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シロ
〈6〉
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「シロ、気をつけて帰れよ。いくら歩行者が横着いと言っても、あんな危険なことはするな。いいな?」
そう叱るように言う朝陽に少しも反省の色を見せることなく、「以後、気をつけまーす」とシロが心のこもっていない声音で答えた。
(本当に気をつけてくれればいいんだが……)と朝陽はため息をつく。
車に乗り込もうと背中を向けたシロの動きが止まった。そして、顔だけをこちらに向ける。
不思議そうな顔でこちらを見つめる朝陽を見ながら、シロが口を開いた。
「朝陽。これ以上俺たちのことを探らないでください」
何も言わず、朝陽がシロの顔を見つめる。シロは先ほどまでとは打って変わって真面目な顔をしていた。
「さもなければ、俺はあんたと対立しなきゃいけなくなる。……それは嫌なんですよ」
そう言ったシロは苦しそうな顔をしていた。
何も言わず黙って見合う朝陽とシロをリオンが見比べる。
「それはつまり、お前たちは、何か人間にあだなそうとしているということか?」
朝陽の答えに、またもやシロは答えなかった。悲しそうな、暗い笑みをふっと見せたまま、彼は車に乗り込む。
朝陽は助手席側の窓に手を置くと、手早く発車措置をとるシロに話しかけた。
「シロ。俺は、何かお前が間違った事をしていたら絶対に止める。……俺には、お前の元所有者として、その義務があるはずだ」
朝陽の言葉にシロは手を止めた。しかし、何も答えない。目元は帽子のつばで見えず、固く横に結ばれた口元だけが見えた。
「何かあったらいつでも俺に相談してくれ。できる限りお前の力になろう」
それから、念を押すように、もう一度口を開いた。
「安全運転を心がけたいのは、俺も同じだ。それは、忘れないでくれ」
そう強い口調で言う朝陽の顔を、シロが見上げた。彼のエメラルドの瞳に朝陽の真剣な顔が映った。
「……まあ、気が向いたらそうしますよ」
朝陽を瞳に映したまま、シロがふっと笑った。
「あなたがタクシーを使うなんて、珍しいですね」
(しかも、あのタクシーを)とリオンが心の中で付け加える。
「まあな」とリオンの心の声に気づかず、朝陽が笑った。
「あいつは、俺が以前タクシー運転手として働いていたときの担当車なんだ」
朝陽は先ほどのシロとの出来事をかいつまんでリオンに話した。
話を聞いて、リオンは目を丸くする。朝陽が元々タクシー運転手をしていて、そのときに事故に遭ったのをきっかけにその仕事をやめたという話は聞いていたが、まさかあのタクシーとそのような関係であるとは思わなかったのだ。
「まさか、こんな形であいつと再会できるとは思わなかった。……まあ、なんとか誤解がとけてよかったよ」
そう言う朝陽は、先ほどまでシロが停まっていたところを見つめて温かい笑みを浮かべていた。なんだかんだ朝陽もシロのことを大切に思っているのだと、リオンは彼の横顔を見つめる。
朝陽の話を一通り聞いて、(なるほど)とリオンは納得した。朝陽がシロにリオンを紹介したあのとき、彼がリオンに対してそっけない態度をとった理由がようやく分かったのだ。
シロはきっと、リオンに嫉妬していたのだろう。やっとのことで再会できた最愛の運転手である朝陽が、今はリオンの所有者になってしまっている。シロからしたら、リオンに朝陽が盗られてしまったという状況だ。だから彼は、いじけたような、うらやましいような顔をしてリオンを見ていたのだ。
しかし、シロの気持ちは分かるが、リオンだって彼に嫉妬している。彼はリオンと違って最愛の運転手が生きている。二度と運転手に会うことが出来ないリオンと違って……。
