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ある晴れた日のこと

〈3〉

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その後愛昼は同僚の笹木と共に塗料の再検査を行い、なんとかしてスイが見つけた加害者を突き止めた。翌日、加害車が屋外の駐車場にやってくるのを見かけて、スイは捜査に協力してくれた感謝の意を示すために頭を下げた。
「本当にスイがいてくれて助かったわ」と、仕事が終わり一息ついた愛昼が微笑む。愛昼とスイは今、スイ自身であるパトカーの隣に立っていた。
「お役にたてたのならなによりです」
スイが心の仕えが下りてさっぱりした顔をして言う。
加害者が見つかったと知らせた時の被害車の嬉しそうな顔が脳裏に焼き付いて忘れられない。大変な思いもしたが、あのとき思い切って行動を起こしてよかったとスイは心から思っていた。
「本当なら私の手柄じゃなくてスイの手柄なのだけど」と愛昼が課長に褒められたときのことを思い出したのか、困ったように笑った。
「車が“生きている”ことを人間たち皆が知っていたのなら、もっと早く加害車を特定できたし、捜査が一度打ち切られることもなかったのにね」
愛昼の言葉に「そうですね……」とスイが目を伏せた。そして何かを考え込んだ。
「それにしても、一人で捜査をするのは大変だったでしょう」
愛昼がスイをいたわるように車窓をやさしく撫でる。
「まあ、そうですね。でも関さん達が手伝ってくれたので、大分助かりました」
撫でられたのを心地よく感じながらそう言うと、愛昼が驚いた顔をした。スイはその顔を見て少し笑ってから、朝陽たちに捜査を手伝ってもらったことを詳細に話した。
「……ふうん、そんなことがあったのね」
話を聞き終えたあと、愛昼は相づちを打ち、首をひねった。
「彼って、こちらに友好的なのかそうじゃないのかよく分からない人ね」
そう不思議そうに呟く愛昼を見て「本当ですね」とスイが微笑んだ。

それから数日経ったある日、スイは再び朝陽の家の前に立っていた。今度は思案顔ではなく、すっきりとした顔で、だ。
「どうやら解決したらしいな」
玄関から顔を出して、スイが何かを言うその前に、朝陽が口を開いた。
「ええ。これ、愛昼からです」
そう言って手に提げていた紙袋を手渡す。
「本当に律儀な人だな」と朝陽が笑いながらそれを受け取った。
「『直接お礼を言えなくてごめんなさい』と言っていました。本当は仕事のない日に伺いたかったのでしょうが、お礼は早いほうがいいとのこともあって私が代わりに」
「ああ、いいいい、そんなの」と朝陽が気にしていないようにひらひらと手を振る。
「スイさん、またいらっしゃったんですね!」とティーが駆け寄ってきて無邪気に笑う。
「ええ。捜査に協力していただいたお礼を言おうと思いまして」
スイの言葉にティーは胸をなでおろすと
「無事解決したんですね!よかった!」と嬉しそうな笑みを作った。
そんなティーを優しい笑みを浮かべて見ながらスイが口を開く。
「関さん。本当にご協力ありがとうございました。そして、ティーとここに停まっている彼も」
そう言ってちらりと横に目をやったスイと運転席から振り返ってこちらを見ていたリオンの目が合う。スイは彼に向かって微笑み、お辞儀をした。リオンも軽くお辞儀を返した後、興味をなくしたように前を向いた。
それを見てからスイは再び朝陽に目線を戻した。
「交通捜査課は相変わらずの忙しさか?」
朝陽に尋ねられスイは頷く。
「ええ。相変わらず様々な交通事故が毎日あちこちで起きています。白バイの知り合いに聞きましたが、交通マナーの悪さも全く変わっていないようです」
スイがそう言ってため息をついた。
「どうしてこうも人間は事故を起こしたがるのでしょう?あなたや愛昼のような交通安全を心がける人は、他にはいないのでしょうか」
そう暗い顔で言うスイを見て、「それは違う」と朝陽は首を振り、断言した。
「まあ、人間が規則を素直に守れない仕方ない生き物というのは認める。でも、事故を自ら起こしたがる人間なんて、滅多にいないさ」
スイが驚いたように顔を上げた。その視線を受けて朝陽が頬を掻きながら続ける。
「まあ、交通捜査課にいると嫌な事故ばかり見るだろうから、そう思うのも無理はないけどな。でも、当て逃げや轢き逃げに関して言うと、それを狙って起こす人間なんてほとんどいない」
スイが真意を探るようにじっと朝陽の顔を見つめる。
「当て逃げや轢き逃げは確かに犯罪だ。でもな、轢きたいから人を轢いた人間なんてほとんどいない。『轢いてしまった』という人のほうが多い」
朝陽が目を伏せる。
「だから、何でもかんでも事故を起こす人間が元から悪い人間だったと決めつけるのはやめてほしい。確かに、運転中に気を抜くのは良くないが、気をつけていてもどうやっても避けようがない事故だってあるんだ」
「避けようがない事故?」とスイが怪訝そうに尋ねる。
「ああ。……例えば、突然子供が道路に飛び出てきた、とかな」
朝陽の言葉にスイは黙り込んだ。
「車は突然止まれるわけじゃない。たしかに、常に『かもしれない運転』で、歩行者が飛び出てくること前提で走れるならそれが一番いいに決まっている。でも、人間なら誰しも気が抜ける瞬間というのがあるんだ。……まあ、言い訳かもしれないけどな」
そう言って朝陽は自嘲的な笑みを浮かべた。
「まあでも、たとえわざとではなくても、事故を起こしたなら正しい対応はしないといけないな。負傷者の救護、警察への電話。それさえ出来ていれば事故が起きても大きな事態にはならない。それを怠ったから、彼らは罪に問われたんだ」
スイは一通り朝陽の話を聞いたあと、納得したように頷いた。
「なるほど。どれだけ人間が気をつけていても事故は起こるのですね」
「まあ、身も蓋もない言い方をすればそういうことだ。人が車を走らせる限り、交通事故をゼロにするのは不可能だろうな」
スイが黙り込む。
「ただ、減らすことはできる。そのために、交通部は色々と活動しているんだろ?ほら、なんとかアイドルとコラボして、安全運転を呼びかけるとか……」
「ああ、『ドライブエンジェル★ムー』ですね」
スイが朝陽の言いたいことを潔く察する。
「ああ、それそれ。なんだ、お前も知っているんだな」
朝陽の驚いたような言葉に「愛昼がよく話していますから」とスイが困ったように笑う。
「なるほどな。……それ以外にも自動車学校という車の運転方法を学ぶ場所で事故を起こさないために交通規則を守るよう教育をしている。人間もな、人間なりに色々努力しているんだよ」
「……」
朝陽の淡々とした言葉をスイは静かに聞いていた。
そんなスイの様子を見ながら「それにな」と朝陽が付け加えた。涼しい風がざあと二人の間を吹き抜けた。
「俺や愛昼さんのような人間は他にもいるさ。……きっとな」
そう言ってにっと笑う朝陽を見てスイもつられて微笑んだ。
「……そのことを願います」

