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転校生だよ雪緒くん
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「はい~みんな席について~」
花ちゃんのダルそうな号令でみんなが席に戻っていく。
まだ少し肌寒い風が吹く春の朝。満開だったはずの桜は既にもう散り始めていて。
始業式後のホームルームが始まる。気づけば私達ももう3年生になっていて、1階の教室を手に入れていた。ちなみに1年生が3階、2年生が2階、3年生が1階と、学年が上がる度階段を上らなくてよくなるのだ。
「いいよな~お前ら。俺なんか科学準備室が3階だから結局行き来しなきゃだしむしろ大変になったよ。どうしてくれんだよ。」
知るか、と心の中でツッコむ。実際誰かも声に出してツッコんでいた。
「誰か金持ちになってこの高校にエスカレーター付けてくれよな。」
「え、それまで居座るつもりですか。」
「居座るとかいうな。」
クラス委員の子が大真面目な顔でそんな事を言うから、クラス中に笑いが起きる。新学期という事で皆のテンションも心なしか高いが、理由はそれだけではなさそうだ。
「はい。前にもいったとおり、転校生がきています。」
その言葉に教室のあちこちでザワザワと声が上がる。そう、どうやらこのクラスに今日から転校生が来るらしい。厳密には授業は明日からなのだが、既に始業式から参加しているようで。
「まあ詳しい事は本人の口から聞こうな。てことで入ってきて~。」
相変わらずの適当さ。花ちゃんの声に促されて教室のドアが開く。入ってきたのは男の子で、ざわめきが一層大きくなった。・・・特に、女子の声。
「・・・うわあ、美形。」
思わず私も呟いてしまって、それが聞こえたのか春原くんも頷いた。
そこにいたのはまさに王子様のような男の子。真っ白な肌に綺麗な金髪、少し青味がかった瞳。細身の彼は、黒板に自分の名前を書く。こりゃまた字も端麗。
「由井雪緒です。アメリカから来ました。母がアメリカ人で父が日本人のハーフです。よろしくお願いいたします。」
流ちょうな日本語で自己紹介をした後、彼は控えめに微笑んだ。瞬間にあちこちで女の子の黄色い悲鳴が聞こえて、男子が低く呻くのが分かった。そうなるよね、ドンマイ。
「日本の学校に通うのは小学校ぶりで色々分かんない事もあると思うから、皆サポートしてやってな。えっと、席は・・・」
花ちゃんが視線を彷徨わせて、あああそこで、と指をさす。
その席は春原くんの正面、つまり私の斜め前。視線を集めながらスタスタと歩いてきた彼は、隣の女の子に微笑みかける。
「よろしくね。」
「っ・・・こちらこそ・・・!」
隣の席の田淵さん。小さく後ろを振り返って私にガッツポーズをする。素直でよろしい。雪緒くんは後ろも振り返って、私と春原くんを順番に見つめる。
「これからよろしくね。」
「こちらこそ。よろしくね。」
「・・・よろしく。」
パンパン、と花ちゃんが手を叩いて皆の視線を集める。
「はい女子~、イケメンだからって明日から気合入れ過ぎないようにな。生徒指導の先生に怒られるの担任だからな。はい男子~、そんなに僻まない僻まない。お前らにはお前らのいい所があるから自信もって」
じゃあ今日はこれでもう下校です、さようなら~。なんて気の抜けた声と共に午前中だけの新学期1日目は終了した。明日から授業か、寝坊に気を付けようっと。
凄まじい。その一言に尽きる。
さっちゃんが少し呆れ顔をしながらストローをくわえる。その視線の先には雪緒くんがいて、周りには女の子ばかり。よく見れば違うクラスの子も混じっている。
「こうも人が集まると落ち着かないわ。」
「そうだねえ。」
新学期と共に始まった転校生雪緒くんフィーバーは収まる気配はなく、なんだかデジャヴ。
ため息をつくさっちゃんのスマホには、あれ、珍しい。
「どうしたの?それ。」
スマホからぶら下がるのは少し大きめのキーホルダーで、さっちゃんがこういうのを身につけるのは珍しい。さっちゃんお気に入りの頭から手と足が生えている緑色のキャラクター。私をよく馬鹿にするくせに彼女のセンスも大概独特だと思う。
私の言葉になにやら少し恥ずかしそうに笑ったさっちゃんは、まあね、と言葉を濁して。誰かからもらったのかな、なんて何となく事情を察知してあのカクカクのメガネを思い出した。
「雪緒くん、もう校内は大体覚えた?」
「うーん。まだちょっと微妙かな。」
「そうなんだ。じゃあ私達が案内してあげるよ~。」
「本当に?嬉しい。」
自然と耳に入ってくる雪緒くん達の会話。
・・・少しだけ目を伏せたまま、まじまじと彼を観察してしまう。
顔がいいだけじゃなく、彼は恐ろしいくらいにハイスペックだった。いつもにこやかで人当たりも良く、運動も出来る。古典は少し苦手みたいだがそれ以外の教科は人並み以上だし、英語に関してはペラペラ、昔から日本の文化が好きでなんと書道を習っていたらしい。だから字も達筆。なんという事でしょう。
もはや別世界の人過ぎて、中々ちゃんと話す機会なんてないんだろうな。そう最初は思っていて、しかしその予想だけはまるっきり当たらなかったのだ。
女の子たちと話していた雪緒くんがキョロキョロと辺りを見回して、そして、パチリと目が合う。彼は一層笑顔を深めてこちらに近づいてくる。
「秋山さん、今日校内の案内お願いしてもいいかな。」
「え、でもそれさっき・・・」
「そうだよ雪緒くん。私達が案内するって~」
私の言葉に女の子たちも援護射撃。そうだそうだ、もっとやれ。
雪緒くんは少し困ったように笑って。
「でも皆部活があるでしょ?迷惑かけられないよ。」
「そんなの大丈夫だって。」
「大丈夫じゃないよ。カナちゃんがいなかったら絶対皆困るよ。」
「・・・ええ、そうかな~。」
まんざらでもない様子でカナちゃんと呼ばれた女の子が指をつつく。ちなみに明らかに別のクラスの子だ。初めまして。
クルリと私の方に向き直った雪緒くんは、首をかしげて私を覗き込む。華麗な上目遣い、満点。
「お願いしてもいいかな?」
「えーっと・・・。」
「もしかして、迷惑?」
「迷惑とかじゃないけど・・・。」
チラリと女の子たちの方を盗み見れば、彼女たちは少し不満そうな顔をしながらも、それ以上何かを言うつもりはないようだ。少し考えて、頷く。
「やった、ありがとう。」
そう言って雪緒くんは微笑む。その姿にまた黄色い悲鳴が聞こえて。
「あんた、何か雪緒に気に入られてるよねえ。」
「・・・。」
私の斜め前の席になった雪緒くんは、転校初日から何かと後ろを向いて話しかけてくるようになった。秋山さん、秋山さん、と名前を呼ばれて、何か困ったことがあるとすぐ私に声をかけてくる。そのたびに女の子たちの視線が痛い・・・わけでも無くて。
「それはそれでなんか傷つくんだよね。」
「・・・まあでも、結依だからねえ。」
「あーー出たそれ。」
まあ結依だから、秋山さんだから、そんな感じの目で彼女たちは私を見て、むしろ穏やかに笑っていたりもする。敵にすらならないと認定されているのだろう、その通りなんだけどさ、でもさ、それはそれでさ、かろうじてある女心が痛むのよ。
「でもまあ、気を付けなよ。」
「何かあったらさっちゃんが守ってくれるでしょ?」
「なにその全面的信頼。重いわ。」
ふざけて笑うさっちゃんが、少しだけ真面目な顔をする。
「・・・雪緒みたいなタイプって、裏があってナンボって感じよね。」
「それ、絶対偏見。」
「どうだかね。私の勘は当たるのよ。あー、可愛い可愛い結依ちゃんがまた事件に巻き込まれちゃう~」
「絶対面白がってるでしょ。」
「まあね。」
「少しは誤魔化そうとしろっ」
ごめんって、と一ミリも悪いと思って無さそうなトーンで謝ったさっちゃんは、授業開始のチャイムと共に席に戻っていった。
結局放課後も雪緒くんと校内を回って、でも案内なんて必要ないくらい彼は大体の位置を把握していた。記憶力もいいんだろう。
・・・ああ、とんでもなく音痴とか足の匂いがキツイとか、何か欠点あったりしないかなあ。なんて失礼なことを考えてしまっていたのは皆さんと私だけの秘密です。
「秋山さん、これどういう事?」
「これはね、変格活用だから・・・。」
古典の授業中、次週の時間に振り向いてそう問う雪緒くんに解説をしてあげれば、なるほど!と目を輝かせる。
「秋山さん教えるの本当にうまいね。」
「そんなことないよ。雪緒くんの理解力が凄いんだと思う。」
「ううん。尊敬しちゃうなあ。」
そう言ってニコリと笑う。・・・眩しい、眩しくて目が潰れそう。
雪緒くんの隣の田淵さんが私に向かって親指を立てる。田淵さんは彼の横顔が好きなだけ眺められるからという理由で、もっと話せと指令を出してきたりする。なんだそれ。
クルッと前に向き直る前に、雪緒くんの視線が一瞬春原くんに移る。その瞬間、あ、まただ、と思った。
ベージュの髪は今日もゆらゆらと揺れていて、相変わらずだなあと小さく笑ってしまう。少し時間たって、また雪緒くんが私に問題を問う。私の解説を聞きて頷きながら、その視線がまた春原くんに移ってすぐに戻る。前に向き直る瞬間も、ああまただ。
「秋山さん、よかったら今日の放課後勉強教えてくれないけど?」
「え・・・」
「ほら、来週古典の小テストがあるでしょ。どうしてもわからない所がいくつかあって。」
「別にいいけど・・・。」
やった、と彼は小さく声を上げて、その視線がまた動いた。
・・・やっぱり。私に頼みごとをしながら、その視線はチラチラと隣の席に移る。ありがとう、という声も心なしかボリュームが上がって気がして、まるで春原くんの気を惹こうとしてるかのよう。
