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(あー、眠い……)
そう心の中で呟いて大きくあくびをする。ついでに大きな伸びをしていると、俺の斜め左に向かい合うように席を構えているヤマモトにくすりと笑われた。
中間テストが終わり、教師たちはテストの採点に追われていた。俺もその例に漏れず、各クラスから集められた解答用紙の山に囲まれていた。
(テストって、問題作るのは楽しいけど丸つけるのはだるいんだよな……)
山のように積み上がった解答用紙を見てため息をつく。毎回採点をやり始めるまでが時間がかかって仕方ない。興味があることならコンマ一秒かかることもなく行動に移せるが、反対に嫌なことをするときにはやる気を出すまでに時間がかなりかかるのだ。面倒くさがりやな自分がそういう人間であることは今までの人生経験から百も承知だった。
ちらりと左隣を見れば、化学教師のタカハシが黙々とテストの採点をしていた。何に対しても真面目に取り組む彼らしいと横目で観察する。
ふと視線を感じて顔を上げれば、教頭がこちらを見ているのが見えた。いつもと同じ穏やかで優しそうな顔をしているものの、その瞳は暗にサボるなと言っている。教頭は怒らせるとかなり怖いため、仕方なく俺は赤ペンを手にとり、採点を始めることにした。
一クラス分ほどを丸付け終えて、再び伸びをする。外を見れば、日が落ちてかなり薄暗くなっていた。採点を始める前は大勢いた教師たちの数も大分まばらになっている。
(家に持ち帰って丸つけるか……)
そう思い立ち上がって、物理室に鞄を置いてきたのを思い出す。昇降口から遠くなる方向にわざわざ行きたくはないが、さすがに置いて帰るわけにはいかない。
(仕方ねえな、取りに行くか)
小さく舌打ちをしてから椅子の背もたれにかけられた上着を羽織る。そして職員室を出て物理室に向かった。
物理室は職員室より一つ上の階にある。静かな廊下に響く自分の足音を聞きながら、俺は物理室の鍵を手持無沙汰に右手でくるくると回した。
ふと、薄暗い廊下の真ん中で黒い人影が動いたのが見えた。
(ん?)
不思議に思って目を細める。一体こんな時間に誰がここにいるのだろう。
物理室の近くには化学室や生物室もある。化学教師か生物教師のどちらかがいるのかとも思ったが、どうやら違うようだった。
小走りで近づき目を凝らすと、それが妙な格好をした男であることに気づいた。そいつは黒いマフラーを首元に巻き、頭にヘッドフォンをつけていた。男にしては長い黒い髪の毛を後ろで一つにまとめている。
私服の生徒かとも思ったが、最終下校を既に過ぎた校内に残っているはずもない。
(不審者か?)
そう思い、慎重にそいつに近づくと声をかけた。
「おい、お前誰だ?」
そう不審げに話しかけるとそいつがこちらに振り返った。男の鋭い黒い瞳が俺のことを捉える。
しばらく俺とそいつがにらみ合うようにお違いのことを見つめた。何も言わないそいつに焦れて再び口を開こうとして、そいつが手に持っているものに目が行く。それを見て、俺は思わず目を見開いた。それは、最近教頭に頼み込んで購入した真空放電管だった。
「おい、なんでお前がそれを持ってるんだ?」
物理室は使うとき以外は鍵をかけている。解錠用の鍵は今俺の右手にある。それなのに何故、そいつが物理室内に保管してある真空放電管を持っているのだろう。
「……」
男は相変わらず何も言わず無感情な瞳で俺のことを見つめている。口元がマフラーで隠れているため、目元からしか表情は読み取れないが、その瞳からも何も情報は得られなかった。
俺が再び何かを言う前に、そいつが急に方向転換をし、駆け出した。
「おい、待て!」
俺もそいつを追いかけて走り出す。物理室の横を通った際に扉を引っ張ってみたら、すんなりと開いた。どうやらあの男がピッキングでもして開けたらしい。
私立といえども、うちの高校のお金のまわりはあまりよくない。中々実験器具にお金を割いてもらえないのが現状だ。その中で、生徒たちの理解を深めるためになんとかお金を捻出して買った真空放電管なのだ。盗られて泣き寝入りをするわけにはいかない。
「絶対に取り返してやる!」
俺は男を見失わないように全速力で後を追いかけた。廊下を走ってはいけないなんてルール、今は守ってられない。とにかく、奴を捕まえられるよう追いかけ続けた。幸い高校時代はサッカー部に入っていたため、走るのには慣れている。
とはいえ、最近はめっきりスポーツをしなくなり、大分体力が落ちていたようで次第に息が上がってきた。太ももや喉が痛くなってきたとき、前を走っていた男が近くにあった教室の中に飛び込んだ。
(しめた!)