「……」
スイは、昼間聞いた朝陽の話をパトカーにもたれかかり天井を見上げながら思い出していた。
確かに交通事故を故意に起こすような人は少ないかもしれない。けれど、人間の交通マナーの悪さが事故勃発につながっていることは紛れもない事実だ。
交通安全の意識を育てようと奮闘している人間がいる傍ら、交通規則を守らない横着い人間もいる。スイには圧倒的に後者の方が多いような気がしてならなかった。それではいくら一部の人間がいいドライバーであろうと、車から見た人間の評価を上げることは難しいだろう。
そのため、“彼等”のような集団が出来てしまったのだ。そのうちの一人、白バイの彼は何度注意されようと人間たちが運転マナーを改善する兆しがないから、絶望してしまったのだ。
「……」
スイは天井をにらむように見つめたまま、すうと瞳をゆがめた。
ふと、静かな駐車場内にコツコツと規則正しい靴音が響いた。その音はどんどんこちらに近づいてきて、すぐ目の前で止まった。
(この靴音は愛昼ではないな)と察する。その証拠に女のものではない低い声が聞こえてきた。
「……返事を聞きに来た」
顔を下げれば、先ほどスイが考えていた白バイの彼、アールが目の前に立っていた。相変わらず目元はヘルメットに隠れているため見えず、厳格そうな口元だけが見えた。
アールが人目をはばかるように辺りを見回してから口を開く。
「スイ。もう人間共が起こす交通事故を見るのはまっぴらだろう。お前も俺たちの仲間になれ。そして、自動車学校に通い、運転免許をとるんだ」
「ああ、そのことなんだけど」とスイが言葉を遮る。
「君達の“計画”だと、後々すべての車が人型になるってことだよな?」
スイの言葉にアールが頷く。
「ああ、勿論だ。そうしないと、運転免許は取得できないからな」
「ということは、人間たちは俺たち車を人間と同じように扱ってくれるってことだよな?」
スイが立て続けに尋ねる。またもやアールは頷いた。
「そっか……」
返答を聞き、スイは少し考えたあと、頷いた。
「分かった。俺も仲間になるよ」
そう決意したスイを見て、アールが笑みを漏らした。
「そうか。英断だな。今度俺たちの集まりに連れて行ってやる。自動車学校入校の話はそれからだ」
「ああ、ありがとう」とスイは笑みを浮かべた。
アールはそんな彼を見つめてから小声で
「……この話はお前の運転手には決して言うなよ」と念を押すように言った。
「ああ、分かってる」
スイが頷くのを見届けてからアールがゆっくりと踵を返す。
彼が去って行く後ろ姿を見ながらスイは
(車が人間のように扱われるようになれば、車の証言が直接的に捜査に使えるようになるかもしれない)と考えていた。それはスイにとって、なによりも一番直近の願いだった。
今日もまぶしいほどの快晴であった。サイレンの音を遠くで聞きながら、スイはかすかな希望を抱いて目を閉じた。
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