「・・・雪緒くん、って。」
「ん?」
「・・・ごめん、何でもない。」
不思議そうな顔のままの雪緒くんに、何でもないともう一度繰り返す。彼の言動や行動になんとも言えない違和感を感じるようになったのは少し前からで、でもその違和感がまだ何なのか分からなかった。
「秋山、これ。」
春原くんが何やらごそごそと鞄を漁って、取り出した本を私に手渡してくれる。受け取ってタイトルを見れば、私が好きな作家さんの最新作だった。
「え!もう読んだの!?」
「うん。面白かったから、貸してあげる。」
教科書をカバンにしまいながら、秋山もその人好きでしょ。なんてサラッと言ってくれる。買おうかどうか迷ってた本。非常に嬉しい。
放課後の教室はもう人がまばらで、私もカバンに荷物を詰めて帰宅準備をする。
先に帰宅準備を終えた春原くんが何となく私を待ってくれてるのが分かって、さっさと詰め込んで彼の後を追った。
「あ、秋山さん!」
と、教室を出る直前。入れ替わりで入ってきたのは雪緒くん。
一緒にいる私と春原くんを交互に見て、彼は私の名前だけを呼ぶ。
「今さ、ちょっとだけ時間いいかな?」
「あ、でも今から帰るところで・・・。」
「ごめん少しだけでいいから。すごく困ってるんだ。」
そう言って雪緒くんは両手を合わせる。返答に困りながらも春原くんの方を見れば、彼は秋山がいいならいいんじゃない、といつもと変わらない様子で言う。
「・・・分かった。どうしたの?」
「ありがとう!助かる!ちょっと一緒に生徒会室に行ってほしくて・・・」
「生徒会室?」
「そう。生徒手帳を取りに行かなきゃいけないんだけど、僕まだ場所があやふやで・・・。」
雪緒くんの話を聞いているうちに、春原くんは静かに教室を出て行ってしまっていた。気づいた時には彼の背中は既に小さくなりすぎていて、バイバイも言えなかった。
「秋山さん?聞いてる?」
「・・・ごめん、ちょっとぼーっとしてた。でも雪緒くん、もう教室の場所大体把握してるんじゃない?」
「そんなことないよ。まだ上の階があやふやで。」
そう言ったわりに、やっぱり雪緒くんはスムーズに廊下を進んでいく。彼の行動の意図が分からなくて、また何とも言えないもやもやが胸の中に広がる。なんなんだろう、これ。
生徒会室で無事に生徒手帳を受け取った後、
廊下の途中で急に雪緒くんが立ち止まる。
「・・・雪緒くん?」
どうしたんだろうと彼の名前を呼べば、彼はゆっくりと振り返った。その顔にはいつもの微笑みがあった。体温を感じない、王子様スマイル。
「秋山さんてさ、春原くんと仲いいよね。」
「・・・うん、友達だし。」
「・・・友達、ね。」
私の言葉を繰り返して、雪緒くんは目の前にあった廊下の壁に少しだけ寄りかかる。惚れ惚れしてしまうほど綺麗な横顔で窓の外を眺める彼を見ていると、なんだか胸の奥がむずむずする。
少しの沈黙の後、雪緒くんがゆっくりと口を開く。
「本当に、ただの友達?」
うんともいいえとも答える前に、雪緒くんはいつものようにニッコリと笑った。
「彼とはあんまりお似合いじゃないんじゃないかな?」
「えーっ・・・と」
「僕と居た方が絶対楽しいと思うし。秋山さんもそう思わない?」
「はあ、」
ペラペラと雪緒くんの口から言葉滑り落ちる。私の方を見ないまま一気にまくしたてる彼に、私の返事は追いつかなくて。
煮え切らない私の返事に雪緒くんが、ていうか、と少し声を荒げた。
「僕の方が、絶対に彼を幸せに出来ると思うよ。」
その言葉には熱がこもっていて、いつもは見えなかった彼の内側が見えた気がした。それと同時に今の言葉が反芻する。僕の方が、彼を、幸せにできる。
感じていた何とも言えない違和感が、じわじわと消化されていくのが分かった。
はっと我に返った雪緒くんは、いつもの王子様スマイルを浮かべ直す。その顔をまじまじと見てしまえば、彼は少し戸惑ったように目を泳がせて。
「あ、ごめん、変なこと言ったちゃったね。」
「・・・。」
「ごめんね本当に、気にしないで。教室戻ろっか。」
そう言って私から目を背けて歩き出す。
女の子に向ける、温度の感じない王子様スマイル。授業中に後ろを振り向くと必ず泳ぐ視線。私と話しているようで、彼の意識はいつだって私の隣へと向かっていた。
スタスタと歩く雪緒くんの手を後ろから引って振り向かせる。突然の事に彼は驚いた顔で私を見て、そのまま彼の両腕を掴んだ。彼がさらに両目をぱちくりさせる。
「・・・雪緒くん。」
「・・・えっ、と?」
「もしかして。」
「雪緒くんって、春原くんの事が、好き?」
私の言葉に彼がひゃあっと悲鳴を上げる。女の子のような悲鳴。そのまま彼は頬に両手を添える。えっ、と驚いてしまった私に、さらに衝撃が重なる。
「なっ・・・何言ってるのっ!そ、そんなわけ・・・」
「ゆ、雪緒くん?」
「アタシが春原くんの事をす、す、す、好きだなんて・・・」
アタシ、という一人称は間違いなく彼の口から出たもので、今度は私の目が点になる。アワアワする彼の声はいつもよりもワントーン以上高い。
「そ、そんなことあるわけないじゃないのよっ」
「ゆゆゆ雪緒くんっ・・・ちょっと落ち着いて」
「だってアナタが変なこと言うから・・・!」
「雪緒くん!一人称!語尾!!」
アナタ。目が点を通り越して穴が開きそうだ。
私のツッコミに雪緒くんはしまった、というように自分の口をふさぐ。ただでさえ白い顔が真っ青で。
しばしの沈黙の後、彼はゆっくりと、私の方を向く。
「・・・秋山さん。今日の課題って何があったっけ。」
「いやこの流れで日常会話に戻れないから。」
「デスヨネ。」
再び表情を崩した雪緒くんは、うわあああん、とその場に崩れ落ちた。ちょっと待って、私の理解が追い付かない。だれか、助けて。
「昔から、男の子が好きなの。」
ズビーッと彼が勢いよく鼻をかむ。その目も鼻も真っ赤で、思わずよしよしと頭を撫でてしまった。人のいない中庭の隅っこに移動してきた私たちは、並んでベンチに座っていて。
「アメリカでは別にそんなに特別じゃなかったの。周りにもいたし。でも日本ではやっぱり隠した方がいいって、パパとママが。」
「・・・そっか。」
「実際、小学生の時に痛い目見たしね。」
そう言って雪緒くんは苦い顔をする。小学校4年生まで日本いて、そのあとアメリカに引っ越したという雪緒くん。小学生の時の事についてそれ以上は何も語らなかったけど、悲しい思い出があるの事は明白だ。
「普通にならなきゃって思ってさ。一人称とか、言葉遣いとか直してみたり。」
あとは。と雪緒くんが1度俯いてから、顔を上げて私の方を見る。
「この笑顔とか。」
「うわ、こうやって見るともはやホラー。」
「容赦ないな。」
ズビッとまた鼻を啜って、雪緒くんが呟く。
「別にすごく苦痛な訳じゃないの。王子様キャラって割り切っちゃえば演劇みたいで楽しいし、アタシ乙女ゲームでもこういうメインぽいキャラから攻略してくタイプだから。情報は多くて。」
「ああ、真逆だ。私は逆にいちばんミステリアスなキャラから攻めるタイプ。そういうところから入ると意外とメインのキャラと兄弟設定とかあって萌えるんだよね。」
「血の繋がってない兄弟設定ね。あとは今は敵同士でも昔は命を預けた仲間だったりね。」
「「・・・」」
一瞬の沈黙の後、2人で固く手を握りあった。こやつ同志だ、悪いやつじゃない。
「女の子ももちろん嫌いとかじゃないの。でも、でも出来ればやっぱりキャーキャー言われるんじゃなくて一緒にキャーキャー言いたい。メイクの話とか、スイーツの話とか、混ざりたくなるの必死に我慢してるんだから。」
そこまで言って彼は一度息を吐いて、眉を下げて私の顔を覗き見る。
「ごめんこんなこと話して。困るよね。」
「へ?何で困るの?」
「どう反応していいか分からないでしょ。大丈夫、慣れてるから。人に理解してもらえないのも仕方の無いことだなって思うし・・・」
「・・・なんで人に理解してもらわなきゃいけないんだろう。」
私の言葉に、雪緒くんは驚いたように私を見つめた。
その顔には何とも言えない不安げな表情が浮かんで、ああ。自分の気持ちを否定されたことが何度もあるんだろうなあ。
「誰を好きになろうがその人の自由なのに、雪緒くんの大切な気持ちなのに、なんで人に理解してもらえなきゃいけないんだろう。変とか、普通じゃないのか、そんなの誰も決めれないのにね。」
彼の表情が変わるのが分かった。
陽にすける金髪、蒼味がかった瞳、本当に惚れ惚れしちゃうくらい美しい。
「雪緒くんの気持ちは、雪緒くんだけのものだもん。大事な自分の気持ちを、そんな苦笑いで隠しちゃだめだよ。私が悲しいよ。」
そう言って彼の眉間を人差し指でつつく。
少しの間の後に、彼はふっと吹き出して。
「ゆいゆいって、変な人ね。」
「・・・詳しいけどよく言われる。」
「だろうね。」
「ねえねえ、春原くんのどこを好きになったの。」
「えええ、いやよ恥ずかしい。」
「いいじゃん~~聞かせてよ!お願い!」
恥ずかしがりながらも雪緒くんは口を開く。最初は恥ずかしがっていたのにどんどんヒートアップしていって、これでもかというくらい雪緒くんの恋愛観を知ってしまった。性癖まで。ちょっとそこは知りたくなかった。
一通り話し終えた雪緒くんはわざとらしくため息をつく。
「でも、まさかこんなに早くバレるなんてねえ。」
『僕の方が、絶対に彼を幸せに出来ると思うよ。』
彼。この言葉が決定的だった。
雪緒くんがいつも後ろ振り向く時にチラチラ春原くんのこと見てた事とか、あとは春原くんが寝てる時はわざと大きい声で話してたこととか。
「私にちょっかいかけてるようで、全部春原くんにかけてたんだよね。」
