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Episode.4
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セオと共に外に出ると彼が私の方に振り向いた。
「言い忘れていましたが、端末にこの会社の地図が入っています。迷ったら見てください」
セオは私の返事を聞き終えるとエレベーターの方へ歩いて行った。
一人残された私は階段で下に向かった。
階段を一つ降りると
「ボクも手伝うよ」
とエンジーニの声がした。いつの間に先回りをしたのか、彼女は廊下の壁に寄りかかり、私に向かって軽く手を上げていた。
「ありがとうございます」と私は頭を下げる。エンジーニはゆっくりと壁から背中を離すと私の隣に立った。こう見ると彼女はかなり背が高いことが分かる。もしかしたらセオよりも高いかもしれない。
「あんまり役割から離れたことをするとセオに怒られるんだ。だから、あいつには内緒」
私の横に並んで歩きながらエンジーニが人差し指を口にあててウインクした。
「そうなんですか?」
「ああ。セクレ、規則1を覚えているかい?」
そうエンジーニに言われ、慌てて記憶の糸をたぐる。
「ええっと……。『アンドロイドは使用方法の定められた道具である。用途以外の使用をすると壊れたり予想できない反応を示したりする。(An android is a tool with a defined use. If they are used in a manner other than their intended use, they will break or react in unpredictable ways.)』でしたっけ?」
そう言うとエンジーニが驚いたように目を丸くした。
「覚えていたのかい?君は記憶力がいいんだね。驚いたよ」
エンジーニに褒められ、私は少し得意げな気分になった。
「用途……つまり役割以外の仕事をしたら駄目ってことさ。なかなかこの規則が厳しくてね。不自由なんだ」
そう言ってエンジーニが頬を掻いた。
たとえエンジーニの仕事がアンドロイドの修理で、それ以外の仕事が用途外だったとしても見回りぐらいならしてもいいのではないだろうか。
そのことを伝えるとエンジーニが笑った。
「『例外は一度許してしまうと後が面倒なんです』……ってさ」
そう言って肩をすくめ、エンジーニがちらりと上の階を見る。いま、10階よりも上の階で見回りをしているだろうお堅い彼を思い出して私は思わず微笑んだ。
「それにしてもまさかセオが人間を秘書として迎えるとは夢にも思わなくてね」
そうエンジーニが言う。どういうことだろうと私は彼女の顔を伺う。
不思議そうな私の顔を見てエンジーニが薄く笑った。
「人間を社内の職員に加えるのに抵抗があったみたいだから、君が来ると知ったときはすごく驚いたよ」
「そうなんですか?」と尋ねるとエンジーニが頷いた。
ということは、セオは人間があまり好きではないのだろうか。そうだったら、今まで従業員がアンドロイドしかいなかったのも納得がいく。
(でも、どうして私を雇うことにしたのかしら)
政府からの要請を受けて仕方なく、ということなのかもしれない。それなら私に対する素っ気ない態度も頷ける。
そう言うと「セオの態度は関係ないんじゃないかな」とエンジーニが笑った。
「でも……」
そういいかけた私の言葉を遮るように彼女が口を開く。
「セオはいつもあんな感じさ。ボクも長い間セオと一緒にいるけど、あいつが笑ったところは一度も見たことがないからね」
「まあ、商談のときは愛想笑いくらいしてるのかもしれないけどさ」とエンジーニが付け足した。
「そうなんですね。私、てっきり嫌われているのかと……」
そう言うとエンジーニが困ったように笑った。
「あいつは誰よりも理性的だから自分の好みで態度を変えるようなやつじゃないよ。ほら、あいつ、見ての通りかなりクールだろ?」
そう尋ねられ私は頷く。
「あいつは人と仲良くするのが得意じゃないのさ。それに、大企業の社長だし誰彼構わずにこにこしているわけにもいかないんだと思うよ。……クリンみたいな癒やしタイプでもないしね」
エンジーニの最後の言葉に少し笑いつつも、私はなるほどと納得していた。
確かに、セオはCEOとしてこの会社を守っていかなければならない立場だ。笑みをたたえていなくても彼を騙そうとする人や、彼にすり寄っていい目を見たい人間がたくさん寄ってくることだろう。そういう人達に食われないように、彼は他人を突き放すように生きるしかないのだろう。