教室の中に追い込めばこっちのものだ。俺は男のあとに続いて教室に飛び込む。
そいつは特に隠れもせず、俺がここに来るのを待ち構えていたかのように、こちらを向いて立っていた。
「おい、その真空放電管を返してもらうぞ」
そう言って手を伸ばし、そいつに近づく。男は何も言わず俺のことを見つめたまま指を鳴らした。
それに呼応するかのように、突然空間がねじ曲がって、ぽっかりと黒い穴が現れた。思いがけない出来事に思わず動きを止める。
(なんだ、これは?ブラックホールか?)
まるで小さなブラックホールがその場にあって、すべての光を吸い込んでいるかのようにそこだけ真っ暗だった。男は面食らった俺を横目にその穴の中に入っていく。
「おい、待てって!」
そいつを引き止めようと手を伸ばしたが遅かった。男は姿を消し、俺の目の前には黒い穴が開いているだけだ。
(なんなんだ、これは……)
警戒して遠巻きにそれを見ていると、急にその穴が俺を吸い込み始めた。
「うわ!?」
慌てて近くにあった机を掴む。しかし、力は指数関数的に強くなっていき、ついに俺の足が宙に浮いた。
(吸い込まれる!)
机を掴む手が滑り、手が離れ体が空中に浮かぶ。なすすべもなく、俺はその中に吸い込まれてしまった。
気がつけば、俺は先程までいた校舎の中ではなくどこか知らない場所に立っていた。あちこちを見回すが地面が露出した道以外には森と茂みしかない。辺りには俺以外誰もいないようで、風で葉が揺れる音の他には何も聞こえてこなかった。
(なんだ、ここは……)
何が起こったか分からずぼうっとしていると、とさっと何かが下に落ちた音がした。音がした方に振り返れば、先程の男が着地をしたような姿勢で座り込んでいた。そして、俺を見ながら立ち上がる。
俺に見せつけるように真空放電管をくるくると余裕げに回す男に苛立ちが増す。
(なめやがって……)
俺が追いかけようとしたのを察したように、そいつがこちらに背を向けて走り出した。
(あのこそ泥!)
俺は心の中で悪態をつくとそいつを追ってまた走り出した。
そう心の中で呟いて大きくあくびをする。ついでに大きな伸びをしていると、俺の斜め左に向かい合うように席を構えているヤマモトにくすりと笑われた。
中間テストが終わり、教師たちはテストの採点に追われていた。俺もその例に漏れず、各クラスから集められた解答用紙の山に囲まれていた。
(テストって、問題作るのは楽しいけど丸つけるのはだるいんだよな……)
山のように積み上がった解答用紙を見てため息をつく。毎回採点をやり始めるまでが時間がかかって仕方ない。興味があることならコンマ一秒かかることもなく行動に移せるが、反対に嫌なことをするときにはやる気を出すまでに時間がかなりかかるのだ。面倒くさがりやな自分がそういう人間であることは今までの人生経験から百も承知だった。
ちらりと左隣を見れば、化学教師のタカハシが黙々とテストの採点をしていた。何に対しても真面目に取り組む彼らしいと横目で観察する。
ふと視線を感じて顔を上げれば、教頭がこちらを見ているのが見えた。いつもと同じ穏やかで優しそうな顔をしているものの、その瞳は暗にサボるなと言っている。教頭は怒らせるとかなり怖いため、仕方なく俺は赤ペンを手にとり、採点を始めることにした。
一クラス分ほどを丸付け終えて、再び伸びをする。外を見れば、日が落ちてかなり薄暗くなっていた。採点を始める前は大勢いた教師たちの数も大分まばらになっている。
(家に持ち帰って丸つけるか……)
そう思い立ち上がって、物理室に鞄を置いてきたのを思い出す。昇降口から遠くなる方向にわざわざ行きたくはないが、さすがに置いて帰るわけにはいかない。
(仕方ねえな、取りに行くか)
小さく舌打ちをしてから椅子の背もたれにかけられた上着を羽織る。そして職員室を出て物理室に向かった。
物理室は職員室より一つ上の階にある。静かな廊下に響く自分の足音を聞きながら、俺は物理室の鍵を手持無沙汰に右手でくるくると回した。
ふと、薄暗い廊下の真ん中で黒い人影が動いたのが見えた。
(ん?)
