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不意に拍手の音が鉱山内に大きく響いた。
「?」
いくら待っても来ない熱濃硫酸の衝撃に、俺は不思議に思い目を開ける。ホスゲンが瓶をわずかに傾けた状態で、俺の背後を見つめて固まっているのが見えた。何が起こったんだろうと疑問に思うその間にも拍手は続いていた。
「いやー、面白いものを見せてもらったよ」
背後から若い男性の声がした。振り返れば髪の長い中性的な顔立ちの男性が立っていた。いや、もしかしたら女性なのかもしれない。彼の髪は青をベースとして紺碧や花浅葱などの様々な種類の青が溶け混ざったような色をしていた。その髪が光り、暗い鉱山内を儚く照らしていた。
彼が辺りを見回したあと俺を見て、くすりと唇に笑みを浮かべた。
「君、毒物のためにそこまで体張るなんて、面白い人だねえ。僕、すっかり気に入っちゃったよ」
そう言って呑気に笑う彼を見て水銀が
「……青酸」と呟いた。
(この人が青酸様……)
驚いたように青酸を見ると彼が俺に目を合わせ微笑んだ。
「今日は珍しく来客が多くてね。騒がしいのは嫌だったんだけど、なんだか楽しそうなことをしてるから思わず見に来ちゃった」
「いつから見てたんだ?」
水銀の質問に「君たちがニトロと会う少し前くらいから」と青酸が答える。
「ずっと何も言わずに見てたのか」と水銀が顔をしかめる。
「相変わらず悪趣味な野郎だ」
そう嫌悪感満載で言う水銀に特に気を悪くした様子もなく青酸が笑った。
「あはは、相変わらず水銀は可愛げがないなあ」
そう言ってから青酸が再び俺たちを見回した。
「……まあまあ、こんな暗いところで話すのもなんだし、地上に出ようか。君もずっとガスマスクをつけてるのは辛いだろ?」
「あ、はい……」
そう親しげに話しかけられ頷く。それを見て青酸も頷くと、
「じゃあ上に行こうか」と言い踵を返して歩き出した。
鉱山の奥に岩を削って作られた階段があった。その上から白い光がさしているのが見える。
青酸に促されるままその階段を登ると急に視界が開け、暗かった世界が一転して明るくなった。
鉱山から繋がっているそこは少し高台になっていて、硫酸湖とアルカリ湖の両方を見渡すことが出来た。涼しい風が吹き抜け、俺の白衣の裾をはためかせた。
久しぶりに外の空気を吸いたくて、俺はガスマスクをとると大きく息を吸い込んだ。圧迫感が消え、新鮮な空気が肺に滑り込んでくる。
酸素を目一杯取り込む俺を見て青酸がくすくすと笑った。必死な自分がなんだか恥ずかしくなって深呼吸するのをやめ、下を向く。
「ああ、いやいや。思うがまま酸素を取り込むといいよ」
そう言って青酸が少し地面がもりあがった部分にゆっくりと腰掛けた。そして俺たちを見た。
「さて……水銀、その人だよね?僕に会わせたい人って」
青酸の質問に「ああ」と水銀が頷く。
「『この街を良くするための方法をここの劇物毒物と一緒に考えたい。だからここにいたい』ねえ……」
青酸がそう言って楽しそうに片目を閉じた。そして俺のことを値踏みするように見る。
「はい。だめでしょうか?」
そう恐る恐る尋ねると彼が「いいよ」と即答した。
「え!?いいんですか?」
嬉しいはずなのにあまりにもさらっと許可されてしまって、逆に聞き返してしまう。
「うん。君のおかげでここ数日暇しなくて済んだし。君、面白いからしばらくここに置いてあげるよ」
青酸の言葉に俺はぱっと顔を輝かせると頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そう言って深々とお辞儀をする俺を青酸が楽しそうに眺める。
「……お前、最初からこいつを認めるつもりだったんだろ?」
そう水銀がじとっとした目で青酸を見ながら尋ねる。「さあ?」と青酸がとぼけたように答えた。
「……ふん」