そう思うとセオがなんだか気の毒になった。最も、アンドロイドの彼に辛いとか哀しいとかの感情はないのかもしれないが……。
考え込む私をちらりと見て、珍しくエンジーニが表情を曇らせた。
「まあでも、君を雇うことに猛反対していたのはセオよりもむしろ……」
そう言いかけてエンジーニが言葉をとめた。不思議に思って彼女を見たが、エンジーニの口は重いようでこれ以上何かを言うつもりはないようだった。
「よし、1階まで異常なしだったね」
エンジーニの言葉に私は頷いた後頭を下げた。
「エンジーニさん、手伝ってくださりありがとうございました」
「いいよいいよ」とエンジーニがひらひらと手を振って見せる。
「じゃあ、また明日ね。セクレ」
「はい。また明日、よろしくお願いします」
エンジーニが角を曲がるのを見届けた後、私はエレベーターに乗り、10階のボタンを押した。
社長室に向かって歩みを進めていると、扉の前にセオが立っているのが見えた。
(彼の方が100倍も多い階を見回ってきたというのに私より早いなんて……)
そう思い呆然としている私を見つけてセオがこちらに歩いてきた。
「倒れていなくてよかったです。もう少し遅かったらガードンに連絡をとっているところでした」
そう言われ「すみません」と謝る。
「かまいません」と言ってからセオが私の右腕にある端末を指さした。
「その端末内にアンドロイドの利用説明書があります。明日までに目を通しておいてください」
「分かりました」と私が頷くとセオが踵を返した。
「では、仕事も終わったことですし、帰宅することにしましょう。セクレ、私についてきてください」
そう言って私の返事も待たずに歩き出したセオの後を追った。
エレベーターに乗り、再び無言の時間を過ごす。今朝、社長室に行く際に彼と一緒にエレベーターに乗ったときのことを思い出した。
それが随分と昔の話だったように感じられる。それくらい長い間、この会社にいたような気がしていた。
あのときとは違い、今はセオに話しかける勇気がある。それに、セクレになったのなら臆さずセオとしゃべれるようにならなければいけないだろう。
「あ、あの……」
そう遠慮がちに声をかければ「なんですか」とセオが尋ねた。
私は彼と当たり障りのない世間話をした。セオは相づちを打ちながら話を聞き、たまに質問をしたり意見を述べたりした。話はあまり続かなかったが、その会話をうっとうしく思っているわけではないことに私は気づいていた。
話の流れでまさかこの会社のCEOがアンドロイドだと思わなかったと遠回しに告げれば、セオが少し考えたようなそぶりをした。
「アンドロイドがCEOではおかしいですか?」
「いえ、そういうことでは……。でも、今まで見たことがなかったので」
気を悪くしただろうかとひやひやしながらセオの顔を伺う。とくに表情を変えることなく、セオが口を開いた。
「なるほど、そうですか。……確かに、私は少し特別なアンドロイドですから」
「特別?」と聞き返す。
「ええ。あなたが、アンドロイドである私がCEOであることに疑問を持つのは、我々を『道具』だと捉えているからでしょう」
セオが静かに話す。
「私は、創立者の手によってCEOとして会社を運営することを役割として作られた特注のアンドロイドなのです。このような役目をもって作られたアンドロイドは他にいません。私はCEOとしてこの会社を運営するための道具……そう考えればアンドロイドの定義から逸脱してはいないでしょう」
そう言ってからセオが彼の胸元にある歯車型のピンに彫られた『CEO』という文字に目を落とした。
「この『セオ』という言葉は人間でいう名前にあたるものではなく、役職名のようなものです。秘書を務めるアンドロイドが『セクレ』、CEOを務めるアンドロイドがセオという名前をそれぞれ与えられるのです」
珍しく饒舌にセオが続ける。
「私がもし、役割が違うアンドロイドとして作られていたら、別の名前を与えられていたでしょう。そして、私以外のアンドロイドがこの会社のCEOとしての役割を与えられていたら、そのアンドロイドがセオと呼ばれていたのでしょう」
そこまで言って黙って話を聞いている私の方をちらりと振り返る。
「あなたは人間ですからきちんと名前があるのでしょうが、今はここの従業員ですから、私は他のアンドロイドたちと同じようにセクレという役職名であなたを呼ぶことにしているのです」
一通り話を聞いてなるほどと私は頷く。一番最初に彼に会ったときに、私のことを名前でなくセクレと呼んだのはそういう理由だったらしい。
ワークロボット社に独特な役職名が存在しているというのは噂で聞いたことがあったが、まさかセオが役職名であるとは知らなかった。
(じゃあ、社長には名前はないのかしら)