「うわあ、そこまでバレてたの。滑稽すぎて泣けてくる。」
顔覆った彼は耳まで真っ赤で、でも、と少し不貞腐れたように呟く。
「・・・話しかけたくても恥ずかしくて話しかけられなくて。」
「は?可愛いなんなの??」
「なんでキレてんの?」
あまりにも可愛くてよく分からない感情になってしまった。
気付けば下校のチャイムがなって、2人で急いで立ち上がる。いけない。校舎の鍵が閉められてしまう前に出なければ。
教室にカバンを取りに戻って、ドアから出る前に雪緒くんが立ち止まる。
「・・・ゆいゆい、あの、このことは」
「言わないよ。わたし、口だけは固いの。」
「ああ、頭ふにゃふにゃそうだもんね。」
「ディスったよね完全に。」
躊躇いながら口を開いた彼は、私の言葉にははっ、と声を上げて笑って。そのまま私の方を見つめて。ありがとう、と微笑む。・・・あらら、意識しなくても完璧な王子様スマイル。惚れ惚れしちゃうね。
次の日からも、雪緒くんの態度は全く変わらない。いつも通り何かあれば声をかけてきて、私をとびこえて春原くんの方をチラチラと見る。
ポコッ、とつくえの下で雪緒くんの足を叩く。何、と目で訴えかけてきた雪緒くんに、み す ぎ と口パクで伝えれば彼は顔を赤くして。
「・・・秋山さん、この問題は?」
「これはね・・・」
赤くなってるのがみんなにバレないようにと教科書を見てるフリして口元を隠すから、可愛くて思わず笑ってしまう。
ジトッと睨まれたけど、知らん顔で教科書を開いた。
「・・・結衣、雪緒となんかあった?」
なんか最近、仲良いから。そう言ってさっちゃんはりんごジュースのストローを加える。
「別に何もないよ。」
「嘘だね。」
「・・・ほんとは秘密。」
「え~、なにそれ。」
一瞬で嘘を見ぬかれた私、さっちゃんに嘘はつけない。あやし~、とからかうように笑った彼女をつつき返せば隣から視線を感じて。
「・・・なに?」
「・・・・・・別に。」
かなりの間の後にそうだけ答えた春原くん。絶対に別に、じゃない間だった。もう一度どうしたの、と問う前に彼は腕を伸ばして机に寝そべってしまう。あら、珍しい。机には突っ伏さないのがマイルールのはずのなのに。まあ寝てはいないけど。
「秋山さん。ちょっといい?」
噂をすれば、とさっちゃんが呟く。私を手招きした雪緒くんは目線で場所を変えたがっているのが分かって、そのまま廊下へと向かった。
チラリと振り返ればやはり春原くんがジーッとこちらを見ている。手を振ればしかめっ面をされた、なんでだ。
休日の遊園地は賑わっていた。まだ少し風は肌寒くて、上着着てくればよかったなあなんて少し後悔。
入園口の自販機のそばで立っていれば、少し小走りで近づいた人が私を見つけて手を上げる。
「ごめん、お待たせ!」
「・・・うわあ、隣歩きたくない」
「一言目辛辣すぎない?」
「最大級に褒めています」
少しダボっとしたズボンに真っ白のノーカラーのシャツ、日差しが彼の綺麗な金髪を透かしていて、うーん、こういうシンプルな格好が引くほど似合う。既に周りの人の視線を集め始めていて、非常に場違い。隣に並びたくない(失礼。)
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は私の手を引っ張って。
「ほら!行こう!」
「わっ・・・ちょっと待って・・・!」
「うわ~~!!すごーい!!」
遊園地の中に入れば雪緒くんは瞳を輝かせて歓声を上げた。ねえねえあれ乗りたい!あああれも!これも!!そう言って彼は既にはしゃいでいる。
「あ!あとであそこのクレープも食べたい!」
「いいね。あ!あそこたい焼きも売ってるよ!」
「本当だ。色んな味があるのね、珍しい~」
「・・・なんか雪緒くんみてたら私もテンション上がってきちゃった。」
雪緒くん、日本の遊園地は幼い頃に一度だけ行った事があって、戻ってきたら絶対にもう一度行きたいと思っていたらしい。私も遊園地なんて何年ぶりだろう。
だって、とだけ言って彼は少し恥ずかしそうに下を向く。
「・・・ゆいゆいは、こっちに来て初めてできた友達だから。」
「・・・はあ?可愛いんだけど?何なの?」
「なんでキレるの?」
いけない、この前も可愛すぎてキレてしまったばかりなのに。反省します。
少し顔を赤らめた雪緒くんの肩をポンポンと叩いて、よっしゃ楽しむぞー!
ー!なんて2人で拳を突き上げた。
気づけば時間は正午を回っていた。ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴランド、目に付いた気になるものから順番に乗っていけば乗り物にはそんなに弱いはずじゃない私の三半規管は大ダメージだった。
雪緒くんはケロっとしていて、フラフラになっている私を見てケタケタ笑っていた。許さん。
園内にあるカフェでお昼ご飯を食べて、午後は少しゆっくり行動することにした。はしゃぎすぎて疲れさせちゃったかな、ごめんね、なんて雪緒くんは少し眉を下げて。
「こうやって心の底から楽しめるの久々で。」
「何言ってるの。私もすごく楽しいよ、今日誘ってくれてありがとう。」
ね、あれ乗ろう。はやくはやく。そう言ってお化け屋敷を指刺せば、雪緒くんは少し照れたように笑う。
「え~~、アタシおばけ苦手。」
「だったら尚更。雪緒くんの弱み握りたいし。」
「それ口に出しちゃっていいの?」
結局お化け屋敷で雪緒くんはそれなりに怖がったものの、なんせ、可愛いのだ。キャーキャー言う姿は弱みなんて感じじゃなくて、むしろ加点。一日中はしゃいだ私たちは、遊園地を出る頃にはクタクタだった。楽しい事での疲労感はとても幸せに感じて、ゆっくりと日が沈んでいく街を並んで歩く。
結局園内でクレープを食べ損ねた私たちは最後に駅前のクレープ屋さんに行こうという話になっていて、大きな交差点を渡る。
「・・・あれ、春原くん。」
「え!?どこ!?!?」
反応が凄くてひびった。心臓に悪いからやめて。
大きな立体交差点の斜め前。通りの向こう側に立ってスマホをいじっている人物が春原くんに見える。
距離はあったため私の声が聞こえたわけではないだろうが、春原くんらしき人が丁度スマホから顔を上げた。あ、絶対そうだ。目が合っておーいと手を振る。
目が合った、はずなのに。
春原くんはそのまま目を逸らした。え、と思考停止している間に、歩行者信号の色が変わって一気に歩き出す。交差点の中に溢れかえる人ごみに紛れて彼の姿は見えなくなってしまった。今、ちゃんと一回目が合ったのに。・・・視力とか悪かったっけ。
私が戸惑ったまま雪緒くんの方を見れば、彼はなにやら困った顔で笑う。
「・・・雪緒くん?」
息をついた彼は困った顔のまま私の方を見て、更に眉を下げた。
「僕だって、何も気づいてない訳じゃないからなあ。」
「何が?」
「・・・なんでもないよ。ほら、クレープ食べ行こう。」
そう言って雪緒くんが歩き出す。私もその後を着いて歩き出したけど、なんとなく胸の中がもやもやしたままだった。
「春原くん、おはよう。」
「・・・おはよう。」
次の日。教室に入れば彼の姿があって少しだけ勇気をだして声をかける。
春原くんの挨拶はいつも素っ気ない。いつも素っ気ないけど、今日はさらに素っ気ない。
「昨日さ・・・。」
私が話始める前に、彼はいつものようにだるそうに目を閉じる。寝る邪魔はしちゃいけないと言葉を引っ込めるけど、その日春原くんはいつもに増して寝てばっかりだった。
「・・・あ。」
こういう時に限って教科書を忘れる。
5限の時間、教科書がないと生き延びれない現代文の時間。目を瞑っている彼にそっと声をかける。
「春原くん。」
ピクっと彼がゆっくりと目を開ける。
「ごめん、教科書忘れちゃって。」
「・・・。」
「一緒に見せてもらってもいいかな?」
いつもだったら、彼は机をくっつけて教科書を見せてくれる。結局寝てばっかりいるんだけど、でも春原くんが忘れた時もそれが当たり前だった。
春原くんが無言のまま私の手に現代文の教科書を渡してくれる。え、と声を出す暇もなく、春原くんは目をつぶって私をシャットアウトした。
じわっと視界が滲んで、バレないように慌てて拭う。いけないいけない、しっかりしろ私、今は授業中だ。
・・・でも、こんなの。
避けられてるのは明白だ。
結局その日、春原くんと会話らしい会話を交わすことは無かった。なんで避けられているのか、怒らせてしまったのか、心当たりがなくてどうしようもなく落ち込みそうになる。
それから数日間も、春原くんはずっとそんな感じのままだった。
「おーい。」
「・・・。」
「おーい、秋山さん。」
「・・・。」
「あ、き、や、ま、さん。」
急に視界に雪緒くんが映り込んできて慌てて思考を停止させる。あの日から私の頭はぐるぐる回ってばかりだ。
「今日、調理室行く日だよね。」
「あ、そうだ。」
今日は雪緒くんとお菓子を作るのだ。勇気を出したい、春原くんに手作りお菓子を渡したいという彼を手伝うことになっていて。
教室を出て調理室へ向かう。皆さんご存知の通り私は料理は得意ではない、むしろ苦手だ。特別講師美和ちゃんはもちろんお願い済み。
「だから!しっかり目盛り見て計ってください!」
「え~いいじゃない別にこれくらい。」
「良くない!小さな誤差が命取りです!あ、あとそれ、こぼしたのちゃんと拭いといてくださいよ。怒られるの私なんですから。」
「・・・姑になったら嫌われるタイプね。」
「文句は大きい声でどうぞ??」
お互いつっかかりまくりの2人の間に入ってどーどーと落ち着かせる。最初は王子様スマイルを振りまいていた雪緒くんだが、気づけば素に戻っていて、美和ちゃんもそれを特に気にした様子もなく。
