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第一章
第六話 変われない自分
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やっと一人で起き上がれるようになるころには、あの婚約破棄騒動からすでに一週間が経過していた。
私の世話のために使用人たちが何度も部屋を訪れたが、皆どこかよそよそしい。
事態が最悪の方向へ進んでいる気配は、部屋を出なくても感じ取れていた。
「アイリスお嬢様……、本日の昼食を旦那様が食堂にて皆様でとおっしゃっております」
朝の支度をしに来た侍女が、なんとも申し訳なさそうに告げる。
皆さまでではなく、おそらくはこの婚約破棄についての呼び出しだろう。
昨日医者からも、あまり動き回らなければ大丈夫だと太鼓判を押してもらった。
だから私がやっと動けるようになったということは、父の耳にも入っているはず。
「そう……。家族全員揃ってということね」
「あ、あのそれが……あの……」
侍女は下を向き、制服のスカートを掴む。
これだけ言いよどむということは、家族全員だけではないということだけでないということね。
ああ、そういえばもう一人いたわね。
「今日はグレン様もお見えになるということね」
「あ、はい。そう……なのです。それをお嬢様にお伝えするように言われて……」
「そう。ありがとう。あまり時間がないから支度をお願いしたいのだけど、いいかしら」
「はい! それはもう、すぐにでも」
私が怒りも泣きもしないことにホッとしたのか、侍女は顔を上げて支度の準備にかかる。
少なくとも、そんな自分が惨めになることなどしない。
でも行きたくないなぁ。
このままどこかに逃げてしまいたい。
彼女の様子を見ていると、父が彼女へ命令した内容が透けて見える気がした。
侍女はそれほど大きくない衣装棚を開け、ドレスを物色し始めた。
ドレスというものを着るのは、本当に大変な作業だ。
下に着たり履いたりするパーツの多さもさることながら、それをコルセットでこれでもかと締め上げる。
胸と体のラインを強調するためらしいのだが、太ってはいない私でもこれはかなり苦痛だ。
「これにしましょう」
そう言って侍女が取り出したのは、夜の空を思い浮かべるような深い青のドレスだった。
マーメイドラインにそのドレスは見た目こそ派手ではないものの、胸元が大きく開いている。
この世界の人間ではなかった私には、いろいろ心もとない。
「ふつ―のでいいんだけど。もっと、ワンピースみたいなのはないのかしら」
「そう言われましても、皆さまがお揃いになるので正装でないとダメだと思います」
丁寧ながらもきっぱりと断り、今度は宝石を探し出した。
「これで胸が綺麗に見えますからね」
やや大粒のグリーントルマリンのような青みがかった緑のネックレスだ。
一体、これだけでいくらするのだろう。
しかもグレンの髪の色と同じだということが、私にはどうしても引っかかる。
「昼間からこんなの付けたら、肩が凝ってしまいそうね。もう少し小ぶりで、違う色のモノはないかしら」
「違う色……、ああ、申し訳ございません。こちらはどうでしょうか?」
色と言ったことでようやく意味が分かったのか、侍女は小さな石のネックレスを取り出した。
そんな小さなことを気にすることの方が未練がましいのかもしれないけど。
それでもグレンを思わせる宝石を付けるなど、今の私には絶対に嫌だ。
服装が決まると、急いで着替えたあと化粧とセットを始める。
髪のセットに小一時間費やした頃には、体力の戻っていない私はすでに疲れ果てていた。
鏡に映る姿は確かに品があり、ハーフアップにした髪は軽く巻かれ波打つ海のようだ。
これが今の自分だと思うと、少し変な気分。いつまで見ても見慣れはしない。
ただそれよりも気になったのは、私の支度が彼女一人だけだったというコト。
元々私付きの侍女は多くはないといっても、確か三人ほどはいたはず。
しかし事故をした当日もそうだが、彼女がほとんどメインで回っていて他は彼女がいない時にたまに顔を出すだけだった。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「どうなさいましたか、お嬢様」
「他の侍女たちを見かけないのだけど、どうしたの?」
「!」
まさかその問いが飛んでくると思っていなかったのか、驚いた表情のまま固まる。
「お父様があなた一人でいいと?」
「いいえ、そうではなく……。チェリー様のお支度が忙しいので、皆はそちらへ行っていると思います……」
「元から、五人も六人も侍女が付いていたと思うんだけど。私の記憶違いだったかしら?」
「いえ、あの、その……」
「責めているわけではないのよ、ごめんなさい。ただあなた一人で大変そうだったから」
「……」
みんなチェリーについたということか。
一人だけでも残ってくれただけマシというべきか、なんというべきか……。
彼女がまるで腫れ物に触る感じで接していたのはわかっていてけど。
どう考えてもそれ以上ね。
ため息まじりに鏡を見れば、ややキツくも見える怖い顔があった。
もう少しうまく立ち回れれば……愛想を振りまいて来れていたら……。
それよりも泣きつくことが出来たのならば、庇護欲をそそり守ってもらえたかもしれない。
そう考えると転生してきたにもかかわらず、私という一人の人間は何一つ変わっていなかったということか。
また妹の影に隠れ、無関心を装って地味に生きて来たのね。