セオだけではない。クリンもクナーもガードンもエンジーニも、皆名前はないということだろうか。
自分の名前がない状態なんて、私には信じられなかった。名前を失ったら自分が自分でなくなってしまうような、そんな気さえするというのに。
(名前がないなんて、なんだか不安定ね……)
そう思いながら目の前に立つセオの男性にしては細身な背中を見つめた。
私たちは、私が会社内に足を踏み入れた時に一番最初に通った明るい雰囲気のエントランスロビーに戻ってきていた。
「きっと、ライバーが表に車を回してくれているはずです」
その言葉にエントランスの方を見れば、硝子張りの回転扉の向こうに黒塗りの車が停まっているのが見えた。
(あれって……)
ドラマで出てくるような高所得者が乗っている車だ。そんなものがこんな近くにあるなんて、と私は目を丸くする。
私たちが外に出てくるのを待っていたかのように車の扉が開き、運転席から男性が現れた。
先ほどセオの口から出てきたライバーというのであろう初老の男性は、シルクの糸のようにきめ細やかで美しい白髪をしていた。品の良いセピア色のスーツを身につけ執事のようなモノクルをつけた彼は、顔立ちもよく背筋もしゃんとしていて、きっと彼を見る誰もが好印象を抱くだろう。恐らく昔はセオに劣らない美青年だったのだろうが、今はすっかり皺の入ったその左の頬にはセオと同じようにバーコードが印刷されていた。
(やっぱりこの人もアンドロイドなんだ……)
そう思って彼を見つめている私の方にセオが振り返った。
「セクレ。彼は私のお抱えの運転手です」
その紹介を受けてライバーが恭しく頭を下げた。
「セオ様おつきの運転手、ライバーと申します。以後、お見知りおきを」
耳に心地良い柔らかな声だった。私も慌てて頭を下げる。
セオのさっきの話だと、このライバーというのもきっと役職名なのだろう。
専属の運転手がいるなんてさすがは社長、と感心しながら、運転手をわざわざ用意していることに私は疑問を持った。
昨今のAIはとても優秀で、瞬時に人間顔負けの判断が出来る。それはワークロボット社のアンドロイドを見れば一目瞭然だ。運転手の運転を手助けするために開発されたAIもあるが、AI自身が運転出来る技術もあり、今流通している車のほとんどは後者のAIが搭載されている。それなのに何故、わざわざ運転手をつけるのだろうか。
そう尋ねてみるとセオの代わりにライバーが答えた。
「勿論運転者がいらない車もありますが、AIも失敗することを我々はよく知っております。まあ、人間が間違えるよりはかなり少ない頻度ですがね。しかし、天下のワークロボット社のCEOがAIの判断ミスで事故にあうようなことがあっては困ります。ですから二重のチェックをかねて私が運転しているのです」
「なるほど、そうなんですね」
彼の言葉に相づちを打つ。ライバーとの会話を終えた私を見てセオが口を開いた。
「ライバー、彼女を家まで送っていってくれませんか」
セオのあり得ない言葉に私は耳を疑った。
「かしこまりました」とライバーが優しげな笑みを浮かべる。
「そ、そんな……。そんなことをしていただかなくても、自分で帰れます」
そう言って慌てて首を振る。セオが乗るような高級車に乗るなんて恐れ多くて出来ない。
拒む私の方にライバーが向き直る。
「セクレ様。あなたはここの従業員、しかもセオ様に最も近しい人間になりました。もしあなたに何かあったらセオ様に、さらにはワークロボット社全体に影響が出ます」
そうライバーに言われ、私は黙り込んだ。
(確かにそうかも……)
これからは社内だけでなく私生活でも気をつけなければいけないことが増えそうだ。そう思い私はため息をついた。
決心したようにライバーの顔を見ると彼が柔らかく微笑み、白い手袋をはめた手を動かした。するとそれに呼応したかのように後部座席の扉が静かに開いた。
私はセオの方を振り返ると深々と頭を下げた。
「では……すみません。お先に失礼します」
「ええ、ではまた明日」とセオが頷いた。
私はもう一度頭を下げると車に乗り込んだ。初めて乗った高級車のソファは家にあるものよりもふわふわで座り心地がよかった。
ライバーが二言三言セオと言葉を交わした後、お辞儀をして車に乗り込んだ。そして手慣れたように車を発車させる。
車窓からセオの方を振り向けば、彼は回転扉の前から相変わらず無感情な瞳で私のことを見つめていた。
「あの、社長は……」
そうライバーに遠慮がちに声をかければ、ライバーが目だけをこちらに向けて微笑んだ。
「ご心配なく。セオ様は後から帰宅なさいますよ」
その言葉に私がほっとしたのを見てからライバーが前に目を戻した。
