てようとしていたチェリーを良く思わない者も出てきてしまったから。

 だからこそ使用人はグレンが信用できる人たちと、私の一番の侍女だったルカを連れて領地へで暮らしている。

 月に何度か来るルカから報告には、チェリーは屋敷にいた頃よりも、ずっと素直に自分を出せるようになってきたと書いてあった。

 チェリーは他人の目を気にしない静かな土地で、大切な人たちだけと幸せになれた。

 いつか落ち着いて、ありのままの自分に自信が戻った頃、私への確執や執着が薄くなればいいと思ってる。

 その時に戻って来たいと思うのならば、戻ってくればいい。

 私もココで自分を思ってくれる人たちと過ごすことで、ずいぶん自信もついてきたから。


「まぁ、私は私でチェリーとルカに仕事を頼んでいるから、あんまり他人ひとのことは言えないんだけどね」

「そうだ、昨日また侯爵家から大量に食材や布などが送られてきたけど、アイリスたちはコソコソ何をしているんだい?」

「それは俺も気になっていたんだ。時折、護衛すらつけずに街へ顔を出しているようだけど」

「あれ、二人ともチェリーに聞いてなかった? 先月くらいに、二人名義で小さなお店を出したのよ。雑貨屋さん。これが商会や冒険社ギルドも一枚咬んでもらって、結構儲かっているのよ」

『は?』


 見事にキースとグレンの声が重なる。

 元々、この世界で働きたいと思っていた私と、何かやりがいを見つけたかったチェリー。

 女性の社会進出も兼ねたこの取り組みに、いろんな方面から今手助けえをもらっている。

 貴族社会は未だに女性は結婚をしなければ生きていけないというのが根底にある。

 しかしすべての人が上手に結婚を出来るわけでもない。

 だから他の選択肢がほんの少しでも出来れば。

 父の従姉がそうだったように。

 もっとみんなが生きやすい国を目指していきたい。

 これが私の王妃としての今の目標だから。


「アイリス、君は次期王妃なのに……今更稼いでどうするんだい」

「次期王妃に、無償で書類仕事をさせているのはどこの誰かしら。私も自分で稼いだお金が欲しいんです。それに私が王妃となる条件として、好きなことをやらせてもらえる約束でしたよね?」

「それは、そうだが」

「別に悪コトしよーとしてませんから、大丈夫です」


 二人はバツが悪そうに黙り込む。

 王妃となれば、国からという形で手当てがもらえるらしいのだが、所詮それは国民の税金にすぎない。

 それには極力手を付けたくないし、やはり何もしないでお金を貰うというのはしっくりこないのだ。

 チェリーもグレンへの贈り物などは自分で稼いだお金で買いたいと、私たちの目的は同じ。

 それにやや反則かもしれないが、前の世界の物や考えを取り入れることでこの国が豊かになればいいという思いもある。

 私たちが転生者だという事実は、結局キースとグレンにしか告げなかった。

 冒険者ギルドと商会にはいろいろお世話になっているものの、やはりそこまで込み入った話までするのは少し違うと思ったから。


「ねぇ、そういえば二人とも私たちが転生者だって言った時、あまり驚かなかったけど、この世界ではもしかして一般的だったりするの?」

「一般的だったら、学園にいた時に習うと思いますが?」


 グレンの指摘はもっともだ。

 学園に三年間在籍したものの、そんな話は歴史の授業などでも一度も聞いたことはない。

 だとすると、二人が驚いてなかったような気がするのは気のせいだったのだろうか。


「アイリス、転生者がたとえ一般的ではなくても、王国一と言われる頭脳が目の前にいるだろう」


 キースがやや呆れたようにグレンを親指で指さす。

 グレンは澄ました表情で、何を今更と言わんばかりだ。


「知っていて私とチェリーに近づいたの?」

「初めから知っていたわけではないですよ。何せ、一番最初に出会った時はまだ五歳くらいでしたからね。まず家族同士の付き合いがあり、チェリーが記憶を取り戻った頃、よく不可解な言動をしていたんです。そこから彼女に惹かれたのですよ。僕の持っていない知識、そして何よりアイリスを追うあの瞳」


 確かにあの子が記憶を戻したのは、それくらいだと言っていた。

 しかしその頃からチェリーに興味を持っていたなんて夢にも思わなかった。


「転生者という言葉は、王立図書館の禁書の一部に記載がありました。他の世界より来る者で、この世界に良くも悪くも影響をもたらす者だと。その言葉を見つけたとき、まさに彼女はそうだと確信したんです」

「さすがというか、なんというか……」


 グレンの探求心には脱帽する。


「ちゃんとよく話は聞かないとダメだぞ、アイリス。惹かれたのはそこでも、欲しかったものは彼女がアイリスをやや病的なまでに追いかけていた瞳だ」


 キースの言葉にふと思考が停止する。

 えっと、つまり?

 転生者というのは、グレンにとって気になるきっかけに過ぎなかった。

 むしろチェリーが欲しいと思ったのはあの強烈な私を追う瞳に、自分を映したかったということ。


「うわ、腹黒メガネだと思っていたけど、まさか変体サンだったなんて」

「キース、何に吹き込んでいるのですか」

「だってホントのことだろう。あの瞳に自分だけを映して、ただ見つめて欲しいっていうのは」

「……グレンがヤンデレだったなんて……。やだこわっ」

「ちょっと、ヤンデレとはどういう意味なのですか。どう頑張っても、よい意味には聞こえないんですが」

「世の中には知らない方がいいことがいっぱいあるということね」


 私はグレンから視線を外し、キースを見る。

 しかし案外、ただ自分だけ見て欲しいグレンとチェリーは似た者同士なのかもしれない。

 ふふふと私が笑うとキースも私の頭を撫でながら、笑い出す。

 差し込む日差しはあの頃のように強い。

 でもココから逃げ出したい思いはもうない。

 だって私は、やっと自分の居場所を見つけることが出来たから。
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