傍観していたホスゲンがつまらなさそうに鼻を鳴らすと踵を返した。そして、うろたえる隊員たちを置いてさっさと階段を降りていった。
「何よ、アンタこの人間をここに連れ出してホスゲンに殺させるつもりだったんじゃないの!?」
トルエンがそう怒って青酸に詰め寄る。彼は特に慌てた様子もなく頬杖をついたまま笑った。
「え?何それ?僕は何も知らないけど?」
そういけしゃあしゃあと言ってのける青酸にトルエンがわなわなと拳を震わせる。
「トルエン、相手にするだけ無駄だ」と水銀がトルエンをなだめるように声をかけた。
「こいつはこういう奴なんだ。……まあいい、これでシアンタウンの誰もこの人間に手出しはできない。……なあ、ニトロ」
そう言って水銀がトルエンの隣にいるニトロを見た。ニトロは眉をひそめて俺たちのことを見ていた。
「ニトロ……」
そう声をかけるとニトロがちらりと俺を見た。手に持っていた爆弾はもうかばんの中にしまったようだ。今ならもう少し冷静に彼と話が出来るかもしれない。
彼に一歩近づくと同時にニトロが口を開いた。
「……お前、さっき俺のことが大好きって言ったな」
ニトロの言葉にきょとんとして、確かにそのようなことを言ったのを思い出した。
「うん、言ったね。それがどうしたの?」
ニトロが俺の方に体を向ける。
「あんなに何回もお前のことを殺そうとしたのに、お前はまだ俺のことが好きだっていうのか?」
そう疑わしそうに言うニトロに頷いてみせる。
「うん。だって、ニトロが俺のことを嫌いな理由、よく分かるから。やりたくないことを無理やりやらされるなんて、そんなの嫌だよね」
「……」
ニトロが俺のことを黙って見つめる。
「それにね、本当はニトロが人間を殺すなんてことしないって分かってるから」
それを聞いてニトロが驚いた顔をした。俺はそんな彼を見ながら続ける。
「ニトロの本当の望みは、自分で死ぬ人がいなくなることだもの。だから、どれだけ人のことが憎くても、本心は人を殺そうとなんて思っていないと思ったんだ」
俺の言葉を神妙な顔でニトロが聞いていた。
「ニトロはとても優しい化学物質だから。だから、俺は君のことが大好きなんだ」
そう言って微笑むとニトロが顔を赤くし、何かを振り払うように首を振った。そして何も言わず階段の方に走っていった。
「ニトロ、待って!」とトルエンがその後を追いかける。
二人が階段を降りていき、その場には俺と水銀と青酸の三人が残された。
(少しは彼との距離が縮まったといいな)
そう思ってニトロが去っていったほうをしばらく眺めていた。
「……で、君たちはどうするの?」
取り残された俺と水銀を見て青酸が尋ねる。水銀が俺の方を振り向いた。
「まあ、これでお前の身の安全も確保されたことだし、とりあえず家に帰るぞ」
水銀の言葉に頷く。緊張感が抜けたからか体がどっと疲れているのが分かった。空腹を感じて、朝食を食べていなかったことを思い出す。
「そうだね。……でも、本当にこれで俺に攻撃してくる化学物質はいなくなったの?」
そう疑問に思って水銀に尋ねると代わりに青酸が頷いた。
「まあ、普通に考えてね。僕に喧嘩を売ってこの街から追い出されたい奴がいるなら話は別だけど」
青酸の言葉に俺は首をひねる。補足するように水銀が口を開いた。
「俺たち劇物毒物は、ここ以外の場所では危険物扱いされて生きにくいんだ。だから、この街から出ていくリスクを犯してまで青酸の命令に背くやつはいない」
水銀の言葉になるほどと俺は納得した。それとともにそんな境遇にある劇物毒物たちを気の毒に思った。
(いつかここの住民が劇物毒物だからって差別されなくなるといいなあ)
水銀がゆっくり階段の方に振り返った。
「もうやることもないし、こんなところに長居は無用だ。帰るぞ」
彼の言葉に頷く。階段に向かって歩き出した水銀のあとについて二、三歩歩いてから背後を振り返った。青酸がまだ出っ張りに腰掛けて、頬杖をついて俺たちのことを眺めていた。
「またね、人間」