私生活で車に乗ってあちこちお出かけすることはあるが、今日はなんだかいつもと周りの目が違うような気がした。道行く通行人も、隣に並ぶ車に乗る人々もこちらのことをちらちら見ているような気がしてならない。
(私の思い過ごしかしら?でも、この車に乗っていることで逆に目立っているような……)
そう思いながら居心地悪そうに横に長いソファに座り直す私をちらりとルームミラーで見て、ライバーが声をかけた。
「セクレ様。ワークロボット社で過ごした初日はいかがでしたかな?」
ライバーに話しかけられ私は慌てて口を開く。
「あ、えっと、社内のあちこちを見て回って、いろんな方にお会いしました。従業員の皆さんが全員アンドロイドだったことにびっくりしましたが、優しい方が多くてほっとしました」
そう言いながらもガードンのことを思い出し、胸の中にもやもやが広がった。こちらに敵意をむき出しにする彼と仲良くなるには、もう少し時間がかかりそうだ。
「そうですか、それなら良かった。セオ様を含め、皆さん個性的ですがとても良い方ばかりですのでご安心を」
ライバーがそう言って優しく目を細める。彼はまるで従業員たちのお父さんのような、包容力のあるアンドロイドのようだった。
それからは私の趣味の話やニュースの話、科学省ロボット課での仕事の話などをした。ライバーはとても聞き上手で、おしゃべりが好きな私には話しやすい相手であった。
一通り話が盛り上がったところで私の家に着いた。会社と違ってたいそうこぢんまりとしているが暖かみのあるブラウンの壁に囲まれた自宅を見て、張り詰めた緊張がほっとほぐれるのが分かった。
とんと固い地面に足を降ろすと、なんだかふわふわしていた気持ちがしゃんとしたような気がした。
「では、私はここで失礼いたします」
そう言って慇懃に頭を下げる彼に、私も頭を下げ返す。
(私はただの秘書だから、ここまで丁寧にして貰わなくてもいいのだけど……)
そう思って、つい先ほど車内で「セクレ『様』と呼ぶのをやめてほしい」といったものの
「私が呼びたいように呼ばせてくださいませんか」と言われてしまったのを思い出した。
「ライバーさん、ここまで送ってくださりありがとうございました」
そう言うとライバーが優しく微笑んだ後再び車に乗り込んだ。そして車内から私の方を見ている。どうやら、私が家の中に入るまで見送るつもりのようだ。
私は慌てて回れ右をすると鍵をさぐりつつ玄関に向かった。家の中に入り振り返って窓から車の方を見ればちょうど発車するのが見えた。
リビングに向かい、ソファに座ってそのまま横になる。スーツを着替えなければと思いつつも体は動かなかった。カチカチと時を刻む時計の音を聞いていると段々睡魔が襲ってくる。
(アンドロイドの利用説明書に目を通さないと……)
そう思いつつも私は眠気に勝てず、目を閉じた。
セクレを送り届けて会社に戻った後、ライバーはセオを探して社内を歩き回っていた。しかし、エントランスロビーにも社長室にもセオの姿は見当たらなかった。
(……やれやれ、きっとまたあそこでしょう)
そう思ってライバーは人しれず息をついた。
装飾のない、ややもすれば見落としてしまいそうな扉の前でライバーは足を止める。社内だというのに、他の場所とは違い一切カメラのないその扉の近辺は『ガードンの盲点』と言っても良いだろう。
周りに誰もいないのを確認してから、ライバーはその扉をそっと開け中に入った。
薄暗い部屋の中、壁に掛けられた何かを黙って眺めているセオを見つける。
「……セオ。セクレ様を家までお送りしました」
「ありがとうございます」とセオが目を向けることなく答えた。
ライバーもセオの視線を追ってそちらを見る。
セオの視線の先にあるものは、金色の立派な額縁に飾られた一枚の大きな絵だった。
そこには優しそうに微笑んだ髪の長い美しい女性が描かれていた。今はデジタルでもっとリアルで時間と共に変化するような絵を書く機能があるにも関わらず、その絵は昔ならではの水彩画で柔らかい色合いで描かれたものだった。
それを見ながらライバーが再び口を開く。
「セオ。何故彼女をセクレに選んだのですか?」
ライバーの質問にセオは何も答えなかった。
「科学省ロボット課の人間の中からセクレを選ぶとしても、彼女よりアンドロイドに精通している者は山ほどいたはずです。それなのに、何故わざわざ彼女を?」
ライバーの質問を聞き終えてからセオはゆっくりと口を開いた。しかし、相変わらず目だけは絵から動かさなかった。
「私は、セクレにはアンドロイドの詳しい知識は必要ないと判断したからです」
それに、とセオが続ける。
「……彼女が、“彼”が死ぬ直前まで探し続けていた女性にそっくりだったからです」
セオの言葉に今度はライバーが黙り込んだ。
