さくらんぼの恋

碧 貴子

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第一章

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「……ねえ、ベル。大人のキスの練習をしましょう」
 真面目な顔でそう言った幼馴染の顔を見て、エーベルトは目が点になった。

 ここはアルシュガルド公爵家のエーベルトの私室だ。
 大事な話があるからと、扉を締め切り、お目付け役の侍女・侍従たちは下がらせている。
 つまり今、完全に二人きりだ。
 手に持った本をテーブルに置き、にじり寄ってくるリディアーヌを凝視して、エーベルトはごくりと唾を飲みこんだ。




 --------------




 公爵家嫡子、エーベルト・アルシュガルドは、幼馴染で婚約者のリディアーヌ・ニヴルヘイムが嫌いだった。
 大嫌いだと、思っていた。
 しかし最近は、自分のこの感情がなんなのかわからなくて、エーベルトはかつてない程戸惑っていた。
 少なくとも、嫌いではない。そして多分、嫌いだと思っていたのも、実は本当に嫌いだったわけではないことにも気付いている。
 いつの頃からか、何故かリディアーヌが一方的にエーベルトを嫌いだしたのだ。

 それまでずっと一緒で、何をするにも常に二人並んで笑っていたのに、エーベルトがリディアーヌの背を追い越した時、剣や乗馬や力比べでは負けなくなった時から、リディアーヌの態度が変わってしまったのだ。
 リディアーヌは女の子なのだし、力比べで勝てないなど当たり前だというにもかかわらず、そのことを言えば言う程リディアーヌは頑なになった。
 リディアーヌに、はっきりと嫌いだと言われたときの衝撃は今でも覚えている。
 ショックのあまり3日間部屋に籠ったのだ。まあ、3日目に心配したリディアーヌが訪ねてきて、何となく仲直りをしたのだが。
 それまで、大きくなったらリディアーヌと結婚するのだから、彼女を守れるほどに強くならなければならないと、父やリディアーヌの父に散々言われて鍛錬に鍛錬を重ねてきたのだが、当のリディアーヌに激しく拒絶をされて、エーベルトは酷く裏切られた気分になってしまった。
 もちろん公爵家嫡子として身につけなければいけないことも多く、その厳しさに自分の境遇を恨んだこともあったが、それでも将来もずっとリディアーヌと一緒にいるためだからと当然のように思ってそれまで頑張ってきたのだ。
 しかし、当のリディアーヌは自分と一緒にいるつもりはないのだと知って、エーベルトは深く傷つくとともに、激しい憤りを感じたのだった。
 エーベルトがリディアーヌを嫌いになった、いや、嫌いだと思い込もうとしたのは、その時だ。

 自分の両親や、もちろんリディアーヌの両親にも、自分たちは結婚するつもりはないこと、お互いに嫌い合っているということを何度も、-----それこそ何度も、訴えてきたのだが全く取り合ってもらえず、このままではまずいとお互い一念発起して恋人を作ろうとしたのだが、結局それもうまくいかずに終わってしまった。
 しかし、お互いの恋人作りに失敗したあの夜会の日から、リディアーヌに対する自分の感情が変わってきていることにエーベルトは気付いていた。

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