そう言って手を振る彼にお辞儀をすると、俺はその場をあとにした。
「?」
いくら待っても来ない熱濃硫酸の衝撃に、俺は不思議に思い目を開ける。ホスゲンが瓶をわずかに傾けた状態で、俺の背後を見つめて固まっているのが見えた。何が起こったんだろうと疑問に思うその間にも拍手は続いていた。
「いやー、面白いものを見せてもらったよ」
背後から若い男性の声がした。振り返れば髪の長い中性的な顔立ちの男性が立っていた。いや、もしかしたら女性なのかもしれない。彼の髪は青をベースとして紺碧や花浅葱などの様々な種類の青が溶け混ざったような色をしていた。その髪が光り、暗い鉱山内を儚く照らしていた。
彼が辺りを見回したあと俺を見て、くすりと唇に笑みを浮かべた。
「君、毒物のためにそこまで体張るなんて、面白い人だねえ。僕、すっかり気に入っちゃったよ」
そう言って呑気に笑う彼を見て水銀が
「……青酸」と呟いた。
(この人が青酸様……)
驚いたように青酸を見ると彼が俺に目を合わせ微笑んだ。
「今日は珍しく来客が多くてね。騒がしいのは嫌だったんだけど、なんだか楽しそうなことをしてるから思わず見に来ちゃった」
「いつから見てたんだ?」
水銀の質問に「君たちがニトロと会う少し前くらいから」と青酸が答える。
「ずっと何も言わずに見てたのか」と水銀が顔をしかめる。
「相変わらず悪趣味な野郎だ」
そう嫌悪感満載で言う水銀に特に気を悪くした様子もなく青酸が笑った。
「あはは、相変わらず水銀は可愛げがないなあ」
そう言ってから青酸が再び俺たちを見回した。
「……まあまあ、こんな暗いところで話すのもなんだし、地上に出ようか。君もずっとガスマスクをつけてるのは辛いだろ?」
「あ、はい……」
そう親しげに話しかけられ頷く。それを見て青酸も頷くと、
「じゃあ上に行こうか」と言い踵を返して歩き出した。
鉱山の奥に岩を削って作られた階段があった。その上から白い光がさしているのが見える。
青酸に促されるままその階段を登ると急に視界が開け、暗かった世界が一転して明るくなった。
鉱山から繋がっているそこは少し高台になっていて、硫酸湖とアルカリ湖の両方を見渡すことが出来た。涼しい風が吹き抜け、俺の白衣の裾をはためかせた。
久しぶりに外の空気を吸いたくて、俺はガスマスクをとると大きく息を吸い込んだ。圧迫感が消え、新鮮な空気が肺に滑り込んでくる。
酸素を目一杯取り込む俺を見て青酸がくすくすと笑った。必死な自分がなんだか恥ずかしくなって深呼吸するのをやめ、下を向く。
「ああ、いやいや。思うがまま酸素を取り込むといいよ」
そう言って青酸が少し地面がもりあがった部分にゆっくりと腰掛けた。そして俺たちを見た。
「さて……水銀、その人だよね?僕に会わせたい人って」
青酸の質問に「ああ」と水銀が頷く。
「『この街を良くするための方法をここの劇物毒物と一緒に考えたい。だからここにいたい』ねえ……」
青酸がそう言って楽しそうに片目を閉じた。そして俺のことを値踏みするように見る。
「はい。だめでしょうか?」
そう恐る恐る尋ねると彼が「いいよ」と即答した。
「え!?いいんですか?」
嬉しいはずなのにあまりにもさらっと許可されてしまって、逆に聞き返してしまう。
「うん。君のおかげでここ数日暇しなくて済んだし。君、面白いからしばらくここに置いてあげるよ」
青酸の言葉に俺はぱっと顔を輝かせると頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そう言って深々とお辞儀をする俺を青酸が楽しそうに眺める。
「……お前、最初からこいつを認めるつもりだったんだろ?」
そう水銀がじとっとした目で青酸を見ながら尋ねる。「さあ?」と青酸がとぼけたように答えた。
「……ふん」
傍観していたホスゲンがつまらなさそうに鼻を鳴らすと踵を返した。そして、うろたえる隊員たちを置いてさっさと階段を降りていった。