いまだその絵を眺め続けるセオの横顔を、ライバーは黙って見つめていた。
「言い忘れていましたが、端末にこの会社の地図が入っています。迷ったら見てください」
セオは私の返事を聞き終えるとエレベーターの方へ歩いて行った。
一人残された私は階段で下に向かった。
階段を一つ降りると
「ボクも手伝うよ」
とエンジーニの声がした。いつの間に先回りをしたのか、彼女は廊下の壁に寄りかかり、私に向かって軽く手を上げていた。
「ありがとうございます」と私は頭を下げる。エンジーニはゆっくりと壁から背中を離すと私の隣に立った。こう見ると彼女はかなり背が高いことが分かる。もしかしたらセオよりも高いかもしれない。
「あんまり役割から離れたことをするとセオに怒られるんだ。だから、あいつには内緒」
私の横に並んで歩きながらエンジーニが人差し指を口にあててウインクした。
「そうなんですか?」
「ああ。セクレ、規則1を覚えているかい?」
そうエンジーニに言われ、慌てて記憶の糸をたぐる。
「ええっと……。『アンドロイドは使用方法の定められた道具である。用途以外の使用をすると壊れたり予想できない反応を示したりする。(An android is a tool with a defined use. If they are used in a manner other than their intended use, they will break or react in unpredictable ways.)』でしたっけ?」
そう言うとエンジーニが驚いたように目を丸くした。
「覚えていたのかい?君は記憶力がいいんだね。驚いたよ」
エンジーニに褒められ、私は少し得意げな気分になった。
「用途……つまり役割以外の仕事をしたら駄目ってことさ。なかなかこの規則が厳しくてね。不自由なんだ」
そう言ってエンジーニが頬を掻いた。
たとえエンジーニの仕事がアンドロイドの修理で、それ以外の仕事が用途外だったとしても見回りぐらいならしてもいいのではないだろうか。
そのことを伝えるとエンジーニが笑った。
「『例外は一度許してしまうと後が面倒なんです』……ってさ」
そう言って肩をすくめ、エンジーニがちらりと上の階を見る。いま、10階よりも上の階で見回りをしているだろうお堅い彼を思い出して私は思わず微笑んだ。
「それにしてもまさかセオが人間を秘書として迎えるとは夢にも思わなくてね」
そうエンジーニが言う。どういうことだろうと私は彼女の顔を伺う。
不思議そうな私の顔を見てエンジーニが薄く笑った。
「人間を社内の職員に加えるのに抵抗があったみたいだから、君が来ると知ったときはすごく驚いたよ」
「そうなんですか?」と尋ねるとエンジーニが頷いた。
ということは、セオは人間があまり好きではないのだろうか。そうだったら、今まで従業員がアンドロイドしかいなかったのも納得がいく。
(でも、どうして私を雇うことにしたのかしら)
政府からの要請を受けて仕方なく、ということなのかもしれない。それなら私に対する素っ気ない態度も頷ける。
そう言うと「セオの態度は関係ないんじゃないかな」とエンジーニが笑った。
「でも……」
そういいかけた私の言葉を遮るように彼女が口を開く。
「セオはいつもあんな感じさ。ボクも長い間セオと一緒にいるけど、あいつが笑ったところは一度も見たことがないからね」
「まあ、商談のときは愛想笑いくらいしてるのかもしれないけどさ」とエンジーニが付け足した。
「そうなんですね。私、てっきり嫌われているのかと……」
そう言うとエンジーニが困ったように笑った。
「あいつは誰よりも理性的だから自分の好みで態度を変えるようなやつじゃないよ。ほら、あいつ、見ての通りかなりクールだろ?」
そう尋ねられ私は頷く。
「あいつは人と仲良くするのが得意じゃないのさ。それに、大企業の社長だし誰彼構わずにこにこしているわけにもいかないんだと思うよ。……クリンみたいな癒やしタイプでもないしね」
エンジーニの最後の言葉に少し笑いつつも、私はなるほどと納得していた。
確かに、セオはCEOとしてこの会社を守っていかなければならない立場だ。笑みをたたえていなくても彼を騙そうとする人や、彼にすり寄っていい目を見たい人間がたくさん寄ってくることだろう。そういう人達に食われないように、彼は他人を突き放すように生きるしかないのだろう。
そう思うとセオがなんだか気の毒になった。最も、アンドロイドの彼に辛いとか哀しいとかの感情はないのかもしれないが……。
考え込む私をちらりと見て、珍しくエンジーニが表情を曇らせた。
「まあでも、君を雇うことに猛反対していたのはセオよりもむしろ……」