「あー!だからそれはよく混ぜて!ダマになっちゃってるじゃないですか!」
「もううるさいわね!!」
雪緒くんが持っているボウルを美和ちゃんが奪ってチャカチャカとかき混ぜる。不満そうに口をとがらせながらも雪緒くんは美和ちゃんの手馴れた手元を観察していた。私はなんとなく察知している、この2人は合う。
そんなことを考えながら私も横でチャカチャカボウルをかき混ぜていた。今日は私は見学だけの予定だったのだが、気づけば一緒に作ることになっていた。これは自分で言い出したのだけれど。
言い合いを聞きつつ、制止しつつ、手を動かしつつ、とてつもない労力を要して調理が進むのはハミングバードケーキというスイーツ。雪緒くんのお母さんがよく作ってくれる、アメリカではメジャーなお菓子らしい。
オーブンに入れて、あとは待つだけと3人で達成感につかっていたのもつかの間。
「うっうわああああ!!」
「どうしたの!?」
「くっ・・・くも!くも!!」
当然叫び出した美和ちゃん。驚いてそちらを見れば、彼女の肩の上に居たのは小さな蜘蛛で。なんだ蜘蛛か。そう思ってしまった私とは逆に雪緒くんは悲鳴をあげる。
「わ!!!蜘蛛!!!蜘蛛!!!」
「だから言ってるじゃないです!か!!」
美和ちゃん並みのパニックを起こす雪緒くん。どうやら2人とも虫は苦手なようだ。やれやれ、とため息をつきながら蜘蛛の救出へと向かった。
頭頂部に視線を感じて顔を上げれば、前の席に反対向きに座った塚田がこっちを見ていた。
「・・・なに。」
「別に?」
そう答えつつ、塚田の視線は俺を捉えたままだ。
もう一度目で訴えかけると彼は少し楽しそうに笑う。
「いや?春原がそんなに余裕ないとはなあって。」
「・・・うるさい。」
「秋山、落ち込んでたぞ。」
「・・・分かってる。」
分かってる、そんなこと。秋山を傷つけていることも、彼女は何も悪くないことも、全部自分の中の勝手な気持ちだと言うことも。
謝るタイミングを逃してしまって、今日こそは謝ろうと思った。しかし帰りのホームルームが終わるタイミングで彼女はすぐに教室を出てってしまい、まだ戻ってきていない。
カバンが置きっぱなしの隣の席を見て、そのまま視線を前の席に向ける。そこにもスクバが置かれたままで、ああ、ダメだ。どうしても気持ちがコントロール出来なくて、思わずため息がこぼれた。
そんな俺を見ながら塚田は困ったような、微笑ましいような、からかうような、なんとも言えない表情を浮かべるから机の下で足を蹴っておいた。
・・・今日はもう帰ろう。
これから自主練をして帰るという塚田と別れ、1人廊下を歩く。人気の少ない歩いていればなんかいい匂いがするなあ、なんて思ったのと同時に聞こえてきたのは悲鳴で。
「きゃああああ!」
女子のものと思われる悲鳴が重なる。
なにがあったのかと少し駆け足で悲鳴が聞こえた方角へ向かう。
どうやらいい匂いも悲鳴も出処は同じく調理室のようだった。
「っ・・・大丈夫!?」
ガラガラ、と勢いよくドアを開ければその中にいたのは見知った顔の人達だった。
半泣きで固まっている春日と、同じく真っ青な顔で固まる雪緒。その傍では秋山が両手を丸めて合わせていてその中に何かが入っているようだ。
そのままテコテコと窓の方まで歩き、彼女は手のひらの中から何かを逃がす。
・・・虫?
「もう帰ってくるんじゃないよ~」
「結衣先輩っ!はやく!手洗ってください!!」
春日に急かされるまま秋山が石鹸で手を洗って、そのままふっと顔を上げた。
「!?!?春原くん!?」
「そんなに驚く?」
まるで幽霊でも見たかのような顔をする。雪緒たちもそこで俺の存在に気づいたようだ。雪緒もまたひどく驚いた顔をして、そしてなぜか顔を赤らめた。
何か事件じゃなくて良かった、と安心すると同時に視界にラッピングされたお菓子の存在が目に入る。赤いリボン。中に入っているのはケーキだろうか。
俺の視線を辿って、なぜか雪緒がひゃあ、と変な声を出して更に顔を赤らめた。そんな彼の背中を、春日がグイグイと押す。
「あーーもう!ひっそり引き出しの中に入れようと思ってたのにい!」
「それ普通に怖いですから。ほら、早く早く。こうなったら今言っちゃいましょうよ。」
押されるままにおずおずと前に出てきた彼は少し俯いて、意を決したように顔を上げた。
「こ、これ!ハミングバードケーキって言って、アメリカではメジャーなスイーツなの!中に入ってるのはパイナップルとオレンジ。甘いものが苦手って聞いたから、スポンジにもクリームにもお砂糖は入ってないから、だからもしよかったら・・・」
食べて欲しくて。消えかかりそうな声でそう言い切った雪緒はそのまま俯いて後ろに下がろうとする、がそれを春日が許さない。自分で手渡せ、と言わんばかりに雪緒にケーキを握らせた。
彼もまたふう、と息を吐いてからラッピングされたケーキを恐る恐るという様に俺に差し出す。
「・・・ありがとう。」
「あ!!全然!!嫌だったら捨てて・・・」
「捨てるわけない。食べるよ。」
「・・・本当に?」
「うん。ありがとう。」
嬉しい、と俺が言う前に雪緒があああああ、と変な声を上げる。
「もおおお、死ぬかと思った・・・」
「頑張りましたね、えらいえらい。」
「・・・アンタ、意外といい奴ね。」
「意外じゃないでしょ、見た感じいい奴でしょ。」
崩れ落ちる雪緒の頭を春日がポンポン、と叩いていて、そんな彼の声は教室の時よりもワントーン以上高い。それはさっきからだけど。一人称も変わっていて、けれどそれに驚くというよりも彼の王子様スマイル以外の表情を見れたことが何だか新鮮で、やっと雪緒の体温を感じられた気がした。
何気なく調理台の上を見渡せば、赤いリボンのラッピングの横に透明な袋に入っただけの何かが見える。中身は何だろう、と思って近づけば、あああああと声を上げたのは今度は雪緒ではなく秋山だった。
「・・・これは。」
「ちょっと!!見ないで!!!」
焦げて・・・いるのだろうか。中に入っているものは所々黒くて(本当は所々以外が黒い)、そしてスポンジがポロポロと崩れてしまっていた。俺の前に立って、精一杯袋を隠す秋山。その背中を、今度は雪緒が押す。
「えっと・・・これは・・・」
「・・・」
「ハミングバードケーキ、になる予定だったものです。」
そのまま秋山は一度俯いた。その手は不安そうに制服の裾をつまんでいる。
「私、知らないうちに春原くんに嫌な事しちゃってたのかなって。」
「・・・ごめん、それは違くて・・・」
「全然何が原因なのか思いつかなくて、そういう所も駄目だなって思っちゃって。私あんまり賢くないから、人の気持ちとか分からない時あるし。」
だから違うんだよ、その俺の声に重ねて秋山が顔を上げる。
「でも、私やっぱり春原くんと話せないのは悲しい。悪い事しちゃってたならきちんと謝りたいし、ちゃんと仲直り、したいなって。」
そこまで言って、秋山の視線は机の上に戻る。真っ黒のケーキ。それを見つめて、秋山は遠い目をする。
「でも上手くできなくて。私の人生こんなもんですアハハハハ。」
「ゆいゆい、目が空洞になってるわ。」
「こんな時ですら何も上手くできない。ああ一体どうして私は・・・」
「結衣先輩、どーどー。」
宙を見つめて乾いた笑いをする秋山をすり抜けて机の上に手を伸ばす。あ、と彼女が止める前に封を開いて口の中に放り込んだ。
「・・・・・・おい゛じい゛」
「世界一分かりやすい気遣いをありがとう!ほら!ぺってして!!」
慌てふためく彼女を横目にすべてを飲み込む。ごっくん、という音と共に涙目になってしまいそれは隠せず。ごめん秋山。
「ありがとう。嬉しい。」
「そんな、わたしは・・・」
「あと、俺の方こそごめん。ていうか秋山は何も悪くない。何も嫌なことなんてしてない。」
「・・・春原くん。」
もう一度謝った俺の顔を少し不安そうに見上げて、彼女が手を差し出す。
「仲直り、してくれますか。」
迷わずに俺も手を差し出せば、彼女は少し躊躇いながら俺の手を握る。少しの沈黙の後、秋山はふふっと可笑しそうに笑った。
「お手本のような仲直りの仕方だね。」
「だね。」
「小学生に見せてあげたいね。」
いや、小学生の方がちゃんと仲直りできるか、見せるべきは大人かな?なんて真剣な顔で考え始めるから、思わず俺も笑ってしまった。
昨日も今日も。きっと明日も明後日も、雪緒くんは私にちょっかいを出してくる。
「ねえねえ、駅前にできたカフェ行こうよ。」
「いいね!そこのチーズケーキ美味しいって噂だもん!」
「プリンも美味しいみたいだよ。あとSNSフォローすれば割引あるって。」
「さっすが雪緒くん。ぬかりないね」
まあね、と答えた彼は春原くんの方を向く。
「春原くんも行くでしょ?」
「歩くのめんどくさい。」
「えー、冷たいなあ。」
あいかわらずの塩対応。
可愛くほっぺを膨らませた雪緒くんは、いいよ2人で行くから!と私に向き合える。
「秋山さん。」
「ん?」
「デートだね。」
・・・しまった、うっかりときめいた。声、表情、顔の角度、何もかもが完璧だった。くそう、何この敗北感。私の心の声が漏れたのか雪緒くんが勝ち誇ったように笑う、と同時に春原くんが顔を上げて。
「・・・俺も行く。」
「でも歩くの面倒なんでしょ?」
「気のせいだった。」
「甘いものも得意じゃないよね?」
「コーヒーとか飲む。カフェなんだからあるでしょ。」
ふーん、と雪緒くんは意地悪に笑って、そんな彼を春原くんが死んだ魚のような目で睨んでいた。果たしてこれでいいのかな?と思うのだが、どうやら彼は好きな人に意地悪したくなる典型的なタイプのようだ。困った顔を見るのが何より萌えるらしい。この話は雪緒くんから一方的にされた、あんまり聞きたくなかったけど。