「何よ、アンタこの人間をここに連れ出してホスゲンに殺させるつもりだったんじゃないの!?」
トルエンがそう怒って青酸に詰め寄る。彼は特に慌てた様子もなく頬杖をついたまま笑った。
「え?何それ?僕は何も知らないけど?」
そういけしゃあしゃあと言ってのける青酸にトルエンがわなわなと拳を震わせる。
「トルエン、相手にするだけ無駄だ」と水銀がトルエンをなだめるように声をかけた。
「こいつはこういう奴なんだ。……まあいい、これでシアンタウンの誰もこの人間に手出しはできない。……なあ、ニトロ」
そう言って水銀がトルエンの隣にいるニトロを見た。ニトロは眉をひそめて俺たちのことを見ていた。
「ニトロ……」
そう声をかけるとニトロがちらりと俺を見た。手に持っていた爆弾はもうかばんの中にしまったようだ。今ならもう少し冷静に彼と話が出来るかもしれない。
彼に一歩近づくと同時にニトロが口を開いた。
「……お前、さっき俺のことが大好きって言ったな」
ニトロの言葉にきょとんとして、確かにそのようなことを言ったのを思い出した。
「うん、言ったね。それがどうしたの?」
ニトロが俺の方に体を向ける。
「あんなに何回もお前のことを殺そうとしたのに、お前はまだ俺のことが好きだっていうのか?」
そう疑わしそうに言うニトロに頷いてみせる。
「うん。だって、ニトロが俺のことを嫌いな理由、よく分かるから。やりたくないことを無理やりやらされるなんて、そんなの嫌だよね」
「……」
ニトロが俺のことを黙って見つめる。
「それにね、本当はニトロが人間を殺すなんてことしないって分かってるから」
それを聞いてニトロが驚いた顔をした。俺はそんな彼を見ながら続ける。
「ニトロの本当の望みは、自分で死ぬ人がいなくなることだもの。だから、どれだけ人のことが憎くても、本心は人を殺そうとなんて思っていないと思ったんだ」
俺の言葉を神妙な顔でニトロが聞いていた。
「ニトロはとても優しい化学物質だから。だから、俺は君のことが大好きなんだ」
そう言って微笑むとニトロが顔を赤くし、何かを振り払うように首を振った。そして何も言わず階段の方に走っていった。
「ニトロ、待って!」とトルエンがその後を追いかける。
二人が階段を降りていき、その場には俺と水銀と青酸の三人が残された。
(少しは彼との距離が縮まったといいな)
そう思ってニトロが去っていったほうをしばらく眺めていた。
「……で、君たちはどうするの?」
取り残された俺と水銀を見て青酸が尋ねる。水銀が俺の方を振り向いた。
「まあ、これでお前の身の安全も確保されたことだし、とりあえず家に帰るぞ」
水銀の言葉に頷く。緊張感が抜けたからか体がどっと疲れているのが分かった。空腹を感じて、朝食を食べていなかったことを思い出す。
「そうだね。……でも、本当にこれで俺に攻撃してくる化学物質はいなくなったの?」
そう疑問に思って水銀に尋ねると代わりに青酸が頷いた。
「まあ、普通に考えてね。僕に喧嘩を売ってこの街から追い出されたい奴がいるなら話は別だけど」
青酸の言葉に俺は首をひねる。補足するように水銀が口を開いた。
「俺たち劇物毒物は、ここ以外の場所では危険物扱いされて生きにくいんだ。だから、この街から出ていくリスクを犯してまで青酸の命令に背くやつはいない」
水銀の言葉になるほどと俺は納得した。それとともにそんな境遇にある劇物毒物たちを気の毒に思った。
(いつかここの住民が劇物毒物だからって差別されなくなるといいなあ)
水銀がゆっくり階段の方に振り返った。
「もうやることもないし、こんなところに長居は無用だ。帰るぞ」
彼の言葉に頷く。階段に向かって歩き出した水銀のあとについて二、三歩歩いてから背後を振り返った。青酸がまだ出っ張りに腰掛けて、頬杖をついて俺たちのことを眺めていた。
「またね、人間」
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