そう言いかけてエンジーニが言葉をとめた。不思議に思って彼女を見たが、エンジーニの口は重いようでこれ以上何かを言うつもりはないようだった。
「よし、1階まで異常なしだったね」
エンジーニの言葉に私は頷いた後頭を下げた。
「エンジーニさん、手伝ってくださりありがとうございました」
「いいよいいよ」とエンジーニがひらひらと手を振って見せる。
「じゃあ、また明日ね。セクレ」
「はい。また明日、よろしくお願いします」
エンジーニが角を曲がるのを見届けた後、私はエレベーターに乗り、10階のボタンを押した。
社長室に向かって歩みを進めていると、扉の前にセオが立っているのが見えた。
(彼の方が100倍も多い階を見回ってきたというのに私より早いなんて……)
そう思い呆然としている私を見つけてセオがこちらに歩いてきた。
「倒れていなくてよかったです。もう少し遅かったらガードンに連絡をとっているところでした」
そう言われ「すみません」と謝る。
「かまいません」と言ってからセオが私の右腕にある端末を指さした。
「その端末内にアンドロイドの利用説明書があります。明日までに目を通しておいてください」
「分かりました」と私が頷くとセオが踵を返した。
「では、仕事も終わったことですし、帰宅することにしましょう。セクレ、私についてきてください」
そう言って私の返事も待たずに歩き出したセオの後を追った。
エレベーターに乗り、再び無言の時間を過ごす。今朝、社長室に行く際に彼と一緒にエレベーターに乗ったときのことを思い出した。
それが随分と昔の話だったように感じられる。それくらい長い間、この会社にいたような気がしていた。
あのときとは違い、今はセオに話しかける勇気がある。それに、セクレになったのなら臆さずセオとしゃべれるようにならなければいけないだろう。
「あ、あの……」
そう遠慮がちに声をかければ「なんですか」とセオが尋ねた。
私は彼と当たり障りのない世間話をした。セオは相づちを打ちながら話を聞き、たまに質問をしたり意見を述べたりした。話はあまり続かなかったが、その会話をうっとうしく思っているわけではないことに私は気づいていた。
話の流れでまさかこの会社のCEOがアンドロイドだと思わなかったと遠回しに告げれば、セオが少し考えたようなそぶりをした。
「アンドロイドがCEOではおかしいですか?」
「いえ、そういうことでは……。でも、今まで見たことがなかったので」
気を悪くしただろうかとひやひやしながらセオの顔を伺う。とくに表情を変えることなく、セオが口を開いた。
「なるほど、そうですか。……確かに、私は少し特別なアンドロイドですから」
「特別?」と聞き返す。
「ええ。あなたが、アンドロイドである私がCEOであることに疑問を持つのは、我々を『道具』だと捉えているからでしょう」
セオが静かに話す。
「私は、創立者の手によってCEOとして会社を運営することを役割として作られた特注のアンドロイドなのです。このような役目をもって作られたアンドロイドは他にいません。私はCEOとしてこの会社を運営するための道具……そう考えればアンドロイドの定義から逸脱してはいないでしょう」
そう言ってからセオが彼の胸元にある歯車型のピンに彫られた『CEO』という文字に目を落とした。
「この『セオ』という言葉は人間でいう名前にあたるものではなく、役職名のようなものです。秘書を務めるアンドロイドが『セクレ』、CEOを務めるアンドロイドがセオという名前をそれぞれ与えられるのです」
珍しく饒舌にセオが続ける。
「私がもし、役割が違うアンドロイドとして作られていたら、別の名前を与えられていたでしょう。そして、私以外のアンドロイドがこの会社のCEOとしての役割を与えられていたら、そのアンドロイドがセオと呼ばれていたのでしょう」
そこまで言って黙って話を聞いている私の方をちらりと振り返る。
「あなたは人間ですからきちんと名前があるのでしょうが、今はここの従業員ですから、私は他のアンドロイドたちと同じようにセクレという役職名であなたを呼ぶことにしているのです」
一通り話を聞いてなるほどと私は頷く。一番最初に彼に会ったときに、私のことを名前でなくセクレと呼んだのはそういう理由だったらしい。
ワークロボット社に独特な役職名が存在しているというのは噂で聞いたことがあったが、まさかセオが役職名であるとは知らなかった。
(じゃあ、社長には名前はないのかしら)
セオだけではない。クリンもクナーもガードンもエンジーニも、皆名前はないということだろうか。
自分の名前がない状態なんて、私には信じられなかった。名前を失ったら自分が自分でなくなってしまうような、そんな気さえするというのに。