不思議に思って目を細める。一体こんな時間に誰がここにいるのだろう。
物理室の近くには化学室や生物室もある。化学教師か生物教師のどちらかがいるのかとも思ったが、どうやら違うようだった。
小走りで近づき目を凝らすと、それが妙な格好をした男であることに気づいた。そいつは黒いマフラーを首元に巻き、頭にヘッドフォンをつけていた。男にしては長い黒い髪の毛を後ろで一つにまとめている。
私服の生徒かとも思ったが、最終下校を既に過ぎた校内に残っているはずもない。
(不審者か?)
そう思い、慎重にそいつに近づくと声をかけた。
「おい、お前誰だ?」
そう不審げに話しかけるとそいつがこちらに振り返った。男の鋭い黒い瞳が俺のことを捉える。
しばらく俺とそいつがにらみ合うようにお違いのことを見つめた。何も言わないそいつに焦れて再び口を開こうとして、そいつが手に持っているものに目が行く。それを見て、俺は思わず目を見開いた。それは、最近教頭に頼み込んで購入した真空放電管だった。
「おい、なんでお前がそれを持ってるんだ?」
物理室は使うとき以外は鍵をかけている。解錠用の鍵は今俺の右手にある。それなのに何故、そいつが物理室内に保管してある真空放電管を持っているのだろう。
「……」
男は相変わらず何も言わず無感情な瞳で俺のことを見つめている。口元がマフラーで隠れているため、目元からしか表情は読み取れないが、その瞳からも何も情報は得られなかった。
俺が再び何かを言う前に、そいつが急に方向転換をし、駆け出した。
「おい、待て!」
俺もそいつを追いかけて走り出す。物理室の横を通った際に扉を引っ張ってみたら、すんなりと開いた。どうやらあの男がピッキングでもして開けたらしい。
私立といえども、うちの高校のお金のまわりはあまりよくない。中々実験器具にお金を割いてもらえないのが現状だ。その中で、生徒たちの理解を深めるためになんとかお金を捻出して買った真空放電管なのだ。盗られて泣き寝入りをするわけにはいかない。
「絶対に取り返してやる!」
俺は男を見失わないように全速力で後を追いかけた。廊下を走ってはいけないなんてルール、今は守ってられない。とにかく、奴を捕まえられるよう追いかけ続けた。幸い高校時代はサッカー部に入っていたため、走るのには慣れている。
とはいえ、最近はめっきりスポーツをしなくなり、大分体力が落ちていたようで次第に息が上がってきた。太ももや喉が痛くなってきたとき、前を走っていた男が近くにあった教室の中に飛び込んだ。
(しめた!)
教室の中に追い込めばこっちのものだ。俺は男のあとに続いて教室に飛び込む。
そいつは特に隠れもせず、俺がここに来るのを待ち構えていたかのように、こちらを向いて立っていた。
「おい、その真空放電管を返してもらうぞ」
そう言って手を伸ばし、そいつに近づく。男は何も言わず俺のことを見つめたまま指を鳴らした。
それに呼応するかのように、突然空間がねじ曲がって、ぽっかりと黒い穴が現れた。思いがけない出来事に思わず動きを止める。
(なんだ、これは?ブラックホールか?)
まるで小さなブラックホールがその場にあって、すべての光を吸い込んでいるかのようにそこだけ真っ暗だった。男は面食らった俺を横目にその穴の中に入っていく。
「おい、待てって!」
そいつを引き止めようと手を伸ばしたが遅かった。男は姿を消し、俺の目の前には黒い穴が開いているだけだ。
(なんなんだ、これは……)
警戒して遠巻きにそれを見ていると、急にその穴が俺を吸い込み始めた。
「うわ!?」
慌てて近くにあった机を掴む。しかし、力は指数関数的に強くなっていき、ついに俺の足が宙に浮いた。
(吸い込まれる!)
机を掴む手が滑り、手が離れ体が空中に浮かぶ。なすすべもなく、俺はその中に吸い込まれてしまった。
気がつけば、俺は先程までいた校舎の中ではなくどこか知らない場所に立っていた。あちこちを見回すが地面が露出した道以外には森と茂みしかない。辺りには俺以外誰もいないようで、風で葉が揺れる音の他には何も聞こえてこなかった。
(なんだ、ここは……)
何が起こったか分からずぼうっとしていると、とさっと何かが下に落ちた音がした。音がした方に振り返れば、先程の男が着地をしたような姿勢で座り込んでいた。そして、俺を見ながら立ち上がる。
俺に見せつけるように真空放電管をくるくると余裕げに回す男に苛立ちが増す。
(なめやがって……)
俺が追いかけようとしたのを察したように、そいつがこちらに背を向けて走り出した。
(あのこそ泥!)
俺は心の中で悪態をつくとそいつを追ってまた走り出した。
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