そんなこんなで、私の大切な友達がまた1人増えたのだ。
花ちゃんのダルそうな号令でみんなが席に戻っていく。
まだ少し肌寒い風が吹く春の朝。満開だったはずの桜は既にもう散り始めていて。
始業式後のホームルームが始まる。気づけば私達ももう3年生になっていて、1階の教室を手に入れていた。ちなみに1年生が3階、2年生が2階、3年生が1階と、学年が上がる度階段を上らなくてよくなるのだ。
「いいよな~お前ら。俺なんか科学準備室が3階だから結局行き来しなきゃだしむしろ大変になったよ。どうしてくれんだよ。」
知るか、と心の中でツッコむ。実際誰かも声に出してツッコんでいた。
「誰か金持ちになってこの高校にエスカレーター付けてくれよな。」
「え、それまで居座るつもりですか。」
「居座るとかいうな。」
クラス委員の子が大真面目な顔でそんな事を言うから、クラス中に笑いが起きる。新学期という事で皆のテンションも心なしか高いが、理由はそれだけではなさそうだ。
「はい。前にもいったとおり、転校生がきています。」
その言葉に教室のあちこちでザワザワと声が上がる。そう、どうやらこのクラスに今日から転校生が来るらしい。厳密には授業は明日からなのだが、既に始業式から参加しているようで。
「まあ詳しい事は本人の口から聞こうな。てことで入ってきて~。」
相変わらずの適当さ。花ちゃんの声に促されて教室のドアが開く。入ってきたのは男の子で、ざわめきが一層大きくなった。・・・特に、女子の声。
「・・・うわあ、美形。」
思わず私も呟いてしまって、それが聞こえたのか春原くんも頷いた。
そこにいたのはまさに王子様のような男の子。真っ白な肌に綺麗な金髪、少し青味がかった瞳。細身の彼は、黒板に自分の名前を書く。こりゃまた字も端麗。
「由井雪緒です。アメリカから来ました。母がアメリカ人で父が日本人のハーフです。よろしくお願いいたします。」
流ちょうな日本語で自己紹介をした後、彼は控えめに微笑んだ。瞬間にあちこちで女の子の黄色い悲鳴が聞こえて、男子が低く呻くのが分かった。そうなるよね、ドンマイ。
「日本の学校に通うのは小学校ぶりで色々分かんない事もあると思うから、皆サポートしてやってな。えっと、席は・・・」
花ちゃんが視線を彷徨わせて、あああそこで、と指をさす。
その席は春原くんの正面、つまり私の斜め前。視線を集めながらスタスタと歩いてきた彼は、隣の女の子に微笑みかける。
「よろしくね。」
「っ・・・こちらこそ・・・!」
隣の席の田淵さん。小さく後ろを振り返って私にガッツポーズをする。素直でよろしい。雪緒くんは後ろも振り返って、私と春原くんを順番に見つめる。
「これからよろしくね。」
「こちらこそ。よろしくね。」
「・・・よろしく。」
パンパン、と花ちゃんが手を叩いて皆の視線を集める。
「はい女子~、イケメンだからって明日から気合入れ過ぎないようにな。生徒指導の先生に怒られるの担任だからな。はい男子~、そんなに僻まない僻まない。お前らにはお前らのいい所があるから自信もって」
じゃあ今日はこれでもう下校です、さようなら~。なんて気の抜けた声と共に午前中だけの新学期1日目は終了した。明日から授業か、寝坊に気を付けようっと。
凄まじい。その一言に尽きる。
さっちゃんが少し呆れ顔をしながらストローをくわえる。その視線の先には雪緒くんがいて、周りには女の子ばかり。よく見れば違うクラスの子も混じっている。
「こうも人が集まると落ち着かないわ。」
「そうだねえ。」
新学期と共に始まった転校生雪緒くんフィーバーは収まる気配はなく、なんだかデジャヴ。
ため息をつくさっちゃんのスマホには、あれ、珍しい。
「どうしたの?それ。」
スマホからぶら下がるのは少し大きめのキーホルダーで、さっちゃんがこういうのを身につけるのは珍しい。さっちゃんお気に入りの頭から手と足が生えている緑色のキャラクター。私をよく馬鹿にするくせに彼女のセンスも大概独特だと思う。
私の言葉になにやら少し恥ずかしそうに笑ったさっちゃんは、まあね、と言葉を濁して。誰かからもらったのかな、なんて何となく事情を察知してあのカクカクのメガネを思い出した。
「雪緒くん、もう校内は大体覚えた?」
「うーん。まだちょっと微妙かな。」
「そうなんだ。じゃあ私達が案内してあげるよ~。」
「本当に?嬉しい。」
自然と耳に入ってくる雪緒くん達の会話。
・・・少しだけ目を伏せたまま、まじまじと彼を観察してしまう。
顔がいいだけじゃなく、彼は恐ろしいくらいにハイスペックだった。いつもにこやかで人当たりも良く、運動も出来る。古典は少し苦手みたいだがそれ以外の教科は人並み以上だし、英語に関してはペラペラ、昔から日本の文化が好きでなんと書道を習っていたらしい。だから字も達筆。なんという事でしょう。
もはや別世界の人過ぎて、中々ちゃんと話す機会なんてないんだろうな。そう最初は思っていて、しかしその予想だけはまるっきり当たらなかったのだ。
女の子たちと話していた雪緒くんがキョロキョロと辺りを見回して、そして、パチリと目が合う。彼は一層笑顔を深めてこちらに近づいてくる。
「秋山さん、今日校内の案内お願いしてもいいかな。」
「え、でもそれさっき・・・」
「そうだよ雪緒くん。私達が案内するって~」
私の言葉に女の子たちも援護射撃。そうだそうだ、もっとやれ。
雪緒くんは少し困ったように笑って。
「でも皆部活があるでしょ?迷惑かけられないよ。」
「そんなの大丈夫だって。」
「大丈夫じゃないよ。カナちゃんがいなかったら絶対皆困るよ。」
「・・・ええ、そうかな~。」
まんざらでもない様子でカナちゃんと呼ばれた女の子が指をつつく。ちなみに明らかに別のクラスの子だ。初めまして。
クルリと私の方に向き直った雪緒くんは、首をかしげて私を覗き込む。華麗な上目遣い、満点。
「お願いしてもいいかな?」
「えーっと・・・。」
「もしかして、迷惑?」
「迷惑とかじゃないけど・・・。」
チラリと女の子たちの方を盗み見れば、彼女たちは少し不満そうな顔をしながらも、それ以上何かを言うつもりはないようだ。少し考えて、頷く。
「やった、ありがとう。」
そう言って雪緒くんは微笑む。その姿にまた黄色い悲鳴が聞こえて。
「あんた、何か雪緒に気に入られてるよねえ。」
「・・・。」
私の斜め前の席になった雪緒くんは、転校初日から何かと後ろを向いて話しかけてくるようになった。秋山さん、秋山さん、と名前を呼ばれて、何か困ったことがあるとすぐ私に声をかけてくる。そのたびに女の子たちの視線が痛い・・・わけでも無くて。
「それはそれでなんか傷つくんだよね。」
「・・・まあでも、結依だからねえ。」
「あーー出たそれ。」
まあ結依だから、秋山さんだから、そんな感じの目で彼女たちは私を見て、むしろ穏やかに笑っていたりもする。敵にすらならないと認定されているのだろう、その通りなんだけどさ、でもさ、それはそれでさ、かろうじてある女心が痛むのよ。
「でもまあ、気を付けなよ。」
「何かあったらさっちゃんが守ってくれるでしょ?」
「なにその全面的信頼。重いわ。」
ふざけて笑うさっちゃんが、少しだけ真面目な顔をする。
「・・・雪緒みたいなタイプって、裏があってナンボって感じよね。」
「それ、絶対偏見。」
「どうだかね。私の勘は当たるのよ。あー、可愛い可愛い結依ちゃんがまた事件に巻き込まれちゃう~」
「絶対面白がってるでしょ。」
「まあね。」
「少しは誤魔化そうとしろっ」
ごめんって、と一ミリも悪いと思って無さそうなトーンで謝ったさっちゃんは、授業開始のチャイムと共に席に戻っていった。
結局放課後も雪緒くんと校内を回って、でも案内なんて必要ないくらい彼は大体の位置を把握していた。記憶力もいいんだろう。
・・・ああ、とんでもなく音痴とか足の匂いがキツイとか、何か欠点あったりしないかなあ。なんて失礼なことを考えてしまっていたのは皆さんと私だけの秘密です。
「秋山さん、これどういう事?」
「これはね、変格活用だから・・・。」
古典の授業中、次週の時間に振り向いてそう問う雪緒くんに解説をしてあげれば、なるほど!と目を輝かせる。
「秋山さん教えるの本当にうまいね。」
「そんなことないよ。雪緒くんの理解力が凄いんだと思う。」
「ううん。尊敬しちゃうなあ。」
そう言ってニコリと笑う。・・・眩しい、眩しくて目が潰れそう。
雪緒くんの隣の田淵さんが私に向かって親指を立てる。田淵さんは彼の横顔が好きなだけ眺められるからという理由で、もっと話せと指令を出してきたりする。なんだそれ。
クルッと前に向き直る前に、雪緒くんの視線が一瞬春原くんに移る。その瞬間、あ、まただ、と思った。
ベージュの髪は今日もゆらゆらと揺れていて、相変わらずだなあと小さく笑ってしまう。少し時間たって、また雪緒くんが私に問題を問う。私の解説を聞きて頷きながら、その視線がまた春原くんに移ってすぐに戻る。前に向き直る瞬間も、ああまただ。
「秋山さん、よかったら今日の放課後勉強教えてくれないけど?」
「え・・・」
「ほら、来週古典の小テストがあるでしょ。どうしてもわからない所がいくつかあって。」
「別にいいけど・・・。」
やった、と彼は小さく声を上げて、その視線がまた動いた。
・・・やっぱり。私に頼みごとをしながら、その視線はチラチラと隣の席に移る。ありがとう、という声も心なしかボリュームが上がって気がして、まるで春原くんの気を惹こうとしてるかのよう。
「・・・雪緒くん、って。」
「ん?」
「・・・ごめん、何でもない。」