(名前がないなんて、なんだか不安定ね……)
そう思いながら目の前に立つセオの男性にしては細身な背中を見つめた。
私たちは、私が会社内に足を踏み入れた時に一番最初に通った明るい雰囲気のエントランスロビーに戻ってきていた。
「きっと、ライバーが表に車を回してくれているはずです」
その言葉にエントランスの方を見れば、硝子張りの回転扉の向こうに黒塗りの車が停まっているのが見えた。
(あれって……)
ドラマで出てくるような高所得者が乗っている車だ。そんなものがこんな近くにあるなんて、と私は目を丸くする。
私たちが外に出てくるのを待っていたかのように車の扉が開き、運転席から男性が現れた。
先ほどセオの口から出てきたライバーというのであろう初老の男性は、シルクの糸のようにきめ細やかで美しい白髪をしていた。品の良いセピア色のスーツを身につけ執事のようなモノクルをつけた彼は、顔立ちもよく背筋もしゃんとしていて、きっと彼を見る誰もが好印象を抱くだろう。恐らく昔はセオに劣らない美青年だったのだろうが、今はすっかり皺の入ったその左の頬にはセオと同じようにバーコードが印刷されていた。
(やっぱりこの人もアンドロイドなんだ……)
そう思って彼を見つめている私の方にセオが振り返った。
「セクレ。彼は私のお抱えの運転手です」
その紹介を受けてライバーが恭しく頭を下げた。
「セオ様おつきの運転手、ライバーと申します。以後、お見知りおきを」
耳に心地良い柔らかな声だった。私も慌てて頭を下げる。
セオのさっきの話だと、このライバーというのもきっと役職名なのだろう。
専属の運転手がいるなんてさすがは社長、と感心しながら、運転手をわざわざ用意していることに私は疑問を持った。
昨今のAIはとても優秀で、瞬時に人間顔負けの判断が出来る。それはワークロボット社のアンドロイドを見れば一目瞭然だ。運転手の運転を手助けするために開発されたAIもあるが、AI自身が運転出来る技術もあり、今流通している車のほとんどは後者のAIが搭載されている。それなのに何故、わざわざ運転手をつけるのだろうか。
そう尋ねてみるとセオの代わりにライバーが答えた。
「勿論運転者がいらない車もありますが、AIも失敗することを我々はよく知っております。まあ、人間が間違えるよりはかなり少ない頻度ですがね。しかし、天下のワークロボット社のCEOがAIの判断ミスで事故にあうようなことがあっては困ります。ですから二重のチェックをかねて私が運転しているのです」
「なるほど、そうなんですね」
彼の言葉に相づちを打つ。ライバーとの会話を終えた私を見てセオが口を開いた。
「ライバー、彼女を家まで送っていってくれませんか」
セオのあり得ない言葉に私は耳を疑った。
「かしこまりました」とライバーが優しげな笑みを浮かべる。
「そ、そんな……。そんなことをしていただかなくても、自分で帰れます」
そう言って慌てて首を振る。セオが乗るような高級車に乗るなんて恐れ多くて出来ない。
拒む私の方にライバーが向き直る。
「セクレ様。あなたはここの従業員、しかもセオ様に最も近しい人間になりました。もしあなたに何かあったらセオ様に、さらにはワークロボット社全体に影響が出ます」
そうライバーに言われ、私は黙り込んだ。
(確かにそうかも……)
これからは社内だけでなく私生活でも気をつけなければいけないことが増えそうだ。そう思い私はため息をついた。
決心したようにライバーの顔を見ると彼が柔らかく微笑み、白い手袋をはめた手を動かした。するとそれに呼応したかのように後部座席の扉が静かに開いた。
私はセオの方を振り返ると深々と頭を下げた。
「では……すみません。お先に失礼します」
「ええ、ではまた明日」とセオが頷いた。
私はもう一度頭を下げると車に乗り込んだ。初めて乗った高級車のソファは家にあるものよりもふわふわで座り心地がよかった。
ライバーが二言三言セオと言葉を交わした後、お辞儀をして車に乗り込んだ。そして手慣れたように車を発車させる。
車窓からセオの方を振り向けば、彼は回転扉の前から相変わらず無感情な瞳で私のことを見つめていた。
「あの、社長は……」
そうライバーに遠慮がちに声をかければ、ライバーが目だけをこちらに向けて微笑んだ。
「ご心配なく。セオ様は後から帰宅なさいますよ」
その言葉に私がほっとしたのを見てからライバーが前に目を戻した。
私生活で車に乗ってあちこちお出かけすることはあるが、今日はなんだかいつもと周りの目が違うような気がした。道行く通行人も、隣に並ぶ車に乗る人々もこちらのことをちらちら見ているような気がしてならない。