してきたのは自分でしかなくても、何も変われていない真実に泣き出しそうになるのを私は必死に堪えた。
私の世話のために使用人たちが何度も部屋を訪れたが、皆どこかよそよそしい。
事態が最悪の方向へ進んでいる気配は、部屋を出なくても感じ取れていた。
「アイリスお嬢様……、本日の昼食を旦那様が食堂にて皆様でとおっしゃっております」
朝の支度をしに来た侍女が、なんとも申し訳なさそうに告げる。
皆さまでではなく、おそらくはこの婚約破棄についての呼び出しだろう。
昨日医者からも、あまり動き回らなければ大丈夫だと太鼓判を押してもらった。
だから私がやっと動けるようになったということは、父の耳にも入っているはず。
「そう……。家族全員揃ってということね」
「あ、あのそれが……あの……」
侍女は下を向き、制服のスカートを掴む。
これだけ言いよどむということは、家族全員だけではないということだけでないということね。
ああ、そういえばもう一人いたわね。
「今日はグレン様もお見えになるということね」
「あ、はい。そう……なのです。それをお嬢様にお伝えするように言われて……」
「そう。ありがとう。あまり時間がないから支度をお願いしたいのだけど、いいかしら」
「はい! それはもう、すぐにでも」
私が怒りも泣きもしないことにホッとしたのか、侍女は顔を上げて支度の準備にかかる。
少なくとも、そんな自分が惨めになることなどしない。
でも行きたくないなぁ。
このままどこかに逃げてしまいたい。
彼女の様子を見ていると、父が彼女へ命令した内容が透けて見える気がした。
侍女はそれほど大きくない衣装棚を開け、ドレスを物色し始めた。
ドレスというものを着るのは、本当に大変な作業だ。
下に着たり履いたりするパーツの多さもさることながら、それをコルセットでこれでもかと締め上げる。
胸と体のラインを強調するためらしいのだが、太ってはいない私でもこれはかなり苦痛だ。
「これにしましょう」
そう言って侍女が取り出したのは、夜の空を思い浮かべるような深い青のドレスだった。
マーメイドラインにそのドレスは見た目こそ派手ではないものの、胸元が大きく開いている。
この世界の人間ではなかった私には、いろいろ心もとない。
「ふつ―のでいいんだけど。もっと、ワンピースみたいなのはないのかしら」
「そう言われましても、皆さまがお揃いになるので正装でないとダメだと思います」
丁寧ながらもきっぱりと断り、今度は宝石を探し出した。
「これで胸が綺麗に見えますからね」
やや大粒のグリーントルマリンのような青みがかった緑のネックレスだ。
一体、これだけでいくらするのだろう。
しかもグレンの髪の色と同じだということが、私にはどうしても引っかかる。
「昼間からこんなの付けたら、肩が凝ってしまいそうね。もう少し小ぶりで、違う色のモノはないかしら」
「違う色……、ああ、申し訳ございません。こちらはどうでしょうか?」
色と言ったことでようやく意味が分かったのか、侍女は小さな石のネックレスを取り出した。
そんな小さなことを気にすることの方が未練がましいのかもしれないけど。
それでもグレンを思わせる宝石を付けるなど、今の私には絶対に嫌だ。
服装が決まると、急いで着替えたあと化粧とセットを始める。
髪のセットに小一時間費やした頃には、体力の戻っていない私はすでに疲れ果てていた。
鏡に映る姿は確かに品があり、ハーフアップにした髪は軽く巻かれ波打つ海のようだ。
これが今の自分だと思うと、少し変な気分。いつまで見ても見慣れはしない。
ただそれよりも気になったのは、私の支度が彼女一人だけだったというコト。
元々私付きの侍女は多くはないといっても、確か三人ほどはいたはず。
しかし事故をした当日もそうだが、彼女がほとんどメインで回っていて他は彼女がいない時にたまに顔を出すだけだった。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「どうなさいましたか、お嬢様」
「他の侍女たちを見かけないのだけど、どうしたの?」
「!」
まさかその問いが飛んでくると思っていなかったのか、驚いた表情のまま固まる。
「お父様があなた一人でいいと?」
「いいえ、そうではなく……。チェリー様のお支度が忙しいので、皆はそちらへ行っていると思います……」
「元から、五人も六人も侍女が付いていたと思うんだけど。私の記憶違いだったかしら?」
「いえ、あの、その……」
「責めているわけではないのよ、ごめんなさい。ただあなた一人で大変そうだったから」
「……」
みんなチェリーについたということか。
一人だけでも残ってくれただけマシというべきか、なんというべきか……。
彼女がまるで腫れ物に触る感じで接していたのはわかっていてけど。
どう考えてもそれ以上ね。
ため息まじりに鏡を見れば、ややキツくも見える怖い顔があった。
もう少しうまく立ち回れれば……愛想を振りまいて来れていたら……。
それよりも泣きつくことが出来たのならば、庇護欲をそそり守ってもらえたかもしれない。
そう考えると転生してきたにもかかわらず、私という一人の人間は何一つ変わっていなかったということか。
また妹の影に隠れ、無関心を装って地味に生きて来たのね。
してきたのは自分でしかなくても、何も変われていない真実に泣き出しそうになるのを私は必死に堪えた。
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