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その後も問題は続いた。単純に石の壁に彫られた問題を解くだけのものもあれば、部屋に閉じ込められ、制限時間内に問題を解かなければならないものもあった。
飽きるほど単調な景色が続くのと日の光の届かない圧迫された空気に段々嫌気が差してきて、俺はげっそりしていた。ついさっき閉じ込められた部屋がだんだん温度が上がる部屋だったので、喉もひどく乾いていた。
コンデンサが用意してくれた水筒のお茶を飲んでいると、ジュールがふと口を開いた。
「……熱力学区に来る途中、あんたはどうして化学地方と仲が悪いのかという質問をしたな」
一瞬なんのことかときょとんとしたが、合点がいき俺は頷いた。
「ああ。その時お前は、化学地方のほうが首都として相応しいのに、物理地方が首都になっているから反感を買っていると言っていたな」
「ああ」とジュールが頷く。
「でも、それだけじゃない。両地方の不仲のもっと大きな原因は、別にある」
そう沈んだ声で話しだしたジュールを俺は黙って見つめた。
「数学の国というのがあるのは知っているか?」
ジュールの言葉に俺は頷く。そもそも数学教師が数学の国に行ったという前例があったから、俺はここが理科の国だとすっと受け入れられたのだ。
「そうか。……数学の国とうちはとても結びつきが強くてな。特に、理科の国は数学の国に寄りかかっていると言ってもいい」
「そうなのか?」
ジュールが頷く。
「理科という教科は、少なからず数学の知識を使うだろう。特に物理は数学とは切っては切れない関係にある。公式を導き出すにも、公式を使って計算するにも数学の力がいるからな」
ジュールの言葉に俺は納得する。それはそのとおりだ。そのせいで、物理は好きだが数学は嫌いな人間だった俺は、かなり苦労するはめになったのだ。
「そこで数学の国は、他の国が数学の知識を用いるときに知的財産使用料を取る制度を作っているんだ」
俺は相槌をうちながらジュールの話を聞く。
知的財産使用料を用いてお金を得る手段は、俺達の世界でも使われていることだ。
(なるほど、数学の国の奴らも馬鹿じゃないんだな)
そう上から目線で考えているとジュールが視線を下に落とした。
「それがこの理科の国に影を落とす原因となっている制度だ。……俺たちはこの先一生、数学の国にお金を払い続けなければならない」
一段と声が低くなったジュールに、俺ははっとした。
「理科の国の存続のために、数学の国に支払うお金を用意しなければならない。そこで親父は、四地方にある科学技術や科学技術によって生み出された産物を、主に社会の国に売ることでそのお金を捻出しようとした」
俺は黙って彼の話を聞く。
「特によく売れているのは化学地方の産物だった。さっきも言っただろ、化学地方が一番経済的に豊かだって」
「ああ」と俺は頷く。
「それだけなら結局『化学地方の方が稼いでいるから』って話に戻るじゃねえか。でも、物理地方と化学地方の不仲の原因はそれだけじゃないって話だったよな?」
「ああ。そのよく売れている科学技術の産物が、化学地方の人々にとって喜ばしいものだったなら、こんなことにはなってないさ」
その言葉に俺はなんだか嫌な予感がして、口をつぐんだ。
「一番社会の国で売れている科学技術の産物。……それは、化学地方のシアンタウンで製造される強力な化学兵器だ」
俺はごくりとつばを飲み込んだ。ジュールが目を伏せる。
「理科の国の民は皆、自分たちの知識で人間が幸せになることを望んでいる。しかし、化学兵器はその願望からは程遠い代物だ。だから、そんなものを作っているシアンタウンの住民たちは、化学地方の他の住民から白い目で見られている。……本当なら、お金をたくさん落としている彼らは、英雄として崇められるはずなんだけどな」
そう言ってジュールが自嘲的に笑った。
「シアンタウンに化学兵器を作らせているのは紛れもなく俺達だ。だから、シアンタウンの住民、ひいては化学地方の住民たち全員が俺たちのことを嫌っている。……でも、こうするしかないんだ。化学兵器に代わるものがない今、彼らにはこの国のために犠牲になってもらわないといけない」
「……本当に、とって代われるものが全くないのか?」
そう尋ねるとジュールが頷いた。