(私の思い過ごしかしら?でも、この車に乗っていることで逆に目立っているような……)
そう思いながら居心地悪そうに横に長いソファに座り直す私をちらりとルームミラーで見て、ライバーが声をかけた。
「セクレ様。ワークロボット社で過ごした初日はいかがでしたかな?」
ライバーに話しかけられ私は慌てて口を開く。
「あ、えっと、社内のあちこちを見て回って、いろんな方にお会いしました。従業員の皆さんが全員アンドロイドだったことにびっくりしましたが、優しい方が多くてほっとしました」
そう言いながらもガードンのことを思い出し、胸の中にもやもやが広がった。こちらに敵意をむき出しにする彼と仲良くなるには、もう少し時間がかかりそうだ。
「そうですか、それなら良かった。セオ様を含め、皆さん個性的ですがとても良い方ばかりですのでご安心を」
ライバーがそう言って優しく目を細める。彼はまるで従業員たちのお父さんのような、包容力のあるアンドロイドのようだった。
それからは私の趣味の話やニュースの話、科学省ロボット課での仕事の話などをした。ライバーはとても聞き上手で、おしゃべりが好きな私には話しやすい相手であった。
一通り話が盛り上がったところで私の家に着いた。会社と違ってたいそうこぢんまりとしているが暖かみのあるブラウンの壁に囲まれた自宅を見て、張り詰めた緊張がほっとほぐれるのが分かった。
とんと固い地面に足を降ろすと、なんだかふわふわしていた気持ちがしゃんとしたような気がした。
「では、私はここで失礼いたします」
そう言って慇懃に頭を下げる彼に、私も頭を下げ返す。
(私はただの秘書だから、ここまで丁寧にして貰わなくてもいいのだけど……)
そう思って、つい先ほど車内で「セクレ『様』と呼ぶのをやめてほしい」といったものの
「私が呼びたいように呼ばせてくださいませんか」と言われてしまったのを思い出した。
「ライバーさん、ここまで送ってくださりありがとうございました」
そう言うとライバーが優しく微笑んだ後再び車に乗り込んだ。そして車内から私の方を見ている。どうやら、私が家の中に入るまで見送るつもりのようだ。
私は慌てて回れ右をすると鍵をさぐりつつ玄関に向かった。家の中に入り振り返って窓から車の方を見ればちょうど発車するのが見えた。
リビングに向かい、ソファに座ってそのまま横になる。スーツを着替えなければと思いつつも体は動かなかった。カチカチと時を刻む時計の音を聞いていると段々睡魔が襲ってくる。
(アンドロイドの利用説明書に目を通さないと……)
そう思いつつも私は眠気に勝てず、目を閉じた。
セクレを送り届けて会社に戻った後、ライバーはセオを探して社内を歩き回っていた。しかし、エントランスロビーにも社長室にもセオの姿は見当たらなかった。
(……やれやれ、きっとまたあそこでしょう)
そう思ってライバーは人しれず息をついた。
装飾のない、ややもすれば見落としてしまいそうな扉の前でライバーは足を止める。社内だというのに、他の場所とは違い一切カメラのないその扉の近辺は『ガードンの盲点』と言っても良いだろう。
周りに誰もいないのを確認してから、ライバーはその扉をそっと開け中に入った。
薄暗い部屋の中、壁に掛けられた何かを黙って眺めているセオを見つける。
「……セオ。セクレ様を家までお送りしました」
「ありがとうございます」とセオが目を向けることなく答えた。
ライバーもセオの視線を追ってそちらを見る。
セオの視線の先にあるものは、金色の立派な額縁に飾られた一枚の大きな絵だった。
そこには優しそうに微笑んだ髪の長い美しい女性が描かれていた。今はデジタルでもっとリアルで時間と共に変化するような絵を書く機能があるにも関わらず、その絵は昔ならではの水彩画で柔らかい色合いで描かれたものだった。
それを見ながらライバーが再び口を開く。
「セオ。何故彼女をセクレに選んだのですか?」
ライバーの質問にセオは何も答えなかった。
「科学省ロボット課の人間の中からセクレを選ぶとしても、彼女よりアンドロイドに精通している者は山ほどいたはずです。それなのに、何故わざわざ彼女を?」
ライバーの質問を聞き終えてからセオはゆっくりと口を開いた。しかし、相変わらず目だけは絵から動かさなかった。
「私は、セクレにはアンドロイドの詳しい知識は必要ないと判断したからです」
それに、とセオが続ける。
「……彼女が、“彼”が死ぬ直前まで探し続けていた女性にそっくりだったからです」
セオの言葉に今度はライバーが黙り込んだ。
いまだその絵を眺め続けるセオの横顔を、ライバーは黙って見つめていた。
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