物理事変

シュレディンガーのうさぎ

文字の大きさ
上 下
25 / 26

y p

しおりを挟む
ジュールと共に森の奥に進むと、石でできた建物が見えてきた。
(なんだこれ?神殿か?)
建てられてから長い年月が経ったのかあちこちが苔むしており、厳かな雰囲気の神殿だ。
「おい、ジュール。これは?」
「これは、あのエントロピーが暮らしてる場所だ」
ジュールに問いかけるとそう答えが返って来た。
「なるほど……。じゃああいつにさらわれた内部エネルギーたちはここに閉じ込められてるって可能性が高いってことだな?」
「ああ」とジュールが頷く。
「じゃあ、さっそく行こうぜ。さっさと公式を取り戻したいしな」
そう言って意気揚々と歩き出す俺をジュールが引き止めた。
「待て。頭のいいエントロピーのことだ。何かこの中に罠を仕掛けてるに違いない」
「罠って……」
ジュールの言葉に呆れるが、確かに目の前にある神殿はゲームでいうところのダンジョンのような雰囲気だ。ジュールの言うとおり罠が仕掛けられていてもおかしくはない。
「たしかにな。じゃあ、用心していかないとな」
その言葉とともにジュールが腰にさしていたレイピアを抜いた。きらりと光る切っ先にドキリとするとともに、俺もスタンガンを取り出す。
「心配するな。あんたのことを殺させはしない。公式がすべて戻る前に死なれては困るからな」
そう言うジュールに「ありがとな」とお礼を言ってから、俺はぽっかりと口のように開いた神殿の入口を見つめた。

神殿の中に入るとそこは、さっそく行き止まりになっていた。
(道がないじゃないか)と出鼻をくじかれたような気分になりつつ壁に目をこらせば、小さく文字が彫られているのが見えた。よく見れば、それは熱力学の問題文だった。
「なんだこれ。この問題を解けばいいのか?」
俺は呆れたような顔をするとその場にしゃがみこんだ。ジュールも一緒に座り込み、俺の手元を覗き込む。
コンデンサにもらった公式を書く用の紙にすらすらと計算式を書いていく。これくらいの問題、大したことはない。うちの生徒でも解けるくらいだ。
答えがあっているのを確かめてから立ち上がり、壁の前に立った。
(答えは出たが、ここからどうすればいいんだ?)
そう思って問題を読み返していると、その問題の書かれた場所の少し下に、石と違って柔らかい粘土のような部分があるのが見えた。ここなら文字が書けそうだ。
持っていたペンの柄を使って試しにそこに答えを書いてみる。下手くそな字で答えを書き終わるのと同時にガガガと重い音がして、壁の一部が持ち上がり、そこから道が現れた。
「こんなふうにやっていけばいいのか?」
そう言って腰に手を置けば、「そうだろうな」とジュールが頷いた。
「よし、じゃあやり方もわかったことだし、さっさと行くぞ」
物理の問題を解くのは得意分野だ。そう意気揚々としだした俺を、ジュールがどこか神妙な顔で見ていた。

それからも同じような問題が続いた。段々問題の難易度はあがってきていたが、それが逆に楽しかった。これくらい難しくないと張り合いがないというものだ。
(これだけ色んな問題が作れるなんて、エントロピーは確かに頭がいいんだな)
(あいつとは気が合いそうだ)とエントロピーのことを考えながら次々と問題の答えを書き込んでいった。
この神殿に入ってからどれくらい時間が経ったかはわからないが、次に扉が開いて入ったところは、四方八方を壁に囲まれた真四角の部屋だった。俺たちが入ってきた正面の壁に小さなディスプレイを持った石像が立っているのが見えた。
(なんだ、あれ?)
そう思い近づこうとすると重い音がした。振り返れば、俺たちが通ってきた扉がゆっくりとしまっていくのが見えた。
俺とジュールの二人がその場に閉じ込められる。今までより強い圧迫感がして顔をしかめると、ふとジュールが口を開いた。
「……この部屋の壁、だんだん俺たちの方に迫ってきてないか?」
「え?」
そんなバカなとあたりを見回すが、確かにゆっくりとこちらに近づいてきている。それに気づいて、俺は自分の顔が青くなるのがわかった。
(このままじゃ壁に押し潰されちまう!)
どうして俺が某考古学者兼冒険家みたいな目に合わないといけないのだろうか。辺りを見回す俺の目に、石像の前に立ってこっちに向かって手まねきをするジュールの姿が目に入った。
「ここに、また問題が書いてある」
そう言ってジュールがディスプレイを指差す。俺も一緒になって覗きこめば、そこには定圧変化の問題が書かれていた。
「これを解けば壁が止まるのか?分かった」
俺はそう独りごちたあと、これまでの問題の解答式で真っ黒になった一ページ目の紙を乱暴にめくり、まっさらな紙に計算式を書き始めた。死にそうだというのに不思議と焦りはなかった。むしろこの焦りが俺の気持ちを高揚させていた。
答えを導き出すと素早くディスプレイに打ち込む。すると、すぐにカチッと音がして、四方から迫ってくる壁が止まった。それを見てほっとすると同時に一つの壁の一部が持ち上がり、道が現れた。
「……危なかったな」
ジュールもほっとしたようで息を吐く。
「ああ。全く、中々洒落にならないことするな」
俺はエントロピーのことを頭に思い浮かべ、顔をしかめた。虫も殺さないような顔をしているくせに、結構残酷なやつだ。
(あいつと気が合いそうだと思った少し前の俺を殴ってやりたい)
そう思いながら俺は一足先に歩き出したジュールの後を追った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

A happy drive day!

シュレディンガーのうさぎ
キャラ文芸
事故発生件数の多い都道府県、愛知県。 そこでは『車なんでも相談所』を営む関朝陽、警察本部の交通捜査課で働く凪愛昼、自動車学校に勤務する要叶夜が暮らしていた。 また、朝陽と愛昼は『車の声が聞こえる』という少し変わった能力を持ち、車と会話することが出来る。 人間の荒い運転に嫌気がさした一部の車が良からぬことを企むなか、三人はそれぞれの立場から心に傷を負った車達と関わり合いながら『人間と車にとってよりよい社会』を模索していく。 *この話は一部の県名や地名、建造物の名前等を除き、全てフィクションです。登場する人物や交通事故等は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

髪を切った俺が芸能界デビューした結果がコチラです。

昼寝部
キャラ文芸
 妹の策略で『読者モデル』の表紙を飾った主人公が、昔諦めた夢を叶えるため、髪を切って芸能界で頑張るお話。

余命1年の侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
余命を宣告されたその日に、主人に離婚を言い渡されました

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

処理中です...