不思議そうな顔のままの雪緒くんに、何でもないともう一度繰り返す。彼の言動や行動になんとも言えない違和感を感じるようになったのは少し前からで、でもその違和感がまだ何なのか分からなかった。
「秋山、これ。」
春原くんが何やらごそごそと鞄を漁って、取り出した本を私に手渡してくれる。受け取ってタイトルを見れば、私が好きな作家さんの最新作だった。
「え!もう読んだの!?」
「うん。面白かったから、貸してあげる。」
教科書をカバンにしまいながら、秋山もその人好きでしょ。なんてサラッと言ってくれる。買おうかどうか迷ってた本。非常に嬉しい。
放課後の教室はもう人がまばらで、私もカバンに荷物を詰めて帰宅準備をする。
先に帰宅準備を終えた春原くんが何となく私を待ってくれてるのが分かって、さっさと詰め込んで彼の後を追った。
「あ、秋山さん!」
と、教室を出る直前。入れ替わりで入ってきたのは雪緒くん。
一緒にいる私と春原くんを交互に見て、彼は私の名前だけを呼ぶ。
「今さ、ちょっとだけ時間いいかな?」
「あ、でも今から帰るところで・・・。」
「ごめん少しだけでいいから。すごく困ってるんだ。」
そう言って雪緒くんは両手を合わせる。返答に困りながらも春原くんの方を見れば、彼は秋山がいいならいいんじゃない、といつもと変わらない様子で言う。
「・・・分かった。どうしたの?」
「ありがとう!助かる!ちょっと一緒に生徒会室に行ってほしくて・・・」
「生徒会室?」
「そう。生徒手帳を取りに行かなきゃいけないんだけど、僕まだ場所があやふやで・・・。」
雪緒くんの話を聞いているうちに、春原くんは静かに教室を出て行ってしまっていた。気づいた時には彼の背中は既に小さくなりすぎていて、バイバイも言えなかった。
「秋山さん?聞いてる?」
「・・・ごめん、ちょっとぼーっとしてた。でも雪緒くん、もう教室の場所大体把握してるんじゃない?」
「そんなことないよ。まだ上の階があやふやで。」
そう言ったわりに、やっぱり雪緒くんはスムーズに廊下を進んでいく。彼の行動の意図が分からなくて、また何とも言えないもやもやが胸の中に広がる。なんなんだろう、これ。
生徒会室で無事に生徒手帳を受け取った後、
廊下の途中で急に雪緒くんが立ち止まる。
「・・・雪緒くん?」
どうしたんだろうと彼の名前を呼べば、彼はゆっくりと振り返った。その顔にはいつもの微笑みがあった。体温を感じない、王子様スマイル。
「秋山さんてさ、春原くんと仲いいよね。」
「・・・うん、友達だし。」
「・・・友達、ね。」
私の言葉を繰り返して、雪緒くんは目の前にあった廊下の壁に少しだけ寄りかかる。惚れ惚れしてしまうほど綺麗な横顔で窓の外を眺める彼を見ていると、なんだか胸の奥がむずむずする。
少しの沈黙の後、雪緒くんがゆっくりと口を開く。
「本当に、ただの友達?」
うんともいいえとも答える前に、雪緒くんはいつものようにニッコリと笑った。
「彼とはあんまりお似合いじゃないんじゃないかな?」
「えーっ・・・と」
「僕と居た方が絶対楽しいと思うし。秋山さんもそう思わない?」
「はあ、」
ペラペラと雪緒くんの口から言葉滑り落ちる。私の方を見ないまま一気にまくしたてる彼に、私の返事は追いつかなくて。
煮え切らない私の返事に雪緒くんが、ていうか、と少し声を荒げた。
「僕の方が、絶対に彼を幸せに出来ると思うよ。」
その言葉には熱がこもっていて、いつもは見えなかった彼の内側が見えた気がした。それと同時に今の言葉が反芻する。僕の方が、彼を、幸せにできる。
感じていた何とも言えない違和感が、じわじわと消化されていくのが分かった。
はっと我に返った雪緒くんは、いつもの王子様スマイルを浮かべ直す。その顔をまじまじと見てしまえば、彼は少し戸惑ったように目を泳がせて。
「あ、ごめん、変なこと言ったちゃったね。」
「・・・。」
「ごめんね本当に、気にしないで。教室戻ろっか。」
そう言って私から目を背けて歩き出す。
女の子に向ける、温度の感じない王子様スマイル。授業中に後ろを振り向くと必ず泳ぐ視線。私と話しているようで、彼の意識はいつだって私の隣へと向かっていた。
スタスタと歩く雪緒くんの手を後ろから引って振り向かせる。突然の事に彼は驚いた顔で私を見て、そのまま彼の両腕を掴んだ。彼がさらに両目をぱちくりさせる。
「・・・雪緒くん。」
「・・・えっ、と?」
「もしかして。」
「雪緒くんって、春原くんの事が、好き?」
私の言葉に彼がひゃあっと悲鳴を上げる。女の子のような悲鳴。そのまま彼は頬に両手を添える。えっ、と驚いてしまった私に、さらに衝撃が重なる。
「なっ・・・何言ってるのっ!そ、そんなわけ・・・」
「ゆ、雪緒くん?」
「アタシが春原くんの事をす、す、す、好きだなんて・・・」
アタシ、という一人称は間違いなく彼の口から出たもので、今度は私の目が点になる。アワアワする彼の声はいつもよりもワントーン以上高い。
「そ、そんなことあるわけないじゃないのよっ」
「ゆゆゆ雪緒くんっ・・・ちょっと落ち着いて」
「だってアナタが変なこと言うから・・・!」
「雪緒くん!一人称!語尾!!」
アナタ。目が点を通り越して穴が開きそうだ。
私のツッコミに雪緒くんはしまった、というように自分の口をふさぐ。ただでさえ白い顔が真っ青で。
しばしの沈黙の後、彼はゆっくりと、私の方を向く。
「・・・秋山さん。今日の課題って何があったっけ。」
「いやこの流れで日常会話に戻れないから。」
「デスヨネ。」
再び表情を崩した雪緒くんは、うわあああん、とその場に崩れ落ちた。ちょっと待って、私の理解が追い付かない。だれか、助けて。
「昔から、男の子が好きなの。」
ズビーッと彼が勢いよく鼻をかむ。その目も鼻も真っ赤で、思わずよしよしと頭を撫でてしまった。人のいない中庭の隅っこに移動してきた私たちは、並んでベンチに座っていて。
「アメリカでは別にそんなに特別じゃなかったの。周りにもいたし。でも日本ではやっぱり隠した方がいいって、パパとママが。」
「・・・そっか。」
「実際、小学生の時に痛い目見たしね。」
そう言って雪緒くんは苦い顔をする。小学校4年生まで日本いて、そのあとアメリカに引っ越したという雪緒くん。小学生の時の事についてそれ以上は何も語らなかったけど、悲しい思い出があるの事は明白だ。
「普通にならなきゃって思ってさ。一人称とか、言葉遣いとか直してみたり。」
あとは。と雪緒くんが1度俯いてから、顔を上げて私の方を見る。
「この笑顔とか。」
「うわ、こうやって見るともはやホラー。」
「容赦ないな。」
ズビッとまた鼻を啜って、雪緒くんが呟く。
「別にすごく苦痛な訳じゃないの。王子様キャラって割り切っちゃえば演劇みたいで楽しいし、アタシ乙女ゲームでもこういうメインぽいキャラから攻略してくタイプだから。情報は多くて。」
「ああ、真逆だ。私は逆にいちばんミステリアスなキャラから攻めるタイプ。そういうところから入ると意外とメインのキャラと兄弟設定とかあって萌えるんだよね。」
「血の繋がってない兄弟設定ね。あとは今は敵同士でも昔は命を預けた仲間だったりね。」
「「・・・」」
一瞬の沈黙の後、2人で固く手を握りあった。こやつ同志だ、悪いやつじゃない。
「女の子ももちろん嫌いとかじゃないの。でも、でも出来ればやっぱりキャーキャー言われるんじゃなくて一緒にキャーキャー言いたい。メイクの話とか、スイーツの話とか、混ざりたくなるの必死に我慢してるんだから。」
そこまで言って彼は一度息を吐いて、眉を下げて私の顔を覗き見る。
「ごめんこんなこと話して。困るよね。」
「へ?何で困るの?」
「どう反応していいか分からないでしょ。大丈夫、慣れてるから。人に理解してもらえないのも仕方の無いことだなって思うし・・・」
「・・・なんで人に理解してもらわなきゃいけないんだろう。」
私の言葉に、雪緒くんは驚いたように私を見つめた。
その顔には何とも言えない不安げな表情が浮かんで、ああ。自分の気持ちを否定されたことが何度もあるんだろうなあ。
「誰を好きになろうがその人の自由なのに、雪緒くんの大切な気持ちなのに、なんで人に理解してもらえなきゃいけないんだろう。変とか、普通じゃないのか、そんなの誰も決めれないのにね。」
彼の表情が変わるのが分かった。
陽にすける金髪、蒼味がかった瞳、本当に惚れ惚れしちゃうくらい美しい。
「雪緒くんの気持ちは、雪緒くんだけのものだもん。大事な自分の気持ちを、そんな苦笑いで隠しちゃだめだよ。私が悲しいよ。」
そう言って彼の眉間を人差し指でつつく。
少しの間の後に、彼はふっと吹き出して。
「ゆいゆいって、変な人ね。」
「・・・詳しいけどよく言われる。」
「だろうね。」
「ねえねえ、春原くんのどこを好きになったの。」
「えええ、いやよ恥ずかしい。」
「いいじゃん~~聞かせてよ!お願い!」
恥ずかしがりながらも雪緒くんは口を開く。最初は恥ずかしがっていたのにどんどんヒートアップしていって、これでもかというくらい雪緒くんの恋愛観を知ってしまった。性癖まで。ちょっとそこは知りたくなかった。
一通り話し終えた雪緒くんはわざとらしくため息をつく。
「でも、まさかこんなに早くバレるなんてねえ。」
『僕の方が、絶対に彼を幸せに出来ると思うよ。』
彼。この言葉が決定的だった。
雪緒くんがいつも後ろ振り向く時にチラチラ春原くんのこと見てた事とか、あとは春原くんが寝てる時はわざと大きい声で話してたこととか。
「私にちょっかいかけてるようで、全部春原くんにかけてたんだよね。」
「うわあ、そこまでバレてたの。滑稽すぎて泣けてくる。」
顔覆った彼は耳まで真っ赤で、でも、と少し不貞腐れたように呟く。
「・・・話しかけたくても恥ずかしくて話しかけられなくて。」