「俺たちも、生物地方も地学地方も頭を捻って化学兵器に代わるものを捻りだそうとしているが、なかなかうまくいかない。……コイルも、一生懸命研究をしてくれているんだが」
ジュールの言葉に、ここに来て二日目の夜にコンデンサとコイルがしていた会話について思い出した。
(そうか、だからあのとき、あいつはあんなに切羽詰まったような顔をしていたんだな)
そう納得する俺をちらりと見ながらジュールが再び口を開いた。
「はじめは、化学地方の住民の怒りの矛先は俺たち王族だけだったんだが、俺たちを悪く言うのを聞いて物理地方の住民が化学地方のことを悪く言うようになってな。そこからは連鎖的に化学地方も物理地方全体を嫌いになり、今のこのギスギスした関係に至る。その結果、熱力学区の領土争いが起こり、化学地方と物理地方の間の流通も随分と細々としたものになってしまった」
(そういやそんなことをコンデンサが言っていたな)と俺は記憶の糸をたぐる。全ての点と点がやっと繋がったような気がした。
「なるほどな。だから化学地方の奴らは物理地方が嫌いなのか。中々難しい問題なんだな」
「まあな」とジュールが重い返事をした。
(それで、物理地方に恨みを持つ化学地方の誰かが、仕返しのために物理の公式を消した……。確かに、この考えが一番しっくりくる)
手紙に『化学地方の扱いを改善せよ』と書いてあったのも頷けるだろう。
(ただ、妙だよな。そんなことを書かなくても、公式を消した犯人としてまっ先に化学地方の住民が疑われそうなものなのに、どうしてわざわざ特定されるようなことを書いたんだ?)
公式を消した目的こそが化学地方の待遇の改善であるから書くのは当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、こんなもの、犯人は化学地方の住民だと暗に言っているようなものだ。
(いや、待てよ……)
そう考え直す。手紙にこのように書いたのは化学地方の住民に疑いをかけるためで、本当は犯人は化学地方の住民ではないのかもしれない。
(だとしたら、一体誰が……?)
そう思い首をひねりながら歩いていると、後ろから
「おい、止まれ!」とジュールの焦ったような声がした。
怪訝に思い立ち止まって、足元を見て俺は息を呑んだ。
飽きるほど単調な景色が続くのと日の光の届かない圧迫された空気に段々嫌気が差してきて、俺はげっそりしていた。ついさっき閉じ込められた部屋がだんだん温度が上がる部屋だったので、喉もひどく乾いていた。
コンデンサが用意してくれた水筒のお茶を飲んでいると、ジュールがふと口を開いた。
「……熱力学区に来る途中、あんたはどうして化学地方と仲が悪いのかという質問をしたな」
一瞬なんのことかときょとんとしたが、合点がいき俺は頷いた。
「ああ。その時お前は、化学地方のほうが首都として相応しいのに、物理地方が首都になっているから反感を買っていると言っていたな」
「ああ」とジュールが頷く。
「でも、それだけじゃない。両地方の不仲のもっと大きな原因は、別にある」
そう沈んだ声で話しだしたジュールを俺は黙って見つめた。
「数学の国というのがあるのは知っているか?」
ジュールの言葉に俺は頷く。そもそも数学教師が数学の国に行ったという前例があったから、俺はここが理科の国だとすっと受け入れられたのだ。
「そうか。……数学の国とうちはとても結びつきが強くてな。特に、理科の国は数学の国に寄りかかっていると言ってもいい」
「そうなのか?」
ジュールが頷く。
「理科という教科は、少なからず数学の知識を使うだろう。特に物理は数学とは切っては切れない関係にある。公式を導き出すにも、公式を使って計算するにも数学の力がいるからな」
ジュールの言葉に俺は納得する。それはそのとおりだ。そのせいで、物理は好きだが数学は嫌いな人間だった俺は、かなり苦労するはめになったのだ。
「そこで数学の国は、他の国が数学の知識を用いるときに知的財産使用料を取る制度を作っているんだ」
俺は相槌をうちながらジュールの話を聞く。
知的財産使用料を用いてお金を得る手段は、俺達の世界でも使われていることだ。
(なるほど、数学の国の奴らも馬鹿じゃないんだな)
そう上から目線で考えているとジュールが視線を下に落とした。