「……」
リオンは口を横に結ぶと俯いた。
そんなリオンの横で、朝陽はポケットにしまい込んだ財布に触れながら口を開く。
「ま、あいつに無茶な稼ぎ方をされても困るしな。また機会があったら利用してやることにするか」
そう言って笑った朝陽をリオンが複雑そうな顔で見つめていた。
「あーあ、エルに怒られちまうな」
公園の近くに車を停めて、シロは運転席の背もたれにもたれかかった。そして帽子を目の上に乗せる。
「朝陽を仲間に引き込むところか、逆にぺらぺらといろんなことをしゃべっちまったもんな」
あんなにもあっさりと懐柔されてしまうなんて、ファイに全く文句が言えない、とシロはさっきまでの自分をあざ笑う。しかし、やはりかつての運転手にはかなわない。それだけでなく、朝陽というのは車の心をつかむのがうまかった。その証拠に、朝陽の所にはリオンを含めて車が二台もいるらしい。シロは、先ほど門の向こうからバイクのシートに腰掛けてこちらをおずおずと見ていた黒髪の女性を思い出していた。
「……」
朝陽が彼等と仲良く話している姿を想像して、シロの胸がちくりと痛み、彼はかすかに顔をゆがめた。しかし、それは一瞬のことで、シロは黙って帽子のつばをつかみ体を起こすと、ハンドルに頬杖をついた。
片手でハンドルをやさしく擦ると、朝陽に頭を撫でられたときに帽子を挟んで感じた、彼の手の暖かみが思い出された。それだけで口元が緩んでしまうなんて、自分はなんて単純なのだろうと、我ながら呆れてしまう。
『シロ。俺は、何かお前が間違った事をしていたら絶対に止める。……俺には、お前の元所有者として、その義務があるはずだ』
『何かあったらいつでも俺に相談してくれ。できる限りお前の力になろう』
朝陽の言葉と共に、彼の真剣な顔を思い出す。それは、まっすぐとこちらを見て、本気でシロのことを心配してくれている顔であった。
シロは、脳裏にその顔を描きながらゆっくりと体を起こすと、
「……もう一稼ぎ行ってくるか」
そう呟いて、手袋をはめ直すと帽子を被り直した。そして、人しれず薄く微笑んだ。
そう叱るように言う朝陽に少しも反省の色を見せることなく、「以後、気をつけまーす」とシロが心のこもっていない声音で答えた。
(本当に気をつけてくれればいいんだが……)と朝陽はため息をつく。
車に乗り込もうと背中を向けたシロの動きが止まった。そして、顔だけをこちらに向ける。
不思議そうな顔でこちらを見つめる朝陽を見ながら、シロが口を開いた。
「朝陽。これ以上俺たちのことを探らないでください」
何も言わず、朝陽がシロの顔を見つめる。シロは先ほどまでとは打って変わって真面目な顔をしていた。
「さもなければ、俺はあんたと対立しなきゃいけなくなる。……それは嫌なんですよ」
そう言ったシロは苦しそうな顔をしていた。
何も言わず黙って見合う朝陽とシロをリオンが見比べる。
「それはつまり、お前たちは、何か人間にあだなそうとしているということか?」
朝陽の答えに、またもやシロは答えなかった。悲しそうな、暗い笑みをふっと見せたまま、彼は車に乗り込む。
朝陽は助手席側の窓に手を置くと、手早く発車措置をとるシロに話しかけた。
「シロ。俺は、何かお前が間違った事をしていたら絶対に止める。……俺には、お前の元所有者として、その義務があるはずだ」
朝陽の言葉にシロは手を止めた。しかし、何も答えない。目元は帽子のつばで見えず、固く横に結ばれた口元だけが見えた。
「何かあったらいつでも俺に相談してくれ。できる限りお前の力になろう」
それから、念を押すように、もう一度口を開いた。
「安全運転を心がけたいのは、俺も同じだ。それは、忘れないでくれ」
そう強い口調で言う朝陽の顔を、シロが見上げた。彼のエメラルドの瞳に朝陽の真剣な顔が映った。
「……まあ、気が向いたらそうしますよ」