「は?可愛いなんなの??」
「なんでキレてんの?」
あまりにも可愛くてよく分からない感情になってしまった。
気付けば下校のチャイムがなって、2人で急いで立ち上がる。いけない。校舎の鍵が閉められてしまう前に出なければ。
教室にカバンを取りに戻って、ドアから出る前に雪緒くんが立ち止まる。
「・・・ゆいゆい、あの、このことは」
「言わないよ。わたし、口だけは固いの。」
「ああ、頭ふにゃふにゃそうだもんね。」
「ディスったよね完全に。」
躊躇いながら口を開いた彼は、私の言葉にははっ、と声を上げて笑って。そのまま私の方を見つめて。ありがとう、と微笑む。・・・あらら、意識しなくても完璧な王子様スマイル。惚れ惚れしちゃうね。
次の日からも、雪緒くんの態度は全く変わらない。いつも通り何かあれば声をかけてきて、私をとびこえて春原くんの方をチラチラと見る。
ポコッ、とつくえの下で雪緒くんの足を叩く。何、と目で訴えかけてきた雪緒くんに、み す ぎ と口パクで伝えれば彼は顔を赤くして。
「・・・秋山さん、この問題は?」
「これはね・・・」
赤くなってるのがみんなにバレないようにと教科書を見てるフリして口元を隠すから、可愛くて思わず笑ってしまう。
ジトッと睨まれたけど、知らん顔で教科書を開いた。
「・・・結衣、雪緒となんかあった?」
なんか最近、仲良いから。そう言ってさっちゃんはりんごジュースのストローを加える。
「別に何もないよ。」
「嘘だね。」
「・・・ほんとは秘密。」
「え~、なにそれ。」
一瞬で嘘を見ぬかれた私、さっちゃんに嘘はつけない。あやし~、とからかうように笑った彼女をつつき返せば隣から視線を感じて。
「・・・なに?」
「・・・・・・別に。」
かなりの間の後にそうだけ答えた春原くん。絶対に別に、じゃない間だった。もう一度どうしたの、と問う前に彼は腕を伸ばして机に寝そべってしまう。あら、珍しい。机には突っ伏さないのがマイルールのはずのなのに。まあ寝てはいないけど。
「秋山さん。ちょっといい?」
噂をすれば、とさっちゃんが呟く。私を手招きした雪緒くんは目線で場所を変えたがっているのが分かって、そのまま廊下へと向かった。
チラリと振り返ればやはり春原くんがジーッとこちらを見ている。手を振ればしかめっ面をされた、なんでだ。
休日の遊園地は賑わっていた。まだ少し風は肌寒くて、上着着てくればよかったなあなんて少し後悔。
入園口の自販機のそばで立っていれば、少し小走りで近づいた人が私を見つけて手を上げる。
「ごめん、お待たせ!」
「・・・うわあ、隣歩きたくない」
「一言目辛辣すぎない?」
「最大級に褒めています」
少しダボっとしたズボンに真っ白のノーカラーのシャツ、日差しが彼の綺麗な金髪を透かしていて、うーん、こういうシンプルな格好が引くほど似合う。既に周りの人の視線を集め始めていて、非常に場違い。隣に並びたくない(失礼。)
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は私の手を引っ張って。
「ほら!行こう!」
「わっ・・・ちょっと待って・・・!」
「うわ~~!!すごーい!!」
遊園地の中に入れば雪緒くんは瞳を輝かせて歓声を上げた。ねえねえあれ乗りたい!あああれも!これも!!そう言って彼は既にはしゃいでいる。
「あ!あとであそこのクレープも食べたい!」
「いいね。あ!あそこたい焼きも売ってるよ!」
「本当だ。色んな味があるのね、珍しい~」
「・・・なんか雪緒くんみてたら私もテンション上がってきちゃった。」
雪緒くん、日本の遊園地は幼い頃に一度だけ行った事があって、戻ってきたら絶対にもう一度行きたいと思っていたらしい。私も遊園地なんて何年ぶりだろう。
だって、とだけ言って彼は少し恥ずかしそうに下を向く。
「・・・ゆいゆいは、こっちに来て初めてできた友達だから。」
「・・・はあ?可愛いんだけど?何なの?」
「なんでキレるの?」
いけない、この前も可愛すぎてキレてしまったばかりなのに。反省します。
少し顔を赤らめた雪緒くんの肩をポンポンと叩いて、よっしゃ楽しむぞー!
ー!なんて2人で拳を突き上げた。
気づけば時間は正午を回っていた。ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴランド、目に付いた気になるものから順番に乗っていけば乗り物にはそんなに弱いはずじゃない私の三半規管は大ダメージだった。
雪緒くんはケロっとしていて、フラフラになっている私を見てケタケタ笑っていた。許さん。
園内にあるカフェでお昼ご飯を食べて、午後は少しゆっくり行動することにした。はしゃぎすぎて疲れさせちゃったかな、ごめんね、なんて雪緒くんは少し眉を下げて。
「こうやって心の底から楽しめるの久々で。」
「何言ってるの。私もすごく楽しいよ、今日誘ってくれてありがとう。」
ね、あれ乗ろう。はやくはやく。そう言ってお化け屋敷を指刺せば、雪緒くんは少し照れたように笑う。
「え~~、アタシおばけ苦手。」
「だったら尚更。雪緒くんの弱み握りたいし。」
「それ口に出しちゃっていいの?」
結局お化け屋敷で雪緒くんはそれなりに怖がったものの、なんせ、可愛いのだ。キャーキャー言う姿は弱みなんて感じじゃなくて、むしろ加点。一日中はしゃいだ私たちは、遊園地を出る頃にはクタクタだった。楽しい事での疲労感はとても幸せに感じて、ゆっくりと日が沈んでいく街を並んで歩く。
結局園内でクレープを食べ損ねた私たちは最後に駅前のクレープ屋さんに行こうという話になっていて、大きな交差点を渡る。
「・・・あれ、春原くん。」
「え!?どこ!?!?」
反応が凄くてひびった。心臓に悪いからやめて。
大きな立体交差点の斜め前。通りの向こう側に立ってスマホをいじっている人物が春原くんに見える。
距離はあったため私の声が聞こえたわけではないだろうが、春原くんらしき人が丁度スマホから顔を上げた。あ、絶対そうだ。目が合っておーいと手を振る。
目が合った、はずなのに。
春原くんはそのまま目を逸らした。え、と思考停止している間に、歩行者信号の色が変わって一気に歩き出す。交差点の中に溢れかえる人ごみに紛れて彼の姿は見えなくなってしまった。今、ちゃんと一回目が合ったのに。・・・視力とか悪かったっけ。
私が戸惑ったまま雪緒くんの方を見れば、彼はなにやら困った顔で笑う。
「・・・雪緒くん?」
息をついた彼は困った顔のまま私の方を見て、更に眉を下げた。
「僕だって、何も気づいてない訳じゃないからなあ。」
「何が?」
「・・・なんでもないよ。ほら、クレープ食べ行こう。」
そう言って雪緒くんが歩き出す。私もその後を着いて歩き出したけど、なんとなく胸の中がもやもやしたままだった。
「春原くん、おはよう。」
「・・・おはよう。」
次の日。教室に入れば彼の姿があって少しだけ勇気をだして声をかける。
春原くんの挨拶はいつも素っ気ない。いつも素っ気ないけど、今日はさらに素っ気ない。
「昨日さ・・・。」
私が話始める前に、彼はいつものようにだるそうに目を閉じる。寝る邪魔はしちゃいけないと言葉を引っ込めるけど、その日春原くんはいつもに増して寝てばっかりだった。
「・・・あ。」
こういう時に限って教科書を忘れる。
5限の時間、教科書がないと生き延びれない現代文の時間。目を瞑っている彼にそっと声をかける。
「春原くん。」
ピクっと彼がゆっくりと目を開ける。
「ごめん、教科書忘れちゃって。」
「・・・。」
「一緒に見せてもらってもいいかな?」
いつもだったら、彼は机をくっつけて教科書を見せてくれる。結局寝てばっかりいるんだけど、でも春原くんが忘れた時もそれが当たり前だった。
春原くんが無言のまま私の手に現代文の教科書を渡してくれる。え、と声を出す暇もなく、春原くんは目をつぶって私をシャットアウトした。
じわっと視界が滲んで、バレないように慌てて拭う。いけないいけない、しっかりしろ私、今は授業中だ。
・・・でも、こんなの。
避けられてるのは明白だ。
結局その日、春原くんと会話らしい会話を交わすことは無かった。なんで避けられているのか、怒らせてしまったのか、心当たりがなくてどうしようもなく落ち込みそうになる。
それから数日間も、春原くんはずっとそんな感じのままだった。
「おーい。」
「・・・。」
「おーい、秋山さん。」
「・・・。」
「あ、き、や、ま、さん。」
急に視界に雪緒くんが映り込んできて慌てて思考を停止させる。あの日から私の頭はぐるぐる回ってばかりだ。
「今日、調理室行く日だよね。」
「あ、そうだ。」
今日は雪緒くんとお菓子を作るのだ。勇気を出したい、春原くんに手作りお菓子を渡したいという彼を手伝うことになっていて。
教室を出て調理室へ向かう。皆さんご存知の通り私は料理は得意ではない、むしろ苦手だ。特別講師美和ちゃんはもちろんお願い済み。
「だから!しっかり目盛り見て計ってください!」
「え~いいじゃない別にこれくらい。」
「良くない!小さな誤差が命取りです!あ、あとそれ、こぼしたのちゃんと拭いといてくださいよ。怒られるの私なんですから。」
「・・・姑になったら嫌われるタイプね。」
「文句は大きい声でどうぞ??」
お互いつっかかりまくりの2人の間に入ってどーどーと落ち着かせる。最初は王子様スマイルを振りまいていた雪緒くんだが、気づけば素に戻っていて、美和ちゃんもそれを特に気にした様子もなく。
「あー!だからそれはよく混ぜて!ダマになっちゃってるじゃないですか!」
「もううるさいわね!!」