「それがこの理科の国に影を落とす原因となっている制度だ。……俺たちはこの先一生、数学の国にお金を払い続けなければならない」
一段と声が低くなったジュールに、俺ははっとした。
「理科の国の存続のために、数学の国に支払うお金を用意しなければならない。そこで親父は、四地方にある科学技術や科学技術によって生み出された産物を、主に社会の国に売ることでそのお金を捻出しようとした」
俺は黙って彼の話を聞く。
「特によく売れているのは化学地方の産物だった。さっきも言っただろ、化学地方が一番経済的に豊かだって」
「ああ」と俺は頷く。
「それだけなら結局『化学地方の方が稼いでいるから』って話に戻るじゃねえか。でも、物理地方と化学地方の不仲の原因はそれだけじゃないって話だったよな?」
「ああ。そのよく売れている科学技術の産物が、化学地方の人々にとって喜ばしいものだったなら、こんなことにはなってないさ」
その言葉に俺はなんだか嫌な予感がして、口をつぐんだ。
「一番社会の国で売れている科学技術の産物。……それは、化学地方のシアンタウンで製造される強力な化学兵器だ」
俺はごくりとつばを飲み込んだ。ジュールが目を伏せる。
「理科の国の民は皆、自分たちの知識で人間が幸せになることを望んでいる。しかし、化学兵器はその願望からは程遠い代物だ。だから、そんなものを作っているシアンタウンの住民たちは、化学地方の他の住民から白い目で見られている。……本当なら、お金をたくさん落としている彼らは、英雄として崇められるはずなんだけどな」
そう言ってジュールが自嘲的に笑った。
「シアンタウンに化学兵器を作らせているのは紛れもなく俺達だ。だから、シアンタウンの住民、ひいては化学地方の住民たち全員が俺たちのことを嫌っている。……でも、こうするしかないんだ。化学兵器に代わるものがない今、彼らにはこの国のために犠牲になってもらわないといけない」
「……本当に、とって代われるものが全くないのか?」
そう尋ねるとジュールが頷いた。
「俺たちも、生物地方も地学地方も頭を捻って化学兵器に代わるものを捻りだそうとしているが、なかなかうまくいかない。……コイルも、一生懸命研究をしてくれているんだが」
ジュールの言葉に、ここに来て二日目の夜にコンデンサとコイルがしていた会話について思い出した。
(そうか、だからあのとき、あいつはあんなに切羽詰まったような顔をしていたんだな)
そう納得する俺をちらりと見ながらジュールが再び口を開いた。
「はじめは、化学地方の住民の怒りの矛先は俺たち王族だけだったんだが、俺たちを悪く言うのを聞いて物理地方の住民が化学地方のことを悪く言うようになってな。そこからは連鎖的に化学地方も物理地方全体を嫌いになり、今のこのギスギスした関係に至る。その結果、熱力学区の領土争いが起こり、化学地方と物理地方の間の流通も随分と細々としたものになってしまった」
(そういやそんなことをコンデンサが言っていたな)と俺は記憶の糸をたぐる。全ての点と点がやっと繋がったような気がした。
「なるほどな。だから化学地方の奴らは物理地方が嫌いなのか。中々難しい問題なんだな」
「まあな」とジュールが重い返事をした。
(それで、物理地方に恨みを持つ化学地方の誰かが、仕返しのために物理の公式を消した……。確かに、この考えが一番しっくりくる)
手紙に『化学地方の扱いを改善せよ』と書いてあったのも頷けるだろう。
(ただ、妙だよな。そんなことを書かなくても、公式を消した犯人としてまっ先に化学地方の住民が疑われそうなものなのに、どうしてわざわざ特定されるようなことを書いたんだ?)
公式を消した目的こそが化学地方の待遇の改善であるから書くのは当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、こんなもの、犯人は化学地方の住民だと暗に言っているようなものだ。
(いや、待てよ……)
そう考え直す。手紙にこのように書いたのは化学地方の住民に疑いをかけるためで、本当は犯人は化学地方の住民ではないのかもしれない。
(だとしたら、一体誰が……?)
そう思い首をひねりながら歩いていると、後ろから
「おい、止まれ!」とジュールの焦ったような声がした。
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