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第三章

第四十七話 くまさんとの別れ

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 その日は昨晩から続いた雨が、お昼過ぎに止んだところだった。

 外はほんの少し日差しが回復したものの、肌寒い。

 朝から妹と母はどこかへ出かけていた。

 どうせ母の実家かなにかだろう。

 私は連れて行ってはもらえなかった。

 でも悲しくはない。

 だって母も唯奈もいない時間は、私が誰にも気を使わなくてもいいから。

 くまさんと二人。

 少し小さくなった長靴を履いて、お散歩。

 
「くまさん、今日はどこに行こうか~。おうちにはお昼ご飯もなかったね。お腹すいちゃった」


 どこかに行く母が、私を気にかけてなにかをしていくことはない。

 家には勝手に食べてもいい、お菓子もご飯もない。

 だからこそ、くまさんとお散歩してなにか食べれそうなものがないか探すのだ。


「ずっと前食べた柿は渋かったねー。あれは干さないと食べれないって本に書いてあったわ。でも家で干してると、バレちゃうから困ったなぁ」


 本でいくら知識をつけても、あまり現状は変わらなかった。

 それでも、それ以外にやることもなかったから。

 私は本を読み、ただ勉強だけに力を入れていた。


「おじいちゃんがまだ生きてた頃はお菓子もらえたものに」


 私はくまさんの顔を見る。

 父方の祖父。

 このくまの人形を誕生日にくれたのも、祖父だ。

 祖父は母が関心を示さない私のことを、なによりも気にかけてくれていた。

 ご飯もお菓子もそう。

 遊びに行くのも、いつも祖父と二人だった。


「なんで私の大切な人は死んじゃうのかな。ああ、でもね、くまさんがいるから私は大丈夫だよ」


 そう言ってくまの人形に微笑みかけた。

 ずっと唯一の友達で唯一の味方。

 どんなに悲しくたって。

 どんなに苦しくったって。

 くまさんがいれば、きっと大丈夫。

 私は祖父が死んでからずっとそう自分に言い聞かせてきた。


「ん-、どこ行こうか」

「みーつけた。ああ、こーんなとこにいたんだね、姉さん」
 

 ぞくりとするような聞き覚えのある声が、後ろから聞こえてくる。

 その声だけで、どれだけ唯奈の機嫌が悪いのか分かる気がした。

 最近、祖母の家に行った帰りはいつもそうだ。

 それが分かっていたから、今日だって家を出てお散歩に来たのに。

 今日はいつも以上に、機嫌が悪そう。

 何かあったのかな。

 でもその前に、離れないと。


「今二人でお散歩してる。じゃあね」

「なんで逃げるの~姉さん」

「別に逃げてない。私はただくまさんと二人で遊んでいるの」

「いつでもそう。くまくまくまくまって。もうそんな子どもじゃないでしょ」

「小学生は十分子どもでしょ。なに言ってるの唯奈」

「姉さんはくまばっかり。ホントに邪魔ね、そいつ」

「は?」


 くまさんが邪魔ってどういう意味?

 別に何も迷惑なんてかけてないのに。

 悪い予感しかしない。
 
 すぐに離れよう。

 走り出そうとする私のスカートを、唯奈が掴んだ。

 その勢いで、私は尻もちをつく。


「いったーい。なにするのよ」


 涙目になりながら見上げると、唯奈は私が落としたくまさんをちょうど拾い上げるところだった。


「なにしてるの! 返して!」


 唯奈はただにやりと笑顔を作る。

 そしてそのままくるりと視線を変え、私に背を向けた。

 なに?

 唯奈の視線の先に、川が見える。

 大雨ですっかり増水した川は茶色く濁り、いつもの何倍も水量は多い。

 
「なにをするの?」


 全てがスローモーションのように思えた。

 私は必死に立ち上がり、くまさんを取り返すために走り出す。

 しかし次の瞬間、唯奈がくまの人形を投げた。

 そう増水する川へ向かって。


「やめて!! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。私のくまさん!」


 綺麗に弧を描くように、くまの人形は川へと吸い込まれていった。


「わぁぁぁぁぁ、なんで、なんで、なんで!」

「あの子がいけないのよ。全部そう」


 唯奈は私を見つめ、ただ嬉しそうに呟いた。

 なんで。どうして。

 くまさんが捨てられなければいけなかったの。

 私が今日お散歩に連れてこなければ、こんなことにはならなかったのに。

 嫌だ。嫌だよぅ。

 私にはくまさんしかいないのに。

 どうしたらいいの。

 これからどうすればいいの。

 涙で視界が歪む。

 唯奈の満足げな顔などどうでもいい。


「ああ、またその顔……その目……。まあいいわ。もぅ邪魔者はいなくなったし」

「くまさん、くまさん……ごめんね。私のせいで……」


 私は濁流に飲まれて見えなくなったくまの人形を、ただ思って泣き続けたのだった。
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