雪緒くんが持っているボウルを美和ちゃんが奪ってチャカチャカとかき混ぜる。不満そうに口をとがらせながらも雪緒くんは美和ちゃんの手馴れた手元を観察していた。私はなんとなく察知している、この2人は合う。
そんなことを考えながら私も横でチャカチャカボウルをかき混ぜていた。今日は私は見学だけの予定だったのだが、気づけば一緒に作ることになっていた。これは自分で言い出したのだけれど。
言い合いを聞きつつ、制止しつつ、手を動かしつつ、とてつもない労力を要して調理が進むのはハミングバードケーキというスイーツ。雪緒くんのお母さんがよく作ってくれる、アメリカではメジャーなお菓子らしい。
オーブンに入れて、あとは待つだけと3人で達成感につかっていたのもつかの間。
「うっうわああああ!!」
「どうしたの!?」
「くっ・・・くも!くも!!」
当然叫び出した美和ちゃん。驚いてそちらを見れば、彼女の肩の上に居たのは小さな蜘蛛で。なんだ蜘蛛か。そう思ってしまった私とは逆に雪緒くんは悲鳴をあげる。
「わ!!!蜘蛛!!!蜘蛛!!!」
「だから言ってるじゃないです!か!!」
美和ちゃん並みのパニックを起こす雪緒くん。どうやら2人とも虫は苦手なようだ。やれやれ、とため息をつきながら蜘蛛の救出へと向かった。
頭頂部に視線を感じて顔を上げれば、前の席に反対向きに座った塚田がこっちを見ていた。
「・・・なに。」
「別に?」
そう答えつつ、塚田の視線は俺を捉えたままだ。
もう一度目で訴えかけると彼は少し楽しそうに笑う。
「いや?春原がそんなに余裕ないとはなあって。」
「・・・うるさい。」
「秋山、落ち込んでたぞ。」
「・・・分かってる。」
分かってる、そんなこと。秋山を傷つけていることも、彼女は何も悪くないことも、全部自分の中の勝手な気持ちだと言うことも。
謝るタイミングを逃してしまって、今日こそは謝ろうと思った。しかし帰りのホームルームが終わるタイミングで彼女はすぐに教室を出てってしまい、まだ戻ってきていない。
カバンが置きっぱなしの隣の席を見て、そのまま視線を前の席に向ける。そこにもスクバが置かれたままで、ああ、ダメだ。どうしても気持ちがコントロール出来なくて、思わずため息がこぼれた。
そんな俺を見ながら塚田は困ったような、微笑ましいような、からかうような、なんとも言えない表情を浮かべるから机の下で足を蹴っておいた。
・・・今日はもう帰ろう。
これから自主練をして帰るという塚田と別れ、1人廊下を歩く。人気の少ない歩いていればなんかいい匂いがするなあ、なんて思ったのと同時に聞こえてきたのは悲鳴で。
「きゃああああ!」
女子のものと思われる悲鳴が重なる。
なにがあったのかと少し駆け足で悲鳴が聞こえた方角へ向かう。
どうやらいい匂いも悲鳴も出処は同じく調理室のようだった。
「っ・・・大丈夫!?」
ガラガラ、と勢いよくドアを開ければその中にいたのは見知った顔の人達だった。
半泣きで固まっている春日と、同じく真っ青な顔で固まる雪緒。その傍では秋山が両手を丸めて合わせていてその中に何かが入っているようだ。
そのままテコテコと窓の方まで歩き、彼女は手のひらの中から何かを逃がす。
・・・虫?
「もう帰ってくるんじゃないよ~」
「結衣先輩っ!はやく!手洗ってください!!」
春日に急かされるまま秋山が石鹸で手を洗って、そのままふっと顔を上げた。
「!?!?春原くん!?」
「そんなに驚く?」
まるで幽霊でも見たかのような顔をする。雪緒たちもそこで俺の存在に気づいたようだ。雪緒もまたひどく驚いた顔をして、そしてなぜか顔を赤らめた。
何か事件じゃなくて良かった、と安心すると同時に視界にラッピングされたお菓子の存在が目に入る。赤いリボン。中に入っているのはケーキだろうか。
俺の視線を辿って、なぜか雪緒がひゃあ、と変な声を出して更に顔を赤らめた。そんな彼の背中を、春日がグイグイと押す。
「あーーもう!ひっそり引き出しの中に入れようと思ってたのにい!」
「それ普通に怖いですから。ほら、早く早く。こうなったら今言っちゃいましょうよ。」
押されるままにおずおずと前に出てきた彼は少し俯いて、意を決したように顔を上げた。
「こ、これ!ハミングバードケーキって言って、アメリカではメジャーなスイーツなの!中に入ってるのはパイナップルとオレンジ。甘いものが苦手って聞いたから、スポンジにもクリームにもお砂糖は入ってないから、だからもしよかったら・・・」
食べて欲しくて。消えかかりそうな声でそう言い切った雪緒はそのまま俯いて後ろに下がろうとする、がそれを春日が許さない。自分で手渡せ、と言わんばかりに雪緒にケーキを握らせた。
彼もまたふう、と息を吐いてからラッピングされたケーキを恐る恐るという様に俺に差し出す。
「・・・ありがとう。」
「あ!!全然!!嫌だったら捨てて・・・」
「捨てるわけない。食べるよ。」
「・・・本当に?」
「うん。ありがとう。」
嬉しい、と俺が言う前に雪緒があああああ、と変な声を上げる。
「もおおお、死ぬかと思った・・・」
「頑張りましたね、えらいえらい。」
「・・・アンタ、意外といい奴ね。」
「意外じゃないでしょ、見た感じいい奴でしょ。」
崩れ落ちる雪緒の頭を春日がポンポン、と叩いていて、そんな彼の声は教室の時よりもワントーン以上高い。それはさっきからだけど。一人称も変わっていて、けれどそれに驚くというよりも彼の王子様スマイル以外の表情を見れたことが何だか新鮮で、やっと雪緒の体温を感じられた気がした。
何気なく調理台の上を見渡せば、赤いリボンのラッピングの横に透明な袋に入っただけの何かが見える。中身は何だろう、と思って近づけば、あああああと声を上げたのは今度は雪緒ではなく秋山だった。
「・・・これは。」
「ちょっと!!見ないで!!!」
焦げて・・・いるのだろうか。中に入っているものは所々黒くて(本当は所々以外が黒い)、そしてスポンジがポロポロと崩れてしまっていた。俺の前に立って、精一杯袋を隠す秋山。その背中を、今度は雪緒が押す。
「えっと・・・これは・・・」
「・・・」
「ハミングバードケーキ、になる予定だったものです。」
そのまま秋山は一度俯いた。その手は不安そうに制服の裾をつまんでいる。
「私、知らないうちに春原くんに嫌な事しちゃってたのかなって。」
「・・・ごめん、それは違くて・・・」
「全然何が原因なのか思いつかなくて、そういう所も駄目だなって思っちゃって。私あんまり賢くないから、人の気持ちとか分からない時あるし。」
だから違うんだよ、その俺の声に重ねて秋山が顔を上げる。
「でも、私やっぱり春原くんと話せないのは悲しい。悪い事しちゃってたならきちんと謝りたいし、ちゃんと仲直り、したいなって。」
そこまで言って、秋山の視線は机の上に戻る。真っ黒のケーキ。それを見つめて、秋山は遠い目をする。
「でも上手くできなくて。私の人生こんなもんですアハハハハ。」
「ゆいゆい、目が空洞になってるわ。」
「こんな時ですら何も上手くできない。ああ一体どうして私は・・・」
「結衣先輩、どーどー。」
宙を見つめて乾いた笑いをする秋山をすり抜けて机の上に手を伸ばす。あ、と彼女が止める前に封を開いて口の中に放り込んだ。
「・・・・・・おい゛じい゛」
「世界一分かりやすい気遣いをありがとう!ほら!ぺってして!!」
慌てふためく彼女を横目にすべてを飲み込む。ごっくん、という音と共に涙目になってしまいそれは隠せず。ごめん秋山。
「ありがとう。嬉しい。」
「そんな、わたしは・・・」
「あと、俺の方こそごめん。ていうか秋山は何も悪くない。何も嫌なことなんてしてない。」
「・・・春原くん。」
もう一度謝った俺の顔を少し不安そうに見上げて、彼女が手を差し出す。
「仲直り、してくれますか。」
迷わずに俺も手を差し出せば、彼女は少し躊躇いながら俺の手を握る。少しの沈黙の後、秋山はふふっと可笑しそうに笑った。
「お手本のような仲直りの仕方だね。」
「だね。」
「小学生に見せてあげたいね。」
いや、小学生の方がちゃんと仲直りできるか、見せるべきは大人かな?なんて真剣な顔で考え始めるから、思わず俺も笑ってしまった。
昨日も今日も。きっと明日も明後日も、雪緒くんは私にちょっかいを出してくる。
「ねえねえ、駅前にできたカフェ行こうよ。」
「いいね!そこのチーズケーキ美味しいって噂だもん!」
「プリンも美味しいみたいだよ。あとSNSフォローすれば割引あるって。」
「さっすが雪緒くん。ぬかりないね」
まあね、と答えた彼は春原くんの方を向く。
「春原くんも行くでしょ?」
「歩くのめんどくさい。」
「えー、冷たいなあ。」
あいかわらずの塩対応。
可愛くほっぺを膨らませた雪緒くんは、いいよ2人で行くから!と私に向き合える。
「秋山さん。」
「ん?」
「デートだね。」
・・・しまった、うっかりときめいた。声、表情、顔の角度、何もかもが完璧だった。くそう、何この敗北感。私の心の声が漏れたのか雪緒くんが勝ち誇ったように笑う、と同時に春原くんが顔を上げて。
「・・・俺も行く。」
「でも歩くの面倒なんでしょ?」
「気のせいだった。」
「甘いものも得意じゃないよね?」
「コーヒーとか飲む。カフェなんだからあるでしょ。」
ふーん、と雪緒くんは意地悪に笑って、そんな彼を春原くんが死んだ魚のような目で睨んでいた。果たしてこれでいいのかな?と思うのだが、どうやら彼は好きな人に意地悪したくなる典型的なタイプのようだ。困った顔を見るのが何より萌えるらしい。この話は雪緒くんから一方的にされた、あんまり聞きたくなかったけど。
そんなこんなで、私の大切な友達がまた1人増えたのだ。
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