朝陽を瞳に映したまま、シロがふっと笑った。
「あなたがタクシーを使うなんて、珍しいですね」
(しかも、あのタクシーを)とリオンが心の中で付け加える。
「まあな」とリオンの心の声に気づかず、朝陽が笑った。
「あいつは、俺が以前タクシー運転手として働いていたときの担当車なんだ」
朝陽は先ほどのシロとの出来事をかいつまんでリオンに話した。
話を聞いて、リオンは目を丸くする。朝陽が元々タクシー運転手をしていて、そのときに事故に遭ったのをきっかけにその仕事をやめたという話は聞いていたが、まさかあのタクシーとそのような関係であるとは思わなかったのだ。
「まさか、こんな形であいつと再会できるとは思わなかった。……まあ、なんとか誤解がとけてよかったよ」
そう言う朝陽は、先ほどまでシロが停まっていたところを見つめて温かい笑みを浮かべていた。なんだかんだ朝陽もシロのことを大切に思っているのだと、リオンは彼の横顔を見つめる。
朝陽の話を一通り聞いて、(なるほど)とリオンは納得した。朝陽がシロにリオンを紹介したあのとき、彼がリオンに対してそっけない態度をとった理由がようやく分かったのだ。
シロはきっと、リオンに嫉妬していたのだろう。やっとのことで再会できた最愛の運転手である朝陽が、今はリオンの所有者になってしまっている。シロからしたら、リオンに朝陽が盗られてしまったという状況だ。だから彼は、いじけたような、うらやましいような顔をしてリオンを見ていたのだ。
しかし、シロの気持ちは分かるが、リオンだって彼に嫉妬している。彼はリオンと違って最愛の運転手が生きている。二度と運転手に会うことが出来ないリオンと違って……。
「……」
リオンは口を横に結ぶと俯いた。
そんなリオンの横で、朝陽はポケットにしまい込んだ財布に触れながら口を開く。
「ま、あいつに無茶な稼ぎ方をされても困るしな。また機会があったら利用してやることにするか」
そう言って笑った朝陽をリオンが複雑そうな顔で見つめていた。
「あーあ、エルに怒られちまうな」
公園の近くに車を停めて、シロは運転席の背もたれにもたれかかった。そして帽子を目の上に乗せる。
「朝陽を仲間に引き込むところか、逆にぺらぺらといろんなことをしゃべっちまったもんな」
あんなにもあっさりと懐柔されてしまうなんて、ファイに全く文句が言えない、とシロはさっきまでの自分をあざ笑う。しかし、やはりかつての運転手にはかなわない。それだけでなく、朝陽というのは車の心をつかむのがうまかった。その証拠に、朝陽の所にはリオンを含めて車が二台もいるらしい。シロは、先ほど門の向こうからバイクのシートに腰掛けてこちらをおずおずと見ていた黒髪の女性を思い出していた。
「……」
朝陽が彼等と仲良く話している姿を想像して、シロの胸がちくりと痛み、彼はかすかに顔をゆがめた。しかし、それは一瞬のことで、シロは黙って帽子のつばをつかみ体を起こすと、ハンドルに頬杖をついた。
片手でハンドルをやさしく擦ると、朝陽に頭を撫でられたときに帽子を挟んで感じた、彼の手の暖かみが思い出された。それだけで口元が緩んでしまうなんて、自分はなんて単純なのだろうと、我ながら呆れてしまう。
『シロ。俺は、何かお前が間違った事をしていたら絶対に止める。……俺には、お前の元所有者として、その義務があるはずだ』
『何かあったらいつでも俺に相談してくれ。できる限りお前の力になろう』
朝陽の言葉と共に、彼の真剣な顔を思い出す。それは、まっすぐとこちらを見て、本気でシロのことを心配してくれている顔であった。
シロは、脳裏にその顔を描きながらゆっくりと体を起こすと、
「……もう一稼ぎ行ってくるか」
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